2016年11月30日11時11分
2016年11月30日11時11分。
五十嵐は、妙に芝居がかった動作で、過去をゆっくりと語り始めた。
「……ク……ク……ク……1996年12月。俺はお前たちと同じく、第二甲府の生徒として、人生で初めて、この沖縄の地に降り立った。その頃の俺は、日本バブルの崩壊を憂いて、とてもブルーな気持ちだった。だからこそ、この旅行は、親友の横峯と過ごせる、ひとときのブレイクになるはずだった……」
五十嵐は、そこでなぜか天井を見つめ、フッと笑う。
「――が、俺は感動してしまった」
一拍置いてから、唐突に胸に手を当てて言い放つ。
「沖縄の景色、食、文化、そのすべてに! 俺の心は鷲掴みにされた! そして……修学旅行中であったが、ここに残りたい、と願ってしまったのだ……」
松田が眉をひそめる。
「……え、未成年ですよね?」
五十嵐はドヤ顔でうなずく。
「そう。俺はホテル内で失踪し、そのままここで不法就業してしまおうと考えた! 最初、親友の横峯もやけに真剣に『いい考えだ』と語っていた。まあ、あいつもアホだから一緒だったのであろう……」
五十嵐の声が、急に低くなる。
「――が、すべては“あの男”の登場で変わってしまった」
須賀がぼそっとつぶやく。
「(誰だよ……)」
五十嵐は悲しそうに、しかしどこか誇らしげに続けた。
「その日、俺と横峯は、俺が沖縄に残ることを決意したため、残り少ない時間を一緒に楽しもうと、夜中にホテルを抜け出した。町に繰り出そうとした、その瞬間……。そこに、あの小池先生がいた!」
向居が思わず声を上げる。
「……こ、校長?!」
「そう! たまたまフランス帰りで、このホテルの臨時料理長をしていたのだ! しかも、あまりにも俺たちの高校が問題を起こしすぎて、フロント部隊では人が足りず、ホテル側の監視役として駆り出されていた!」
川場が呆れ顔でつぶやく。
「(昔から同じかよ……)」
五十嵐の拳が、わなわなと震える。
「不運にも奴に見つかり、俺は横峯と共に戦ったさ……料理対決で!」
須賀が吹き出す。
「いやなんで戦うんですか」
「俺も横峯も調理部の部長と副部長! 山梨の高校料理バトル界では負けなしだったし、俺の尊敬する料理人は、たいめいけんの茂出木浩司シェフ! が、さすがは小池先生。圧倒的アレンジ力で俺ら二人を粉砕! さらに……奴のチャーハンだけで横峯の心を変えてしまった!」
五十嵐は机を叩く。
「『まっとうに生きろ。バカに生きることは、何の価値もない。そして、しょっぱいだけがチャーハンではない』――あの言葉で! 俺は、横峯に裏切られ! ホテルから逃げ出し! 今に至る!」
彼は、目を見開き、高らかに宣言する。
「そして決めた……俺は沖縄に潜伏して、いつかあの二人に復讐をすると! そのためには! 俺の技を受け継げるアホとバカが必要! そう! 俺はずっと待っていた! そして! 歴代最高の共鳴者であるお前たち四人がやってきてくれた! ああ、俺は嬉しいぞ! 嬉しいぞ! 嬉しいぞおおお!!」
松田、須賀、川場、向居の四人は――冷静だった。
ああ、こんな大人になりたくない。
それが、四人の一致した素直な感想だった。
「な、なんだその眼は!?」
五十嵐が焦る。須賀はゆっくりと立ち上がり、深くため息をついた。
「いや、まあその、あなたがバカなのは分かるのですが、それよりももっと言いたいことがあって……」
「なに?」
須賀は、真顔で天井を見上げて叫んだ。
「いや、五十嵐さんじゃなくて、その……おい作者ァァァァァ!?!?」
その瞬間――。
パソコンの前でこの文章を書いていた私は、コーヒーを盛大に噴き出した。
キャラクターに話しかけられるのは、生まれて初めてである。いや、待て。冷静に考えろ夏坂。いま自分、創造したキャラクターたちに詰め寄られてるんじゃないか? 正気か?
すると須賀と他三人は、にらみつけるようにこちらを向いた。
「てめえ、夏坂さんよお? 俺らのこと、スルーしすぎじゃねえか?」
須賀のセリフに同調するように、松田、川場、向居が順番に声を上げる。
「全くだ、夏坂よ。おめえ、この作品の投稿……ずっとほったらかしていただろ? 山梨の“ほったらかしの湯”か? ああ?」
「まったくだ。おめえ、最終更新、8月10日だぞ? 今、9月2日だぞ? 一か月まるごと、このクソ五十嵐の回想シーンの前で止めやがって、何考えてんだ」
「ああ。松田と川場のいう通りだ。夏坂てめえだって、久しぶりに開いたら、話の流れすっかり忘れてんじゃねえか。しかもプロットのデータもなぜか消えてて、今後どんな展開書けばいいのか分かっていねえじゃねえか。本職の企画の仕事もコンペ2連敗しておいて、何をしてんだ? ああ?」
あああ……私は今、とても悲しい気持である。
私が生んだキャラクターたちに罵詈雑言を浴びせられ、その文章を、自分の手でタイピングしているという――自分自身のド変態性に、胸が熱くなる。
確かに、私、夏坂は、ここ一か月近く、彼らを放置した。
別で書いていた、同じ時間軸の“アオハル小説”に力を入れていたからだ。
しかも不幸なことに……その作品とこのクソ小説の時間軸と登場する学校が同じことから、彼ら“ストレンジャー四人”も、たまーにそちらの作品に出演させてしまった。それが、そう、ギャグ小説のキャラクターをアオハル小説に無理やり登場させるという暴挙――結果、せっかくのアオハル世界観がぶち壊れる結果となった。
正直、調整するのに地獄を見た。あの頃の私は、本当にアホだったと思う。
「おい夏坂、何一人語りしてんだ? 自意識過剰あるあるタイプのバカ作家か、ああ?」
須賀が、画面越しに睨んでくる。ある意味、もう一人の自分でもあるキャラが、私に牙をむいてくる。……怖い。
「待て、須賀。これだと、夏坂の作戦に囚われるぞ?」
「何が?」
「やつは俺たちと対決姿勢を作ることで、この物語の世界観をぐちゃぐちゃにして、“適当にこの物語を終わらせよう”としている」
さすがは私が生んだキャラクターたち。推理のレベルも、そこそこ正確である。だが……。
「バカ、松田! かぎかっこ以外の場面を入れさせるな。夏坂の野郎が修正を入れて、適当に話をまとめて、終わらせにくるぞ。ちなみに今しゃべってるのは川場な。……まったく、分かりにくいなこれ。誰が何しゃべってるのか、もうぐちゃぐちゃだぞ」
「ああ。川場のいう通り。あ、俺は向居です。とにかくだ、この状況を止めないと、どうすればいい? 須賀」
「もう、方法は一つだ。それは――夏坂をこっちの世界にぶち込む」
「「「なに?!」」」
「やつをこっちの世界にぶち込めば、この話を消そうとした瞬間、奴自身も消えることとなる。つまり……道連れだ」
「おお! 松田です。その手があったか、と思いました!」
「ああ! なんてすばらしい、と川場は思いました!」
「よし! やつをぶっつぶすぞ、と向居は感じています!」
私、夏坂は笑った。乾いた笑いだ。ははは、と。
こいつら、いかれてやがる。
だが――残念だったな。
この作中のキャラクターどもは、そのようなことをいっても、しょせんは文字の世界の住人! 私の世界には干渉できないんだぞ!
「「「「よし、ATフィールド全開!」」」」
――その瞬間だった。
パソコンの画面に“ぐにゃり”とヒビのような波紋が走り、そこからぬっと四人の“手”が現れた。
私は、心底驚いた。
……え、なにこれ。
え、怖い。
いや、ちょっと待て。これ、どう見ても“こっち側”に出てるよな?
え、いやこれ、リングじゃん。
貞子案件じゃん。
そして――
こいつら、やけに力が強いな!?
「よ、よしいけるぞ! 俺、須賀! 全力全開フルスロットルで頑張るぞぉぉぉ!」
「これはみんなで協力だ! 男松田、筋肉も理性も限界突破してやったるでぇぇぇ!」
「よーし、掛け声は川場様がしてやろう! 伝統の甲府式神輿スタイルいくぞぉぉぉ!」
「よーいしょっ! よーいしょっ! よーいしょぉぉぉ! 向居も頑張ってますぞぉぉぉおおお!」
や、やばい。
なんだこのカオス展開。
もう、修学旅行の話でもねえ。
絵本の『おおきなかぶ』の話か?
「「「「よーいしょ! よーいしょぉぉぉ!」」」」
まだまだ夏坂を引きずり込めません。
「「「「よーいしょぉぉぉ! よーいしょぉぉぉ!」」」」
まだまだまだ夏坂を引きずり込めません。
「「「「よーいしょぉぉぉぉぉおおおお!!」」」」
――机が揺れた。パソコンのコードが引っ張られた。回線が、なぜか悲鳴を上げている。
「「「「よーいしょぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおお!!!!」」」」
――天井がきしんだ。どこからともなく太鼓の音が鳴り響く。誰だ太鼓叩いてんの。
「「「「よーいしょ……よーいしょ……よーいしょ……あ”あ”あ”あ”!!!!」」」」
「ああ、なんてことだあああああああああああ!!」
「「「「よ、よし! やった! やったぞぉぉぉぉぉぉおおおおお!!!」」」」
ストレンジャー四人がガッツポーズをしながら、なぜか謎の爆発音が背景で鳴る。
須賀が嬉しそうに、いや、もはや勝者の顔で笑った。
「ははははははは!! 夏坂めぇぇぇぇぇぇ!! とうとうこのアホの世界に引きずり込んでやったぞぉぉぉぉぉぉ!!」
「ば、ばかな……! わ、私の住んでる世界は……そもそもこの世界は2016年で、時間軸だって――!」
「ばかやろう!! この際なんでもありだあああああ!! ジャンルも時代もメタも物理法則もぶっ壊してやる!! さあ、てめえを人質にとり、この作品の結末まで、ちゃんと! お前自身の目で見届けてもらおうじゃねぇかあああああああ!!」
「く、くそぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」
そのときだった。
急に、その場の雰囲気が――“しん”と暗くなる。
まるでジム全体が、見えない誰かに「シーッ」と言われたかのように。
さっきまで「よーいしょ祭り」で地獄みたいに騒がしかった空間が、一転、葬式のような湿度に包まれた。
ギシッ、と椅子が軋む。
五十嵐が――静かに、しかし確実に椅子を蹴るようにして、すっと立ち上がった。
「あの……、私、わすれていません?」
その瞬間、ストレンジャー四人と夏坂――全員、息を呑んだ。
場の空気が、一気に「気まずさ100%」に到達する。
川場の喉が、ゴクリと音を立てたのを、誰も指摘できない。
五十嵐は、静かに、しかし確実に殺意のない“圧”を放ちながら口を開く。
「特に夏坂さん。あなた筆者として、話の展開ぶち壊しにきてどうするんですか? 以前もらったプロットと、話が全然違うじゃないですか」
「す、すみません……」
「私は、出演は増やして欲しいと言いましたが、あくまでも“作品を作り上げる”という意味です。悪ふざけは……不愉快です」
「……ごめんなさい」
夏坂は、震える声でただただ謝った。
これは怒られ慣れていない人間の、心からの「ごめんなさい」だった。
松田が思わず目をそらし、須賀が頭をかき、川場と向居はなぜか体育座りを始めた。
「そして君たち、ストレンジャー四人。メタ発言展開は、以前の打ち合わせで『増やし過ぎない方がいいでしょう?』って決まったでしょう?」
「「「「ひっ……」」」」
「もちろんキャラクター的に、俺のような大人をバカにするのはいい。でもね――」
五十嵐の目が、ギラリと光る。
「一度決めたことはしっかり守ってもらいたい。これは、社会人として大切なことだよ」
「「「「ご、ごめんなさい……」」」」
四人がそろって項垂れる。沖縄のジムに、しゅんとした沈黙が落ちる。
その沈黙を破ったのは――五十嵐の、場違いに明るい声だった。
「よし! まあみんな俺より年下だから許すよ!」
空気がいきなり軽くなる。
須賀たちは胸をなでおろした――が、夏坂だけはまだガクガク震えている。
「で、仕切り直しをしたいけど――松田君、彼をどうしようか?」
「な、夏坂ですか?」
「うん。彼をあちらに戻したら、絶対に無茶ぶり展開でこの話を終わらせようにするから」
「ああ。じゃあそのあたりに縛っときますか?」
「なに?!」
すると夏坂の両腕を、川場と向居ががっちりホールド。
「お、おまえら!」
「行くぞ、バカ夏坂」
「ああ、黙ってろこの夏坂」
「そ、それがお前たちのやりかたかあああああ!!」
――次の瞬間。
縄が、どこから出てきたのか誰もわからない。
ジムの柱に、夏坂はぐるぐる巻きにされ――哀れにも「シナリオ妨害防止用オブジェ」へと変貌した。
横に貼られたメモには、丁寧にこう書かれていた。
『作者:現在使用不可』
「で、須賀君」
「な、何ですか? 五十嵐さん」
「ここからシーン戻すけど、台本通りでいい?」
「も、もちろんです。こ、こちらこそ、お願いします。本当にすみません……」
「あはは。いいよ、いいよ。君もまだ学生だし、慣れていないよね。先輩に任せな!」
――その瞬間、五十嵐の目がスッと変わる。
笑顔が“演者のそれ”から、“役の顔”へ――切り替わった。
「と、いうことで……ク……ク……ク……やはり、お前たちは選ばれしものたちだ。だからこそ――学べ」
「ま、学べ……?」
キャラに戻った松田が、額の汗を腕で雑に拭った。
その隣で、川場が――ごくり、と唾を飲む。ジムの床に、その音だけが妙に響いた。
五十嵐は、じりじりと歩み寄りながら続ける。
「お前たち……そもそも昨日、ホテル内で――逃げてばかりではなかったか……?」
「え、ええ。それは確かに。何分、こちらが悪いことをしているし、ホテルスタッフや教師に暴力をしたら、普通に犯罪になるかと」
須賀が真面目に答えると、五十嵐は――ぱちん、と指を鳴らした。
――その瞬間。
ジムの入り口が、異様な空気を孕む。
平日の昼間だというのに。
常識を裏切る、筋肉ムキムキの変態どもが、ぞろぞろと入ってきた。
全員、サングラスに謎のTバック。
片手にプロテインボトル、片手に謎のダンベル。
そして――なぜか爆音でEDMが流れ始める。
「……ク……ク……ク……だからだめなんだ……」
五十嵐の目が、鋭く光る。
「だからこそ、私が――技を教えてやろう……」
「「「「な、なんだって!」」」」
「……時間はない。だから……」
五十嵐が、ゆっくりと振り返る。
背後に整列するマッチョ軍団が、一斉に――完璧なポージング。
筋肉が、鳴る。バキュン、バキュン、と。
「そのムキムキマッチョたち相手に――その技をすぐに習得しろ……」
――間。
「そして……ダークサイドに――堕ちろ……」
ジムには、もはや“不穏”と“狂気”しか存在しなかった。
非常灯の赤がちらつき、謎のドラムロールがどこからともなく鳴り響く。
柱に縛り付けられた夏坂の目には――
耐えきれぬ絶望と、
自分で書いておいて笑いが止まらないという涙が、ぽたり、ぽたりと滴れていた。
――沖縄修学旅行二日目。
その夜。
第二甲府高校の伝説が、またひとつ増えることになるとは、
誰も知る由もなかった。