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第17話 癒すものと有象無象の願い③


 開けた場所にあったのは、小さな泉であった。

 

 森のほとりに出来た泉は、深い藍色の水で満たされている。

 どこからか、風に乗って葉っぱが泉に落ちた。落ちた葉は小舟のように揺れている。落ち葉の小舟はくるくる揺れていたが、しばらくすると藍色の泉に飲み込まれていった。


 アサギリは泉の岸辺まで歩いていくと、水辺に顔を近づけた。水底までは見えず、水面に映った藍色の自分がこちらを見つめている。

 水面に映る自分の顔は疲れ切った顔をしていて、抑揚のない表情をしていた。


 その疲れた顔と、藍色の水の色をじっと見る。…そうするうち、瞼が重くなってきた。

 目をどうにか開けようとした。わざとらしく大きく瞬きをする。その瞬間だけ持ち堪えた気になったが、すぐに瞼が落ちてくる。

 鉛みたいに重く、全く言うことをきかない。

 アサギリの理性はあっけなく負けてしまった。目を閉じてしまうと、意識も遠のいていった。


 アサギリの体がぐらりと前へ傾く。そのまま泉の中へ、彼は顔を突っ込んでしまった。

『気持ち良いなあ』

 などと最初は思っていたが、少し時間が経つと当然、苦しくなってきた。馬鹿みたいに驚いて、水中で息をしようともがいた。しかし呼吸なんてできるはずもなく、暴れる気泡が生まれるだけだ。

 焦ったアサギリは、水の中で目を見開いた。

 

 目に飛び込んできたのは、泉の底に座り込む一匹の生き物だった。

 人間のようにも、魚のようにも見える生き物であった。上半身は人のような体つきであったが、全身に鱗が生えている。下半身は魚の尾鰭が生えていて、二匹の生き物を無理やりくっつけたようにも見えた。


 生き物と、水の中で目が合った。

 彼女か彼かわからない生き物は、無邪気に微笑んだ。

 また、息ができないことを忘れていたが、苦しさはすぐに戻ってくる。そこでアサギリはやっと、自分が泉に顔を突っ込んでしまったことを理解した。

 アサギリは勢いよく泉から顔を出した。

 咳き込むアサギリを、クスクス笑う声が聞こえる。水の中にいた生き物が顔を出して、アサギリの様子を観察していた。

「目が覚めた?」

「ああ、勿論、バッチリ…」

 アサギリはそう答えた後、「君は一体…」と生き物に尋ねようとした。しかし尋ねる前に、生き物は話し始めた。

「私はセイラ。この泉に住んでいる。そして、癒しを与えている」

「癒し? 癒しをどうやって与えるんだ?」

「そうだね…相手を見て、相手の欲しいものを写している、と言えばわかるかな」

「写す?」

「言われただけじゃ、わかんないか」

 そう言ってにっこり笑って「でも君も、癒しが欲しいんじゃない?」と言った。

「癒し、癒しかあ…欲しいと言えば欲しいけど…」

「あげるよ」

「え?」

「セイラの目をみて」

 アサギリはおずおずと、セイラの瞳を見つめた。

 セイラの瞳は、夜空をくり抜いたような色をしている。深い藍色の瞳の中で、小さな光がきらきら瞬いていた。見ているだけで、眠たくなってしまうような美しい瞳だ。


 ずっと瞳を見つめていると、頭の中がふわふわしてきた。何も考えることもできなくなり、アサギリの目がとろんとする。

『ああ…なんだか、気持ち良いな…』

 間もなく、アサギリは再び意識を失った。



『穏やかだ。とっても気持ち良くてとろけてしまいそうだ。そうだ、太陽が真ん中になる頃に戻ってこいって…パーチェのところに戻らなくちゃ…でも、なんだかどうでも良くなってきたなあ。このまま、ずっとここに居たいな…』

 暖かい液体の中に包まれているみたいで、安心する。

 アサギリはまた深い眠りに落ちようとしている。しかしそれを、妨げる声がどこからか聞こえた。その声も穏やかな声だ。生まれたばかりの頃に聞いたことあるような懐かしい声だった。

 その声はどんどん大きくなって、アサギリは目を開けた。


「癒された?」


 夜空のような瞳が、アサギリを見下ろしている。

 アサギリはぼんやりしながら「…ああ…とっても…」と答え、体をおこした。

 泉のふちに体を預けて、寝てしまっていたようだ。顔以外はぐっしょり濡れてる。

「よかった」

 セイラはそう言ってにっこりと笑う。その笑顔は、泉の中にぱっと花が咲いたように眩しかった。見ているだけでアサギリの心も、何だかぽかぽか暖かくなった。

「さあ、こんな時間だしお帰り。ここから南の方向に進むと良いよ」

 アサギリは、はっとして泉から這い出た。

 空は既に夕焼け色に染まっている。

「うおおお、もうこんな時間! ボギーに怒られる!」

 アサギリは走り出した。だが数メートル走ったところで急ブレーキをかけ、セイラの方に振り向いた。

「セイラ!」

「なあに?」

 アサギリは嫌われないように、小さな声で言った。

「…また、来ても良い?」

 セイラは一瞬キョトンとしたが、すぐに答えた。

「もちろんだよ」

 そうしてセイラは、吸い込まれるような笑みを浮かべているのだった。



 パーチェとボギーに合流できたのは、夕焼けがかすかに空に残ったくらいのころだった。

「おーーーそーーーーいーーーー」

「ごめん! ごめんて!」

 謝るアサギリの頭を、ボギーがくちばしで何度もドリル突きをする。

「痛い!」

「このくらいはする権利があるわ!」

 二匹がわあわあ言っている横で、パーチェは夕食の準備をしている。焚き火を使ってスープをコトコトと煮ているパーチェの顔は、火に当たって赤く揺れている。

「ボギー、とても心配してたからね〜」

 おたまでくるくるとかき混ぜながら、のんびりと言っている。

「ごめんて!」

 半笑いで言うアサギリの顔を見て、ボギーが奇妙な顔をして「アサギリ、朝より元気になった?」と言ってきた。

「うん、沢山寝てきたから…」

「夢は見なかったの?」

「見なかったよ、だって…」

 アサギリはセイラのことを話そうとした。けれども何故か言う気になれない。

 そうして、取り繕ってこう言った。

「泉のせせらぎを聴きながら、うたた寝したら悪い夢を見なかったんだ」

「泉のせせらぎ…あ、だからびっしょり濡れてたの?」

「そう、そう!」

「へええ、アサギリって変なことするのね」

 目をぱちぱちさせているボギーに、若干の罪悪感を覚える。

 束の間、ほんわかしたパーチェの声が聞こえた。

「できたよ〜アサギリ、スープをよそってくれる?」

「おう」

 アサギリはパーチェのいる方へ向かい、言われた通りにスープを人数分よそっていく。よそう間、パーチェがじっとアサギリの様子を見つめていた。

 見つめる瞳の色は、日の暮れた外の色と、焚き火の色が混ざっている。

「な、なんだよ」

「本当に元気そうだね」

「だから寝たんだって」

「うん、そう言ってたね…そうなんだけども」

 言い淀んでいるパーチェの姿は、アサギリが嘘をついていることを知っているように映った。しかしそれでも、パーチェは自分の嘘をあばかないのだ。

「何だよ! 言いたいことがあるなら言えよ」

「ちょっと!」

 怒鳴ったように言うアサギリを、ボギーが嗜める。それを「ボギーいいんだよ。僕が悪いんだ」と制した。

 むすっとした顔のまま、アサギリはパーチェとボギーから離れて座った。

「アサギリ、スプーンはいらないの?」

 ボギーがたずねても、アサギリは返事をしない。不機嫌な顔のまま、アサギリはスープ皿に直接口をつけるとスープ皿を傾けた。アサギリの喉がゴクゴク音をたてたかと思うと、みるみるスープ皿の中身は消えていく。

「そんなに沢山よく飲めるね…」

 アサギリは一気にスープを飲み干してしまった。スープ皿を空にすると一息もつかずに、ずんずん歩いてパーチェの元へと再びやってきた。

 そうしてスープ皿を投げつけるようにつき返し、刺々しい口調で言った。

「もう寝る!」


 アサギリは踵を返して歩き出した。テントに戻ろうとしているのだ。緑色のテントは朝からそのままにしていたせいか、少しくすんで見える。

 テントの中に入ろうとした時、パーチェの声が飛んできた。

「アサギリ、明日また北の方へ向かうからね」

「…」

 何も答えずに、テントの中へと消えてしまった。

 アサギリの姿が見えなくなると、ボギーが「なによなによ! 何なのよあの態度」と再び騒ぎ出した。

「まあまあ、毎日機嫌が良い人なんていないからねえ」

「パーチェはいつも機嫌が良いじゃない!」

「そうかなあ?」

 とぼけたようにそう言って、パーチェは軽く笑っていた。

「アタシ、今日はテントで寝たくないわ。あんなやつが隣にいたら、ムカムカして寝れないもの!」

「それは困ったねえ」

 パーチェは苦笑いを作ってみせるものの、ボギーは「パーチェは嫌じゃないの!? せっかくスープを作ったのに!」と言葉が止まらない。

「まあ温めただけだから」

「味わいもせず飲んじゃうなんて! しかも感謝も何も言わずに!? 酷い!酷いわ! 機嫌が悪いからって許されるものじゃないわ! 最低! 最低! 最低! 最低よよよよよよよよよよ」

「落ち着いて」

「よよよよよよよよよよよ」

 意味を成さない音を発し続けながら、パーチェの周りをくるくる飛んでいる。

 パーチェは作り笑顔のまま、ボギーを片手ですっと捕まえた。そして人差し指で頭を撫で、指を首元まで持っていくと、軽く首元を押した。

 すると、ボギーの動きがコトンと急に止まった。その後すぐに目の光が消え、静かに瞼が閉じられた。

「ちょっと休憩だね」

 パーチェはつぶやくと、優しく切り株にボギーを置いた。切り株に横になるボギーは身動き一つしない。動かなくなったボギーを撫でながら、パーチェはテントをちらりと見た。

 

 何か考えているようだったが、何事もなかったかのようにスープを食べ始めた。

 テントの近くに座って、青色のスープを口に運ぶ。

「今日の夜空は晴れてるから、良いもんだねえ」

 パーチェはテントに声をかけた。

「ボギーも眠ってしまったし、いつもより騒がしくないなあ」

「こんなに良い夜だから、誰かと語り合いたくなるね」

「そう思わないかい? ね、アサギリ」

「…俺、寝たいんだけど」

 我慢できなくなって、アサギリはテント越しに答えた。

「君、お昼寝してきたんだろう? 今あんまり眠くないんじゃないかい?」

「ゔっ」

「ふふ、図星だね。眠れないなら、テントから出ておいで。素晴らしい夜空だよ」

「うっせーな!」

 アサギリはそう言いつつも、テントから出てきた。横になっていたおかげで銀色の髪には寝癖がちょっとだけついている。

 不機嫌な態度を崩さない様子で、パーチェの隣にどかっと座った。

「ほら、素晴らしい夜空だろう」


 言われて、アサギリは夜空を見上げた。半月が薄い雲に影を作って、輝いている。月の周りには、七色に輝く星のようなものがゆっくり回っていた。

「…セイラの瞳みたいで綺麗…」

「ん?」

「あ、いや、何でもない」

 二人は黙って夜空を見上げた。時折パーチェがスープを食べる音が聞こえ、不思議と居心地が良い。そうしてアサギリは時間が経つほどに、自分の心が落ち着いていくのがわかった。

「…パーチェ」

「何だい?」

「あともう少しだけ、ここにいることは出来ない?」

「どうしてだい?」

 アサギリの横顔を静かに見つめながら、パーチェは尋ねた。アサギリは、目を合わせようとはしない。自分の手元へと目を伏せ「ある生き物に、会いに行きたいんだ…」と小さな声で答えた。


 パーチェはアサギリからスープ皿へと視線を移す。スープは残りわずかしかない。スプーンで綺麗にスープを掬って、最後の一口を口に運んだ。ほのかな暖かさの液体が、ゆっくりと体の中に溶けていく。

 スープを飲み込んだ後、パーチェは言った。

「良いよ」

「ほんとか!」

「ただし」

「ただ、し?」

「夕食の片付けをお願いね〜」

「えっ!?」

「いや〜片付け面倒だなと思ってたから助かったよ。じゃ!もう遅いし、僕とボギーは眠るからね」

 パーチェは空になったスープ皿をアサギリに押し付けると、ボギーを片手に抱いてテントの中へと入っていく。

「おやすみ〜」

 何も言えずにパーチェを見送る。呆然と小さくなった焚き火を見つめていたが、はたと我に返った。

「…もしかして俺、はめられた?」

 焚き火の火がフッと消えた。

 突然やってきた暗闇の中で、パーチェの健やかな寝息が聞こえるのだった。


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