プロローグ:パーチェの回想
一人の老人が、そこにいた。
そこは天井の低い部屋で、天井の梁という梁にパンのような白い食べ物が吊るされている。
床には座布団が敷かれていて、一見暖かそうだ。だが、座布団の下は冷たい地面がむき出しになっている。そのため、座っていると地面のひんやりとした冷たさが伝わってくるのだった。
「ああ、暖かいなあ」
ところが、老人ビスマス・パーチェはこの部屋が暖かいと感じている。
そう感じるのは、部屋の中央で焚かれている火のおかげだろう。
地面を掘っただけの、囲炉裏が小屋の中央にある。火はゆらゆら燃え、パーチェの体を優しく包み込んだり、少し焦がしたりするのであった。
気分屋の炎にあたりながら、パーチェは自分の肩に目を向けた。肩には、黄色いインコのような物体が止まっている。その物体は、気持ちよさそうにうつらうつらと船をこいでいた。
「そろそろボギーも、アップデートしなければいけないね」
そう言って、パーチェはそっとボギーの頭を撫でた。
本物の生き物と同じくらい、柔らかな毛並みである。
ボギーを撫でながら、彼はこの肉体で起こった出来事を思い起こした。
『食物を育てることを覚えた生き物たちが、いつのまにか海の向こうに思いをはせ、船を作り、海の向こうに旅立っていった…。自分が助言をした事もあったが、ほとんどこの星の生き物が己で考え、実行に移している。素晴らしいことだ…』
「先生」
何百回目かの人生を思い出している途中で、パーチェは現実世界に引き戻された。声の聞こえた方を見ると、一匹の生き物が住居の入り口から顔を出している。体全体が灰色の毛で覆われた小型動物だ。
アライグマに似ている。
目は大きくて、潤んでいる。潤んだ瞳に囲炉裏の炎がちらちら写ると、そのたびに反射して、瞳はキラキラ輝いた。
「先生、そろそろ時間ですよ!」
アライグマは弾んだ声でそう言うと、小さな手をちょいちょいと動かしてパーチェを手招きした。その動きを見て、パーチェの頬は自然と緩んだ。
「ああ、今行くよ」
そう言って、パーチェは立ちあがった。七、八十年空気にさらされた体は、立とうとするだけでも、小さく悲鳴をあげる。
体の悲鳴に聞かないフリをして、パーチェは歩き出した。
パーチェはこの数十年、この星の生き物と共に生きた。数十年の間に、艶やかな黒だった髪は、今では気の抜けた白髪だらけになってしまっている。
白髪頭を掻きながら、彼はゆっくりとアライグマの待つ出口へ向かう。
部屋の出口から外の光が落ちている。部屋の中からみると、目がくらみそうなくらい白く明るい光だ。
「はやく!先生!」
「はいはい」
パーチェは光に目を瞬かせる。光を見ているうちに、記憶の扉が再び開かれた。扉の向こうから、懐かしい姿が彼を見つめている。
そうそれは、光と同じくらい眩しかった、生き物の姿だった。