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第2話 銀色の生き物の欲求

 空を飛ぶドラゴンは、パーチェのことなんて知りもしなかった。気ままに空を飛び、己の欲求だけに耳を傾けようとしていた。


『少し腹が空いた。食欲を満たしたい』


 そんな単純な欲求である。


 大きな翼を羽ばたかせ、獲物を探してドラゴンは飛んで行く。

 巨大ですらりとしているその姿は、空を支配する王のようである。太陽の光を浴びて、ドラゴンの体全体が銀色に輝いていた。


 飛び続けているうちに、深い緑色だった地上が若葉色に染まり始めた。

 森を抜け、草原に出たのだ。


 草原の上空でドラゴンは留まり、空中からじっと地上を睨みつけた。

 ギラギラと動く瞳は琥珀色で、それだけ、パーチェの罠に捕まったドラゴンと同じであった。


 すぐに、動く瞳がピタリと止まり、同時に大きな口から白い牙が光った。

『見つけた』

 ドラゴンは翼を畳んで急降下し始めた。巨大な肉体は、どんどん加速度を増して地上に近づいていく。


 地上では、ドラゴンに気づいた一匹のアライグマが死に物狂いで走っていた。

 小さな四肢を必死に動かして、食われまいとしている。


「嫌だ!嫌だよぉ」


 泣き叫ぶ声に、返答するのはドラゴンの低い唸り声だけである。絶望感に浸っている暇は無い。アライグマは、涙ともよだれともわからない液体を流しながら、走り続けた。


 しかしアライグマがどんなに速く走ろうとも、ドラゴンの速さの数分の一にも満たない。ドラゴンとアライグマの距離はどんどん近くなっていく。


 アライグマの耳元に、生暖かい息が届いた。


 思わずアライグマは、ドラゴンの方に振り返ってしまった。

 恐ろしくも美しい、ドラゴンの姿が潤んだ瞳に映る。






「…助けて…」


 それが最後だった。

 悲鳴は苦痛を訴える声に変わってしまった。

 アライグマの背中と腹に、ドラゴンの牙が刺さっている。ドラゴンの大きな口に挟まれたアライグマは、ぶらりと宙に垂れ下がっている状態になった。

 苦痛から逃れようと、アライグマはまだ四肢を動かしている。しかし、その動きは無駄なものだ。ドラゴンはゆっくりと、牙をアライグマの体に食い込ませていく。

 ミシミシと肉が裂けていく音と共に、血が大量にドラゴンの口に溢れた。


「あああああああ!!!」


 体が壊れていく痛みに、アライグマは金切り声をあげた。そして逃れようと忙しなく前足を虚空に動かす。

 死にかけの虫のように助けを求めて。

 だが、どうやっても逃れることはできない。そうしているうちに、少しずつ前足の動きが遅くなっていく。


 やがて、アライグマは諦めたような微笑みを見せた。


「…母さん…」


 静まり返った湖に、一雫の水滴が落ちた時のような寂しい声だった。

 四肢の動きが止まった。アライグマは小さな肉塊と化したのだ。

 ドラゴンは何のためらいもなく、アライグマをゆっくりと食す。肉をかみちぎり、飛び散った血の赤が草の緑を染めていった。


 肉をひきちぎる音が、無機質に響いている。


 数分経っただろうか、気づけばドラゴンはアライグマを平らげていた。

 満足げに低く鳴き声をあげると、ゆっくりと体を草原に沈めた。血みどろの口を広げあくびをし、心地よさそうにしている。

 ドラゴンは目を閉じた。

 平穏を取り戻した草原で、草花が穏やかな風に揺れる音だけが聞こえていた。






 …この様子を、密かに見ている者がいることをドラゴンは気づいていない。


「レイム…」


 たった今、命が消えてしまったアライグマの名前。

 掠れた声で呟くアライグマの目には、涙が溢れ、自分が酷い痛みにさらされているかのように顔を歪ませていた。

 岩場に隠れたアレイは、自分の息子の命が無くなる最後を見届けたのだ。


『有り余るほど元気な子だった。それが、目を離したほんの一瞬で、二度と触れることができなくなってしまった』


 燃え滾るような感情が、体の中から湧き上がってくる。

 

 醜く、苦しく、どうしようもない感情。


『今すぐにでもドラゴンを殺してしまいたい』


 しかし、その感情をぶつけることはできそうにない。

 アライグマはガタガタと震えていて、一歩も体を動かせないのだ。


 怒りに震えていても、何もできないまま時間だけが進んでいく。


 真上にあった太陽が、地上に落ちかけている頃だ。

 ドラゴンの耳がピクリと動いた。

 目を開けると途端に夕日が入ってきたので、ドラゴンは目をパチパチさせた。そして辺りを見回した後、ドラゴンは気だるげに体を持ち上げ、再び空へと飛びあがった。


「ああ…」


 思わず、アレイの口から声が漏れた。


 アライグマは飛ぶことができない。


 己の無力さだけを実感し、涙も枯れ果てた。


 夕焼け色に染まった空に、息子を殺したドラゴンが溶けていく。

 それをずっと、アレイは見ていたのだった。


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