第14話 愛すること想うこと⑥
リリアンの様子をしばらく見守ったが、目を覚ます気配はなかった。
そのため彼らは一旦、ジョンの家へと戻ることにした。
ドアノブを使って家へ戻ると、相変わらず暖炉が赤々と燃えていて、何事もなかったかのようにパーチェとボギーが眠っている。
『何十時間も作業していた気分だ…』
家に戻った途端、ズシンと体が重くなる。アサギリは着いたその足でふらふらと寝ていた暖炉のそばへと向かうと、毛布へと崩れ落ちた。丸くなって毛布に包まる彼の姿は、愛らしい小動物のようである。
疲労と緊張が同時に解けた彼は、深い眠りに落ちていった。
アサギリが再び目を開けたのは、額に微かな違和感を感じたからであった。
「起きてください」
澄んだ声だ。重たい瞼を開くと、リリアンの姿が見えた。どうやらリリアンが額を突いて起こしてくれたらしい。
不思議なことに、白色の羽を纏った彼女は眠る前より美しく感じる。
「お、リリアン。目が覚めたんだ」
「その声は、アサギリさん?」
リリアンは開かれた瞼をキラキラさせて、アサギリを見つめた。
「こんなに綺麗な方だったなんて…」
彼女の言葉に、アサギリは勢いよく起き上がった。
「綺麗!? そうか俺綺麗…ってそうじゃなくて!」
自分の言葉にツッコミを入れながら、アサギリは続けざまに喋った。
「見えるんだな!?」
「ええ!」
「うぉぉぉぉぉぉ! 良かった!! 良かったな!」
ピョンピョン飛び跳ねて喜ぶアサギリに、彼女は微笑んだ。しかしその笑顔は無理に作られていたようで、すぐに消え失せていく。
「あの、それで……ジョンはどこにいるの?」
「え? そこら辺にいるんじゃないのか?」
彼の答えを聞いて、リリアンの表情はさらに暗くなった。
「それが、いないの…どこにも」
「え!?」
驚いて部屋全体を見渡したが、ジョンの姿は何度見てもいなかった。代わりに目に入ってくるのは、目を覚ましたパーチェとボギーだけだ。
「いつもみたいに、森に行っているんじゃないか?」
「だといいけど…」
治癒した目はルビーのように赤い。その瞳を潤ませて、リリアンは呟いた。
「いつもは私に声を掛けてくれるの……『行ってくるよ』って、ぶっきらぼうな声で…」
「リリアン」
呼ばれて方へ振り向くと、ベッドにいるパーチェが見えた。彼は自分のかぶっていた毛布を見つめながら、続けた。
「伝言を頼まれたんだ…彼に」
「伝言?」
「ああ…目も良くなったし、君はまた自由に飛べる。元気でねって」
「…それって、どういう意味なの? わからないわ、私」
話す途中で、リリアンの澄んだ声が掠れた声に変わっていく。彼女を見ないまま、パーチェは穏やかな声で言った。
「もうここへは戻らないのだそうだ…」
「え!?」
アサギリは耳を疑った。
「どうしてだよ!? だってジョンは…」
パーチェは静かに顔を上げた。彼の瞳に、アサギリとリリアン交互に映し出される。
二匹の姿に目を細めると、最後に燃える暖炉に視線を投げた。少しの間、彼は炎を黙って見つめていた。ゆらゆらと揺れる炎がグリーンの瞳に映っている。
まもなく、パーチェは語り出した。
*
「ここまでするとはね」
パーチェは眠り込むアサギリの顔を覗き込んだ。疲労でぐっすりと眠るアサギリの顔は、どこか満足げだ。
「全く…どうしてそんなに余裕があるの?」
ボギーはクチバシを尖らせて続けた。
「突いてやろうとしたのに、パーチェはアタシの電源切っちゃうし…」
「ごめんごめん。でも、どうするのか観察しないと、物体変換の調査にはならないからね…」
そう言ってパーチェは、ベッドから体を起こした。そしてくじいた足を引きずりながら、アサギリの方へゆっくりと向かうと、握られていた移動式ドアノブを抜き取った。
「彼の心は、想像以上に成長しているね…」
パーチェはドアノブを手元で遊ばせる。ドアノブは主人の元へ戻って来れて、心なしか嬉しそうだ。
ドアノブをくるくると一周させると、彼は視線を移した。
移した視線の先にあるのは、暖炉の影しか映っていないただの壁だ。だがそこに、パーチェはフランクに声をかけた。
「君はどこへ行こうとしているんだい?」
そう言うと、暖炉の影がもぞもぞと動いた。そして、大きな猫の耳型の影が、ひょっこり写し出された。
「…気づいていたのか」
ジョンであった。ジョンの背中には、森へ行く時に使う背負子が見える。
「ねえジョン、どこへ行くんだい?」
「……どこへ行くかはわからない…でも、もうここには戻らないことは、決めている」
「折角リリアンの目が治るのに?」
ボギーの言葉に、ジョンは目を伏せた。
「…映して欲しくないんだ。僕の姿を…彼女の、その、綺麗な瞳に…それに…リリアンには自由になってほしいから…俺はいない方がいいんだ…」
「そのことは、もうずっと前から決めていたんだね」
ジョンはコクリと頷いた。
ジョンの様子にボギーは何か言いたげにパーチェを見たが、黙って俯いた。
「何か言い残すことはないかい?」
パーチェが尋ねると、ジョンはゆっくりと目を閉じた。
ジョンはかつてのリリアンが飛ぶ姿を思い出していた。森の中を、ダンスを踊るかのように飛ぶ彼女。実はジョンは、密かにリリアンを見守っていたのだ。
錆色の醜い自分と対極的な存在の彼女は、憧れの存在であった。
そんな憧れの、小さな白い鳥と一度でいいから話をしてみたかった。
だが自分が声をかけると、怖がって逃げてしまうことも分かっていた。だからこそ、ジョンは木の影から彼女の姿を眺めることしかできなかったのだ。
そうして最後に、ジョンはわかってしまうのだ。目が見えなくなっていることに気がついた時、ほんの少しだけ喜んでしまった自分がいたことを。
ジョンが再び目を開けた。
「アサギリに、ありがとうと伝えてください。そしてリリアンに…」
*
「『君の飛んでいる姿は本当に美しい。幸せを願ってるよ』って伝えてくれって」
「そんな…」
ショックを隠せないリリアンに、アサギリは何も言えなかった。
パーチェも何も喋らなくなり、主人を失った部屋に沈黙が降りてきた。暖炉の火が燃える音だけしか、アサギリ達の耳には入ってこない。
『こんなことになるなら、目の治療法なんて探さなければよかった』
喉の奥がツンとした。
きっとジョンは、リリアンに想いを伝えるのだろうとアサギリを考えていたのだ。しかし想いを伝えることなく、逆に引き裂くことになってしまった。
この現実がアサギリにとって耐え難く、受け入れられなかった。
「リリアン、ごめん…」
こんなことしか言えない。しかしリリアンは首を振り、アサギリに微笑んだ。その笑顔があまりにも優しくて、アサギリの心はさらに傷んだ。
「ジョンはもう戻っては来ないのね」
リリアンはぽつりと呟くと、パーチェの顔を見つめて尋ねた。
「パーチェさん、ジョンはどの方向へ行ったの?」
「そうだなあ、ここから西の方へ消えていったよ」
「そう…西の方…」
「探すのかい?」
パーチェの問いに、リリアンは曖昧に笑った。
「ええ、そうね…探しながら旅に出ようと思うわ…でも彼を、ジョンをジョンだとわかることが出来るのかしら。なにしろ、声しか知らないし…それに、私…」
リリアンはそう言って、口をつぐんだ。
アサギリはその時一瞬だけ、燃えるような赤い瞳が少しだけ濁っているように見えた。
「それに私、美しいものしか見つけることができないの…」
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