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第23話 銀色の生き物は自我に目覚める:下

 

 暗闇の中を無造作に歩く。


 疲労のせいか、体の中は火照っているのに外側が異様に寒い。

 足元は見えず、歩くたびに何かの命を奪ってはいないかと怖かった。


 それでもアサギリは歩いている。耳には自分自身の動く音が大きく聞こえ、その遠くで生き物の鳴く声が響く。生き物の鳴く声が頭にズキズキと届いて、アサギリは顔を歪ませる。


『どうして、こんなことに』


 全てに疲れ切ってしまっていて、頭と体を切り離したい気分であった。

 しかしそうすることもできず、再度あの願いについて考え出した。

『俺は一体どうすればいいんだろう』


 暗がりの景色の先に、月明かりに照らされた場所が見えてきた。見慣れた場所だ。

 アサギリはいつの間にか、セイラのいた泉へ向かっていたのだ。

 昼の記憶がよぎって嫌な気持ちになったが、引き返すのも面倒だった。


 アサギリは泉の縁までやってきた。

 泉は静まりかえっていて、ここで昼間に惨劇が起こったことなんて忘れてしまっているようであった。


 アサギリは夜の泉を見ながら、また考えた。

『許してもらうってすごく難しいな…』

 水面に、三日月が映ってゆらゆら揺れている。

 アサギリは三日月を見ながら、履物を脱いだ。すらりとした青白い足が、淡い月の光にぼんやりと照らされている。


 ちゃぷん


 足元から感じる水の感触は、身震いするほどに冷たかった。アサギリは泉の縁に座って、両足を水の中に埋めていく。夜の闇を吸い込んだような水が、アサギリの足を飲み込んでいった。


 ふう、と息を吐いて辺りを眺める。

 動く生き物は一匹も見えず、木々などの植物たちだけが視界に入ってくる。

 夜に木の葉を見ると、黒と緑の境目のような色をしている。その色は昼のような明るさが無いので、自ずと重々しい雰囲気を出していた。


『どうやったら許してくれるんだろう。俺が死んだら、許してくれるのか? でも死んだら、俺は許されないまま死ぬことになる。それは嫌だ』

 足をゆっくりと、泉から交互に出したり入れたりする。足を動かすたびに、水がばしゃばしゃと跳ねる音が響いた。


『やっぱり、俺が許してくれる方法を考えても意味ないんじゃないか? だって俺は、許される方なんだから。でも、パーチェは俺が見つけなくてはいけないって…』

 水飛沫を見つめながら、疲れた頭で考える。

 水はアサギリの動きに合わせて一瞬形を作るが、とどめることはできずに泉の中へと戻っていく。

 

 水がアサギリの身長を超えて弧を描き、宙に浮いた水が月光にあたって少しだけきらめいた。

 

 その小さなきらめきを見た瞬間、アサギリの目が大きく開かれた。

 アサギリは足を動かすのをやめた。

 そして腰をあげると、ゆっくりと泉の中へと入っていった。最初は寒く感じていたのが、段々暖かく感じられるようになってくる。

 

 肩まで浸かったところで、アサギリは泉の中へ潜った。

『ああそうか、許す方も許される方も、どうすればいいかなんてわからないんだ。わからないから、無駄だとしても動くしか無い…』


 水の中で体を丸めて、目を閉じた。

 自分の鼓動しか聞こえない空間が生まれる。息が出来なくて苦しいが、ほっとする。

 ずっとこの水の中へ居たくなった。

『このまま、考えることが出来なくなればいいのに』


 身体中が麻痺してきて、アサギリは体を曲げることができなくなった。

 動かなくなったセイラの最後のように、ふわふわ水に身を任せている。目を開けると、水面がどんどん遠くなっていた。

 彼は身動き一つせず、暗闇の中へと沈んでいく。

 金色の瞳は一寸の光さえも入らず、黒く染まっていた。


『戻っていくのも、めんどくさいや』

 アサギリは、静かに目を閉じた。

 緩んだ口元から、空気の泡がぽろぽろ零れ落ちていく。

 こぼれ落ちた泡は、ゆるく回転しながら水面へと伸びていった。気泡は水面まで届くと、あっという間に弾けて消えていく。

 その小さな気泡だけが、アサギリの居場所を示していた。


 彼はもがこうともしなかった。

 そうしてしばらく続いた苦しさを通り越し、じんわりと体が暖かくなってきた。

 

 とろりと眠りに落ちようとしていた時、水面に影が映った。人一人分の大きな影だ。

 その影が引き裂かれて、片手が伸びてくる。こんがり焼けた、力強い腕。迷いもせず、アサギリの方へ向かってくる。片手がアサギリの腕を掴む。そのまま彼を抱き寄せた。

 

 強い力に、アサギリはぼんやりと半目を開ける。気づけば彼の体は地上へと浮上している。微かに明るい水面が近づいてくる。

 新緑色の美しい瞳が、アサギリの目に焼き付いていた。


「よかったわ〜!」


 ボギーの安堵した声が響く。

 生き延びようとする体は、飲み込んでしまった水を吐き出そうとしたが、同時に息もしようとする。その結果、アサギリは咳き込んでしまった。


 生きることの苦しさに、彼は涙目になる。

「何でここがわかったんだ」

 パーチェはアサギリの体を、泉から地上へと引き上げたのだ。

 パーチェはそのまま泉から抜け出すと、その場に腰を下ろした。そうして気持ちよさそうに伸びをし、大きく息を吸っている。

「ボギーが心配して、アサギリを追ってたんだよ。それで、泉に沈んで上がってこないから、僕におしえてくれたんだ」

「教えるってどうやって?」

「ここだよ」

 そう言って、パーチェは自身の頭をトントンと指で示した。

 返答があったところで、アサギリは首をかしげた。

「アタシとパーチェは、頭でお喋り出来るのよ」

 半信半疑であったが、実際パーチェはここにいるのだから本当なのだろう。

 アサギリはずぶ濡れの頭をふるると振って、水滴を飛ばした。そしてパーチェの隣にちょこんと座る。

「それで、答えは出たのかい?」

 アサギリは苦々しい顔で答えた。

「出ないよ」

「どうして?」

「だって、どうすればいいかなんてわからないよ。許す方も、許される方も。許してもらう方法なんて、無いんだもの…」

「それじゃ、何もしないってことかい?」

 アサギリは大きく首を振った。

「それでも、動かなくちゃいけないんだ。何もしてないと、許されないままだから、だから…殺してしまった生き物たちの住んでた場所へ行きたいんだ。そして残された生き物たちに謝りたい。謝るしか無いんだ」

 パーチェは彼の顔を覗き込んだ。

 瞳は真っ直ぐだが、顔は酷い土気色でその場に倒れてもおかしくない様子だ。

 その疲れ切った顔をしばらく見つめると、パーチェは目を細めて尋ねた。


「……誰に謝りに行くんだい? ドラゴンの君は、沢山の命を奪っているだろう?」

 パーチェの言葉に、アサギリは唇を噛んだ。青黒い唇に、赤みが浮かびあがる。

「……そうだね。一つ一つ大切にしなくちゃ」

 殺した生き物たちの姿を思い出していた。呆然と死を受け入れる生き物もいれば、暴れる生き物もいた。

 全ての生き物の姿を脳裏に焼き付け、目を閉じる。


 アサギリは静かに深呼吸して、目を開いた。

「だからこれから、みんなに会いに行くんだ。ねえパーチェ、最後に殺したのはアライグマなんだ。だからまず、アライグマの居る場所を教えてくれよ」


「行きましょうよ! パーチェ!」

 アサギリの思いに、ボギーも加勢する。

 一方パーチェはというと、眉間には皺が寄せて考え事をしていた。

「アライグマ、か…」

 険しい表情の中、エメラルドのような瞳に、月光が少しだけ入ってちらちら輝いている。


 数分経っただろうか、不意にいつもの穏やかな表情に戻るとパーチェは口を開いた。

「アライグマの村は、ここから半日歩けば辿り着ける…行ってみようか」

「良かったわね、アサギリ」

 ボギーはしっかりとした眼差しでアサギリを見つめている。

「ありがとな、ボギー…」

「そうと決まれば、テントに戻ろう。荷物をまとめなければいけないからね」

 アサギリはゆっくりと頷き、パーチェと共に歩きだした。


 ふと、アサギリは振り返って、自身が沈んでいた泉に視線を投げた。

 底の見えない黒で覆い尽くされた泉に、変わらず鈍く三日月が輝いている。


『セイラがいなくなって、ルドは二度とここへは来ないのかな…ああ、でもいいのか…ルドの体にはセイラの一部があるのだから…』

 ぼんやり映る三日月を見ながら瞬きすると、アサギリは再び前を向いたのだった。

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