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2016年11月29日22時48分

 2016年11月29日22時48分。


「お、おい……どういうことだ……」


 松田がイヤフォンを握りしめたまま、不安な顔で周囲を見渡した。頬が引きつっている。


「おい、応答しろ、バカ。応答しろーっ!」


 川場がマイクに口を寄せ、叫ぶ。が、返ってくるのは虚しいノイズだけ。


「……まさか……」


 須賀が目を細め、イヤフォンを持ちながら呟いた。


 そして静かに頷く。


「ああ。──月末。通信制限だ」


「shit!!!!!!!」


 一斉に顔を覆って絶叫する三人。時刻は22時48分。彼らの中田通信網が、月末の魔により崩壊した瞬間だった。


「あと……あと何分で復旧すんだ……!?」


 川場が泣きそうになりながら問う。


「……通信制限は、12月1日の0時をもって解除される。それまで、おそらくデータ送信は──できない」


 須賀がスマホの画面を見ながら、静かに答える。そこには「128kbps」という絶望の文字が。


「ちょっ……それだと……」


 松田がハッとする。


「中本さんの心の支えでいられる時間が、一日遅れてしまうではないか……そんな悲しいこと、俺の中本さんには、させたくない……!」


 松田が切実な顔で言い放った瞬間、廊下に冷たい風が吹いた。いや、実際には無風だったが、彼の言葉が生み出した“痛風”が、心に吹き荒れたのだ。


 三人は、凍りついた。


 特に川場である。この変態は、自分が中本さんファンだからという理由ではなく……いや、正確には“それも少しある”。が、それ以上に──


(……もしかして俺、今までこのバカと、同じ程度の人間だったのでは……?)


 という冷静な自己分析が、彼の脳内を稲妻のように駆け抜けた。


 “川場、17歳の冬。はじめての自己否定。”である。


 それを見た須賀と向居は、無言で頷き、友人の成熟に、少しだけ喜びを噛みしめた。しかし、同時に。


(松田がどんどん「人間という概念」から離れていってる……)


 悲しいほどに明るく、まぶしいほどに愚か。


 もう、差しのべる手はない。


 つまり、無視するしかない。


 残酷だが、これも男の友情……、否、”漢”の友情である。


「……で、バイオハザードって何なんだよ」


 須賀がくるりと振り返る。


「向居、占えないか?」


「何を?」


「今の感染状況を……てか、そもそも“バイオハザード”ってなんなんだよ」


「ばか。俺は“恋占い専門”だ。WHOじゃねえよ」


 向居はそう言いながらも、どこか神妙な顔でカードを取り出す。


「あぁ……でる……でるぞ……きた! ハートのQ……!」


「ふむ、恋愛の象徴……」


「そして……スペードの13……! これは──“恋愛の女神を特殊召喚して、惚れ薬”を使った者が、現れた兆しだ……」


「こっっっっっわ!!!!」


 川場が飛びのいた拍子に靴が脱げ、須賀の鼻先に飛んでくる。


「いや、まじか……」


「冗談じゃねえ。惚れ薬なんて、そんなの中学生の妄想……!」


「いや、思い出してみろ……三組の桑原……通称“マッドサイエンティスト”。白衣に黒縁メガネ、口癖は『由利のロリは化学反応だ』。Twitterで『#恋の化学式は完成した』ってタグつけて、フォロワー6人に怪文書を全力拡散してた……」


「いたな……!」


「でも待て……、あいつには“特殊召喚スキル”がない……ただの理論厨だ。研究レポートは最強だけど、ペットボトルキャップすら開けられない男だ」


 そのとき──須賀が目を見開く。


「……まさか……書道部の山口……!?」


「山口……って、あの“愛”の一文字だけを百枚書いて、文化祭の通路を封鎖したっていう……!?」


「そう、そしてその“愛”で組んだ構造体が、最終的に『錬成陣』と認識され、オカルト雑誌に特集されたあの……!!」


「確かにそれならあるぞ! しかも中二病レベルS、同志中田と同じく“特級能力者”──あいつなら、錬成できる……!」


 向居が真顔でそう言い切った瞬間、運命が現実を殴ってくる。


 ──ドタドタドタッ!


 北館中央階段から迫りくる重たい足音。それは確かに現実だった。


「っ……!」


 妄想のパラレルワールドから無事帰還した松田が、ピクリと反応。音の方向を指差して叫ぶ。


「やべぇっ……くるっ! 生活指導の高橋だ……あと、リチャードもいる!」


「ALTのリチャード!!」


 川場が即座に反応する。


「たぶんさっき深田たちをフロントに連行して、それで戻ってきたんだ……しかも……」


 須賀が身を屈めながら言う。


「……喋ってる! リチャードが“日本語で”喋ってる!!!」


「うっそ……うちらが“ハロー”って言うと、毎回なぜか流暢なオックスフォード英語で『Oh, Interesting!』って返してくるくせに……!?」


「本気モードかよ……!」


 追い詰められた向居が周囲を見回す。だが──


 廊下はまるで嘲笑うように、逃げ道ゼロ。ロッカーなし。陰なし。あるのは窓越しの海の絶景。言い換えれば、退路なきロケーション・オブ・絶望。


「──おい! こうなったら……中田の、あの作戦を使うぞ!!」


 須賀が静かに、しかし確実に覚悟を決めて叫んだ。


「ま、まさか……“光学迷彩オプティカル・カモフラージュ”──ッッ!」


 松田が顔面蒼白で絶叫する。


「あれは……人間としての尊厳をかなぐり捨てる作戦だぞ!? バカの中でも選ばれし者しか、やってはいけない禁忌だ!!」


「でも他に選択肢はねえ!!」


 須賀がキッと睨み返す。


「──作戦内容、再確認!」


 川場が低く、真剣な声で号令をかける。















 高橋とALTリチャードは、問題児・深田率いる“革命軍”をフロントに連行した。そしてその直後、無線がビビッと鳴った。


 それは──教員専用の緊急通信。




《至急、五階渡り廊下に集合されたし。トラブル発生。主犯、三組桑原の模様。校長には伝達済み》




 機械のように冷静な声だったが、そこににじむ焦燥感は隠しきれない。


「ったく、今年はやっぱヤバすぎる……」


 高橋はバキバキと音を立てて顎を鳴らす。


「去年の昼休み、”チキチキ・マクド・テイクアウト・チャレンジ”で全部出し切ったと思ったのによ……」


 *説明しよう! 高橋が口にした「チキチキ・マクド・テイクアウト・チャレンジ」とは、前年度のテスト期間中に密かに開催された、いわば“昼休みの奇祭”である。


 そのルールはシンプルにして狂気。


「テストの昼休みに、校門から3キロ先のマクドナルドまでダッシュで向かい、セット(ポテトM・ナゲット・コーラ)を買い、教師にバレずに教室まで持ち帰る。以上!」


 まさにスリルと油分、青春と塩分を同時に味わえるバカの極致。


 この奇祭、教師の間では「今年の奇跡の世代が思いついたんだろ」と言われているが──実は歴史は深く、遡ること三十二年前。


 当時のクラスのマドンナがぽつりと呟いたひと言が、全ての始まりである。


「……教室で、熱々のポテト食べたいなぁ♡」


 その瞬間、数名の男子が立ち上がった。


「姫の願い、しかと受けた……!」と全力疾走。


 結果、伝説の初代大会が開催され、以後、密かに受け継がれてきたのだ。


 今年はなんと第38回目の大会である。


 今年の優勝者は意外にも松田。タイムは22分37秒。区間新記録達成である。


 準優勝は六組の望田。タイムは遅れたが、基本セットに加え、ファミマのフラッペも購入し、ボーナス加点となった。


 が、問題は文学部の小松である。


 彼はマクドまでの距離を詰めるべく、職員室前の3メートルの金属網状の塀をショートカットしようとした。


「ぎしぎし……」という音に不審を抱いた音楽教師が窓から振り返ると、小松は完全に『SASUKE』スタイルで塀をよじ登っていた。


 結果、小松は現行犯逮捕。


 その後、「ポテト大好き♡」という理由だけで調理部顧問に配置された探知犬──もとい、国語科・大河原教諭(通称:マック鼻)による教室嗅覚捜査が行われた。


 結果、マック特有の“冷めかけポテト臭”により、出場者全員──逮捕。


 青春とは、揚げたてではない。冷めてなお、罪深い。


「……正直、ジャップを少し、ナメてたゼ」


 隣を走るリチャードが、戦場帰りの兵士のような顔でつぶやく。


 高橋は即座に舌打ちしながら、リチャードの胸を中指でグリッと突いた。


「うるせぇアメリカ野郎。日本の生徒をなめんな。こっちは性欲とバカさが文化遺産級なんだよ」


「……まったく。“変態文化”という言葉が、教科書に載るワケダ」


 リチャードは、天井の灯を見上げながら、どこか遠い目でつぶやいた。


「オレ、本当は……元・海兵隊だった。退役してからは、“保護猫カフェ”を開くつもりだったんダヨ。ネコは、かわいい。あと、同僚たちのPTSDにも……いい影響。ミャオは、セラピーになる。平和の象徴、ソレガ・ネコ」


 高橋は一瞬、言葉を飲み込む。が、その目は優しかった。


「……いい話だな」


「でも、職案内所で、“日本ノ教育で、世界ヲ変エマセンカ?”ってパンフレット渡された。裏見たら──“変態ヲ救エ”って書いてあった」


「……書いてあったのかよ」


「気づいたラ……日本。高校。しかも、男子生徒、オール変態。今、ようやく理解シタ……オレ、騙されタ」


 リチャードは静かに目を閉じた。


 彼の眉間には、平和を求めすぎた男の哀しみが刻まれている。


「……でも、オレ、もう逃げない。変態、守ル。教育デ、浄化スル。ネコハ無理でも……生徒も生き物だから、ギリいける」


「お前が本気で言ってるのか、わからなくなってきたよ……」


 高橋も苦笑を浮かべる。


 だがその胸には、“この異常な戦場を共にする仲間”としての、深い共感が芽生えていた。


「うちも、知ってたさ。この代が異常ってことはな……。小学校の道徳の成績、山梨の男子だけなぜか全国平均の“半分以下”。“宇宙人が混じっているのでは”って、本気で議論された。だから──強者の教師を、世界中からかき集めるしかなかったんだよ」


「今ナラ、理解スル……この学年、変態ノ巣窟……!」


 ──そのとき。


「TAKAHASHIセンセイ……マテ……アソコニ、誰か……いる」


 リチャードが急に真顔に戻る。軍人の目になっていた。


「なに……? 生徒か?」


 高橋も本能的に動く。腰のチョークホルダーを握りしめながら、四階の渡り廊下を凝視した。


 五階へ上がる前、四階の渡り廊下。


 廊下の中央、なぜかライトアップされたように存在感を放つ──四人組の男たち。


「……まさか、生徒……?」


「Shit……」


 リチャードの表情が険しくなる。


 だが──よく見れば様子がおかしい。


「でも、見ろ……あれ……なんだ……?」


 男たちは全員、『海人Tシャツ』を身にまとっていた。


 そして──顔に、ゴーヤ柄の海パンをまるで変態仮面のように装着している。


 中腰の者、Y字バランスの者、なぜか逆立ちを決めてる者もいる。


 誰がどう見ても、異常である。


 が、ここで一旦、筆者として注釈を入れさせてほしい。


 このスタイルの状態でも、顔の詳細は見れば分かる。何せ、幸運にも本物を見たことがある。


 筆者がまだ大学生の頃。ある日、LINEである男友達の一枚の写真が届いた。


 彼女のパンツを顔に被り、変態仮面スタイルで自撮りしている──という、愛と狂気の狭間のような一枚である。しかも、その写真はなぜかそのパンツの持ち主である彼女から送られてきた。


 色々とツッコミどころが多く、「素敵な彼氏だね」としか返せなかった筆者は、「なぜ真面目に生きている自分には彼女がいないのか」「そもそも彼女自体、私に何を求めているのか」と、自問自答の泥沼に沈んだのだった。


 ──だが、今回は小説である。


 現実とは違い、ここには“脳筋教師”という強力なフィルターが存在する。


 さらに今回は中田という、“狙ったことは全部上手くいく”という謎の祝福(もはや加護)を持つ男の作戦である。


 要は、理屈じゃない。勢いとノリと、神様のワンオペ対応力に頼った作戦なのだ。


 したがって、一応、彼らはまだ「誰なのか分からない」ことになっている。


 この小説のルール上、そういうことになっているので、読者諸君には、ひとつ寛大な目で見守っていただきたい。


 そう、これは“勢い系ご都合主義バカ青春群像劇”なのである。


「……リチャード、こいつら……」


 高橋が声を潜める。


「……生徒、ナノカ? いや、ヒト?」


 リチャードの声は微かに震えていた。


 そのとき──


 一番前、ゴーヤ柄の海パンを顔にかぶったリーダー格が、口を開いた。


「……わいは、沖縄の人やで……」


 声は異様に渋く、しかもなぜか強い訛り。


 空気がピタッと止まる。


「なに……?」


「教員さんやろ?」


 ゴーヤ仮面が言葉を続ける。


「沖縄のサッカー好き界隈じゃ、今こういうスタイルが主流なんよ。


 ……“ベッカムスタイル”って言葉、知らんか? 地元の流行りやさかい。生徒さんと間違えたらアカンよ?」


 高橋とリチャードは思わず顔を見合わせた。


 常識人の目が、非常識を前に揺れる。


「ああ……そ、そうか。文化の違い……だよな……」


 高橋の顔が微妙に引きつっている。


 しかし──


「マッテ、TAKAHASHIセンセイ……彼ら、今……関西弁じゃない?」


 リチャードが鋭い指摘を飛ばした。


 その瞬間、中腰の男が一歩踏み出し、前へ出る。


「がいじんはん、それは認識が浅いわ。沖縄にもな、関西人は多いんや。観光地やろ? 大阪からの移住者だらけやで?


 うちなーぐちと関西弁のハイブリッド、それが今の沖縄ボイパカルチャーや。知らんのか、“琉球浪速語”」


「リュ、リュウキュウナニ……?」


「それともアンタ、沖縄にいる関西人、否定すんのか? そんなの人権の侵害やろ?


 それともなにか? アメリカさん、最近は自由じゃないんか? 権利章典どうなってんねん。ジョージワシントンはん、ないてるでえ」


「えっ、あっ、いや……」


 唐突に始まる国際文化論争。


 リチャードの口がパクパクと空転する。


「リチャード。人権侵害はだめだ。謝りなさい」


 高橋がキッと横目で言う。


「TAKAHASHIセンセイ……!」


 リチャードがまだ混乱気味に囁く。


 そんな中、高橋は改めて真正面に立ち、問いかけた。


「が……そもそもそこの君は、なぜY字バランスなのかい?」


 問いかけられたゴーヤ仮面は、ゆっくりと脚をさらに高く上げ、そして一言。


「ヨガや」


「……なるほど」


 高橋は神妙な顔で頷いた。なぜか深く納得している。


「大変失礼しました。ほら、リチャードも謝りなさい」


「あ、あの、いうあ、いえ……あっ……」


「しろっつってんだよぉぉぉぉぉぉおおお!!!!!!!!!」


「Yes, boss!!!!!!!!!!!!!!! I apologize to ゴーヤフェイスヨガマン……」


 棒読みの謝罪とともに、リチャードはぺこりと頭を下げた。


 二人は、そのまま無言で、逆立ちしたまま動かない者を一瞥し、シュールすぎる異文化の風に吹かれながら、静かにその場を通り過ぎていった。


 文化とは、理解ではなく、まず「見て経験する」ところから始まる。


 たとえそれが──顔にゴーヤを装着し、Y字バランスをキメる謎の男たちであっても、だ。


 そしてこの瞬間、リチャードはほんの少しだけ、世界の広さを感じた。


 まだ見ぬ文化が、まだ見ぬ性癖が、この星には無数にあるのだと。


 いや、そう思わないとシ肯定できなかった。


 元・海兵隊、保護猫カフェ志望、日本の高校教師。


 今、自分が一番ファンタジーかもしれない。


 そして彼は心の中で、そっと呟いた。


「……明日の朝食ハ、ワシもゴーヤチャンプルー食べてミヨーカヤ……」

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