第10話 愛すること想うこと②
その夜のことだ。
アサギリがふと目を開けると、そこは草原であった。雲ひとつない美しい青空の下、彼は一人きりで立っていた。
『おかしいな、ジョンの家で寝ていたはずなのに』
アサギリがどうすれば良いのかもわからず、足元に目を落とした。風が強く、草花が折れそうなくらい揺れている。
しかしアサギリの目にはその草花たちは写っていない。何故なら彼は、自分の足に釘付けになっているのだ。
その瞳に映るのは、銀色の鱗に覆われた皮膚から伸びる鋭い爪。
慌てて自分の前足も見る。足と同じく硬い鱗が生えていた。
そう彼は、元のドラゴンの姿に戻っていたのだ。
『一体、どうなっているんだ』
動揺している最中、叫び声がどこからか聞こえた。苦痛と恐怖の入り混じる叫び声は、耳を覆いたくなるほど鋭く悲しい声であった。
アサギリは耐えきれず耳を塞ぎ、目を瞑ろうとした。しかし体が思うように動かない。むしろ体は勝手に、叫び声の聞こえる方へ動き出した。
何メートルもある巨体が揺れながら、進んでいく。前足は草花を踏みつけ、踏みつけられた草花はみるみる枯れていく。そして枯れた草花はあっと言う間に黒く腐り、泥のような黒い液体に変わっていった。
まるで黒い血溜まりが、いくつもできているようであった。
『嫌だ! そこへは行きたくない』
思いとは逆に、叫び声はどんどん近くなってきた。
どこまでも広がっていた青空は、いつしか薄暗い闇が広がっている。血生臭い匂いが鼻をついたとき、金色の瞳に叫び声の主が映った。
「痛いよお…どうして…」
血塗れの何かが、アサギリをじいっと睨んでいた。
翌日、アサギリはうめきながら目を覚ました。ゆっくり体を起こすと、身体中が気持ち悪い。
身体中がぐっしょり濡れているのだ。
水をかぶったかのようにも思えたが、全て自身の汗であった。
ぼんやりと手で額の汗を拭う。だが気休め程度にしか拭えないので、彼は上着を脱いで、上着をタオル代わりにして身体中の汗を吹き始めた。
薄っぺらい体を拭きながら、ゆっくり辺りを見渡す。
『なんだか、とても良い匂いがする…』
香りのする方へ視線をやると、ジョンが暖炉に体を向けて何か作業をしているようだ。
アサギリはボギーを起こさぬように毛布から抜け出すと、のそのそとジョンの元へ向かった。
「…アサギリさんが一番早起きだな」
「"さん"づけなんてしなくていいって!」
ジョンは暖炉の火に鍋をかけていて、料理をしていた。鍋の中には美味しそうな白い液状の何かがくつくつと音を立てている。
「…夜中、呻いていたが嫌な夢でも見たのか?」
「え? …あーそんな気もする。でも、どんな夢だったのか全然覚えてないんだよな…って、そんなことより!」
アサギリは鍋の方へ身を乗り出した。
「うまそう! 何作ってるんだ?」
「植物を煮て、柔らかくしたものだ」
ジョンの答える間に、アサギリのお腹がぐーぐー鳴った。
「…食うか?」
「いいのか!?」
ジョンは鍋で煮立たせていたものを、お椀によそった。白くとろりとしているもので、粥に似ているようである。
それをお椀によそうと、ジョンは緑色の薬味をパラパラとまぶした。
「ほら、食べな」
「わーい!」
アサギリはふうふう覚ますと、一緒にもらったスプーンで一口頬張った。まだ熱くって、アサギリは口の中でハフハフさせて、どうにか覚まして食べた。
「うまい!」
「…ん」
アサギリはもらった朝ご飯を食べながら、ジョンに話し出した。
「リリアンが言ってたよ、ジョンはとても優しいって。本当だな。こんなにうまいものも作れるし」
「…それとこれとは関係ないだろう。それに、俺は優しくなんかないよ」
「そうなのか? じゃあどうして、パーチェを助けたんだ?」
「それは」
ジョンは鍋をぐるぐるかき混ぜている。鍋の中では、米のような植物がゆっくりと沸騰し続けてぽこぽこ気泡を出している。
まるで生きているような気泡を見ながら、ジョンはこう言った。
「…ほっとけないからだ」
アサギリが小さく笑った。
「それが、優しいって言うんだよ」
「良い香りね〜」
ベッドから澄んだ声が聞こえた。
リリアンが起きてきたのだ。
「…おはよう、君も朝ごはん食べるかい?」
「ええ、いただくわ」
ジョンは小さなお椀に粥のようなものをよそい、溢さぬようにふーふーと息を吹きかけて冷ます。ある程度冷めたことを確認すると、彼はベッドへ向かった。そしてリリアンのベットの隣にある、小さなテーブルにお椀を置いた。
「…いつものテーブルに置いたからね、熱いから、気をつけて」
「ありがとう!」
「よく寝たなあ! おや、良い香りだね」
「ジョンがすげーうまいもの作っているんだ!」
「なるほど…おや、アサギリ? どうして半裸なんだい…寒くないの?」
「いやそれどころか、汗びっしょりだったんだよ…」
「…どうぞ」
「わあ、とても美味しそうだね! ありがとう」
受け取った粥のようなものを一口食べると、パーチェはほっとしたような笑みを浮かべた。
「優しい味だね」
朝ごはんを食べつつ、パーチェはジョンに尋ねた。
「ジョンは今日、何か予定があるのかい?」
「…いつも通り、森に行く。食糧を集めたり、薪に出来そうな木を切ってくる」
ジョンの答えを聞いて、パーチェはこんな提案をした。
「それなら、アサギリも連れいったら?」
「いぃ!? なんで俺が…」
「泊めてくれたのと、ご飯のお礼にお手伝いするんだよ。どうだい? ジョン、それとも、一人の方が作業しやすいかな?」
「…手伝ってくれることはありがたいが…」
「じゃ、決まりだね。アサギリ、頼んだよ」
「えぇーーー」
嫌そうなアサギリに、パーチェは「僕は足がこんなだし、お願いだよ」と両手を合わせて頼む。アサギリは無視しようとしたが、パーチェのうるうるした瞳はアサギリを捉えて離さない。
視線に耐えきれず、アサギリはぶっきらぼうに答えた。
「ああもう…仕方ねえなぁ わかったよ!」




