第30話 銀色の生き物は赦しを乞う⑦
「知らせたところで、どこに逃げるんだい? アライグマの足で逃げても、すぐにドラゴンに捕まってしまうよ」
「じゃあ! ドアノブを使ってみんなを避難させてくれ!」
「あれは転送制限があるんだ…この村全員を逃すことは出来ないよ」
「それなら、どうすれば…」
パーチェはアサギリの目をじっと見つめながら、言葉を紡ぐ。
「…アサギリ、よく聞いて。僕だって、出来ることなら助けたい…でも、全員を救うことなんで出来ないんだよ。僕らだけで逃げるしかないんだ」
「そんな…」
脳裏に、オウルの優しい笑顔が浮かぶ。
『命を奪った挙句、助けられもしないなんて…』
アサギリの美しい顔が、悔しそうに歪む。
そんな彼を慰めようと、パーチェはアサギリの頭を優しく撫でる。銀色の髪はさらさらしていて、パーチェの指に当たってはすぐに通り抜けていった。
「わかってくれるかい?」
アサギリが顔を上げた。
次の瞬間、彼の眼光が鋭く光った。そして閃光のごとく動いたかと思うと、アサギリはパーチェの体を地面に叩きつけた。パーチェが呻き声をあげる間もなく、アサギリは馬乗りになり両手を首にかけた。
「やめて! やめてよ!」
ボギーがアサギリを止めようと彼の周りを飛び回っていたが、彼はボギーがそこに存在していないかのように、パーチェをじっと見下ろしていた。
「俺をドラゴンに戻せ」
金色の瞳に映る自分の姿は、随分無様だ。
「…やっぱり君はドラゴンなんだね」
パーチェは愛おしそうに笑った。
「アサギリ、まだかなあ」
オウルは鍋の中を見ながら、ぽつりと呟いた。そうして、木べらで鍋の中のジャムをかき混ぜる。もう十分とろとろだ。
『これ以上煮詰まってしまったら、焦げてしまいそう。一旦、火を消しちゃおうか』
そう思い、オウルは立ち上がった。火を消すための水を取りに、小屋へ戻るのだ。
「オウル!」
歩き出したとほぼ同時に、自分の名前を呼ぶ声が耳に届いた。
声の聞こえた方に顔を向けると、水玉模様の尻尾をしたアライグマが見えた。何だか必死の形相で、こちらに走って来る。
目の前で急ブレーキした彼に、オウルは「どうしたの?」と尋ねた。
「大変だ! 急いで逃げないと」
「え?」
状況を掴むことができず、オウルは目を白黒させた。オウルの様子を気にすることもなく、そのアライグマは「小屋にはもう誰もいない?」と早口で尋ねた。
「グレイと、お客さまが…」
「早く彼らも呼んで!」
「一体何があったの? どうして逃げなくちゃいけないの?」
小屋の入り口に向かいながら、オウルが質問した。
「ドラゴンが、この村に向かっているらしい」
「なんだって!?」
オウルは話を聞いた途端、走りだした。小屋に勢いよく入る。そこには囲炉裏の前で横になり、微睡んでいるグレイの姿だけがあった。
「グレイ! 起きて!! 大変!!」
体を揺らし、オウルはグレイを叩き起こした。
「……んん? どうしたの?」
「ドラゴンがこの村に向かってる! 逃げなくちゃ!」
一瞬で目が覚めたグレイは、飛び上がるように起き上がった。
「嘘だろ!?」
水玉模様のアライグマが、金切り声で叫んだ。
「急げ!」
三匹が小屋を出ると、数匹のドラゴンがこちらにやって来るのが見えた。
翼が無いドラゴンだ。短い手足の醜い巨体が、ドスドスと音を立てながらやってくる。オウルたちは悲鳴を上げ、散り散りになって走り出した。
オウルは小屋の裏手側にある、森を目指して走る。背後から、土砂崩れが起きたかのような大きな音が聞こえた。ドラゴンが、アライグマたちの家を破壊しながら追いかけてきているのだ。
自分の家が壊されたことを、オウル自身は認識することすらできない。振り向くと、走るスピードが落ちてしまうからだ。
何としてでも、森の中に入らないといけない。隠れられる場所に行かなければ、食べられてしまうのは目に見えている。
小さな手足で大地を踏み締め、必死に走り続ける。
森の中へ入ることができた。音を立てないように、小さい体をさらに小さくして、茂みに息を潜めた。
『お願い。気づかないで…』
思いとは裏腹に、ドラゴンの大きな口から出る息使いが近づいて来た。ドラゴンの生臭い息が、かすかに鼻をかすめる。
オウルは怖くて、ぎゅっと目を瞑った。
ほんの数分が、何時間も過ぎていくかのように長く感じた。
オウルは屈んでいた体を、少し起こして様子を伺った。ドラゴンの体分、木が薙ぎ倒されているのが見える。だが、ドラゴン自体の姿は無い。ほっと胸を撫で下ろし、その場にすとんと座り込んだ。地面はひんやりして冷たかった。
『みんな、逃げ切れたかな…』
そう思っていた矢先、頭上にぽたりと水滴が落ちてきた。オウルは可愛らしい頭を動かして、空を見上げた。空は見事な青空だ。
だがオウルは空を見上げた途端、顔から血の気が引いていった。
もちろん、雨が降ってきたのではなかった。オウルの真上には、獣が顔をのぞかせていたのだ。獣は大きな口をだらしなく開けていて、そこから出てくる涎を、オウルの頭にぼたぼたと垂らしていたのである。
「あ…ああ…」
涎がオウルのふわふわの毛並みを、汚していく。
泥水のような色の、ゴツゴツとした鱗を持った生き物が見下ろしている。それは紛れもなくドラゴンであった。唯一美しい金色の瞳が、オウルを捉えて離さない。
その目は、どこへ逃げても無駄だと言っているようであった。
オウルの目に涙が溢れた。
「食べないで…」
ドラゴンが口を開けた。鋭い歯がぎらりと並んでいる。噛まれたらひとたまりもない。
オウルは恐怖で立ち上がることも出来ず、咄嗟に両手で頭を覆った。
ウオオオオオーーーー
低い唸り声が森中に響き渡る。
オウルは痛みを覚悟し、目を閉じた。




