2016年11月30日22時22分
2016年11月30日22時22分。
ここ残波岬のリゾートホテルは、まさに断崖の上に建つ要塞のごとき存在だ。南館から北館へ行くには、中庭を突っ切るか、連絡橋となる渡り廊下を渡るしかない。だが今は非常事態宣言が発令され、館内を移動することなど不可能。いや、正確に言えば、バカ四人……否、“ストレンジャー四人”にも不可能に近い。
が――。
『南館の外、砂浜に小型ボートを用意した。海経由で、北館へ侵入せよ』
イヤホンから有能なバカこと、同志中田の声が入る。
そう、その手があった。
幸いにも今日は満月。これも同志中田のご加護かもしれない。天気は穏やか、波も高くない。海を使った侵入は、本来なら絶対にやってはいけない愚行だが――バカ四人にとっては、むしろ正解だった。
「さあ、乗るぞ!」
ボートレース部の川場は、震える松田、須賀、向居をぐいぐい引っ張り、砂浜の小型ボートへと走る。
小型と言っても、実際は少し年季の入った漁船のような代物。波止場に打ち捨てられていたかのような外見だが、川場は迷わず乗り込み、慣れた手つきでエンジンを始動する。追ってきたホテルスタッフの影が砂浜にちらつく。
「急げ!」
船体がギシギシと悲鳴を上げ、波を切って進む。電気は点けない。黒ずんだ月夜の海を、違法スレスレのスリルと共に突き進む。
その光景は、さながら”とある”「北の国から」の違法漁船である。
「な、なあ……」
ぶるぶると震えていた須賀は、一人海の男としてボートを操縦する川場に声をかけた。
川場は表情を変えず、ただ前を向き、「なんだ? トイレか?」と雑に返す。
「ち、違う……」
川場の瞳には何が映っているのだろうか。ただし確実に言えるのは、今日この時点の川場は、この四人の中で、誰よりも頼れる男であった。
「おい川場……。やっぱ、これ法律違反だろ?」
「何が?」
「ボートの電気を点けていない。『海上衝突予防法』の違反だ。なあそうだろ向居?」
「ああ、須賀の言う通りだ」
そういうと、向居はお得意のフリップボードを……否、今の彼は丸腰。逃げる時にリュックを置いてきてしまった。
そこで仕方なく、向居は深呼吸をひとつ。まるで某呪術漫画のキャラのように低く「開門」と呟いた。
――瞬間。
空間がビリリと震え、彼の術式の異空間からフリップボードが召喚される。
バサッ。
そこには『海上衝突予防法』についての丁寧な解説と、分かりやすい図解が。
まるで高校の社会科準備室から直送されたような板書クオリティ――というか。
「お、お前……いま何した?」
「おい向居、お前まさか……呪〇師か?」
松田と須賀の声は裏返っていた。
目の前で唐突に発動した親友の異能に、無言のドン引き。
だが――。
「男には説明なんて、いらん。俺、川場自身が法律だ」
ハードボイルド状態の川場は、向居の異能すら完全に無視し、フリップを片手でひったくると、即座に海へ投げ捨てた。
――ちゃぽん。
もうカオスである。
なお、さらにカオスを増すために補足しておきたい。
向居のフリップボードは天然素材100%、インクも有機栽培の自然着色料。海に投げ捨てる行為自体は褒められたものではないが、SDGs仕様だし、何より異空間からの物質なので現世には何の影響も与えない――これが前提である。
海保護団体の皆様、もしこの物語を読んで錯乱してしまったなら、どうか寛大な心で許してほしい。なお、筆者は海への不法投棄を断固として反対している。
「うっせえよ、ナレーション」
川場は低く唸るように呟き、ポケットからココアシガレットを取り出した。
月明かりに浮かぶその横顔。
火も煙も出ていないのに、噛みしめる姿は妙に渋い。
「かっけえな……」
松田がおもむろに呟く。
「ああ。今日の川場は本当にかっこいい。俺ら、松田も向居も海の無い山梨県出身。海が怖くてたまらないのだが、この川場。さすがボートレース部だ。まったく動じない」
「でもなあ」
向居はまた異空間から占いの水晶玉を取り出し、松田と須賀に見せる。
「一応、ほら。川場の寿命タイマー、ほら。見てみ。ヤッ〇ーマンのどくろべえみたいなどくろ出てるでしょう?」
「うわ、がちじゃん」
「びっくりするくらいの、どくろだな。まるでPS2初期のポリゴン並みだな……。てか、お前やはり、ガチの異能能力者だったのか……」
するとそれを聞いていた川場がふっと笑い、顔を向けずに呟いた。
「俺の心配をしてくれているのか? ありがとうな。俺は大丈夫だ。問題ない」
あ……。
その瞬間、松田、須賀、向居は同時に顔を引きつらせた。
死亡フラグが……立った。しかも堂々と、月夜を背にして。
もう訳が分からない。
急な異能展開、川場のハードボイルド化、唐突な死亡フラグ、そして筆者のテンションが暴走。
「え、俺、今めちゃくちゃ筆が進んでいる」と筆者が錯乱しながらも、ページは進む。
だがここで正常に戻る筆者ではない。
もっと読者の皆様を、カオスの渦に叩き込むのだ。
そして、俺をこの世界に閉じ込めたバカ四人への復讐。
やられたらやり返す。倍返しだ。逆襲の筆者夏坂。ここで開始。
筆者は興奮と混乱のあまり、インクを飛ばしながらペンを走らせる。
ページ上の文字が踊り、時々「ドンッ!」とか「バキッ!」という擬音まで勝手に入る始末。
そう思い、筆をさらに加速させた――その瞬間だった。
「「「「ん?」」」」
ストレンジャー四人が、遠くから迫ってくる光に目を奪われる。
何かBGMも聞こえてくるし、派手な光、そして大漁旗。
「お、おい! 旗に"団体様大歓迎"って書いてあるぞ!?」
松田が指をさす。
「こ、この曲はまさか!」
須賀が悲鳴をあげる。
「この曲、祖父母のDNAにまで刷り込まれてるやつだぞ!」
向居が頭を抱える。
♪\\\伊東へ行くならハ〇ヤ。ハ、〇、ヤ、に決めた!!///♪
川場が舌打ちをする。
「チッ……ハ〇ヤグループのホテルスタッフか」
※一応説明しよう。静岡県伊東に存在する、巨大リゾートホテル。ハ〇ヤグループ。ハ〇ヤホテルとホテルサンハ〇ヤの二つが存在することは、意外にZ世代の間では知られていない。
特にこのホテル、特徴として三段逆スライド方式という独自の仕組みを入れており、ハ〇ヤ大漁苑にある釣堀で、釣り上げた魚が多いほど安くなるシステムがある。なお魚はお持ち帰りも可能で、持ち帰り用箱は200円。是非伊東に行ったら体験してみよう。……って、宣伝か? いや筆者は行ったことがない。むしろ行きたい。
「ど、どうするんだ」
松田が川場にしがみつく。
「あいつら海のエキスパートだろ? それに──」
須賀が指を指すと、光の先でハ〇ヤのスタッフがニコニコ笑いながら、手にはハ〇ヤ名物の「船盛」用ミニ船をロープに巻きつけ、ヌンチャクのようにぶんぶん振り回している。が、それ以上に、乗っている“船”がおかしい。
「あれは米軍のゾディアックボートだな。ネットで中古なら二十万くらいで買える。まあ、おそらくALTのリチャードが在日米軍の横流しで落としてったやつだろうが……って、船体の横、ミサイルが二つ、無理やり装着されているぞ。ま、まさかな……」
川場は淡々と解説していたが、その表情が一瞬曇る。
須賀はそのわずかな変化を見逃さなかった。
「ど、どうした?」
「いや……おそらくハ〇ヤの連中。リゾートホテルからのSOSを受け、静岡の自衛隊御前崎分屯基地からミサイルを“売却”してもらい、オーバーヒートすれすれでここまで来たのかもな。さすがは日本屈指のバブルを支えたリゾートホテルだ。昭和教育で鍛えられたスタッフは、一筋縄ではいかない」
「うっせえクソ解説。どうにかしろ!」
向居が毒ついた瞬間、後方からヌメリ……いや、ぬるぬると不気味な音が近づいてくる。
「今度はなんだ!」
「あ、あれは!」
松田と須賀が慌てて振り向くと、今度は全力で泳いでくるホテルスタッフたちが視界に飛び込んできた。
だが、彼らはただ泳いでいるわけではない。
水面を切るたびに、なぜか「後楽園」「池袋」「川崎」「倉敷」「仙台」等々、地域名の旗が立ち上がるように見える。まさに全国チェーンの総力戦。まるで海の上に不自然な旗祭りが出現したかのようだ。
「ドーミー〇ンだ!」
向居が悲鳴に近い絶叫をあげる。
「やつら、どのホテルにも大浴場があるからな……。まさか大浴場設置の本当の狙いは、密かに水中訓練をやらせて、いつか水泳とシンクロナイズドスイミングで、金メダルを独占するつもりだったのか……。ふざけんな、独占禁止法違反だぞ!」
川場が舌打ち混じりに冷静に分析する。
ドーミー〇ンスタッフは海にも負けず、ぐんぐん進んでくる。手には名物の”夜泣きそば”のダシで使うであろう昆布を握り、海面をカモフラージュしつつ進軍してくる。昆布の威力は未知数だが、見た目の迫力は確かに一級品である。人数は海藻レイヤーのせいで視認が難しい。だが、四人は確実に包囲されつつあった。
『逃げろ!』
イヤホンから同志中田の焦った声が聞こえる。
「おい、同志中田も焦っているぞ。さすがにまずいんじゃないか、須賀よ」
「ああ、松田のいう通りだ……。さすがに逃げるか。向居?」
「アーメン、アーメン、アーメン……」
「クソ。向居の野郎、命の危険を感じて……、ここで唐突に悟りを得たのか?! 宗派改変中か?! まったく、ウィ〇ドウズのアプデかよ?!」
混乱する男三人。
まだ彼らは17歳。無理もない。頭の中では“逃げるか、戦うか、昆布で船盛を完成させるか”がごちゃ混ぜになっていた。
だが、この男は違った。
川場は震える三人を前にして、声量でも熱量でもなく、ただ一本の言葉を、夜の海風に溶け込むように投げた。
「お前たちはさ、邪魔者がいたら、好きって感情を諦めるのか?」
その瞬間、三人の顔が一瞬にして凍りついた。
……かっこいい。
少年漫画なら、ここで「よっしゃ、一緒に戦おうぜ!」と拳を突き合わせる場面だろう。
だが現実は無情である。
完全に死亡フラグ。しかも二回目。業界用語で言えば「天丼」。二度目は笑えるが、三度目は命取り。
三人は絶望した。
心臓が凍り、鼓動が水面の波紋のように揺れる。
人はここまで愚かになれるのか――恐怖と混乱で、精神の底から深淵を覗き込んだ気がした。
しかし、このバカはそれに気付かない。
川場は得意げにふっと笑った。
月光に照らされた横顔は、ハードボイルドと阿呆の奇跡的な融合。
ポケットからドリンクを取り出すと、いきなり口はつけず、まるでワインを嗅ぐかのように香りを楽しんでから、一気にゴクゴクと飲み干す。
♪\\\ 翼を授ける〜〜〜ッッッ!! ///♪
「さあ、行こう。俺のドライブテクを、」
川場の全身を青いオーラが包み、背中にはまるで羽が生えたかのように光が瞬いた――その瞬間だった。
ガツッ。
変な異音と共に船体に穴が空いた。水しぶきが舞い、四人の心臓が同時にスキップした。
「な、なんだ!」
「こ、これは……!」
「シャークか!」
松田、須賀、向居は悲鳴を上げた。
川場が振り向くと、そこには──ハ〇ヤでもドーミー〇ンでもない、まさかの第三勢力。サメの上に乗り、こちらへ迫ってくる別のホテルスタッフと、その隣に見知らぬ男がいた。
「ま、まさか……! あの制服は……鴨〇シーワールドホテルか!」
かの有名な水族館に併設されたホテル。そのサメの飼育員、鴨川さん。通称「”お”魚君」。普段は海の生物を愛する、”お”魚の帽子をかぶった優しい男……ではあるが、生き物をバカにする学生を見ると、なぜかサメの上で踊り出し、相手とダンスバトルを繰り広げる癖がある。そして今日、「沖縄に来たのに、美ら海水族館に行かなかった不届きな修学旅行生がいる」と聞きつけ、颯爽とサメに乗り、この沖縄の海までやってきたのだ。
「まさかサメを操れるホテルスタッフがいるなんて……」
「須賀。違うぞ!」
川場が訂正し、鴨川さんの隣の人物を指さす。
「もう一人、サメに乗ってるあの男……あれこそが本体だ。あ、あれは……伝説のB級映画、『温〇シャーク』の発起人、監督のミスターNだ!」
「「「誰だ?!」」」
一応ここも補足しておく。
“サメ映画”──それは低予算映画界の楽園。CGが楽という理由で量産され、『ゴースト・シャーク』『シャークネード』『シャークトパス』など数々の怪作が生まれ、謎に熱狂的なファンを生む、特殊性癖コンテンツである。その中で、日本の熱〇温泉を舞台にサメ映画を作ろうとした狂気の男がいる。温泉を愛し、サメを溺愛した伝説の監督。それが彼、ミスターNである。なお、本作品への出演許可は貰っていないため、イニシャル表記でご容赦いただきたい。
「行け、サメども! サメ映画の真価を理解しない世間の馬鹿どもは、片っ端から潰せ! 村上水軍もびっくりな、これは立派な──『ジョーズ・オブ・カリビアン』だ!」
ミスターNの掛け声で、サメ軍団がうなり声を上げ、船体へ突っ込んでくる。
……ただし、一応ここはギャグ小説。B級シャーク映画ではないため、ストレンジャー四人を襲う予定はない。ご安心を。
だが──。
サメの勢いに船が耐えきれず、真っ二つに割れた。
「沈没だ! 海へ!」
松田の叫びを合図に、四人の体は条件反射のように宙を舞った。
暗い海へ飛び込む音が、夜の残波岬にドボン、ドボンと重なって響く。
塩辛い潮水が口に入る。肌を撫でる海水は、なぜか風呂の残り湯のようにぬるい。
「ああ、ひでえもんだ……」
松田が水面から顔を出し、げほげほと咳きながら呻いた。
「まったくだ……しかも海、やけにぬるいし」
須賀も目を細め、まるで温泉プールに放り込まれた子どものような表情を浮かべる。
「一応、新しいボート出そうか? 俺の異空間から持ってこれるけど」
向居が真顔で言う。濡れた前髪が額に張り付き、やたらとシリアスな雰囲気を醸し出している。
松田と須賀は、同時に首を横に振った。
「なんか……なあ。白けたわ。筆者をいじめすぎたか。もう、めちゃくちゃで、ここまでカオスだと、なんかみじめだな……。可哀そうな筆者」
「ああ、松田の言う通りだ。もうさ……俺たちからさ、この話、終わりにしようぜ。泳いでホテルに戻ってさ。なんか……もう、これ以上は筆者の恥だな」
そのときだった。
背後でガタガタッと異様な音が響いた。木材が軋み、金属がひしゃげる音が闇夜に混ざる。
三人が振り向くと――。
「ク、クソ……!」
沈みゆくボートに必死でしがみつく川場の姿が、闇に浮かび上がった。
顔は真っ青。歯をガチガチと噛み鳴らし、必死に縋りついている。
「何してんだ川場!」
「マジで危ないって!」
「さっさと泳げ! 岸はすぐそこだ!」
三人が叫ぶと、川場はうっすら涙を浮かべ、声を震わせた。
「……俺、泳げないんだ」
「「「は?」」」
波音すら止んだように、三人は一瞬硬直した。
須賀が水をかぶりながら恐る恐る声をかける。
「え、お前……ボートレース部じゃなかったのか?」
「違うんだ……俺はただの帰宅部。勝手に“ボートレース部”って名乗ってただけなんだ」
「いや、それはまあ知ってたけど! でもさ、お前、荒川で必死にボート漕いでただろ? あれ泳ぎの練習じゃねえの?」
「バカ野郎! 学校近くの荒川は足がつくだろ! それに……俺は船長として、この船と運命を共にしたい」
「えぇ……」
須賀の声には、もはや同情と呆れがないまぜになっていた。
川場は覚悟を決めたように、順に仲間を見回した。
最初は須賀。
「須賀……。”人生は贈り物だ。絶対に無駄にしたくない”」
「ん? お、おう……」
次に川場は向居へと振り向いた。
「知っているだろう? “僕は悪運が強いんだ。絶対に生き延びるんだ”」
「お前、まさか……」
そして最後に、松田。
川場の瞳は月明かりを映し、芝居がかったほどに潤んでいた。
「中本さんの写真もないけれど、今も存在しているわ。私の心の中に(I don’t even have a picture of her. She exists now… only in my memory.)」
「た、タ〇タニックの名言たち……!」
川場はふっと笑い、胸を張ると、まるで主人公のように言い切った。
「船のきっぷは、僕の人生にとって最高の送りものだった。君たちに会えたから(Winning that ticket, guys… was the best thing that ever happened to me. It brought me to you.)」
「「「バカ野郎ォ! 最後の最後で著作権侵害スレスレな台詞残すな!!」」」
――どぷん。
泡を蹴立て、ボートは音を立てて沈んだ。川場の姿は水面からすぐに消える。
最後に川場は、片手を必死にあげ、ぎゅっとサインを残す――まるで『ターミ〇ーター2』の名シーンの如く。
しかし……その手は、思いのほか沈まなかった。
その結果、そこから漂うのは決意でも勇気でもなく、ただ――妙に気まずい空気だけ。
水深はおよそ170センチ。
身長160センチの川場には、あまりにも、色々な意味で過酷すぎた深さだった。
――以上、川場、ここに退場。
彼の修学旅行は、こうして幕を閉じる。
だが、物語はまだ――止まらない。