第6話 銀色の生き物:アサギリは整備員と出発する
「知りたいって言ったけどよう…」
早くもアサギリは、言ったことを後悔していた。
アサギリは現在、どこなのかも分からない森を、パーチェと二人で歩いている。
やりたいことを告げた次の日だった。
突然アサギリはボギーに突き起こされた。そしてわからぬまま急かされながら荷造りをさせられ、終いには外に引っ張り出されたのだ。
「なあ、どこにいくんだよ」
うんざりした声をあげるアサギリの前を、パーチェが元気よく歩いている。
「ジルムがいる場所に向かおうとしてるよ」
「ジルムって誰だよ」
「僕の仕事仲間」
「仕事仲間のところに、何で俺も一緒に行かなくちゃいけねえんだよ」
パーチェは足を止め、くるりとアサギリの方へ振り向き答えた。
「アサギリ、君、言ったじゃないか"色々なことを知りたい"って。ジルムは僕と違ったことをまた知っているから、話をするだけでも楽しいだろうなと思って」
「言った…知りたいって言ったけどよう…でもさあ…なあ、一旦戻らない? 俺もうちょっと寝たいんだけど…」
アサギリの言葉を無視して、パーチェは再び歩き始めた。
「寝る必要はない。もう体力は回復しているからね」
「いや、そんなことは無いよ。眠いし」
「朝のスープを飲んだだろう?」
「飲んだよ。それが何だよ」
「あれは完全食なんだ。だから、体力は十分回復済みさ」
「回復してない。荷物も重いし、しんどいよ」
「していないはずはない。荷物の重さも慣れるよ」
話にならないパーチェに、アサギリはだんだん腹が立ってきた。
「だーかーら! 眠いんだよ!」
「スープを飲んでいるから、眠らなくても大丈夫。眠いのは気のせいだよ」
「気のせいじゃねえ! もういい! 俺戻る」
怒ったアサギリは、パーチェとは逆方向を歩き始めた。背の高い木が鬱蒼と生える森を、一人で歩く。
ドラゴンだったときは、ひとっ飛びだったものが今はひどく時間がかかる。
怒りに任せてザクザク歩く。アサギリたちは、ずっとまっすぐ歩いてきた。だからまっすぐ戻れば、パーチェの家に着くはずだ。
ところがどんなに歩いても、建物の影さえも目の前には現れなかった。
「どうしてだ…?」
アサギリは立ち止まって、森をぐるりと見渡した。木が沢山生えているので、見通しが悪い。それでも進んだ時間と同じくらい歩いている。だから建物はどこかに必ず見えるはずだ。
パーチェの家を探しているところへ、ボギーが飛んできた。
「ほら何やってんの! 行くわよ」
「嫌だ! 俺はまだ眠いんだ。パーチェの家へ戻って、寝る」
ボギーは茶化すように、アサギリの周りをくるくる飛んでいる。
「そんなこと言ったって、無理よ〜」
「なんだと?」
「パーチェのお家は特別なのよ。一旦外へ出ると、家は消えちゃうの〜ドアノブを握らない限り、お家はどこにも無いものになっているの」
「家が消える…? ってことは、どんなに探しても、家は見つからないってことか!?」
「そうよ〜」
荒唐無稽な家の構造に、アサギリはショックを受けた。
「なんだってんだよー!」
ベッドで眠れない悔しさが、森の中を木霊する。そんな中でもボギーは容赦無く「ほら、パーチェに追いつかなきゃ。歩くわよ」と言ってきた。
「なんだよお…」
アサギリはしぶしぶ歩き始めた。怒りに任せて歩いていたせいで、足がさらに重くなっているように感じる。荷物を入れたリュックサックも、ずっしりしていて鉛のようだ。
「ほら! 速く歩きなさい!」
急かすボギーをアサギリはじとりと睨む。
「お前は良い気なもんだな。荷物も持ってないし、飛べるから」
憎まれ口を叩く彼の頭を、ボギーが強く突いた。
「痛い! 痛い!」
「お前じゃないわ! ボギーよ!」
「わかった! わかったから」
ボギーに突かれながら、アサギリはパーチェを追って進んで行った。
湿気が多い森の地面は、苔で埋め尽くされている。そこにパーチェの歩いた跡が、うっすら残っていた。
苔を踏んで出来た、パーチェの足跡。
小さな足跡だ、とアサギリは思った。
その後ふと、自分の足跡が目に入った。パーチェと自分の足跡の大きさを比べてみると、驚くことに、大きさはさほど変わらなかった。むしろパーチェの足跡の方が少し大きいくらいだ。
アサギリはそれで、元の体よりとても小さな体になっていることを実感した。
小さな体で、アサギリはひたすら歩く。
歩きながら顔をあげて、森の景色を見てみる。数え切れないほど生えている木々の間から、細く光が落ちてきている。まるで光がシャワーとなって、苔たちに注がれているようであった。
『こんな綺麗な景色、元の体では大きすぎて気づけなかった』
そう思って、アサギリは不思議な気持ちになるのだった。
やっとパーチェに追いつくことができたのは、日が暮れてきたころだった。といっても彼は、もう歩くことをやめていた。
野宿をするためのテント設営を始めていたのだ。
「数時間ぶりだね」
そう言ってパーチェはアサギリに笑いかける。
「歩きすぎだろ…」
すっかり疲れ果てたアサギリは、よろよろと近くの切り株に座りこんだ。そして担いでいたリュックサックを下ろし、下ろしたリュックサックから水筒を取り出した。
水を飲みながら、アサギリはパーチェの様子を見ていた。テントを貼るために、地面に杭を撃ち込もうとしている。片腕がないため足で杭を支えて、残った左腕でハンマーを持っていた。
ところが、どうも動作がぎこちない。「おっと」なんて言って杭ではなく、足の甲を打ち込みそうになったりしている。
「危ねえ!」
見ていられなくなったアサギリは立ち上がった。
そしてパーチェの元へやってくると、持っていたハンマーを奪い取った。
「ここに打ち込めば良いんだな?」
「そう、そう」
言われた場所に、アサギリは手際良く杭を打ち込んだ。
「うまいね!」
「そうか?」
「初めて杭を打ったんだろう? それにしては素晴らしいよ!」
「へへへ…」
「ついでにここにも杭を打ってくれる?」
「おう! まかせろ!」
そのままアサギリは調子に乗って、テント設営を終わらせた。
「いやあ、助かったよ。ありがとう」
「別に何ともねえよ…でもこれ、なんなんだ?」
「これはテントというものだよ。今日はここで眠るんだ」
「テント!? …辞典には"簡易な小屋"って書いてあったけど、こんなに小さいんだな」
アサギリは珍しそうに、テントを眺めている。パーチェの家とはえらい違いで、寝づらそうにも感じた。
「さあ、もうひと頑張りだ! 夕食を作ろう」
「いっ!? まだやるのかよ」
「うん。ここは家ではないからね。まずは火を焚こうか」
「ここまで歩いてきて、テントも貼っているのに、まだやらせるのか!?」
不満の声をあげても、気にせずボギーが元気に喋りかけてきた。
「火の付け方は、アタシが教えてあげるわ!」
「助かるよ。僕は他の準備をしておくからね」
「はーい! さ、アサギリ、やるわよ!」
ボギーはやる気に満ちている。そんな様子にげんなりして、アサギリは「教えなくて良いから、ボギーが自分で火い付けろよ」と言い放った。
「無理無理! こんなか弱い体で、どうやって火がつけられると思うのよ。アタシはあくまで教えるだけ」
「ちぇーー」
ぶつくさ文句を言いながらも、アサギリはボギーの指示通りに動きだした。
まず荷物から薪と小さな布切れと、石ころ。そして、銀色の細長い棒と、鋼色の平たい道具を取り出した。
道具一式を取り出すと、平らな地面に薪を置いた。細い薪と、その辺にあった木の枝や葉などを混ぜて積んでいくのだ。
「そうそう、このくらいで良いわよ。次は、火打ち石を持って」
「火打ち石って?」
「この石ころのこと。この石には、布切れを添えてね、それで、平たいこれ! これはね、火打ち金よ。これも持って」
ボギーは片手に火うち石と、もう片手に火うち金をアサギリに持たせた。
「いくわよ〜! 火うち金で火打ち石をこすって!」
「こする? んん?」
初めての火起こしに、要領を得ることができない。
「こうよ! こう!」
ボギーは自分の羽を素早く擦り付け、火打ち金と火うち石の使い方を見せている。
アサギリは見よう見まねで、火打ち金を、火打ち石に軽く打ち付けるように擦った。
すると、小さな火花がパチッと飛び散った。
「おお!」
「そう! それを添えている布切れに当てるの。そうしたら、火種ができるわ!」
アサギリはまた火打ち金で火打ち石を擦った。再び赤い火花が飛び散る。だが火花が小さすぎて、うまく布切れに当てることができない。
「くそお! あともうちょいなのに!!」
アサギリは必死になって、火花を布切れに着火させようとした。しかし赤い火花はパチパチ飛ぶが、なかなかうまくいかない。
擦ったおかげで、指先が汚れて黒くなっていく。
それでも何回も、何回も、アサギリは火打ち金と石を擦り続けた。
夕日が地平線に消えてしまった頃だった。
「やった!」
布切れに光が灯った。
ほんとうに小さい、か細い光だ。
「ほら、はやく! この枯れ葉で包み込んで! そして息を吹きかけて、炎を作るの!」
火種は、布切れに赤い糸が一本縫われているように見える。この火種が消えたら、最初からやり直しだ。急ぎながらも大切に、優しく枯れ葉で包み込む。
包み込むとき、運悪く風が吹いてきた。
アサギリは慌てて体で風を遮る。火種は消えていない。風から守りつつ、そっと包んだ枯れ葉に息を吹きかけた。 何度も息を吹きかける。すると煙がもくもく出てきたかと思うと、火種が発火して、小さな炎になった。
「積んだ薪に火をうつして! 火吹き棒でもっと炎を大きくするの!」
ボギーは用意させた銀色の長い棒を蹴って、アサギリの前に転がした。
立ち止まる時間はない。アサギリは積んでいた薪に、小さな炎をうつした。炎はあっという間に薪に混ぜていた枯れ葉を燃やし、枯れ葉をつたって木の枝を燃やした。
最後に火吹き棒で空気を送ると、細い薪にも燃え移り、大きな炎となった。
「で、出来た…」
アサギリは呆然と燃えさかる炎を眺めている。
暗くなった森の中で、自分の焚いた炎が燃えている。そして炎は、己の手元を明るく見えるようにしてくれた。
火を付けるために汚れてしまった、アサギリの両手が照らされている。
その手を見て、アサギリは胸がいっぱいになった。
「キャーーーーーー! やるじゃなーい!!」
そんな場面を甲高い声がぶち壊した。
肩に止まっているボギーが、感情のままに歓声をあげたのだ。鼓膜が破れるかと思うくらいの音量である。
「ああもう! うるせえ!」
「良いじゃない! 嬉しかったんだから」
「もうちょっと考えて声を出せねえのかよ、鼓膜が死ぬ」
「あら知らないの? 鼓膜って再生するから死んでも大丈夫よ」
「そういう事じゃねえ!」
言い合いをしているところへ、パーチェがやってきた。片手には鍋を持っている。
「わあ、ちゃんと炎になってる。さすがだね」
のんびりしているパーチェに、アサギリは「もう腹が減りすぎて死にそうだよ」と大袈裟に訴えた。
「あともう少しだからね」
パーチェはアサギリに適当な木の枝を削ってもらい、吊るし棒を作らせた。そして鍋を吊るし棒に引っ掛け、火に当たるようにした。
真っ黒い鍋が焚き火に当たって、燃えているように見える。
アサギリ達は切り株に座って鍋の様子を見守った。
「これもスープか?」
コトコト音のしてきた鍋を見ながら、アサギリが尋ねた。
「そうだよ。ただ今日は、昨日のスープとも、朝のスープともちょっと違う」
パーチェはにっこり笑って立ち上がる。そして鍋の蓋を取って、中身を見せてくれた。
湯気のたつ鍋の中には、様々な具材が入っていた。ジャガイモ、ニンジン、タマネギ…他にも沢山ある。
それらの具材が水蒸気の泡に当たって、ゆらゆら揺れているのだ。
「うわあ、うまそうだ!」
ふんわりと優しい香りもする。それらに頷くように、アサギリの腹がグーと声をあげる。
「そろそろ良い頃合いだね」
パーチェは用意していたお玉で一度鍋の中をかき混ぜた。具材が、嬉しそうに鍋の中を回っている。
「出来上がりだ。アサギリ、スープをこの深皿に注いでくれるかい?」
「おっしゃ!」
アサギリはパーチェに言われた通り、深皿二皿にスープを入れた。
一皿をパーチェに渡すと、踊るように再び切り株に座りこんだ。
ホクホク顔で深皿を覗き込む。少し崩れたジャガイモが美味しそうだ。
そこへスプーンを咥えたボギーが飛んできた。スプーンをアサギリの手に置き、彼の肩に飛び乗った。
「ほら、食べなさい!」
「言われなくても、食べるよ」
アサギリはスープを食べようとした。だがふと考えて、口に運ぶ手を止めた。
「…ボギーは食べないのか?」
「あら、アタシの心配をしてくれてるの?」
ボギーはちょっと嬉しそうだ。
「ボギーのご飯は、光なんだ」
「光!? そんなんで、腹いっぱいになるのか!?」
「ホホホ…まあね。アタシは少食だから。だから気にせず、食べなさい」
ボギーに促されて、アサギリはスープを食べた。
途端にアサギリの顔が綻んだ。ほどよく柔らくなったジャガイモが、口の中で崩れていく。そして野菜の旨味が溶けたスープが、口の中いっぱいに広がっていった。
「うまい!」
アサギリは掻き込むようにスープを食べ始めた。
「急いで食べなくても、おかわりは減らないよ」
そう言ってパーチェもスープを一口食べた。
「ああでも、気持ちは分かるな。おいしいね! 久しぶりに作ったとは思えないくらい良い出来だなぁ」
「久しぶりに作ったのか?」
「うん。一人だと完全食ばかりになっちゃうからね」
パーチェの発言に、アサギリは少し違和感を持った。
「ん? …完全食は、家でしか作れないんだよな?」
「ああ。作る機械が、家にしかないんだ」
「ふうん。…パーチェはずっと家にいるのか?」
「まさか! 僕には整備する仕事があるから、外に出てばかりだよ」
「ということは、パーチェは外に出てるけど、毎日家に帰っているのか?」
「もちろんだよ。ドアノブさえあれば、どんな場所にでも家を呼べるから。だからこのスープも家で仕込んで持ってきたんだんだよ……あっ!」
そう答えてパーチェはしまった、と口に片手をあてた。
そんなパーチェをアサギリは険しい顔で見ている。
「おい! じゃあここにも家を呼べるってことだろ!」
「そ、そうだね…」
「それなら、家を呼べよ! 何でテント貼ったり、火を起こしたり、めんどうなことさせるんだよ!」
取り繕うようにアサギリは笑っている。
「バレたか…いやあしかし、アサギリには約束してしまったからね」
「約束ぅ?」
「色々なことが知りたいって言ってたじゃないか。アサギリは辞典を読んで、意味は知ることは出来た。けどね、本当に知るということは、実感しないとわからないこともあるんだ。だからほら、今日でわかったろう? 何事も自分でやってみると、楽しいってことを!」
「楽しくねえよ! めんどうだっただけだ!」
「じゃ、めんどうってことが知れたってことで」
アサギリはスープを一気に飲み干し、ドスの効いた声を出した。
「しかも自分は楽しやがって……やっぱお前、食ってやる」
ゆらりと立ち上がって、アサギリはパーチェの首を掴もうとじりじり彼の元へ近づいてくる。
「おお、そんなに怒らないでよ〜」
「うるせえ!」
「キャーー! やめなさーーーい!」
焚き火が楽しそうにパチパチ音をたてる。
ゆらゆら燃えるその炎には、怒りながらも笑う一人と一匹と一個の姿が映し出されている。
彼らの明るい声が森中に響く中、夜はふけていくのだった。