第5話 整備員は銀色の生き物に名を与える
『さあ、そろそろ食ってやるぞ……何だ、あれは?』
目の前に閃光が瞬いた。
「うわああああ!」
彼は叫び声を上げながら飛び起きたが、目を覚ましても悪夢は続いていた。
草原にいたはずなのに、彼がいるのはベッドの上だったのだ。
寝ているベッドの横には小さな窓があって、そこに一輪挿しの花瓶が置かれていた。淡い桃色の花が生けられている。
たったそれだけしかない。いかにも平和な部屋に何故か存在していた。
「…何だよ、これ」
彼は困惑して前足で頭を触った。細い髪の毛が前足に当たったので、彼は驚いて自分の前足を見た。
自分の前足が、別の誰かの前足になっている。
慌てて身体中を触った。鱗と翼が無い。後ろ足なんて、すべすべの青白い肌にかわってしまっている。身体中どこを見ても見慣れた部分が一つもなかった。
『…気持ち悪い…何なんだ? それについさっきまで目の前にいたやつを食べようとしてたはずだ。どうなっているんだ?』
混乱しているところへ、コンコンと軽い音が耳に届いた。
彼はビクッと肩を震わせたのち、ドアをじっと睨み付ける。彼は何も応答しなかったが、ドアは音を立てて開いた。
開いたドアの先には、黒髪の青年が立っていた。
青年は細身だが程よく引き締まっていて、日に焼けた体が眩しいくらい活力に満ちている様子であった。また、肩には小鳥が乗っていて、一見、何の不安もない健康体に見えた。
だが左腕だけ欠損しており、包帯が巻かれているのだった。
部屋に入ってきた青年は、好奇心に満ちた顔で話しかけてきた。
「気づいたかい?」
「お前は…」
「わあ! 喋れるんだね! あ、僕の名前? 僕はビスマス・パーチェ。よろしくね」
パーチェはにこやかに右手を差し出したが、彼は握手を無視して尋ねた。
「ここは何だ? 俺に何をした?」
彼の質問に、パーチェはにこにこと笑いながら答えた。
「ここは、僕の家だよ。君が寝ているベットは客人用だから気にしなくていいよ。なかなか寝心地よかっただろう?」
何故か自慢げなパーチェの姿を、彼はゴミを見るような表情で見ている。
そんなことには気にも止めず、パーチェは続けた。
「君は、僕が初めてみる形のドラゴンだったんだ。だから、綿密に調査する必要があった。調査するために変換装置を使って、君の元の体を解析しているんだよ」
パーチェの理不尽な説明が、頭の中に響いた。半分何を言っているのかわからなかったが、勝手に体を変えられたことに怒りを覚えた。
怒りは燃え盛る炎のように大きくなっていく。
床に体を強くぶつけたパーチェの、呻き声が部屋に響いた。
彼は怒りのままに収まらない感情を視線にたきつけながら、力任せにパーチェを押し倒したのだ。
「ちょっと! 何すんのよ。パーチェの怪我はまだ治ってないのよ!?」
ボギーが彼の周りを飛び回りながら抗議している。ボギーを無視して、彼はパーチェを睨みつける。睨み付けられたパーチェは、彼の瞳を見て「わあ、瞳の色は元のままなんだね」と呑気にうっとりしていた。
「俺を元に戻せ」
「説明を聞いてなかったのかい? 今、解析中なんだ…あ、もしかして意味がわからない? 知能がちょっと劣っているのかな?」
「…ここで、お前を食べてもいいんだぞ」
パーチェの首に噛みついてやろうと、彼は大きく口を開ける素振りを見せる。
「ギャーーーー! やめなさーい!!!」
どうにか彼をどかそうと、ボギーは彼の頭を突き始めた。だが当のパーチェといえば、様子は全く変わらない。むしろとぼけたようにこう言った。
「君そんなことしていいのかい? 元に戻れなくなるぞ」
「何だと?」
「だってそうだろう? 僕しか君をドラゴンに戻す方法は知らない。もし今僕を食べたら、元に戻れなくなる。簡単なことさ」
ごもっともであった。
パーチェの言葉に何も言い返すことはできない。
「どいてくれるかな?」
彼は悔しそうにパーチェからどいた。
「よしよし、良い子だね」
「なんなんだよ、お前」
イラつく彼から、重低音の音が鳴った。グオーと、ドラコンのいびきのような音である。
「怒っていても、お腹は空くよね」
大きなお腹の音を聞いて、パーチェはクスクス笑っている。
「おいで。ご飯にしよう」
パーチェはそう言って、彼を違う部屋へ案内した。
寝ていた部屋を出て短い廊下を進むと、広い部屋が見えてきた。
左手側の大きな窓から光がたくさん入る、明るい部屋だった。反対の右手側には藍色のドアだけがあって、別の部屋へ行けるようであった。
部屋の中央には、木でできた食卓テーブルが置かれている。その奥には、背の高い本棚が壁一面に並んでいた。
目が点になっている彼を、パーチェは椅子に座らせた。
「ちょっと待っててね」
そう言い残し、パーチェは藍色のドアへと向かって行く。そのままパーチェは、藍色のドアを開けて別の部屋へと進んで行った。
藍色のドアに続く次の部屋。そこには明るい部屋とは真逆の世界が広がっている。薄暗い暗闇が広がり、部屋自体が異様に細長い形をしている。細長すぎて部屋の突き当たりはどこにあるかわからないほどだ。
そして部屋には、様々な種類の機械と実験器具が置かれていた。銀色の丸い惑星を象るような機械や、黄土色の液体を入れた試験管。人間がすっぽり入ってしまいそうなカプセル型の機械もあった。それらが部屋の壁に沿って配置された細長いテーブルに、均等に並んでいる。
パーチェは部屋の中を足早に進んでいく。
「どうして?」
肩に止まっているボギーが落ち着いた声で尋ねた。
「何が?」
「いつもなら解析が終わるまで、麻酔で寝かせているでしょ…? それなのに、あのドラゴンの場合は、どうしてしないの?」
パーチェが足を止めた。壁側のテーブルには、正方形の機械とスプーンの入ったスープ皿が置かれている。
正方形の機械はルービックキューブのような見た目だ。ただルービックキューブと違うのは、マスの色がほとんど白色だという点だ。
パーチェは正方形の機械をそっと取り上げ、片手で器用にクルクル回した。すると赤・黄・青のマスが1つずつある側面があった。
「ボギー、物体変換の提案書のこと忘れちゃったのかい? あの提案書の調査が追加で必要になっただろう?」
パーチェは青いマスを押した。
すると機械からカチッと音がしたかと思うと、内部から動作音をしだした。
「ああ、あれね…現行の凶暴な生物を無力化させるより、別の生物へ変換した方が整備する工数が短縮されるんじゃないかって…」
「そう、それでクラタスの整備が速く完了出来るのなら、素晴らしいことだよ」
クラタスとは、パーチェたちが整備しているこの星の名前である。
数百年前、整備員:ビスマス・パーチェは地球からこの惑星・クラタスにやってきた。地球で作られた遺伝子が増えすぎてしまったため、増えすぎた遺伝子を別の環境へ移行するという計画を実行するためだ。
計画が実現できるよう、パーチェは何百年もかけてクラタスを整え、かつクラタスの生き物たちを観察している。
ちなみに変換装置を送ったあの口が悪いジルムも整備員の一人だ。
「解析と追加調査を一緒に実施するってことなのね、なるほど…ってそれ、後付けで考えた理由よね!? アタシわかってんのよ! あんな思いのままに行動するのは辞めなさいよ!」
ボギーがくちばしを尖らせて言うと、パーチェは乾いた笑い声をあげた。
「さすがボギー、僕のことをよく監視してるね」
「茶化さないでよ。…船に戻れば、"巻き戻し"は出来るけど…」
パーチェたち整備員は、歳をとって体が動きにくくなると、地球からクラタスへの移動に使った船に戻る。
そして彼らは、肉体の"巻き戻し"を行うのだ。
"巻き戻し"を行い、動きやすい肉体になると再び整備作業に戻る、という繰り返しを何百年も続けている。
「命を失ったら"巻き戻し"も出来ないのよ…」
ボギーの声は、少しだけ上ずっているように聞こえた。主人を想う言葉は部屋に小さく反響したかと思うと、すぐに暗闇に消えていった。
「わかってる」
ルービックキューブ型機械の動作音が止まった。パーチェが今度は赤いマスを押すと、機械の上部が炊飯器のようにパカッと開いた。
途端に、辺りに良い香りが立ち込める。ルービックキューブ型機械の中には、美味しそうなスープが出来上がっていた。
パーチェはスープが出来たことを確認すると、機械を傾けて隣に置かれていたスープ皿にスープを入れていった。とろとろした液体が、音を立ててスープ皿の中へと注がれて行く。スープ皿に差し込まれていたスプーンの先は、あっと言う間にスープに飲み込まれてしまった。
「気に入ってくれると良いけど」
スープを全て注ぎ切ると、パーチェはスープ皿を持って彼の待つ部屋へと歩き出した。
パーチェが戻ってくると、彼が食卓の机をコンコンと叩いていた。机の色合いから、これが木であると認識できたようだ。しかし木を加工したものは初めて見る。触るとすべすべしている机が、不思議で仕方がないようだった。
「どうぞ」
そう言って、パーチェは彼の目の前に白いスープ皿を置いた。
スープ皿には、黄色い液体がたっぷり入っている。湯気が出ていて、ほのかな甘い香りもする。
彼はスープ皿を覗き込んで、首を傾げた。
「なんだ、これ?」
「とうもろこしのスープだよ」
「スープ?」
「食べてみればわかるよ、ほら」
そう言ってパーチェはスープ皿に入ったスプーンを取り出し、彼に渡した。ところが彼は、渡されたスプーンをまじまじと見つめるだけである。
「パーチェ、この子、スプーンの使い方がわからないんじゃないの?」
見かねたボギーが言った。
「ああ、そうか」
パーチェは納得すると彼の背後に回った。そして彼の手を自分の手で包み込んだ。
「何すんだ!」
「何するって…教えるんだよ」
「あ!?」
今にも噛みつきそうな彼が、パーチェはとてつもなく可愛らしいものに思えた。そうして、本当に優しげな口調で怯える彼に言ったのだ。
「『食べる』んだよ」
彼の手に握られたスプーンをスープ皿に入れ、中の黄色い液体をすくわせた。そしてそれを、彼の口の中へ入れようとする。
「な、なんだよ!」
口の中に未知の液体を入れられることに抵抗して、彼のスプーンを持つ手に力が入る。
「いいから」
そう促され、不本意ながらも彼はスープを口の中に含んだ。
ふわっと温かいものが、口の中に広がっていく。そしてとろけるような味わいを、舌で感じた。さらに優しい香りが鼻を通っていく。最後にコクっとスープを飲み込む。スープは温かいまま喉を通って、体の中に消えていった。
飲み込んだ頃には、彼の顔にあった怪訝な表情はなくなっていた。
「なんだこれ!?」
彼はスープを勢い良く食べ始めた。スプーンを使う手はぎこちないが、必死で口に運んでいる。そんな様子を見て、パーチェは目を細めた。
「どうだい? こんな美味しいものが食べられるんだ。悪くないだろう?」
「ま、まあ…そうだな」
うまく言いくるめられている気がしたが、彼はおいしいスープに集中することにした。
「さて」
パーチェは彼の向かい側の椅子に座った。
「君の解析はもうしばらくかかるから、これからどうするか話をしようか…と、その前に。君の名前を教えてもらおう」
彼はスープが残り少なくなって、スープ皿に顔を突っ込みそうな位惜しんでいる。
「名前?」
「そう名前だよ。君の」
話をしながら、彼はスープ皿をひっくり返した。最後の一滴まで口に入れようとしているのだ。
「名前って、なんだ?」
「君を指し示す言葉のことだよ」
舐め回しても、スープの味が微塵も感じることができなくなった。彼は観念してスープ皿を投げるように置き、答えた。
「そんなの、ない」
「ふむ。ドラゴンには名前という概念は、やはり無いのか」
パーチェは顎に手を当て、考えながら話し始めた。
「ドラゴン君、と言うのはなんだか直接的すぎるな」
立ち上がって、パーチェはうろうろしながらさらに考える。
「ドラ君、いや、ゴン君? なんだかそれも聞いたことある名前だな…」
真剣に考える姿を見て、彼は「なんでも良いよ。よくわからないし」と投げやりに言った。
彼の言葉に、パーチェは顔を近づけて真剣に言う。
「君、名前というのは大事なんだぞ」
「だ、大事?」
たじろぐ彼の顔を、パーチェはじっと見つめる。金色の大きな瞳に、銀色の美しい髪の毛。そして色白の肌はうっすら青みがかっている。
思わずパーチェは、彼の髪を触った。細くしなやかな髪の毛が、光に当たって輝いている。その髪を見ているうちに、自然と口から言葉が漏れた。
「…朝霧」
「?」
「そうだ。君の名前は、アサギリにしよう!」
「アサギリ」
「そう、アサギリ。よろしく!」
にっこり笑うパーチェに、アサギリは引きつった笑みで答えた。
「名前も決まったことだし。アサギリ、君はこれからどうしたい? 何かやりたいことはない?」
「やりたいこと…」
アサギリは少し考え込むと、嬉々として答えた。
「スープってやつをたくさん食べたいな!」
その答えに、パーチェは声をあげて笑った。
「そんなに気に入ったのかい?」
笑う姿を見て、アサギリはなんだか恥ずかしくなってきた。
「う、なんだよ。お前のせいでこうなっちまったんだ…それ位しか思いつかねえよ」
「何度もお前、お前って…お前じゃないわ、パーチェよ!」
パーチェを呼び捨てにされて、イライラしていたボギーがキイキイ叫ぶ。
「うるさいなあ! なんだコイツ」
「コイツじゃないわ! ボギーっていう名前があるの!」
「まあまあ」
パーチェが間に入って、二匹を落ち着かせる。
「まあ、そうだよね。突然何がしたいか聞かれても、わからないよね」
「ああ。食っているものも、名前とか、わからねえ」
「そうか…色々なことがわからない…わからない…」
言いながら、パーチェは何かを思いついたようだ。
顔を輝かせて、パーチェは本棚に向かって行った。そうして壁一面の本棚から一冊の本を抜き取る。
黒皮のカバーのかかった、立派な分厚い本だ。
それをパーチェはアサギリに渡した。
「何だこれ?」
「これは辞典だよ。色々な言葉の意味が載っているんだ」
アサギリは本を恐々と上下を逆さまにしたり、表紙を触ったり、顔を近づけたりしている。本と物理的に格闘する様子を見かねて、パーチェは机の上に本を開いて見せた。
「ほら、ここに書いてあるだろう」
そう言ってパーチェは、本に書かれてある文字を指差した。
訳がわからないまま、アサギリは文字をじいっと見つめる。
最初は辞典に書いてある文字を理解することができなかった。なんなら前食べたうにょうにょしたやつに似てるな、なんて思っていた。
ところがある時点から、うにょうにょがうにょうにょでなく見えてきた。
文字と文字を繋げて意味ができていることが、不思議とわかってきたのだ。
アサギリは辞典に書いてある言葉を、たどたどしく音読した。
「朝霧…朝方に立つ霧…」
読んだ文字を指でなぞる。
うにょうにょしたやつそっくりなのに、意味があって、言葉というものがここに書いてある。
「面白いだろう?」
奇妙な感覚だった。本のページを、一枚めくる。そしたらまた、新しい言葉の意味が溢れてくる。文字が教えてくれる、言葉の意味に引き込まれる…。
元の体では体験できないことだった。
金色の瞳が文字を追って、ギラギラ動く。獲物を狩るときのような、貪欲で真剣なまなざしだった。
ページをめくる手は止まる気配はない。
それからアサギリはひたすら辞典を読み続けた。眠ることも食べることも忘れて、一日中辞典を読んだ。その様子を、パーチェはずっと観察していた。部屋が暗くなれば灯りをつけ、アサギリの知的好奇心を尊重した。
何日目かの夕方、アサギリのページをめくる手が止まった。
辞典を最後まで読み切ったのだ。
アサギリは辞典から顔をあげた。彼の目の下には、ひどいクマができている。空腹と疲労で、青白い顔がさらに蒼白になっており、今にも倒れそうだ。
だが当のアサギリは疲労など、どうでもよかった。見える世界全体が、今まで見ていた世界と違っているように見えているのだ。
見えるもの全てに、名前があって、意味がある。
それを知っただけで、世界がとてつもなく広く感じられた。
「お疲れ様」
パーチェの声だ。振り向くと、夕日にあたるパーチェの顔が見えた。
橙色の光が眩しい。
自然と窓に目を向けた。
窓から橙色になった太陽が見える。日が落ちる景色を、アサギリは何度も見てきたはずだった。それなのに、見てきたそれが夕日だと理解できるだけで、心にあるものが全然違うのだ。
アサギリはいつの間にか、ぽろぽろ涙をこぼしていた。
「夕日は、美しいな。けれども、どうしてこんなに苦しくもなるのだろう」
パーチェは呟くように言った。
「…僕が思うに、夕日が美しいだけではないからじゃないかな。もう少ししたら、夜が来る。夜は一日の終わりだ。その日一日、何があっても終わりが来るんだ。つまり夕日を見ると、終わりが来ることもきっと感じるんだ。だから喜びも、寂しさも、後悔も…他にも色々な気持ちが溢れてしまう。アサギリは今気持ちが溢れかえっているんだ。だから苦しいんじゃないかな…」
アサギリはパーチェをじっと見つめた。こぼれ落ちる涙は、瞳と同じく黄金色をしている。その涙はまるで、夕日の色に染まっているようであった。
「パーチェ、俺、やりたいことが決まったよ」
「何だい?」
「もっと、色々なことが知りたい。知ってしまったんだ。言葉があることを、意味があることを。俺はそれを、もっと知りたい」
その言葉に、パーチェは嬉しそうに微笑むのだった。
お読みいただきありがとうございました。
なかなか読者数をあげられず、苦戦しております・・
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