2016年11月30日23時55分
2016年11月30日23時55分。
「おい、向居!」
須賀は、いま倒れたばかりの向居を支えた。
膝を冷たいタイルに突き、呼吸を確認する。
「息をしていない(※もちろん嘘)」
向居はまるで、全人類の煩悩から解放された仙人のように、満面の笑みを浮かべていた。
「須賀君……気をたしかに……」
坂本がそっと肩に手を置く。その声には、半分同情、半分“まあ仕方ないか”的な諦めが混じっていた。
「ええ、坂本君。大丈夫です」
「大丈夫?」
「ああ。川場も向居も、俺たちの“告白大作戦”のために、キャラ崩壊まで全力で戦ってくれた。だからここで諦めたら、本当にあいつらが滑稽になる。最後まで戦う――そして、俺は彼女を作る」
須賀は拳を握りしめ、天井を見上げる。
そこに映るのは、煌々と輝くホテルのシャンデリアと、どこか夢物語のような南国の夜景。
「彼女を作る……ここまで過酷とは思わなかった。これはもう、死闘であり、人生の一台勝負だ。だが、だからこそ、世の中のリア充たちはどこか崇高なのだな。簡単にできると思っていたが、想像以上に難しい。リア充は、まさに真の意味でのストレンジャー――俺は今、深く、深く悟った」
「いや、須賀君……」
坂本はため息をつく。
「だいぶ悟りが歪んでるけど、普通の人はこんな死闘を経て彼女作ったりしないと思うよ。君たちがバカだから、ここまでやらないと報われないだけで……」
「バカとはなんだ! バカとは!」
須賀が立ち上がり、プールの水面に反射した光が顔に揺れる。
「よく見て見? 僕ちん、意外と顔いいよ?」
「ほら、それだ。須賀君らしくない。まるで“本当のバカ”みたいな発言じゃないか……。もしかして、もう崩壊が始まってるんじゃないか?」
「崩壊?」
「そう。作者が無理やり話を畳もうとして、キャラクターの人格まで変えてるんだ。向居君や川場君みたいにな」
「なにぃ?! そんな――とんでもない人権侵害だ!」
須賀はロビー中に響き渡る声で叫ぶ。
「フィクションだからって舐めんなよ! 俺たちだって登場人物の労働者だぞ。スト起こすぞコラ! なあ、松田!」
須賀が振り返ると、床に座る松田はロビー奥の熱帯魚水槽をぼんやり眺めていた。
水面の反射が頬に淡く揺れる。
いつもの“うんこのオーラ”は消え、静かで妙に大人びて見える。
「……松田?」
須賀は駆け寄り、肩を掴んで揺さぶる。
「おい! バカ。なんでそんな冷えた顔してるんだ。小池校長の自称“味の素”の白い粉を吸ったときみたいな、トロンとした顔をしてるぞ!」
「いや……須賀。もう、なんだろうな、“彼女を作る”って」
松田の声は低く、遠くの波の音でも聴いているかのようだ。
「おい! お前がそんなこと言うなよ! 諦めるなって! 中本さんはこの北館の――七階にいるんだぞ!」
「でもなあ……」
松田は目を伏せ、静かに笑った。
「彼女作るために、ここまで必死に頑張って、結果、仲間二人が潰れ、その上で同じバカ男子どもが必死に戦って散っていく……。こんなの、あまりにも理不尽で、心がグチャグチャだ」
「松田……お前、まさか」
「なあ、須賀」
松田はゆっくりと顔を上げた。ロビーのライトが目の奥に反射し、まるで心の闇まで映し出すかのようだ。
「もし、俺がほんとうに“魅力的な男”だったら……こんなバカみたいな努力、絶対しなくていいはずだ。いや、別にもてなくてもいい……中本さんみたいな、一人の素敵な女性に好かれるだけでいいんだ。でも、それすら叶わないってことは……俺は、ただのバカで、無価値なんじゃないかな……。だから、どんなに必死にやっても、結局ダメなんじゃないかな。もう、死にたい……いや、死ぬしかない!」
「こいつ……!」
須賀が松田に駆け寄ろうとしたその瞬間――坂本がすっと前に出る。
「希少種・メンヘラ男子高校生か」
――説明しよう! 久しぶりの解説である。
世の中にはいろいろな男子高校生がいるが、その基本属性として――およそ九割の男子高校生はバカである。
ここで言うバカとは、学力の問題ではない。思考そのものがバカなのだ。
朝のチャイムが鳴っても「あと一分はいける」と寝続け、放課後には「帰り道で賢者タイム」みたいな顔でブラックコーヒーを飲み、夜になれば眠れなくなる。
そんな愛すべきバカたちで、この国の青春は構成されている。
もちろん、中には“やたらと大人っぽい単語”をぶち込むやつや、無駄に落ち着いているフリをするやつもいる。
だが、その正体はたいてい――
「俺、普通の男子高校生とは違う。ドヤ」
――という、拗らせ中二病患者である。
つまり、どの角度から見ても、男子高校生の大半はバカだ。
ただし、そのバカにも種類がある。
基本“陽のバカ”――明るくてポジティブなアホが圧倒的多数。
この国の平和体制の下、年々バカさが加速。
もはや「バカと言えば、日本の男子高校生!」と思わせる尊きバカエネルギーを放つ。
だが――その群れの中で、ごく一部、“陰のバカさ”を発揮する者がいる。
それが――希少種・メンヘラ男子高校生である!
彼らは依存体質で、自分に自信がない。
いや正確には、“誰かに見える形で頼っていたい”という信者系男子高校生である。
その結果、メンヘラを発揮した瞬間――もう、めちゃくちゃめんどくさい。
メンヘラの面倒くささと男子高校生のバカさが融合し、ミサトさんもびっくりの黒歴史生産装置としてシンクロ率120%を記録。
彼に頼られた彼女も疲弊し、男友達も胃に穴が開く。
そして本人は「俺、今、世界で一番悲しい」とか言いながら、夜の公園で缶コーヒーを握り、頭では次の自己憐憫シナリオを組み立て――そしてまた寝れなくなる。
――救い、ゼロ。
ちなみに、メンヘラ男子高校生への唯一の対処法はシンプルだ。
「その言動、親の前でもする?」
これでだいたい沈黙する。
※まれに「親にはわかんねぇよ!」と叫ぶ個体もいるが、その場合――マツケンサンバを二時間ずっと歌わせておけば、だいたいポジティブになる。これ自体、筆者と愉快な文系の実験仲間が、大学時代に理系のメンヘラ級友で実際に試みた“野心的心理実験”であり、結果は良好。つまり、メンヘラには松平健、非常に有効である。
「なあなあ、須賀♡」
唐突に松田が突進してきて――勢いよく抱きついた。
「やめろおおおお! 男子高校生に抱きつかれたくねぇええ!」
「なあ、そう言うなよ須賀! おい、お前、いい身体してるな! ウホッ♡」
「ひいいいいいっ!!!」
「ここでBLか?!」
坂本が即座に実況モードに入る。
「坂本君、助けろ!」
「いや須賀君……これは僕にも手が出せない。恋人同士の戦い、実に神秘的だ!」
「てめぇ、やっぱクズじゃねぇか!!」
「はははは。クズはクズを呼ぶ――それだけの話だろ?」
「おい、ポエム調で逃げるなよクズ!」
「なあなあ須賀、どこを見てる? 俺だけを見て……じゃないと、死ぬぅ♡」
「やめろ!!!!!! 松田ぁぁぁぁ!!!!!」
須賀の悲鳴。
松田の抱擁。
坂本の実況。
――三位一体の混沌が完成した。
せっかくフロントまでたどり着いたというのに、革命軍を救出するどころか、状況のカオス度はマシマシである。
吹き抜けのリゾートホテルのロビーには、柔らかなピアノのBGMが流れている。しかし、現実は――男子高校生三名による抱擁と悲鳴のコラボレーションである。
「くそ……」
須賀が額に手を当て、天井のシャンデリアをにらむ。その煌めきがまるで、「お前たち、何しに来たんだ」と言っているかのようだった。
――と、そのとき。
「やめたまえ、君たち!」
静寂を切り裂く声が響く。
廊下の奥から、五人ほどの男子高校生がぞろぞろと現れた。
制服の色も校章も、見慣れない。
第二甲府でもなければ、高知最強の生徒でもない。
――つまり、第三勢力。
「君たちは?」
坂本が尋ねると、先頭の屈強な坊主頭が一歩前へ出た。
「私は――新潟真面目学園の上杉だ!」
「新潟?」
「上杉?」
その名前を聞き、須賀と松田がじゃれ合いをやめ、ぴくりと反応する。
しかし坂本は、それを気にせず冷静に問いかけた。
「もしかして、君たちも修学旅行か?」
「高知最強の坂本だな? いかにも。我々男子校は修学旅行として、このリゾートホテルに滞在している」
上杉は胸を張る。ロビーのライトが、彼の坊主頭を神々しく照らした。
「我々としても、沖縄は――気候、観光、そして何より歴史や政治問題など、今までの学びの集大成として、非常に良い教材である。そのため、非常に前向きに取り組んでいる」
「……真面目だな」
坂本は、思わず呟いた。
「それは当然だ。我々は将来、地元から日本、そして世界へと羽ばたいていかねばならない。そのためにも――」
上杉はピシッと須賀と松田を指さす。
「日中の学びを真摯に共有していたというのに、バカな山梨県民のアホどもが、このホテルで大騒ぎしていると先生方とスタッフから聞いた。結果、こうして睡眠時間を削って、お前たちを捕らえに来た!」
「捕らえに? 君ら、生徒だろ?」
坂本が眉を上げる。
「我々の男子校の真面目さは、日本一の自負がある。事実――四十二年連続で、“道徳の模試”日本一位を誇っている!」
「道徳の模試……? 高校でもあるのか? 高知では聞いたことないな」
「山梨にもないぞ。てか、お前らの学校だけでやってるから全国一位なんだろ、バーカ」
松田が悪態をつくと、上杉の眉間にしわが寄った。
「バカな山梨県民には、“道徳”という言葉すら理解できんのだろうな。かわいそうに」
「はあ? “道徳”しってますー!」
「うるさい。貴様、第二甲府の“うんこの松田”だな? お前のような特級呪物級のバカは、新潟には存在しない」
「はあ? 逆にお前みたいな“クソ真面目バカ”、見たことねーわ!」
「なんだと?」
上杉と松田――宿命のにらみ合い。
目と目がぶつかるたびに、空気がピリつき、火花が散った。
ロビーの観葉植物たちも、ざわ……と葉を揺らす。たぶん、戦慄している。
そんな中、坂本はため息をつきながら、須賀の耳元でぼそりと囁いた。
「なあ、あの二人……仲、悪くない?」
「ああ。というか、山梨県民と新潟県民は、昔から犬猿の仲なんだ」
「マジで?」
「マジだ。古くは戦国時代、武田信玄と上杉謙信が川中島でガチンコバトルしたのが始まりだ」
「あー……歴史か。でも、“敵に塩を送る”とかで仲直りしてたんじゃないの?」
「それが逆。新潟側からすると“塩送ってやったんだから、俺らが立場上”って思うらしい。山梨側からしたら“え、偉そうにしてんじゃねーよバーカ”ってなる」
「うわ……めんどくさっ!」
「まあ、上の人たちはリスペクトしてたんだろうけど、俺たち下々は、とりあえず喧嘩してた方が楽しいし、あとネタになる」
「ネタ?」
「ほら、“ケンミンショー”とかで拾われそうじゃん。どうせテレビが拾えば、地域経済にちょっとだけプラスだし」
「なるほど……つまり、やらせの喧嘩……?」
「政治だって、紛争だって、時にはその手法を取るだろう? 世間は闇が深い。ただそれだけだ」
「山梨県の高校生、闇が深いな……」
そんなやり取りの間にも、にらみ合う二人の距離は詰まっていく。
緊張、最高潮。
ついに上杉が、何かを思い出したように右手を上げた。
「……何だそれ?」
松田が眉をひそめる。
「山梨の猿め。またこれでやられろ!」
その瞬間――。
ロビーの奥から、ドドドドドッと地鳴りのような足音。
松田、須賀、坂本が同時に振り返ると、そこには……ホテルニュー〇ータニのスタッフたちが、まるで新体操部の全国大会にでも出場するかのように、空中回転や側転、時にはリボンやフープ(持ってないけど想像で)を振り回しながら、カオスに突進してきた!
「な、なにィ?!」
松田が目を見開く。
「挟み撃ちか?! まさか……川中島の戦いで武田側の山本勘助が用いた“キツツキ戦法”?! いや……若干違うけど!」
須賀は床に這いつくばりながら、フロントのベルが空中で回転して頭上に降ってくるのをかろうじて避けた。
「フッ。新潟・長岡には、ホテルニュー〇ータニがある。山梨には――ないだろ?」
上杉は鼻で笑い、松田の肩を押す。
「ぐぬぬぬぬ……!」
松田は悔しさを噛みしめつつ、その場で膝から崩れ落ちた。
「どうする、須賀君」
坂本が低くつぶやく。
「いや、坂本君。これ、もう無理だろ」
「でも須賀君。せっかくこの“事務所の扉”を開けたら、その向こうに革命軍が待っているんだぞ!!」
「革命軍……? いやいや坂本君、相手はホテルニュー〇ータニだぞ? 日本三大ホテルの一角、今までのホテルスタッフとはレベルが違う! つまり……スタッフの一人ひとりが既にスーツ姿のターミネーターだ! あの回転しながら飛んでくるフロントベル……絶対、計算済みの殺意だ。逃げるしかない!」
「しかし、この機を逃したら――!」
その瞬間、須賀のイヤホンからノイズ混じりの通信音が走った。
『……こちら、同志中田だ』
「同志中田! 今の状況を!」
『須賀……残念ながら、山井たちが捕まった。陽動は失敗だ。そちらに高橋、横峯、リチャード――三大将が百メートルを十秒で進軍中。特に高橋はガチギレで、スーパー高橋モード“2”だ。今すぐ離脱しろ』
「でも、革命軍を解放できれば形勢逆転できる! 今、ドアの前にいるんだ!」
『バカ。こちらの異能力者・向居を取られ、川場も離脱。革命軍は現在、全員写経中だ。煩悩が抜けて戦意を喪失している恐れあり。ここは戦略的撤退、須賀。戦いは――引き際が肝心だ』
「くっ……無念だ……」
「分かった。撤退しよう、須賀君」
二人は息を合わせ、まるで三文芝居の終幕のように背を向けた。
しかしその背後で──松田だけは、這いつくばったまま上杉を睨み続けていた。
「くそ……新潟県民め……!」
「はははは! ざまあみろ山梨県民! 悔しかったら――山梨にもホテルニュー〇ータニでも作ってみろ、バーカ!」
「くそそそそそそそそ!!!?」
ロビーに響き渡る松田の断末魔。
観葉植物がブルブルと震え、遠くのシャンデリアが小さくユラユラ揺れた。
まるで「バカが暴れたぞ」と建物全体が告げているかのようだ。
こうして、川場と向居を失い、革命軍の解放にも失敗したストレンジャーたちは――
ホテルニュー〇ータニ・オキナワ戦線から、静かに、しかし全力で撤退した。
後ろ髪を引かれるどころか、後ろ足まで引きずりながら。
だが――その様子を、遠くの影がニヤニヤと、まるで子どもが実験を観察するようにじっと見つめていた。
(やっぱり、人間って面白ーーーーッ!!)
誰も知らない。
この戦いの茶番は――まだ、全然、終わっていないのだ、と。
そして、明日に起こる事件は――沖縄史上初、いや世界規模でも稀な、「山梨県民が起こした史上最悪事件」として、後の世に語り継がれることとなる。




