表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/4

2016年11月29日21時15分

「俺は今日、女子の部屋に行く」


 その宣言は、修学旅行初日、2016年11月29日21時15分、沖縄・残波岬のリゾートホテル、401号室にて静かに響いた。


 窓の外では波が寄せては返し、リゾート気分満点の空気が流れているが、この部屋の中は違った。


 修学旅行でも定例の幹部会——ベストオブマンミーティング(男子会)、開催中。


 このホテル、なかなか立派な作りで、広めの部屋にベッドが四つ。


 山梨の第二甲府高校は「生徒が真面目でマナーが良い」と評判で、毎年特別に宿泊が許されている。


 逆に言えば、やらかして出禁になった高校も山ほどあるってことだ。


 先輩方の遺産、感謝しかない。合掌。


「ほう、松田よ。それはつまり、"そういう"ことか?」


 声を発したのは、剣道部二年・須賀。


 ベッドの上で胡坐をかき、『資本論』を読んでいる。修学旅行中なのに。意味がわからない。


 この男、見た目は剣道部らしくキリッとしているが、部活中にボイスパーカッションばかり練習している謎の高性能男子である。


 しかも「先物取引」とか「インフレ率」とか、よくわからない単語を日常会話に挟んでくる。高二にして、既に意識高い系を発症中。大学生活が思いやられる。


「ああ、須賀。出てしまったのだよ、これが……」


 そう言って、松田がポケットから取り出したのは——


「恋みくじ」。どこにでもある、100円を入れて引く例のアレ。だが今日のは、違った。


「見ろ、須賀よ。これが、俺の運命だ」


「……なんと。これは……」


 須賀が目を見開く。その声に反応して、さらに二人の男がベッドから飛び起きた。


 まず一人目。ボートレース部の川場。


 身長160cmながら、全身が筋肉で構成されていると言っても過言ではない、パワー系男子。


 服を脱ぐとそこには“高校生とは思えない背筋”があるが、脳筋なのが玉にキズ。


「おい、須賀。どうした?」


「見ろよ川場。この男、恋みくじで、なんと……大大大大吉を出しているぞ」


「なにぃ!?」


 そしてもう一人。スッと顔を上げるのは、バドミントン部、部長の向居。


 一見すると爽やかな美男子。だが口を開くと、変な語彙とクセ強な恋愛スピリチュアル話が止まらないという残念な男。


 第二甲府では、もはや都市伝説的に語られる存在である「恋愛占術の使い手」。「新宿の母」ではなく、「第二甲府のおじ」の異名を持つ。


「ほほう……これはなかなか……」


 向居の瞳が、ギラリと光る。


 その表情はもはや、霊的なものすら感じさせる神妙さ。


「向居よ。専門家から見て、これはどう思う?」


 松田の問いに、向居は腕を組み、静かに頷いた。


「これは……あれだな」


「何だ?」


 川場が、黒光りする腕で汗をぬぐいながら、顔を向ける。


「神が言っている。ここで告白せよ……と」


「やはりか!」


 松田と須賀の声が完璧なハモりで重なった。


 その直後、須賀が松田に向き直り、力強く肩を掴む。


「お前……やるのか?」


「ああ、須賀よ。俺は、やる。今夜、女子部屋に行って、告白する!」


「まさか!」


「マジかよ!」


 向居と川場が、同時に目を見開く。


 部屋の空気がピリリと張り詰めた。


「で……誰に告白するんだ?」


 須賀の声に、部屋が一瞬シン……と静まる。


 そして、微妙な空気が流れる。


 向居と川場が、ほぼ同時に視線を逸らす。


 まるで、自分の好きな人が出てきたらどうしようという地雷回避行動。


 わかりやすい。


 松田は、ゴクリと唾を飲み込んだ。


 そして、言った。


「俺が告白するのは……中本さんだ」


「中本ッ!?」


「中本かーー!!」


「うああああああああ!!」


 その瞬間、川場が崩れ落ちた。


 雷に打たれたように、“ズドーン”とその場に膝をつく。


 理由は明白だ。


 川場もまた——


 放送部二年、中本さんにほのかな想いを寄せていた。


 中本さん。


 少し小柄で、やわらかな髪と、控えめな笑顔。


「かわいい系女子といえば私です」とでも言いたげな、絵に描いたような“女子”の象徴。


 しかも、放送部。声もいい。たまに読む校内放送、川場は毎回録音し、それを英訳して英語を学ぶという、人類初の学習法に挑戦していた。


「すまんな……川場よ……」


 松田が小さく呟くと、川場はうつむいたまま微動だにしない。


 まるで、受験に不合格したような悲しみオーラを漂わせている。


 あまりにも静かなので、須賀がそっと顔を覗き込む。


 その顔は——


 やはりだ。


 川場は、泣いていた。


 声を殺し、肩を震わせながら、子犬のようなすすり泣き。


 それに気づいた松田は、ベッドから音を立てずに降り、川場と同じ目線にしゃがみこむ。


「川場……俺が、憎いか?」


 淡々と、しかし覚悟をもって投げかける松田。


 川場の気持ちは、痛いほどわかっていた。


 なにせ川場は——


 入学直後に「中本さんファンクラブ」を立ち上げた男。


 しかも、初代会長にして三代目も兼任。


 さらに、既にあった「中本さん親衛隊副隊長」の座を、当時三年サッカー部の伊地知から奪い取った男でもある。


 好きすぎて放送部にも入りかけたが、「機材が重い」という理由で断念。


 代わりに「筋肉つければ守れる」という理由で、どこで得た知識か、海も無い山梨で、自らボートレース部を設立。顧問もいない中、一人鍛錬に勤しむ変態である。


 あの春の夕暮れ、学校近くの新荒川橋の上で、夕日に染まりながら


「中本さんは、風だな……」


 とつぶやいたあの横顔、今も忘れられない。


 そんな川場が今――泣いている。


「ち、ちがう……」


 川場は、嗚咽を交えながらも、震える声で返した。


「お、おれは……悲しくて……うれしいんだ」


「うれしい……?」


 松田が眉を寄せ、やさしく問い返す。


「ああ……お前みたいな……まじでクソでどうしようもないうんこ野郎に……告白される中本さんが、不憫で仕方ない……そして……お前が絶対に振られることが、どうしてもうれしい……」


「そうか……お前も根っこが腐ってんな、クソ野郎」


「……うう……(※泣きながら小さくうなずく)」


 絶妙に心が通じ合ってるようで通じ合ってないやりとり。


 これは友情か、地獄か。


 もう見ていられなくなった須賀が、まるでチャンネルを変えるかのように話題を転じる。


「……しかし、川場よ。その告白、成功するかもしれんぞ」


 その声音に、川場の涙が一瞬止まる。


「なに……?」


「松田よ、お前は……あの、古の儀式をやるつもりなんだろ?」


「流石我が盟友よ、よく知ってるな」


 松田はニヤリと笑い返す。


 どこか誇らしげで、そのくせちょっと鼻につく顔だ。


「松田が知っていても、読者の皆さまには説明が必要だな。


 ——向居、専門家として、解説を頼む」


「任せろ」


 向居はうなずくと、修学旅行の荷物から風呂敷をゴソゴソし始める。


 そして出てきたのは、まさかの手作りフリップであった。


(この荷物の選定基準は、誰にもわからない)


「読者に説明しよう!」


 向居は、まるでNH〇教育番組の新米解説者のようなテンションで語り出した。


「第二甲府高校には、修学旅行中における、ある伝説の告白儀式が存在する。


 その名も——


 『夜の部屋突撃型、超シンプル直接告白』!」


「もっと言い方あるだろ」


 須賀が冷静に突っ込むが、向居は意に介さない。


「この儀式はな、夜、好きな子の部屋に直接行って、告白だけして帰ってくるという、シンプルかつ命知らずなものだ!」


 松田が神妙な顔で頷く。


「この伝統、正確な起源は不明だが……。水泳部三年、長谷川先輩によると、一説には、武田勝頼の敗残兵が、夜陰に乗じて愛しい人に会いに行ったという逸話が起源らしい」


「なんで戦国時代なの?」


「黙れ川場、これは伝説なんだよ」


「うっす」


 向居は話を続ける。


「つまり、甲府の血を継ぐ我々男子は、夜に忍び込んで告白するという、戦国の浪漫を受け継いでいるのだ!


 それが、第二甲府の“告白黒魔術”なのである!」


「何言ってんだこいつ」


「それっぽく言えば全部それっぽくなるんだよ川場。で、つまりだ」


 須賀が再びまとめに入る。


「松田は、うんちクソゴリラだから、通常なら100パー振られる」


「言い方が酷い!」と松田が抗議するが、誰も気にしていない。


「だが、今日は違う」


 須賀の声が低くなる。


「神のお告げ、すなわち“恋みくじの大大大大吉”。


 そこに、この夜の告白儀式=黒魔術を掛け合わせるとどうなる?」


 向居がバシッとフリップをひっくり返すと、そこには謎の数式が——


(大大大大吉)×(夜告白儀式)= 成功率∞%(当人比)


「よって、この状況……もはや告白成功は、数学的にも歴史的にも確定しているわけだ!」


 松田は満面の笑みを川場に向ける。


 その顔はまるで、運命と神と武田の亡霊たちすら味方につけた戦国武将のようだ。信玄自身、戦の前はこんな表情だったのだろうか……。


「すまんな……川場。俺には神と伝統がついている」


「き、貴様あああああああああ!」


 川場が叫んだ次の瞬間——


 全身の筋肉をうならせて、怒りのラリアットを放つ!


 だが——!


「……っ!」


 松田、微動だにせず。


「う、うそだろ……」


「まさか……」


「ジーザス、召喚か……!?」


 須賀が呟く。


「いや……もはや神を超越している」


 向居が目を細める。


 松田がそっと手を掲げる。


「愚民どもよ……我こそは、選ばれし者なり」


「いやお前、選ばれすぎててキモいわ」


 全員が少し引きつつも、一応拍手。


 だが——その瞬間。


 バンッッ!!


 部屋の扉が吹き飛ぶように開く。


「うるせえええぞてめえらああああああああ!!!」


 一同、時が止まる。


 ——そこに立っていたのは、


 身長190cm超。


 鋼鉄のような肩幅。


 目は獣、口は鬼。


 そして何より、全身から殺意を放つ生徒指導主事——


 高橋である。


 野球部顧問。


 かつて500人の男子生徒を精神的に処刑した、伝説の「山梨のキラーマシーン」。


 その名を口にすると、前立腺が震えるという逸話すらある、般若の化身だ。


「てめえら……」


 その低音が、部屋の空気を一瞬で凍らせる。


 南国・沖縄のホテル。しかし室温は——マイナス20℃。


「あれ……ここ、残波岬じゃなかったっけ……」


 向居がかすれた声でつぶやく。


 その情けない姿を見た高橋は、重いため息をついた。


「ったくてめぇらよぉ……初日から、何やってんだ……他のお客様に迷惑だろ……」


 その声は低音なのに、空気をぶった斬る。


「うるせぇんだよ……。


 ……うるせぇ……。


 ……うっせぇって言ってんだろぉぉがあああ!!!!!」


「はいっ!!」


 全員、即直立&合唱。もはや部活の号令。


「うるせぇえええええんだよ???? 聞いてんのかコラァァァァアアアア!!!」


「はいっっ!!!!!」


「うるせぇえええっつってんだよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおお!!!!!! お客様に迷惑だろぉぉぉぉぉぉおおおおがああぁぁぁぁあああ!!!!!!!!!」


「はいっっっっっつ!!!!!!!!!!!」


「特にお前だ! 向居いいいいいいいいいいい!!!!!!」


「ひ、ひゃいっっ!!!!!!!!!」


 向居がさらに強張る。


 その姿はもはや「部活帰りに駅前で補導された帰宅部」のそれ。


「深田をしっかり指導しておけよぉぉぉぉぉぉおおおお!!!!!!!!!!!!!!」


 鋭い眼光が突き刺さる。


「はいっっっっっつ!!!!!!!!!!!!!!!!!」


 バタンッ。


 鬼は去った。


 その瞬間、空気が一気に緩む。


 さっきまでマイナス20℃だった部屋が、ようやく沖縄の気温に戻った。


 松田が、そっと向居に問いかける。


「なぁ、向居。お前、何やったんだ?」


「いや、俺じゃない……実はな。うちのバド部の同志、深田がやらかして……」


「なにっ?」


 向居は肩を落とし、遠くを見るような目で語り始めた。


「あいつ、同志諸君に勇気を見せたいとか言ってさ。


 初日から“伝説を残す”とか息巻いててよ。


 まず使用禁止の大浴場に特攻。風呂上がりに脱衣所にいくと、通報を受けた教師が待機。結果、捕獲に。


 で、逃げるためにパンツ一枚で使用禁止のエレベーターに突入し、そこを体育教師の横峯にバッチリ見つかって——


 一般客の前で引きずり下ろされた」


「もうその時点でアウトやんけ!」


 須賀のツッコミも止まらない。


「で、さらにだ。


 大浴場の女湯を覗こうとした6組の陸上部の望田が、小池校長に現行犯逮捕。校長の部屋へ連行。


 それを救出しようと、同じく6組の文学部の小松と、吹奏楽の堀部と、あと深田が三人で部屋に突入し、救出失敗。さらに怒られたらしい……」


「おいおいおいおいおいおいおい……」


 須賀の顔に、もはや天気図でも貼られているかのような曇りっぷり。


「まだ……修学旅行中、初日も終わってねぇんだぞ……?」


「ああ……やつは恐ろしい速度で、この第二甲府の百年の修学旅行の歴史に——いや、神話に伝説を刻み続けている……」


 向居がしみじみと呟くと、松田は感心したように小さく頷いた。


「いや、実にあっぱれだ……うん、あっぱれ。さすが歴代最高の奇跡の世代だな、我々は。我ら2組も、負けてはおられん」


「松田よ。そんな悠長なことを言ってる場合か」


 須賀が食い気味に止める。


「どうしてだ須賀よ。我々も、深田のように——歴史を、いや神になるべきじゃないか?」


「いや逆だ。だからこそ危険なんだ!」


 須賀が声をひそめて言う。


 その瞬間、また部屋の空気がスン……と静まる。残波岬の熱気がまた嘘のように冷える。


「つまりよ……深田たちのバカやらかし三連コンボのせいで、教師どもの警戒レベルは今——」


「——マックス。修羅モードってやつだな」


「高橋がマジモンの鬼人になるぞ……」


 川場が青ざめながら呟く。


「このままでは危険。だからこそ……、作戦が必要だな」


 松田の目がギラリと光る。


「須賀よ。つまりあれか?」


「ああ。奴を呼ぶしかない……」


「奴……?」


 川場が神妙に頷く。


「ああ。盤上の貴公子。将棋部の異端児・中田の出番だ」


「な、中田……!」


 向居が震える。


 誰よりも天パ、なのに誰よりも策略家。将棋部部長・中田。


 将棋部のくせに、最も得意な戦い方はゲリラ戦。盤外での策略で、いくつもの勝利をもぎ取った男である。


「消灯まで……あと十五分」


 須賀が時計を見る。


 松田は立ち上がり、意味もなく肩を回した。


「よし、いくぞ。中田召喚だ」


「え、どうやって?」


「決まってるだろ……」


 松田はフッと笑ってポケットから取り出した。


「王将の駒だ。これを指す音をすれば——」


「——奴は来る」


 全員が神妙にうなずいた。


 パチン。


 駒が机に触れる、乾いた音。


 その瞬間——


 バンッッ!!!!


 まるでタイミングを測っていたかのように、部屋のドアが荒々しく開いた。


「……俺の出番か?」


 そこには、「海人うみんちゅTシャツ」を着た、中田がいた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ