第7話 共に生きるもの:上
次の日の朝、アサギリは違和感で目を覚めた。
顔がむずむずしてくすぐったいのだ。
ゆっくり目を開けると、細い枝と毛玉のようなものが耳元に見えた。
「何で毛玉が顔に…」
寝ぼけ眼をこすってよく見ると、それはボギーであった。いつの間にか、ボギーはアサギリの顔に足を投げ出して、寝ていたのだ。
自由なボギーはなんとも気持ちよさそうな表情である。
「良く寝てるな…」
ぼそりと呟くと、アサギリはそっとボギーをどかした。
そして隣をちらりと見る。パーチェもまだ、すやすや寝息を立てていた。
パーチェの頬を指でつついてみる。「ボギー、くすぐったいよ」と寝言を言うだけで、起きそうにない。
アサギリはすっかり目が覚めてしまったので、一人外に出てみることにした。
テントから一歩外に出た途端、朝の澄んだ空気が体を包み込んだ。
ひんやりとした空気の中、鳥の声と川のせせらぎが微かに聞こえる。辺りには白い霧が立ち込めていて、昨日見た景色とはまた違った様子になっていた。
何の目的もなく、アサギリはぼんやり歩き出した。
歩きながら近くの木を眺める。木から伸びる細い枝のひとつに、蜘蛛の巣がはられているのに気付いた。螺旋状にはり巡らされた蜘蛛の糸には、朝露がついている。
透明な蜘蛛の糸についた丸い水滴は、無数に散りばめられた宝石のようである。
『なんて綺麗だろう…元の体では、とてもじゃないがこんなことは考え切れない…別の体になってみるのも、良いもんだなあ。まあ、パーチェはムカつくのには変わらないけど』
植物や生き物たちの朝の姿を横目に、アサギリは進む。
途中から、傾斜が出てきた。アサギリは傾斜のきつい道をずんずん登っていく。登っているうちに、泥が靴の裏にくっついてきた。泥がくっついた靴は滑りやすくなって、歩きづらい。
わずらわしくなってきていた時、丁度大きめの石が少し先にあるのが目に入った。
彼はその石に座って足を組み、靴の裏についた泥を払い落とした。少し手で払っただけで、泥は簡単に落ちていった。
ある程度泥が落ちたことを確認すると、アサギリは立ち上がった。そうして再び歩き出す前に、ふと彼は元来た道を眺めた。
「すげえ…!」
途端に、声が漏れた。
アサギリはどうやら山を登っていたようだ。そのため彼のいる場所から、麓まで広がる景色を一望することができたのだ。
霧が世界を包み込んでいた。平地が霧に沈み込み、小高い丘の頂上だけが、浮かんでいるように見えるのだ。
まさにその景色は、霧の海であった。また霧の海は、太陽に近い部分は光を写し込んでだいだい色に染まっていた。しかし太陽と反対側には、まだ夜が残っている。夜の空に近い部分は、青色を写し込んでいた。
そうやって霧の海は、朝と夜の色を同時に存在させていたのである。
アサギリは美しい景色に目を奪われた。そして、このままずっと見ていたいと強く思った。
ところがその願いは、すぐに破られてしまう。
「おい」
驚いて隣を見るが、誰もいない。
「おい」
同じ声が、また聞こえた。
隣から聞こえてくるのは変わらないので、視線を落としてみることにした。
先ほど座っていた石の上に、青い鳥がとまっているのが見えた。ボギーの二倍くらいある大きい鳥で、色以外の姿はカラスに似ている。
「喋れないのか?」
「しゃ、喋れるとも!」
青いカラスは威厳のある声をしていたので、ひるんで答えるのが遅れたのだ。
「そうか。見ない顔だな…まあ、いい。どうだ? ここの景色は?」
「とっても綺麗で、驚いたよ」
「そうだろう。ここは俺の特等席なんだ」
「特等席。確かに、特別な場所だな」
アサギリは改めて霧の海を眺める。
ずっと見ていても飽きない、素晴らしい景色だ。
「景色を十分楽しんだか?」
青いカラスはニヤニヤして尋ねた。
「もちろん!」
「そうか。楽しんだか」
青いカラスは、カカカと笑った。
「楽しんだのなら、料金を貰う必要があるな」
「りょう、きん?」
「そうだ。俺様の特等席で素晴らしい景色を楽しんだのだろう? その対価だよ」
突然そんなことを言われて、アサギリは困ってしまった。
「でも俺、何も持ってないよ」
アサギリの様子を見て、青いカラスの目が怪しげに光った。
「…だったら、お前の目玉を頂こうか。金色でとても綺麗だからな。さっきから、その目が欲しいと君を見ていたんだよ。俺様は綺麗なものには目がなくてね…」
青いカラスのくちばしがやけに鋭く見える。
アサギリはだんだん怖くなってきて、「料金なんて、嘘っぱちだろ!」と叫んで逃げてしまおうか、とまで考え初めた。
そんな時だ。
「やっと見つかったわ〜!」
馴染みのある声が聞こえた。すぐに振り向くと、ボギーとパーチェの姿が見えた。アサギリを追ってやってきていたのだ。
「やれやれ、疲れたよ」
パーチェはアサギリの持っていた荷物も背負っている。その重みのせいでフラフラしていたので、慌ててアサギリは荷物を受け取った。
「あっれー! 先生じゃないですか!」
パーチェを見るや否や、青いカラスの声色が変わった。
「ノワール君、久しぶりだね」
「お久しぶりです!」
あまりにも態度が違うので、アサギリは呆気にとられている。
「今も、グリース君と一緒に?」
「はい! お互い助け合って生きています!」
ノワールは元気よく答えた後、続けてパーチェの腕に視線を移した。
「…先生、腕どうしたんですか?」
「ん、いやぁまあ、ちょっとあってね」
俺が食ってやったんだ。とアサギリは言ってやりたかったが、ぐっと言葉を飲み込んで尋ねた。
「…知り合いなのか?」
「うむ。彼の名前はノワール。賢い鳥だよ」
「賢いだなんて! 恐縮っす!」
急にヘコヘコしだしたノワールは、アサギリとパーチェの顔を交互に覗き込んだ。
「えっと、先生のツレですか?」
「そうだよ。彼の名はアサギリ、一緒に旅をしてるんだ」
それを聞いて、ノワールはアサギリをくちばして小突いた。
「早く言えよアサギリ君〜危うく目玉をくり抜くところだっだじゃないか」
「本当に取ろうとしてたのかよ…」
「目玉? 何の話だい?」
「いやいや、なんでもないっす!…そうだ! 久々に会ったことだし、僕の巣に休憩がてら、来てくれませんか? グリも先生の顔を見たら、きっと喜ぶと思うので!」
「良いのかい?」
「はい! ぜひ!」
アサギリ達はノワールの巣にお邪魔することにした。彼に案内されて、山を降りて森を進んでいく。しばらくすると洞穴が見えてきた。パーチェの身長よりも低い、さほど大きくない洞穴だ。
「おうい、グリ!」
ノワールが洞穴に向かって、誰かを呼んだ。すると洞穴から、のそのそと四足歩行の生き物が出てきた。やってきた生き物はオオカミに似ていて、灰色の毛で覆われている。
そしてその目は一度合わせてしまうと、怖気付いてしまうほど鋭かった。
だがパーチェの姿に気がつくと、パァッと嬉しそうな顔に変わった。そしてすぐに舌を出してパーチェの元に駆け寄ってきた。
「やあ、グリース君。元気かい?」
パーチェはグリースの頭をわしゃわしゃと撫でた。
パーチェに返事をするように、グリースは二、三度吠えた。
「そうか。良かった」
「中に入ってください。うまい木の実がたくさんあるんです!」
アサギリ一行は、洞窟の中に入った。
中は薄暗かったが、外が明るいお陰で様子を確認することができた。
洞窟の中は、地面に枯れ葉が敷き詰められている。紅葉した葉が綺麗に敷き詰められているので、絨毯のようだ。
そして少し奥には、木の枝で編まれた丸い巣のようなものが、無数に置かれていた。ただ巣には雛がいるわけではなく、代わりに木の実などの食べ物が沢山入っていた。
その中の一つを、グリースが口に咥えて持ってきてくれた。それを「ささ! どうぞどうぞ」と、ノワールが食べるよう促してくる。
アサギリは木の実が、二、三粒房になっているものを手に取った。親指くらいの木の実で、熟れた赤色をしている。
一粒口の中に放り込むと、プチプチッとした食感の後、甘酸っぱい汁が口いっぱいに広がった。
「うまい!」
「美味しい木の実を見つけるのが、相変わらずうまいね」
パーチェが褒めると、ノワールは自慢げに言った。
「僕の目は、鳥にしては良く見えるようになっていますからね」
「あらあ! アタシの方がよく見えるわよ!」
何故かボギーが張り合ってきた。それにノワールは「ええ、ええ、もちろんっす! 姉さんにはどうやっても、一生勝てません!」とおだてた。
「グリースは最近どうだい?」
パーチェが尋ねると、グリースは何度か吠えた。
「そんなことがあったのかい! で、ノワールも結局お腹を壊してしまったと」
「グリ、そんなかっこ悪い話はやめるっす!」
アサギリには、グリースがただ吠えているだけに聞こえる。
だがその場に居る全員が、理解して会話をしているようだった。
「所詮鳥の目ねえ」と、ボギーも笑っている。
とうとうアサギリは、我慢できなくなって尋ねた。
「みんな、グリースが何言っているのかわかるのか?」
アサギリの言葉にみんなは顔を見合わせた。少し間が空いて、ノワールが一番最初に口を開いた。
「僕は、ずっとグリと一緒にいるからわかるっす」
「そうなのか…じゃあパーチェは、どうしてわかるんだ?」
「ええっとね…色んなところへ旅をしているからかな。なんとなくわかるんだ」
「アタシは賢いからわかるわよ!」
みんなの答えに、アサギリは感心しているようだった。そして「俺もいつか、わかるようになるかな」とぼそりと呟いた。
アサギリの言葉に、パーチェは目を細めた。
「わかるようになるよ。きっと」