第29話 銀色の生き物は赦しを乞う⑥
次の日、アサギリは物音で目を覚ました。
まだ寝ぼけている頭を起こしつつ、時間をかけて体を床から引き剥がす。
硬い床の上で眠っていたので、少し体が痛い。見ると、囲炉裏にはいつの間にか火がついていた。
「おはようアサギリ!」
溌剌とした声だ。
「おはようオウル…何してるの?」
「今ね、ジャムを作る材料の準備をしてたの」
そう言って、オウルは手元にある鍋の中をアサギリが見えるように向けてくれた。
綺麗に洗われた木の実がいっぱい入っている。
満面の笑みを浮かべて、オウルは木の実を一つ取り上げた。そしてよく熟れた木の実を、ぱくりと一かじりした。
「このままでも十分美味しいんだけどね!」
アサギリは目を細めると「何か手伝おうか?」と尋ねた。
「煮るのには少し大きな火が必要だから、外で火を作っていて欲しいな!」
「わかった。薪はある?」
「机の下に転がってると思う」
アサギリは立ち上がって、オウルのいる机の前までやってきた。
屈んで机の下を見ると、ゴミやがらくたが散らばっていたが、オウルの言った通り、薪もいくつかあった。アサギリは細い腕を伸ばして、少しずつ薪を集めていく。
一束ほどにかき集めると、今度は持ってきたリュックサックへと向かった。
焚き火を起こす道具を取り出そうと、リュックサックを開けた。がさがさ音を立てて探していたせいか、「うう〜」とパーチェが大きく寝返りをうった。
「キャッ」
可哀想なことにその寝返りで、ボギーはパーチェの腕に潰されてしまった。
「目覚めが悪いわね…」
「おはようボギー」
「あら、おはよう。早いのね」
「そりゃそうだよ。だってジャムを作らなきゃな!」
焚き火用の道具を全て取り出すと、アサギリは薪を持って外へ出た。
ドアを開けた途端、朝の冷たい風がアサギリを包み込んだ。ひんやりとした空気に、ブルっと身震いをしている。
まだ村は眠ってしまっているようで、外に出ているアライグマはいなかった。
アサギリはどこに焚き火を作ろうかと、小屋の周りを見渡した。辺りは背の低い草が生えていたが、一部土が剥き出しになっている場所を見つけた。
オウルはおそらくここでいつも焚き火をしているのだろう。
アサギリはそこで枯れ木を集め、鍋を吊るせるような木の棒を探した。
準備が出来ると、慣れた手つきで火打ち石と火打ち金を使い、持ってきた布切れに火種を作った。火種を優しく枯れ木で包み込み、息を吹きかける。
何度か空気を入れると、すぐに火種が枯れ木に燃え移り、少し大きな火となった。
その火に薪をくべて焚き火にすると、自ずと煙も増えてくる。
煙は風に乗って、村の広場の方へと流れていく。
その流れる煙をぼうっと眺めているうちに、アサギリの顔に太陽が落ちてきて、金色の瞳が光に当たってちらちら輝いていた。
「お待たせ〜」
しばらくして、オウルが木の実いっぱいの鍋を持ってやってきた。彼は焚き火と吊るし棒に気がつくと「わぁ、色々用意してくれたんだね! ありがとう!」とお礼を言った。
「どういたしまして。そいじゃ、鍋を火にかけよう」
アサギリはオウルから鍋を引き取った。
そして用意した木の棒に吊るし、火に当たるように調整した。
「助かるよ。鍋を吊るすのだって、僕らだと一苦労なんだ」
「これくらい、何てことはないさ」
オウルの尻尾が嬉しそうにゆらゆら揺れた。
「でも、これから少し時間がかかるよ。そうだ、朝ごはん持ってくるね!」
オウルは一旦小屋に戻って、ワイトフルーツを取ってきてくれた。二匹は地べたに座ると、横に並んでワイトフルーツを食べ始めた。
「アサギリは、あとどれくらいこの村にいるの?」
「わからない。目的が終わるまでかな…」
「目的って?」
「ええっと…」
アサギリが言い淀むと、オウルはすぐに「あ、言いたくないなら答えなくて良いよ!」と言ってくれた。
そうしてアサギリから鍋に向き直って、木べらで鍋の様子を確認しだした。木の実はコトコト煮たおかげで、黄緑色から黄色に色が変わっていた。
「もう少しだ」
オウルはまた座り込んで、ワイトフルーツを食べ進める。
一方アサギリは目的を打ち明ける勇気が出ず、後ろめたい気持ちになっていた。
「外でごはんを食べるのも、たまには良いもんだね! ほら見て、空がとっても綺麗だよ!」
アサギリは静かに空を見上げた。どこまでも続く快晴の空が眩しくて、心が落ち着いてくる。
手元を見れば、半分くらいになったワイトフルーツがある。アサギリは再びワイトフルーツを口に含んだ。
どんな気持ちになっても、この食べ物はおいしかった。
アサギリの様子に微笑んで、オウルも空を眺めた。本当に真っ青の空が広がっている。
「アサギリ、食べ終わったら机に置かれている小さなボウルを取ってきて。そこに甘い蜜が入っているから、一緒に煮詰めるんだ」
「おう」
アサギリは最後の一欠片を飲み込むと、小屋へと向かった。
ちらほらとアライグマたちの姿が見える。村が目を覚まし始めたようだ。
小屋に入ると、パーチェとグレイも起きていた。彼らも囲炉裏を囲んで、ワイトフルーツを食べている。
「ジャム出来た?」
気ままにボギーが飛んできて、アサギリの肩に留まった。
「あのな、ジャムは作るのに結構時間がかかるんだよ」
ボギーはキョトンとした顔で、パーチェの肩へと戻って行った。
机の上にあるというボウルは、すぐに見つけることができた。ボウルの中は、琥珀色をした蜜で満たされている。こぼさないように、アサギリは腰を下ろしてボウルを持ち上げた。
蜜で満たされたボウルは、思ったよりずしりと重かった。
ボウルを持って、再び外に出た。焚き火の方へと戻ると、すぐにオウルが気づいて「さ、鍋の中に蜜を入れて!」と言った。
彼は焚き火の前に立つと、慎重に鍋に蜜を入れていった。粘度のある液体が、ゆっくりと鍋の中に入っていく。オウルも息を殺して、その様子を見守っていた。
最後に残ったボウルに張り付いた蜜を、木べらで掬い取って鍋に入れてしまうと、オウルがほーっと息をついた。
「良かった…これをこぼしたらおしまいだから…あとは焦がさず煮れば完成だ!」
「おう!」
オウルがアサギリを見上げて、にっこり微笑んでいる。
アサギリもその笑顔に嬉しくなって、ニカっと笑い返した。
『オウルを困らせないよう、アレイだけに伝えよう。そっと伝えて、返事は聞かずに次の場所に向かうんだ…』
そう思っていた時だった。
不意にアサギリは、異音がしたような気がした。言われなければ気づかないモスキート音のような、かすかな音であった。
アサギリは聞こえた方をじっと凝視したが、何も見えなかった。
「どうしたの?」
「いや…」
この村では一度も聞いたことがない音だった。急に不安になったアサギリは「ごめん、ちょっと小屋に戻るね」と言って立ち上がった。
「ジャムができるまで、もう少し時間があるよな?」
「うん! あともうちょいだね。それまでに戻ってきてくれる?」
アサギリはこくりと頷いて、足早に小屋へ向かった。
空は晴れているのに、心がざわざわする。
異音はその間もずっと、微かに鳴り響いていた。
「お! 出来上がりかい?」
「いや、もう少しかかりますよ先生」
小屋の中では、パーチェとグレイが囲炉裏を囲んで談笑をしていた。アサギリは黙ってパーチェの元へ行き、彼の片腕をぐいっと引っ張った。
「え? どうしたんだい?」
「外に来て。確認して欲しいことがあるんだ」
パーチェの肩に留まっていたボギーは、アサギリの深刻そうな表情を黙って見ていた。
小屋から出るとすぐに、アサギリは「遠くから何か聞こえない?」と尋ねた。
聞かれたパーチェは、静かに目を閉じた。神経を集中させ、風の音や雑音をかき分けて他に音が聞こえないか耳を澄ませる。
「ドラゴンだ」
「…え?」
パーチェが目を開けた。エメラルド色の瞳が、ちかちか楽しそうに瞬いている。
「ドラゴンの鳴き声だよ! それも大群がやってくる。アサギリ、流石だね。別の肉体を持ってしてでも、元の生物の声を聞き分けることが出来るんだね!」
嬉しそうに話すパーチェとは裏腹に、アサギリの顔を真っ青にして叫んだ。
「大変だ! オウル達に知らせないと!」




