2016年12月1日19時11分
2016年12月1日19時11分。
修学旅行三日目の夜――つまり、最後の夕食の時間だった。
明日の午後には、沖縄を発ち、羽田を経由して山梨に帰る。
受験を控えた二年生にとっては、これが“最後の青春”。「二年三学期は実質三年ゼロ学期」なんて貼り紙が廊下にあったけど、そんな空気を誰も今は思い出そうともしなかった。勉強も将来も、この瞬間だけは置いてきた。
ホテルのレストランは、島唄のBGMが流れ、食器の音と笑い声が入り混じっていた。
最後の晩餐と言っても大げさじゃない。揚げたてのもずく天ぷら、タコライス、ラフテー、そして――謎のカレー。
「ねえ、信二」
「ん?」
野球部キャプテン、三浦信二が顔を上げると、同じ班の橘千紗と山見瑠璃が立っていた。
ふたりとも、制服の上から羽織ったパーカーの袖を指先まで引っ張っていて、沖縄の夜にしては少し肌寒そうだ。
「本当にアホみたいにカレーばっか食べて、あんた沖縄来た意味ある?」
瑠璃が呆れ顔で信二の皿をのぞく。ルーの海に沈む白米。
「ばーか、これ“あぐー豚”のカレーだから」
「えっ、本当?」
「山見みたいに表面だけ見てるやつは、“沖縄限定”って書いてあれば何でも信じるんだよ。ほら、“沖縄の恋人”とか――」
「なっ……買ってないし! 絶対に!!」
「あはは、瑠璃。国際通りで買っていたよね」
「ちょ、千紗!? なんで言うの!?」
声を上げる瑠璃を見て、信二はつい吹き出した。
笑いながらも、胸の奥がほんの少しだけざらつく。
その原因を、自分でもわかっていた。
千紗は最近、変わった。
少し前まで冗談を真に受けて怒っていたのに、今はこうして柔らかく笑える。
きっと、あいつの影響だ。
野球部の後輩で、昔からの親友、輿水大気。
千紗の彼氏――いや、まだ候補か。
でも、大気の名前を思い出すだけで、胸の奥がもやっとした。
「ごめんごめん。それよりさ、信二」
「ん?」
「今日の夜ね、瑠璃とか中本ちゃんたちとUNOやろうって話してるの」
「UNO? 消灯後に?」
「うん。いいでしょ、最後の夜くらい。東くんも誘ってさ!」
千紗が目を輝かせる。
修学旅行最後の夜。
みんなでUNO。
それだけのことなのに、どうしてか胸がざわついた。
「ごめん。夜は……予定があって」
「えー、また嘘ついてる。信二、今“作り笑い”してる」
「あはは。ごめん。でもさ、今日の夜、高橋監督から、俺と東とかで、なんか消灯後にホテル内の見回りをお願いしたいって言われてさ」
「え! そうなの? なんでなんで??」
千紗が純粋に首をかしげる。信二は言い訳がヘタだ。説明すればすると余計に怪しまれる、しないでおけば薄情に見える。どちらを選んでも気まずい十代の常套。
「そ、それは……」
「うん」
千紗が顔を近づけてきた瞬間、ふと遠くの方から妙に熱量の高い視線を感じた。ビュッフェ会場の出入口に立っていたのは──須賀だった。
いや、立っているというか、やたら“決めポーズ”で踏ん張っている。胸をはり、片手を腰に当て、もう片方の手で髪を軽く払う。まるで学園のファッション誌から飛び出してきた自己演出キャラ。だが、どう考えてもそのポージングは場違いで、しかも右脚の角度が微妙におかしい。
「須賀……」
信二が呟くと、千紗も瑠璃もいっせいにそちらを見た。
須賀は気づくと、大袈裟なウインクを放った。完璧をねらったはずのウインクは、タイミングがずれて白目の間が長く残るだけだった。ウインクの残像が逆にシュールすぎて、場内の空気が一瞬フリーズした気がした。
そのまま須賀は颯爽と、というよりギクシャクと出入口を抜けて行った。背中に付けられた彼の“決めポーズ”の残り香が、むしろ哀愁を帯びていた。
「なにあれ、キモ」
瑠璃が小さく毒を吐く。犬猿の仲の彼女の一言に、信二は思わず頷く。
「ウインクのどこがキメ顔なのか、説明してほしいよな」
千紗が目を細めて笑う。笑いの端に少しだけ困惑が混じっている。
信二は察していた。あいつは千紗を狙っている。刃のような直球でグイグイ来るタイプではない。代わりに、わざとらしい演出と不器用な色気でじわじわ寄ってくる。要するに、迷惑なアイドル気取りなストーカーだ。
今、千紗は大気と本気で恋をしている。ならばこそ、こんな“迷惑演出”で気を引こうとする奴は放っておけない。信二は無意識だったが、拳をさらにぎゅっと握りしめていた。
*
夕食のビュッフェが盛り上がるなか、松田と同志中田は、会場の外でひそかに館内マップを広げていた。
二人が練っているのは、この修学旅行最後の“作戦”だった。
「おい、てめえら。エサの時間だ」
その声に顔を上げると、須賀が颯爽と――というより、意味もなく風を切りながら登場した。
「なんだ社会のお荷物か。なんでお前、そんなニヤニヤしてんだ?」
松田が即座に突っ込む。
「ふふふ……松田よ。今、俺の愛する人に――“夜、あなたを奪いに行きます”とアイコンタクトをしてきた」
「おい同志中田、警察呼ぶか?」
「まあ待て同志松田。あのバカでも戦力だから残したい」
「おい松田、中田。聞こえてるぞ!」
須賀はまるで誇らしげに胸を張りながら、手に持ったビニール袋を掲げた。
中には大量の――カロリーメイト(プレーン味)。
「見ろ。これが俺の晩餐だ」
「お前……沖縄に来てまで、栄養補助食品って」
中田が呆れる。
「栄養成分のバランスがいい、神の食べ物だぞ?(※なお、あくまで栄養補助です)」
「くっそ、もっとうまいもん食いてえ……」
「ばかやろう同志松田。戦闘前にはレーション(カロリーメイト)にしとけ。王様ゲームのキレがなくなるぞ」
「でもよ……沖縄だし、せめてフルーツだけでも食いたいんだよ」
「ああ、松田。安心しろ、それなら――これだ」
須賀がニヤリと笑い、ポケットから取り出したのは、まさかの“カロリーメイト・フルーツ味”。
「ほら、立派なフルーツじゃん」
「ちがう!! なんか絶望的にちがう!!!」
「まあまあ松田。しかもお前には特別に――ドリンクタイプのカロリーメイトも用意した。しかもバニラ味。うまいぞ」
「ちくしょうめ!!! 沖縄でバニラってなんだよ!!」
その瞬間だった。
「ねえ、松田君?」
背後からかけられた声に、三人が同時にビクッと跳ねた。
振り返ると――
そこに立っていたのは、まるで光そのものをまとったような少女・中本だった。
その笑顔は、まぶしくて、危険で、そして何より、男子高校生の理性を簡単に破壊する類のものだった。
「な、中本さん!」
「えへへ。こんばんは」
「おっふ」
「あはは、なにその反応。松田君ってほんと面白いね」
中本は無邪気に笑いながら、松田の一歩手前まで詰め寄った。
「で、松田君、こんなところで何してるの? 中でみんなと食べないの?」
「え、いや、その……」
「あはは、分かった!」
「え?」
「部活で身体絞ってるんでしょ? だから食事制限とかしてるんだ!」
「あ、あはは。そう、そうだね。うん」
「あはは、やっぱり! 私、そういうの勘が当たるタイプなんだ~。だって松田君、筋肉ちゃんとついてるし。……かっこいいもん」
「えっ……かっこいい?」
「うん、そう思うよ!」
その瞬間、背後で「チッ」という音が二つ。
須賀と中田だ。彼らはほぼ同時に、松田にしか聞こえないほどの絶妙な音量で舌打ちを放った。
松田は悟る――いま、この場で調子に乗ったら、夜の作戦の前に命を落とす。
緊張が走り、空気が揺れる。
「でさ、松田君」
「な、なんだい、な、中本さん」
緊張の糸がピーンと張りつめる。
中本は少し頬を染めながら、まるで何か重大発表をするかのように言葉をつむいだ。
「今日ね。私の部屋で――あ、部屋は千紗ちゃんと瑠璃ちゃんと一緒なんだけど――みんなでUNOをしようって話をしててね。もちろん、消灯後にこっそりね。それでさ……よかったら、松田君もどうかなって」
その瞬間。
キィン――。
空気が裂けた。
隣で須賀と中田が同時に腰を低く落とし、両手をわずかに広げる。
抜刀の構え。
飛天御剣流、発動寸前である。
松田、大ピンチ。
「あ、もちろん、須賀君と中田君もどうかな? 三浦君や東君も来ると思うし」
「「お、俺たちも?」」
さっきまでの殺気はどこへやら。
二人は急速に溶けるアイスのようにへにょへにょになり、今度は松田の内側で殺気が芽吹く。
(くそ……なんでゴミを呼ぶんだよ……! 部屋が汚染されちまう!)
「けど、みんな来たら多いんじゃないかな? 先生に見つかるリスクあるし」
「あー、確かに……どうしよう……」
中本が指先を唇に当て、困ったように首をかしげる。
それだけで、あたりの男子三名が同時に息をのんだ。
そして始まる――目線だけの外交戦。
(お前ら、辞退しろ。邪魔すぎるだろ)
(うるせぇ、松田。橘さんがいるなら俺だって行きたいわ。一番の邪魔は同志中田だろ)
(なにを言う。我も男子なり。数少ないチャンスをものにしてきたからこそ、“盤上の貴公子”と呼ばれておる)
(ふざけんなバカ野郎。須賀も、俺に譲れ。この話の主人公は俺だ。お前が主人公の話は、第33回やまなし文学賞青春賞佳作の『県庁芸術推進課須賀健一』だろ)
(ばかやろう。それ言うと世界観がおかしくなるだろ。俺だって健全な男子高校生だ。ここで勝負、決めたいんだよ)
「あ! 分かった!」
中本がパッと顔を上げ、ぱあっと花が咲いたような笑顔を浮かべた。
「ならさ――二部屋でUNOしようよ!」
「二部屋?」
松田が思わず声を上げる。
「うん。私の部屋には、千紗ちゃんと瑠璃ちゃん、それに三浦君たちがいて……。だから、松田君の部屋に、私が行くよ」
その瞬間、男子三人――松田、須賀、中田。
同時にガッツポーズ。
脳内でファンファーレが鳴り響く。
(その手があったかァァァ!!)
気づけば三人は自然と円陣を組んでいた。
その動きはもはや本能。
勝利を確信した男たちの、歓喜の儀式である。
「あ、あの……だ、大丈夫?」
中本がぽかんと見つめてくる。
「あ、いや違うんだ」
松田は慌てて円陣を解き、ぎこちなく笑う。
「そ、そうだね。中本さんの言う通りで、いいと思う」
「やったね! ありがとう、松田君。でも……」
「でも?」
「ううん、その……同じ部屋の、川場君とか向居君の邪魔にならないかなって」
その名を聞いた瞬間、三人の脳裏に――彼らの姿が、スローモーションで浮かび上がる。
あの日、恋に散った勇者たち。
(頼んだぞ……)
(告白を、成功させろ……)
まるで天界からエフェクトが降る。
AIもびっくりの強制フラッシュバック演出である。
(告白とは、己でつかみ取れ……。つかめなかった、俺のようになるな……)
――ジムの五十嵐先輩の声が、風に溶けて聞こえた。
男子三人は静かに立ち上がる。
決意の顔つき。
もはや恋よりも、“青春”を選んだ戦士の顔だった。
「ごめん、中本さん」
松田は振り返り、やわらかく微笑む。
「やっぱ夜、やらなくちゃいけないことがある。中本さんも、消灯後は部屋で休んでな」
それだけ言い残し、松田はゆっくりと背を向ける。
須賀と中田も、まるで戦友のように並び立つ。
――ストレンジャー、去る。
背中に夜風が吹いた。
その姿を見送る中本の目に、わずかに切なさが滲んでいた。




