2016年11月30日23時7分
2016年11月30日23時7分。
「くらえ! カツオ★文化アタック!!」
新ストレンジャー四人は、北館一階。かやぶきから抜け出し、スパイのように身をひそめ、戦いを続けていた。
全員、段ボールを被り、床に貼りつくように進んでいく。外から見ればただのゴミ。いや、中身もごみ? だが、彼らにとっては最新鋭のステルス兵器である。
そして目の前にホテルスタッフが現れた瞬間、小声で「王様ゲーム!」と囁き、勝手にこちらが王様となり、潰していく。
「お前、さっき負けたから、自宅にでんぐり返ししながら帰れ!!」
「え、は? えっ?」
無関係なスタッフが困惑し、敗北した扱いで退場していく。
……もはや、このどこに正義はあるのか。というか、そもそもゲーム自体が成り立ってすらない。
「なあ、須賀よ」
前方。キャベツの段ボールに身を隠した松田から無線が入る。
「どうした、松田」
「坂本のやつ、いい動きをしているな」
「ああ。まるで、隠れていたいのに誰より目立ってるスパイみたいだ」
すると後方。レタスの段ボールに身を隠した向居が、突如どうでもいい情報をぶち込んでくる。
「高知県の特殊能力者の高校生は、四国八十八か所巡りを、年に六回も回るらしい」
「まじか?」
「そいつはすげえな」
須賀と松田が感嘆の声を漏らす。が、向居は止まらない。
「つまり、四国は一周したら一レベル上がる。RPGみたいな場所なんだ。が……」
その時――。
前方。カツオのたたきの段ボールに身を隠した坂本が、ア〇ホテルのスタッフを捕捉。
「くらえ! まじでゲロ吐く5秒前の香りッ!!」
「うえええええっ!」
スタッフがリアルに悶絶して退場。坂本は勝利のガッツポーズ。
「……完璧だ」
誰も頼んでないのに自分で解説した。
「それにしても松田」
「なんだ須賀?」
「革命軍が捕まっているフロアなのに、敵兵の数が少なくなったな」
「ああ。高橋先生、横峯先生、リチャード先生に、小池校長の姿も見えない。おかしい……」
その瞬間、別の無線が割り込んだ。同志中田である。
『こちら同志中田! 現在、同志山井が別の教師と交戦中! とんでもない戦いだ……! ダンス対決である!』
*
『同志松田たちが、北一階付近に到着した。GOだ』
同志中田から無線が入る。
その頃、山井は静かに、クズ男子軍団を引き連れ、南館四階から北館へと、陽動作戦に出ていた。
しかし歩きながら、ふと脳裏に蘇る――忌まわしき記憶。
山井は、自分で言うのもおかしいが、まあまあ順調な人生であったと思う。
見た目も悪くない。身長もあるし、顔もまあイケメンな方。ファッションセンスもあるし、何よりスポーツも勉強も、努力すれば大体報われた。
――だからこそ。挫折というものを知らなかった。
そんな山井がまずおかしくなったのは、去年の学園祭である。
全校生徒が狂気のように熱狂する「男装・女装コンテスト」。
各クラスから男女一名ずつ選出し、舞台上で「印象的なキメ台詞」と「ファッションショー」を披露して勝敗を決める。
正直、誰が考えたのか理解不能の狂ったイベントだった。
さらに、山井は女装役に命じられ、いやいやながら化粧を施された。
だが――問題はそこではない。
スタイルが良かったせいか、浴衣姿の山井は「意外とイケる」と評判になり、クラス中のボルテージは最高潮。
相方は女バスの高木さん。キレッキレの学ラン男装が似合いすぎていて、もはや少女漫画から飛び出してきた王子様そのもの。
優勝必須。完全勝利。
山井は心の中で「自分の才能が怖い」と思っていた。
だが誤算だった。
この狂った大会には――さらなる狂気のバカが参戦していたのだ。
当時、我々は一年五組であったが、そこに謎の対抗馬が現れた。
それは……一年四組。
松田、須賀、川場、向居、同志中田、そして現在の二年六組の革命軍の深田や望田までが加わり、どうしてここまで掃き溜めを一堂に会せたのかと思うほどの、地獄のオールスターチームであった。
だからこそ、彼らはルールすら破壊する。
そもそも男装女装コンテストなのに、なぜか野郎が六人同時エントリー。
審査員をビビらせ、観客をドン引きさせ、司会者は「開催要項をもう一度読み直せ!」と絶叫。
その中で、松田が壇上で高らかに声をあげる。
「我々は感情で、それぞれ男装女装コンテストをしている。松田は女装役の“喜”、須賀は女装役の“怒”、川場は女装役の“哀”、そして向居・深田・望田は男装役の“喜怒哀”である!」
もはや意味が分からない。
なぜか「感情三部作」を表現する、という、モーツァルトもびっくりの同志中田による謎の演出が始まった。
しかも川場が、やたら真剣な顔で「哀」を表現しながら、急に般若心経を唱え出す。
須賀は「怒」を表現するため、観客に向かって「お前ら! お年玉まだ隠してんだろ!」と恫喝。
松田は「喜」を表すと言いながら、観客全員にカンチョーを仕掛けに行こうとする始末。
だが――問題はそこからである。
「……喜怒哀楽の“楽”は?」
審査員が恐る恐る問いかけた。
すると深田と望田がすっと前に出る。
「この男装女装コンテストの“楽”とは――そう、見ている観客の皆様の喜びです」
「さあ、観客の皆様。一緒に男装女装コンテストを楽しみましょう」
直後、六人の野郎は全員手を繋ぎ、客席に突入。
そして何の脈絡もなく、V6の「WAになっておどろう」を熱唱しながら客席を疾走。
観客の父兄も、審査員も、校長すらも、気づけば立ち上がり――みんなでサークルを作って踊り出していた。
会場は完全なるカオスと化し、最後は全校生徒が肩を組んで合唱。
その瞬間、男装女装コンテストは「宗教儀式」へと進化を遂げ、一年四組が優勝。
……それが、山井にとって初めての挫折であった。
意味が分からない。
こんなクソバカどもに、してやられるなんて。
山井の胸に広がったのは、勝敗ではなく、説明不能の虚無感だった。
その虚無感は、彼の心をカラッカラに枯らし――結果として「彼女をたくさん作ろうとする」という、誰も得しないクソ男ムーブへと堕落させていったのである。
自分でもクズだという自覚はある。奴らには恨みもある。
それでも……、このストレンジャー四人がいれば、自分より下のクズがまだこの世にいる。そのことに喜びと安心感が生まれる。
だからこそ、まだまだこのクズ野郎どもを助けてやりたい。そう思い、この学年のクズ男――やたら芸能界に精通し、アイドルから女優まで熟知している、三組飯尾。お金を借りると、自身の特殊能力でその記憶のみを無くしてしまう、五組金村。女性と話すのは緊張するが、なぜかラインだと饒舌になる一組韻田。その他、第二甲府の精鋭を集めて、こうして特攻している。
が……。
「待ちなさい……」
四階の北と南との連絡橋。ホテルスタッフに囲まれながら、ひとりの男性が立っていた。
「やはり……来ましたか、先生」
「もう覆面の海パンは被らんでもいいよ、山井君」
そこには、国語の教師、芥田がいた。
「芥田先生……」
「山井君……僕の弟子でもある君をこの手で潰すのは悲しい。が、やらんといけないときはやるさ」
そこで説明しよう! この芥田。ほそっぴのひょろひょろながら、顔はこの第二甲府の教師の中で一番いい。その分、女子生徒からの人気も絶大である。
特に国語教師のため、漢詩やポエムなど、男から聞いたら「おいおい」と言いたくなるが、それっぽいことを口にして女子生徒をドキッとさせる、まさにクソみたいな女ったらしであった。
だが何より恐ろしいのは、その語り口である。
授業中、彼は目を細め、声をやたら湿らせ、まるで一行ごとに句読点を抱きしめるかのように、ねっとりとしたリズムで言葉を垂らす。
「生徒諸君……友情とはな、雨あがりの校庭に残る水たまりのようなものだ……。踏めば濁り、放っておけば蒸発する。だが……逆光の中で見れば虹色に光る……そう、まるでポカリスエットのCMだ」
「先生、例えがダサいです!」
男子が即ツッコミを入れるが、クラスの女子生徒たちは「キャー!」と拍手喝采。なぜか響く。恐怖である。
その結果、山井など、一部の男子生徒は彼に弟子入りし、彼からその表現手法と女性からのモテ方を学ぼうと努力してきた。なお川場もその塾に入塾したが、30分で退学処分となり、その後、向居のポエム恋愛塾への編入をした次第である。
「でも先生……俺は友情を取る。押し通る!」
それでも芥田はひょろひょろ。それにこっちには、クセつよクズ男子生徒軍団がいる。このまま行けば、勝つことはできる。
しかしそこで、芥田は制した。
「待て待て、山井君。暴力など、とても文化的じゃない。だからモテないんだぞ」
「く……」
「ならば山井君、もっと文化的な戦い方をしようじゃないか」
そう言うと芥田は、髪をかきあげ、胸ポケットから「妙にしわくちゃな三島由紀夫の文庫本『不道徳教育講座』」を取り出し、なぜか表紙にそっとキスをしてから――すっと、窓から南館一階を指さした。
「ダンスレボリューションで……勝負しよう」
その声音は、文学全集の帯コメントみたいに無駄に気取っており、場違いなほど重厚だった。
*
この残波岬のホテルには、南館一階に、少しばかりのゲームセンターがある。
そこに鎮座するは古の遺産――「ダンスダンスレボリューション」。
軽く説明しよう!
ダンスレボリューションとは、音楽に合わせて画面の下から流れてくる矢印を、足元のフットパネルでタイミングよく踏むという、非常にシンプルなゲームである。
が――その分、やり込めばやり込むほど人智を超えた運動量を要求される。常人ならば肺が爆発し、脳が酸欠で白旗をあげるほどの消耗戦。かつては「痩せたいならジムよりダンスレボリューション!」とまで囁かれ、一部の狂信者にとってはまさにダイエット教の聖典であった。
当初、山井たちは笑っていた。
芥田はひょろひょろ。そんなやつがダンスレボリューションなんて。
それにこちらは体育でダンスの授業を受けている。リズム感のアドバンテージは間違いなくこちらにある――そう信じていた。
しかし、であった。
「な、なんだ……ガタッ」
芸能界に精通し、音楽知識に長けたクズ男軍団の飯尾が、ぶっ倒れた。
ほぼ、クズ男軍団、全滅である。
その光景を見ながら、芥田はふっと笑った。
「まったく……リズムに乗れない男は、恋もできないぞ?」
芥田は、ただ踏むのではない。
彼は――跳ねた。舞った。しなった。
まるで全身が楽器になったかのように、フットパネルを叩き、時に背中で、時に手刀で、ありえない角度で矢印を踏み抜く。
「矢印が彼に合わせて出てきているのではないか」と錯覚するほどの支配力。
そして極めつけに――。
芥田はダンスをしながら、自作の甘ったるい詩を吐き始めた。
「恋とはね……水に溶けた蜂蜜だ。すぐに消えるが、甘さは舌に残る……」
「おい誰か止めろ!」
「詩でライフが削られていく!」
金村と韻田が勇敢にも挑んだが、敗北。
ダンスそのものよりも、ポエム付きダンスレボリューションという精神的拷問に崩れ落ちていった。
「く……」
山井は焦った。これじゃあ勝ち目がない。どうする? どうする? どうする家康?
そのとき――耳のイヤホンから、同志中田の声が漏れる。
『同志山井……負けを認めるか?』
「いや、ここで負けたくない……でも、このままじゃあ……!」
『それだと、本当にストレンジャー四人のように、“公式バカクソ男子”に格下げだな』
「ば、ばかやろう! あいつらと同じだなんて……そんな、屈辱……! でも……」
『でも?』
「……それでもここで負けたら、あいつらとの約束を破ることになる」
『約束?』
「ああ。もし同志松田の告白が成功したら、同志中本さん経由で、他校の女子生徒を紹介してもらう……! この学校で俺の社会的地位は地に落ちた……だが、まだ“他校”なら……まだ戦えるッ!」
『……なるほど、クズだな』
イヤホン越しに、同志中田の深いため息が流れる。まるで戦場で戦死した戦友の名前を呟く兵士のように重く――そして冷徹に。
『ならば同志山井よ……。去年の男装女装コンテストを覚えているか?』
「あ、ああ……! あの松田たちの……狂気と虚無が渦巻いた、クソみたいな競技だが……それがどうした?」
『俺はな。あの脚本を書くときに考えたんだ。正攻法じゃ、ビジュアル的に同志山井たちに勝てない……とな』
「いや、それにしても……あのクソミュージカル演出は……ほんとにクソだったろ……!」
『……だが、それでも四組が優勝した。分かるか同志山井?』
「え……?」
『いつでも正々堂々と戦う必要はない。状況を冷静に見て、勝ち筋を拾え。お前自身の……歪んだ武器でな』
その瞬間――。
ドタドタドタッ!!
後方から足音が乱れ込む。
ダンスダンスレボリューションの轟音に引き寄せられ、鬼の形相の高橋先生、横峯先生、リチャード先生が血走った目で突進してくる。
山井は心の中で祈った。
――そうか、そういうことか!
「てめええええええらあああああああッ! なにしてんじゃああああああああッ!」
高橋の怒声が響いた瞬間、山井は咄嗟に両手を上げた。
「待ってくださいッ! 俺たちは……騙されていたんですッ!」
「……なに?」
高橋の動きが一瞬止まる。
山井は震える声で、それでも勇気を振り絞り、真剣な眼差しで告げた。
「そこの芥田先生が……実は男子生徒を集めて“女性にモテる私塾”を開いていて……そのレッスンだと偽り……無理やり夜にここへ俺たちを呼び出したんです……!」
「な、なにィィィィッ?!」
芥田の顔に、はじめて明確な動揺が走る。
「ま、まて、山井君……」
「どういうことですか、芥田先生……?」
高橋が眉をひそめ、声を低くして詰め寄る。
「高橋先生。芥田先生の私塾は、ここにいるみんなに聞けば分かるはずです。それに、ダンスレボリューションをマスターすれば、女子生徒をイチコロにできるとも言っていました」
山井が告げると、ホテルの蛍光灯がチカチカ光ったように見えた。
芥田の肩が小刻みに震え、汗が額から滴り落ちる。
「待ってくれ、高橋先生! 僕がそんなことをするわけじゃないじゃないですか!」
芥田の声は小鳥のさえずりのように細く、しかし必死に響いた。
その目は汗で光り、まるで小さな水晶玉が割れそうな緊張感を放っている。
だが、高橋はその芥田を無視し、無言で山井を見つめ返す。
「それが事実だとしても……いや、まあこの芥田先生だから事実だと思うが。でも、山井。お前は昨日も問題を起こしている。そして今日も消灯後に出歩いている。普通なら芥田先生に呼び出された時点で、他の先生に連絡を入れることもできたはずだ……だからな。多少の覚悟は出来ているか?」
その声は、まるで巨大なゴムハンマーで頭を叩かれる直前の緊張そのものであった。
山井はふっと笑った。その笑みは、狂気と諦観とバカさが渾然一体となった、奇妙な美しさを帯びている。
友よ、達者でな。
「はい。僕も写経します。そこのゴミ教師と一緒に」
「きさまああああああ!」
その雄叫びは、深夜のホテルに寂しく、そして虚しく響き渡った。