初恋の付け根
夜な夜な、初恋の付け根をまさぐっていた。はやいところスコッチを買ってきて飲もうと思いながら、買わないまま1カ月経っていた。でも頭ではいつでも酒を飲むことばかり考えている。でも中々買いにいかない。でも飲みたい。でも買わない。ずっと形式的な若い恋愛に明け暮れていた。
スコッチを買いに行かないのには訳があったが理由なんてどうでもよい。説明するほど情けなくなるだけだ。話によると酒を飲んだ途端に泣き出してしまうやつがいるらしい。哺乳瓶で飲むビールがうまいって本当か。
人工心臓の実験バイト募集って書いてあったからだ。今どきの科学者はもはや、ほとんど自力では実験を行わないらしい。モニター室からバイトに指令を出して、記録とっておしまい。夢のない話だ。徐々にx線の周波数を高めていく。すると箱の中にあった心臓がパンッ、破裂。『……あー、失敗だな。』電気ノイズと唾液のピチャる音。スピーカーごしに科学者と気まずかった。
給料はその場で手渡しだった。自分では実験しないくせに白衣を着た先生から直接受け取る。科学者が数枚のお札を手に持ったままつっ立っているのは、案外人生で初めてみたかもしれない。実際より背が高く見えた。
研究所からの帰りだ。帰りには、スコッチを買いに酒屋に寄ってもよかったかもしれない。スコッチだけとは言わず、他にもラムとか純米酒とか買ってもよかったかもしれない。でもかもしれない程度なんだ。僕は倹約家なヘビさ。買わなくたっていいかもしれない。財布から出て行く予定だったものを抑える快楽を見出している。取らぬ狸の皮算用、その逆。言語化できているだけマシなんだ。あるいは言語化に励むようなメンドウな奴という線もある。どっちにしたってだ。今日は酒を飲めない。飲めないと決まると、今日ばかりはなんだかすごく飲みたかったような気がしてくる。でも酒屋はとっくに通り過ぎて200mを歩いていた。憧れは遠くなるほど薄くなる。そんな都都逸を美空ひばりが歌っていた記憶を天国のじいちゃんから授かった瞬間だった。
人はこうして夜を迎える。実はその日その日のくだらない記憶を持っていなければ夜を迎えられないんだ。よく公園でうんうん唸っている昼の男たちを見かける。そもそも僕も昔はそっち側だった。あまり大勢では唸っていなかったけれど、よく一人でうんうん唸っていた。そこで僕はスコッチに出会ったんだ。魔法みたいに酒瓶が現れてくれた。僕は無造作にその瓶に手を伸ばし、初めての飲酒はコップにもあけず直接ストレートだった。当然アルコールが強すぎてまったく飲めたものじゃなかったけれど、気が付くと窓の外は夜を迎えていた。不思議と僕は涙していた。