神様
私はおそらく典型的な日本人の宗教観を持っていると思う。寺も神社も関係なく、どこでも神様らしきものが祀られているところなら手を合わせるし、クリスマスも楽しむ。宗教に全くこだわりがない。神様は神様だ。悪いことをすれば誰も見ていなくても罰が当たると思う。私の両親もごく普通の日本人で、宗教に関心はない。
そんな家で育ったが、どういうわけか私はキリスト教の幼稚園に通った。通える範囲にその幼稚園しかなかったからだ。両親に宗教的こだわりはないし、他に選択肢はないから私はそこに行かされた。
4歳の素直な私はすぐにキリスト教に染まった。先生はシスターで厳かな灰色の修道服を着ている。月曜の朝には小さな教会でミサがある。讃美歌も歌った。あっという間にプチクリスチャンの出来上がりだ。夜寝る前に月に向かって十字を切ってお祈りする私を、母は不思議に見ていたらしい。
でも私は普通の区立小学校に入学し、俗世に戻ってキリストを忘れ、新しい環境に順応した。今、私はどの宗教の信者でもない。
しかし三つ子の魂百までとはよく言ったもので、私は教会が大好きだ。ヨーロッパを旅行するときは必ず教会を訪れる。一番落ち着く場所だ。教会は国による違いもあって面白い。
お寺にいるとなんだか怒られそうな気分になって落ち着かない。子供の頃に刷り込まれた感覚はババアになっても残っている。マリア様が大好きだ。いつも守られている気がする。
私にとってイエス・キリストは物凄くいい人で、他人が幸せであるように一生懸命生きた人で、マリア様は我が子を亡くしたお母さんで、すごく強くてすごく優しい人なのだ。だから大好きだ。4歳の感覚でそう思う。
何でこんな話をしたかというと、誰しも自分にとっての神様がいるだろうということが言いたかったのだ。ブッタかイエスか何か知らないが、なんか自分より大きな存在がいるように思わないだろうか。
そう思えるなら、人生に何が起きても、起きなくても安心だ。
人生なんとかしようと躍起になるが、自分のスケジュールなんかで人生は動いてないんだよ。神様のスケジュールで進んでいくから、焦っても、のんびりしていても、諦めても、望んでも、結局同じこと。
重い荷物は神様に預けて手ぶらで旅を楽しむのがいい。かく言う私も手ぶらになれたのはつい最近だ。若い時から手ぶらで生きられたら人生をもっと面白がれただろう。
若い娘さんたち、元気に楽しく過ごしているだろうか。回り道も、近道も、ぬかるみも、でこぼこ道も、上りも、下りもないんだよ。そう思って、そう見ているだけ。大丈夫。




