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2016年11月29日22時25分

 2016年11月29日22時25分。


「『『漆黒ノ女神ディーヴァオペレーション』開始』」


 イヤフォン越しに中田の不穏な奇声が響いたかと思うと、扉がパタっと開く。


 ストレンジャー四人、遂に出陣である。


「行くか、須賀……」


「ああ、松田……興奮するな」


 夜のリゾートホテル。誰もいない廊下。自販機のウィーンという音すら、場違いに聞こえる。まるでホラーゲームのチュートリアル。


 松田、須賀、川場、向居。自称“第二甲府の奇跡”は、恐怖に震えることもなく、むしろ妙なテンションで進軍を開始する。


 401号室の扉が閉まる音と同時に、彼らは中田直伝のRPGフォーメーションに身を投じた。


 先頭を行くのは、若干深夜テンションになりつつある川場。


「筋肉で語る」男の両手には、なぜかホテルの枕がくくりつけられている。


「これは聖なる盾だ。ミラーフォー、」


 背後の松田と須賀は、左右に分かれてサイドガード。姿勢はなぜか前傾姿勢のレスリングスタイル。


「須賀、なぜこの姿勢なのか?」


「中田曰く、”吉田沙保里”を憑依して戦えとのことだ」


 そして、最後尾に控えるのは、恋占いの異端の魔導師・向居。


 彼はトランプの「ハートの3」を宙にかざしながら、小声で呟いた。


「……運命、今、交錯せり」


「それ、さっき売店で買ったやつじゃん!」


「静まれ、松田。これは“恋の羅針盤”だ」


「あとで燃やすぞ」


 その向居は、意味不明にでかい水晶玉と、占い本『血液型別♥勝利の導き』をリュックに入れていた。重量が増したせいで、肩が斜めになっているが、誰も気にしない。


「それより須賀」


「なんだ、松田」


「本当に中田の作戦にのっていいのか? 俺たち、今さらだけど……」


「今さらって……。お前、それは言ったらあかんだろ」


「ああ、でもよ……あいつはバカだぞ。俺たちと違って、ガチのバカだ。なぜあんなやつに頼る? 読者の方からもそんなコメントがあっただろ。“え?なんで?”って」


「……否定はしない。むしろ肯定する。でも、安心しろ」


「は? 何が安心なんだよ」


「よく考えろ。あいつ、二年連続で将棋の全国大会に出てるんだぞ」


「……でも県予選で何かしたんだろ?」


「一年目は手作りクッキーでライバル全滅」


「やっぱ……食中毒か?」


「いや、証拠はない。医療調査でも“原因不明の胃腸炎”。しかも渡し方が神レベルだぞ」


「え?」


「『私、一年生で初出場なんですけど、正々堂々がんばります! あ、これ……中学生の妹(※いない)の手作りクッキーで……ちょっと多くて、よければどうぞ!』」


「うわ……完璧すぎる!」


「“初々しさ”と“妹アピール”と“余ったから仕方なく”を同時に成立させたの、普通に人間じゃねえ」


「で、二年目は?」


「“反省”の演技から入ってる」


「『去年は手作りでごめんね、気を遣わせちゃったよね……今年は市販のサイダーにしたから……。あ、サイダー飲む?』」


「はいはい、定石ね。でもさすがに二年目は皆警戒して、飲まなかったんじゃね?」


「違うんだよ。“試合会場のクーラー”を、さりげなく“暖房”にしてる」


「……は?」


「“暑い”→“のど乾く”→“意識が朦朧とする”→“冷たいサイダーうまそう”→“あれ? 誰のお土産だっけ?”→“ まあ、そんなことどうでもいいか”っていう流れを、“自然”に作ってんの」


「……あいつ何者?」


「しかもな、クーラーのリモコン、いつの間にか“操作不可”に設定されてたって噂がある」


「ちょ、それも奴が……?」


「で、皆が次々と『あれ? 胃がキリキリ……』ってなってる頃、将棋盤の前では──」


「『えっ!? 皆、どうしたの!? え、まさか……このサイダーが!? 違うよね!? そんな、偶然だよね!?(※演技)』」


「……スタッフが暖房に気づいたときには、もう時すでにおすし」


「で、診断は?」


「“軽度の脱水症状に伴う胃痛”。むしろ“熱中症寸前だったから、サイダー飲んでよかった”くらいの扱い」


「中田……それもう将棋じゃなくて……軍事だよ……!」


「恐ろしい子……いや、“戦術芸術家”だな。クズの領域に足を踏み入れた瞬間に覚醒する、いわば“クズ覚醒エゴ・ブレイク型”だ」


「……もう、何も言えねえなあ……」


「しかもな。最近、中田は“化学基礎の大野”と放課後に“個別特訓”してるらしい」


「あ? 大野? あの、“すべての現象にはオプションがある”とか言って、文系生徒にも平気で東工大の赤本の過去問題をぶっこんでくる、あの理系テロリスト教師か?」


「そう、その大野。中田は最近、“揮発性ガスと精神集中のオプション関係”ってテーマで、放課後ずっと大野に付き添ってるらしい。将棋の練習そっちのけで」


「……それ、どう考えても来年の仕込みだろ……!」


「まちがいない。あいつ、すでに三手先を読んでる。将棋じゃなくて人間の暗殺計画で」


「……でもな、だからこそ、俺たちが止めねえと」


「松田、いい奴だな」


「そうだ。あいつが完全にクズ堕ちする前に、俺たちのバカの矜持で引き戻すしかねえ!」


「自分で言うのも何だが、道徳だけはガチで得意教科だったからな。成績は平均以下だが、心意気だけは満点だ」


 ──そのときだった。


「……しっ、静かに!」


 一同が息を呑む。


 廊下の細い窓から中庭をのぞくと、月明かりに照らされた影──いや、列があった。ぞろぞろと、静かに、だが抗えぬ力に引きずられるように、北館へと歩かされている。


「?!」


「……あれ、深田たちじゃないか?」


 向居の声が震える。まるでテレビで“戦争ドキュメンタリー”でも観ているような神妙なトーン。


 そう、それは深田と六組の連中だった。


 いつもの調子はどこへやら。体操服の裾は乱れ、口元にはガムテープの跡。目元は涙と反省の交差点。後ろには教師たち──鷹のような目をした小池校長。横には生活指導の番犬・高橋と、アメリカ仕込みのキン肉マン、ALTのリチャード。前後左右を固める完璧な布陣。


「ひと昔前の粛清かよ……」


「これは……これはまさに、レミゼだな……!」


「フランス革命か?」


 その時だった。


「やめろぉぉおお!! 俺はッ! 俺はまだ桃源郷があると信じているぞぉぉぉぉぉぉおおおお!!」


 深田が叫んだ。


 その声は夜のホテルに響き渡り、カラスすら二羽、木から飛び立った。


 だが教師陣は無表情。無慈悲な北館行き──まさに“帰って来られない説教コース”。


「だあああ! リチャード! てめぇ、どこに金髪美女がいるんだよ。またハメやがったなァァアア!!」


 引きずられながら深田が暴れ、足をジタバタと動かす。だが、元海兵隊出身のリチャードの握力はグリーンベレー級。ガッチリと左肩を拘束されており、逃げ場はない。


「さようなら……革命戦士……」


 松田が胸の前で十字を切る。


「中田が……中田がこの光景を見ていたら、なんて言ったかな……」


 その瞬間、イヤフォンに「ブゥゥッ……」とバイブレーション。


 ピッ。


「――HQより各員へ。作戦コード:DIVA-21、次フェーズに入る」


 中田の声が脳に響く。


 彼は今、401号室でコーヒーを片手に作戦を指揮している。ちなみに、コーヒーはまだ九割残っている。


「残念なニュースと、嬉しいニュースがある。どっちから聞く?」


「……残念からだ」


 須賀が硬い声で答える。


「ああ。情報ネットワーク(Twitter)を確認したところ、六組──確保。ホテル職員への謝罪ルートへ移行」


「やはり……!」


「理由は簡単だ。教師陣も年に一度のリゾートバカンスを楽しみにしている。問題児の供出、それは彼らにとって……そう、供物トリビュートなのだ!」


「犠牲の上に成り立つ大人の休暇……!」


「しかも、このホテル──朝食バイキングに『スパム』が出る。絶対に揉めたくない」


「スパムの力、偉大……!」


「で、いいニュースだが──四組のイケメン軍団、しっかり捕まった」


「おおおお!」


「今、女子部屋が固まっている北館七階より、渡り廊下を通過中。搬送先は……我々男のいる南館! 五階か六階の渡り廊下を通れば、ちょうど鉢合わせる可能性が高い」


「ちょ……え……それって……」


「狙うならこのまま四階で行け。愛と反抗心を武器に、突き進め──!」


 ピッ……。


 通信が切れる。


 静寂。


「……行くぞ」


 須賀が口を開いた。声は低く、震えていた。それは恐怖でも、迷いでもない──


 思春期男子特有の、理屈なき衝動である。


 川場が前を向く。ナルト走りのフォームにセット。


 向居は「ハートの8」のカードをそっと胸ポケットに仕舞い、何かの加護を得た気になっている。


 松田が、眉一つ動かさず囁いた。


「……深田、お前の犠牲はムダにしない」


 そして、四人の足音が、ペタ……ペタ……ペタペタペタッ!! と加速していく。


 それはもう、理性の死であり、バカの祭典への開幕ベルであった。


 向かうは、四階・南館中央階段──そこから北館へと続く、連絡橋の入り口。


「……待て」


 川場の声で、全員がバッと身をひそめた。


「なにかいる……いや、“誰か”だ」


 暗がりの中、微かに見える人影。それは──


「お前……」


 そこに立っていたのは、一人の少年。


 修学旅行の沖縄なのに、なぜか上下学ラン。そして、背中には赤いマント。


 なぜそれを沖縄に?──という問いには、「魂の装備に季節は関係ない」と答えたという。


 なお、飛行機では金属探知機に引っかかり、CAに「お、お召し物……」と一瞬ざわめかれた伝説を持つ男。


 その名は──生徒会長の水田。


 クラスでは目立たない。細身、メガネ、無口。だがその眼は、常に誰かを処刑する準備をしている。


「堕天使の水田……」


 須賀が声をかけた。だが、その声はどこか震えていた。


 なぜなら水田が、静かにページを閉じたその本のタイトル……『資本論』だったからだ。


「う、嘘だろ……よりによって、同じ……?」


 須賀の背中に、イヤな汗が流れる。


 彼は“意識高い系”のつもりで持ってきた。内容はさっぱり分からん!


 将来はCEO。起業。社会改革。高校生にして“スタートアップ脳”全開で、「修学旅行中に資本主義の構造を理解する」というストーリーを自分に課していた。でも、内容はさっぱり分からん!!


 だが目の前の水田は違う。


 こいつは──“中二病”として持ってきたのだ。


 しかも、それが圧倒的に似合ってしまっている。


 学ラン。マント。マルクス。完全に重みがある。


 須賀は悟った。


(負けた──格が違う)


「……何してんだ?」


 須賀は、自分の信念がひしゃげる音を聞きながら絞り出そうとした。


 だが、彼の痛々しさに気づいた松田が、優しく代わって尋ねた。


 *男子たちは、“精神的に死にかけたやつ”への対応に妙に慣れている。


「……君たちこそ、何をしているんだ?」


 水田の声は静かだったが、その口調には“貴族による一般市民の査問”のような傲慢さがにじむ。


 見た目はチー牛、でも態度はラスボス。これが堕天使・水田の本領である。


「……どうする松田?」


 向居が不安そうに言う。水田のマントが、風もないのにフワッと動いた気がした。


「ああ、何かいいアイデアがあれば……おい須賀?」


 ふと見ると、須賀は口を半開きにしながら、謎の自己暗示に入っていた。


「……僕はCEOになるんだ……僕は、資本主義を……再定義するんだ……僕は、創るんだ……“新しい世界”を……」


「うわああ! もうだめだ! 完全に崩壊した!!」


「だめだ、これは……自分と同じ本を、よりやばいやつが持ってたショックで、世界観がクラッシュしたんだ……!」


 須賀はうわ言のように続ける。


「……僕は……投資家たちの想いを背負ってるんだ……資本論は……武器だ……!」


「バカ! その武器、すでに水田に持たれてるわ!! 完全に先手取られてる!!」


 川場が一歩前に出る。


「……こいつやっちまうか?」


「騒ぎは起こすなバカ!」


「いやいや、違うって。松田と川場……」


 向居が、真顔で割って入った。


「……そもそも“堕天使”の説明、読者にしておいたほうが良くない?」


「あ……確かに」


「須賀はもう再起動中だしな……」


「……ナレーター、頼むわ」


 *説明しよう! ──いや、説明しなければなるまい!


 生徒会長・水田。


 元は真面目で控えめ、ノートの端に「生徒たちのためにできること」リストをつけていた、根はいいヤツだった。


 目立たないが、授業では常に起立・礼・着席の音頭を取る律儀さ。プリント配りも率先。


 まさに地味に信頼される男・水田。


 そんな水田、二年の生徒会長選挙で──なんと唯一の立候補者だった。


 他の候補? いない。誰もやりたがらなかったのだ。


 教師陣も「水田でしょ、そりゃ」と全会一致で納得の空気。


 選挙は形式的な“信任投票”に。


 ここまでは良かった。


 本来なら「信任:98%」「不信任:2%」で無風当選のはず──だった。


 だが、事件は起きた。


 ──「不信任:41%」


 一瞬、放送室の機械がバグったかと思われた。


 信任はギリギリ過半数──51%。


 まさに生徒会長として歴代最低ラインの当選。


 もちろん、教師たちも驚いた。


 水田自身も、教室で固まった。


 そしてクラスの奴らの反応──


「あ……あれ? 水田……かわいそ……」


「え、不信任ってそんな入ったの……?」


「オレ、冗談で書いたんだけど……」


 そう。全ては──この奇跡の世代、バカ男子たちの無自覚な善意だった。


 投票用紙を前にした瞬間、彼らの脳内には、それぞれの“天才的バカ理論”が渦巻いていた。


 松田「信任が多すぎると、あいつ天狗になるかもだから……俺くらい“不信任”って書いといてやるか。これは優しさ。愛ゆえの一票」


 須賀「指導者には逆風が必要。俺たちの不信任で、アイツが“真のリーダー”に覚醒する。そう、これは試練。もはや修行」


 川場「筋トレと同じ。不信任は負荷。負荷は成長。成長すれば……きっと背も伸びる。ついでに今日の中本さんの美声はご褒美」


 向居「……天啓があった。“不信任せよ”って、ハートの7が裏返った。これはもう運命」


 ──この、善意のバカ理論は、まさかの“男子全体の集団意識”としてリンク召喚される。


 誰が最初に言い出したわけでもない。


 けれど、皆が同時に「”俺だけ”は気づいた!」と思い込んだ。


 その結果──


 \不信任率:驚異の41%/


 ただ、みんなが「ちょっとバランス感覚を持とう」と思っただけなのだ。


 結果──水田は教室から走り去った。


 翌日、保健室で「微熱(37.3℃)」を記録。


 その後、掲示板で自分の“ほぼ不信任当選”の事実を再確認した水田は、ある決断を下す。


「……バカを、抹消する……」


 その瞬間、水田の中で何かが堕ちた。


 彼は学ランにマントを装備し、“理性の仮面”を外した。


 以降、「堕天使」として、沈黙の監視者と化す。


「ナレーション、ありがとう」


 水田はポツリと言った。


「だから君たちが……この修学旅行で“バカ”をしないか、こうして監視している」


 マントが風もないのにフワッと揺れる。


 ──その眼には、“信任され損ねた男の執念”が燃えていた。


「ばかしてねえわ」


 松田が言い返す。が、語尾が甘い。なんかバカっぽい。


「お前こそ、そのコスチューム、ばかじゃね?」


 川場がじっと見つめながら口を開く。


「ばか? なにを言っている、中本のストーカーめ。これは魂の装束だ。──貴様ら一般生徒の嫉妬か」


 水田、堂々たる態度。肩で風を切ってマントを揺らす。


「……だめだこいつ。自分のみたい世界しか見ていない……中二病だ」


 向居が静かに言う。


「どうする? このままじゃ通報される……」と川場。


「俺、今日が人生初の彼女ゲット記念日になる予定なんだけど……」と松田。


 と、そこで沈黙していた須賀が、すっと立ち上がった。


 その表情は、どこか悟りを開いた者のように晴れやかだった。


「俺に任せろ」


 三人にそう言うと、須賀は水田の前に歩み出た。


 ──水田の瞳がかすかに揺れる。


「……なんだ」


 水田が低く問う。マントが意味深に風もないのに揺れる。


「お茶が飲みたい」


「……は?」


「自販機で、お茶を買いたい。喉が渇いた」


「そこの自販機にもあるだろうが」


「……だめなんだ」


 須賀は目を閉じ、そして開いた。


「さんぴん茶が、いい」


 廊下の空気が張り詰める。


「……そんなくだらない理由で、消灯後に動こうとするとは。お前たちはやっぱりバカだ」


 言う水田の顔は本気だ。堕天してもルールだけは守る男。


 ──だが、須賀の瞳がギラリと光る。


「消灯時間ね。なるほど」


「な、なんだその言い方は」


「お前こそ、そんなこと言ってる場合か?」


「……は?」


「マント……高橋先生の前では、着けてないよな?」


「!!?」


「俺、見ちゃったんだよ。空港でさ。


 CAさんが“あの子やばくない?”ってヒソヒソ言ってた時、そっと、あのマント……」


「……」


「バッグにしまってたよな?」


「そ、それは……飛行機の気圧で、マントが膨らんでしまうのを防ぐためだ……」


「水田」


 須賀は一歩、近づく。静かに、誠実な目で。


「お前、いいやつだったじゃん。俺らの信任投票……それって、“期待の裏返し”だったんだよ」


「……」


「……思い出せよ。初めて生徒会選挙で名乗りを上げたときのお前を。目をキラキラさせて“この学校を良くしたい”って言ってた、あの頃の水田を」


「ぐ……っ」


「確かに今、お前は堕天してる。でもな、俺たちはお前を嫌ってなんかない。むしろ──同志だと思ってる」


「……ど、同志?」


「そう。資本家どもに搾取される庶民の我々。俺たちも、お前も、同じだ。な?」


 須賀はゆっくり、水田の手元の『資本論』を指さした。


「この本、俺も持ってきたんだ」


「な、なに?」


「お前が持ってきてたの見て、“あ、俺も持ってきてよかった!”って。だから一緒に……いつか、さんぴん茶を片手に、資本主義をぶっ壊す作戦、練らないか?」


「……さんぴん……革命……」


「そう。茶を飲みつつ、闘うんだ。搾取の構造と。バカ教師どもと。眠気と」


「…………」


「なあ、水田。同志として、最後に聞く」


 須賀は真っ直ぐに手を差し出した。


「さんぴん茶。いつか一緒に飲みに行こうぜ?」


 ──数秒の沈黙。


 水田は、まるで中世の聖杯を差し出された騎士のような顔で、ほんの少しだけ震えながら言った。


「……わかった。せいぜい静かに済ませろ」


 その声には、“裏切られたような、でも少し救われたような”妙なニュアンスがあった。


 マントの裾を翻し、静かに廊下の影に消えていく水田。


 その背中を見送りながら、松田がポツリとつぶやく。


「……あいつ、もしかして、わりとイイヤツだったんじゃね?」


「いや、わりとどころか、だいぶイイヤツだったろ」


 向居がカードを一枚引いた。《世界ザ・ワールド》。


「……運命も、動いたな」


「須賀よ……」


 川場が敬意をこめて声をかける。


 須賀は背を向け、どこか遠くを見つめながら、ポケットからチュッパチャップスを取り出して舐める。


 目を閉じ、静かに言った。


「……人生には、スパイスと苦みは必須さ。嘘はな……」


 ゆっくりと目を開け、友の顔を一人ひとり、しっかりと見据える。


「自分にだけ、つかなきゃいい」


 風もない廊下で、どこからか鳴ったのは、誰かの心の拍手だったかもしれない。


「行こうぜ」


「おう……中本さんがおねんねしちゃう前に行かなきゃな……じゃねぇと、イケメンこと私松田……夢の中に侵入して告白しちまうぞ♡」


 バカたちが静かに歩き出したそのとき──


 突然、須賀のイヤフォンが震え、無機質なバイブレーション音が廊下に響き渡った。


「──HQより各員へ。緊急事態だ。五階渡り廊下でバイオハザード発生。教師どもが集結中。今すぐその場から離れよ」


 須賀がイヤフォンを外し、仲間たちの顔を見る。皆顔が引きずっていた。

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