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第16話 癒すものと有象無象の願い②


 アサギリは一人森の中へと入っていった。

 森の中はじめっとしていて地面は酷くぬかるんでいる。アサギリは足元をぼんやりと眺めながら、歩き始めた。細長い葉を沢山生やした、シダ植物のような草が鬱蒼と生い茂っていた。

 時折、生き物の鳴き声が聞こえた。

 鳴き声はどことなく、悲しげに響いて聞こえる。


 アサギリの目元には、酷い隈ができていた。

 ボギーに言われたように、ここ最近あの夢を見ている。そのせいで寝た気があまりせず、肉体的にも精神的にも疲労が溜まってきていた。

 ボギーの声が辛くて別れたものの、眠れていないせいで長く歩き続けるのも苦しい。段々、アサギリの視界がぐるぐる回り始めた。

『朝から何も食べてないし、眠れないし…限界だ』

 アサギリはその場に座り込んでしまった。ぬかるんだ地面はじっとりしていて、ズボンをすぐに湿らせた。良い気持ちではなかったが、立ち上がる気力も出ない。

『……ダメだ、どうにか歩かねえと』

 大きく深呼吸をして、肺一杯に森の空気を吸い込んでみる。ひんやりとした空気が身体中に行き渡って、ほんの少しだけ疲労が回復するように感じた。


 辺りを見てみると、湧き水が出ているのが見えた。湧き水は土壁からするすると流れ出ていて、少量ではあったが枯れる気配は無い。

 アサギリは引き寄せられるように、湧き水が出ている方へと向かった。水は濁りが全くなく、夢に出てきた水晶のように透き通っていた。

 

 流れ出る湧き水に、そっと両手で触れる。

 そこで彼は、自分の手を久しぶりに見た。旅を続け、色々なことをしたせいだろう。手はいつの間にか、豆ができていて全体的にごつごつとしてきていた。


 アサギリはその手で冷たい水をすくい、顔を洗った。

 湧き水はとても冷たくて、疲れた体に心地よかった。

 何度かそうすると、気が楽になってきた。やっとアサギリは顔をあげた。背の高い木々は黄色や赤に色づいた葉を身に纏っていて、鮮やかなドレスを着ているようだ。

「…綺麗だな」

 目の前に広がる景色はいつになく美しい。しかし同時に、こんな思いが浮かんだ。

『何度も思う…この体になって、たくさん考えることができるようになった。だからこそ、今見える景色に心動かされる…そう何度も思う…でも』

 アサギリはまた、目を落とした。落ちていた枯葉の隙間から、黒い虫が動いているのが見える。彼は黒い虫を潰さないように、避けて歩き始めた。

『苦しいことも感じられるようになってしまった。別れたジョンの気持ちや……夢の中の…』


 アサギリの思考はそこで途絶えた。

 急に鋭い眼差しになり、木々の間を睨む。聴き慣れない音が耳に届いたような気がしたのだ。

「誰かいるのか?」

 金色の瞳が、獲物を探すかのようにギラギラと光る。注意深く木々を見つめていると、近くの太い木に違和感を覚えた。

 アサギリは素早く木に向かい、音を立てずに木の影になる部分に回り込んだ。

「ヒィッ」

小さな悲鳴が辺りに響いた。悲鳴の主は、前足で耳を触ってガタガタ震えている。

「おい」

 アサギリが声をかけると、びくっと体を震わせた。

「こ、こんにちは」

 灰色のネズミは、目を合わせず答えた。

 声も明らかに震えていたが、余裕があるようにみせたいのか、続けて「ま、まさか気づくとはね。一体何者だい?君…」と少し大きい声で言った。

「何者…何者なんだろうな…」

「自分が何者なのかもわからないの? …ふ、ふふ、面白いね…」

「うるせえなあ!」

「ヒッ!」

 理不尽に怒鳴られたネズミは、大きく体を震わせた。

『これ以上怖がらせても、意味ねえな』

 アサギリは一呼吸置くと、温厚に話し始めた。

「吃驚させてごめん。俺の名前はアサギリだ。お前は?」

「おいらはルド…あ、あの、えっと、こんなところで何してるの? まさか君も、泉に行くの?」

「泉? いや俺は、朝飯を探しに来たんだ」

「朝飯!」

 答えを聞いた途端、ルドの体がさらに震え出した。そして叫ぶように言った。

「おいらなんて小さいから肉も少ないよ! 食べても美味しく無いよ!」

「へ?」

「でも、どうしても食べたいと言うなら仕方ない…ごめんね顔も知らない先祖たち。おいらの人生は短かった…」

 勝手に話を進めるルドに、アサギリは引き攣った笑みを浮かべる。

「いや、あの、俺はお前を食べたりなんか…」

「ああでも! こんなに頭の良さそうな生き物に食べられるなら本望か!」

「聞いてる?」

「肉なり焼くなりするがいい!」

「だから食べないって」

「でも最後に一度だけ、あのお方にお会いしたかった…あの微笑みを向けてもらえたら、もう、心残りはない…」

 一人芝居を続けるルドは、目を潤ませながらアサギリの手に触れた。

「どうか最後に一目…あのお方に会わせてください!」

「最後も何も、俺は…」

「許してくれるのですね!」

「へあ?」

「何てお心の広い…! ありがとうございます。すぐに行って参ります!」

 ルドはそう言うと、猛スピードで走り出した。小さな体を巧みに動かし、森の中を滑るように進んでいく。


 ルドの後ろ姿を、アサギリはポカンと見ていた。が、すぐに我に帰って「おい、待ってくれよ!」と追いかけた。

 薄暗い森の中で、見失わぬよう目を凝らしながら走る。ルドの体は小さいため、アサギリにとっては考えられない道を進んでいく。小枝や蔦が時々当たって痛い。

 段々アサギリの体には、切り傷が増えていった。


 どこから森に入ってきたのか分からないほど、どんどん奥に進んでいる。だが途中転びそうになり、「おっと」と声を漏らして一瞬ルドから自分の足元へ視線を移した。

 何とか持ち堪えたが、前を向いた時にはルドの姿は忽然と消えてしまっていた。

「おーい、えっと…ルド! どこにいるんだー」

 アサギリはルドに呼びかけたが、自分の声が木霊して聞こえるだけだ。

「俺、お前を食べる気はねえよー」

 依然、返事はない。困ったアサギリはぐるりと辺りを見渡した。色づく木々は静かに風に揺れている。


 数分目を凝らしてルドを探していたが、アサギリはとうとう肩を落とした。そうして歩いてきた方向へと踵を返す。

 だがそこで、彼ははたと気づいた。

『俺、どっから来たんだっけ…』

 しばし静止するアサギリ。戻っても進んでも大差ないような気がしたが、ひとまず、ルドが進んでいた方向へと進むことにした。

『今って太陽がどの辺りに来ているんだろう? 木が高くて全然分からねえや…』

 またボギーに小言を言われるのかとうんざりする。さっき走ったせいで、さらに体が重たい。

 見えるのは代わり映えのない森の景色。唯一の救いは、水のせせらぎが聞こえるくらいだ。空腹も相まって、アサギリの進むスピードは段々遅くなっていく。

 また、その場に座り込みたくなってきた時だ。


 生い茂る木々の先に、明るい光が差し込んでいるのが見えた。

 どうにかそこまで進んでみると、ひらけた場所に出た。高い木が生えておらず、太陽の光が直接アサギリに落ちてくる。薄暗い所から出てきたため、目が慣れない。

 アサギリは手で瞼の上に日傘を作り、目の前に広がる景色を眺めた。


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