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ピンクダイヤモンド鉱山に来て6日目、思いかけない人物が学び舎を訪れてきた。
「ビト様!!」
王都に居るはずのアニタが、私の目の前にいる。
貴族の子息・令嬢は学園に5日登校し学園が休みの2日は、お茶会や夜会、オペラ鑑賞などをして人脈を広げたり、教養を深めたりするために使う。
今日は、学園が休みの初日。ピンクダイヤモンド鉱山は王都から普通の馬車で3日、超高速馬車(人を早く運ぶことだけに特化した馬車。揺れがひどく、乗っている間は体中を馬車のあらゆるところにぶつける。揺れがあまりにもひどいため、馬車から振り落とされて死んだ人もいると言う都市伝説があるくらい乗り心地が最低な馬車)でも1日はかかる。
アニタは昨日の朝から超高速馬車を使ってここまでやって来たのと思っていると、
「ビト様のお手伝いをしたくって、ヘマに頼んでここまで連れてきてもらいました。何か私にお手伝いできることはありませんか?」
アニタの後ろの方に、馬を引いてこちらに歩いてくるペドロサ男爵令嬢の姿があった。馬車ではなく馬なら学園が終わった後、夜通し走らせればこの時間にピンクダイヤモンド鉱山に到着することは可能だ。馬車では通れない細い道や舗装されていない獣道を通ることは可能だし、それに、ペドロサ男爵が引いている馬は王族と一部の高位貴族しか騎乗が許されていない軍部の駿馬。その駿馬なら女性2人くらい乗せてもスピードは落ちることはない。
一体誰がペドロサ男爵令嬢に騎乗の許可を出したのだろうか。
まあ、そんなことどうでもいい。
それよりも、私はアニタの言葉に不覚にも涙が出そうになった。大勢の人が集まる食堂で婚約破棄をしようとした私を助けるために、わざわざ馬に乗ってここまでやってきてくれたのだ。
今までアニタが私を助けることは当たり前だと思っていた。しかし、ゴヨ先生の話を聞いてそれが当たり前でないことを知り、私有責で婚約破棄されても仕方ないことをしたと痛感した。
それなのに、アニタは……
嬉しさと、アニタへの感謝が相まって思わずアニタを抱きしめてしまった。
「ビト様!!」と、アニタは顔を真っ赤にして言い、「ヒューヒュー、先生朝から熱々だね」といつの間にか学び舎にやって来たエロイに茶化され、ペドロサ男爵令嬢には呆れた表情をされた。
お昼時、学び舎を訪れてきたアリリオ・エロイ・ゴヨ先生に、アニタとペドロサ男爵令嬢の手も借りながらマンツーマンで文字と計算を教えた。
私は、アリリオに計算を教え、ペドロサ男爵令嬢はエロイに文字を教えた。アニタにはゴヨ先生に文字を教えることを頼んだ。
アリリオ達に勉強を教えながら、アニタとペドロサ男爵令嬢にこの学び舎についての愚痴を言った。勉強に力を入れて行くといっている割には、ここに割り当てられて予算が少ないこと、昼休憩と仕事終わりにしか鉱夫達は勉強できないこと。
私の話を聞いて、アニタは「勉強したい人、本当はもっといると思うのに……」と悲しそうな表情をし、アリリオ達は仕方ないと言わんばかりに苦笑し、ペドロサ男爵令嬢は眉をひそめた。
お昼休みが終わり、アリリオ達が持ち場に戻った。3人を見送ったあとペドロサ男爵令嬢は「行くところができた」と言い、馬に跨ってどこかに行ってしまった。
「……アニタ、一つ聞いてもいいかい?アニタは、どうしてここに来たんだ?」
ペドロサ男爵令嬢が居なくなり、学び舎は私とアニタ二人きりになった。そこで、私はアニタに聞きたかったことを聞いた。
「朝もお伝えしましたが、ビト様のお手伝いのためにここに来ました。……もしかして、迷惑でしたか?」
「迷惑だと思っていない!!私は、アニタにひどいことを言った。私は、貴族の男として最低なことをした。アニタに嫌われても仕方ないダメダメな最低男なんだ。アニタに心配してもらう資格なんてない」
私の質問に下を向き元気をなくしたアニタにあわてて、自分がいかにダメな男なのかを力説した。……事実とは言え、なんだか落ち込んできた。
「ビト様はダメダメな男ではありません!!!確かに、公衆の前で私に婚約破棄を突きつけたという失敗はしました。他人はそれを嗤うでしょう。でも、私は知っています。ビト様は、本当は心優しい人だということを。とても努力家だということを」
自分で自分を貶め入れることを言い落ち込んでいると、アニタは勢いよく顔を上げ今まで聞いたことのない大きな声で、私が「心優しい」と「努力家」だと言ってくる。
「きっと、ビト様は覚えていらっしゃらないと思いますが、5年前に王宮で開かれたお茶会で助けてもらいました」
「5年前のお茶会?」
5年前のお茶会。それは王宮で勤務している人たちの家族を交えた懇親会だ。私はそこでとても可憐な「カスミソウの妖精」に出会ったが、アニタと出会った記憶がない。
「お父様が子爵であるにも関わらず、それなりに高い地位にいることが気に食わない高位貴族の子供たちに、人気のない場所に呼び出されました。高位貴族の子供たちに囲まれ、私は恐怖のあまり震え、ただ暴言に耐えていました。そこに、子供用の剣を持ったビト様が現れました」
確かに5年前まで、子供向け英雄伝「聖剣王ルシアノ」の影響で「戦える文官」を目指し、剣を習っていた。当時、私はどこに行くにも父親に買ってもらった子供用の剣を持ち歩いていた。そして、その剣を使って「カスミソウの妖精」を捕まえようとしていた悪者を蹴散らした。「我はペンを剣に持ち替え、悪を裁くもの!!」と聖剣王ルシアノのキメ台詞を言って震えていた「カスミソウの妖精」を助けたのだ。そしてお礼を言う「カスミソウの妖精」にと、これまた聖剣王ルシアノのキメ台詞を言って颯爽とその場を去った。
「ビト様は『我はペンを剣に持ち替え、悪を裁く聖剣王を目指す者として当たり前のことを行っただけだ」もの!!』と言いながら、私のことを助けてくれて、『聖剣王を目指す者として当たり前のことを行っただけだ』と言い「あの時の『カスミソウの妖精』はアニタだったのか!!」
私が「聖剣王ルシアノ」のキメ台詞を言ったのは「カスミソウの妖精」を助けたときの一度だけ。特に、「聖剣王を目指す者として当たり前のことを行っただけだ」を言ったときにあの場所にいたのは、私と「カスミソウの妖精」だけだ。
しかし、あの時の「カスミソウの妖精」とアニタが同一人物だと思えない。
夜を思わせるような黒髪にカスミソウを思わせる白いドレスを着ていて、そしてチョンチョンとそばかすがある愛らしい顔をしていた「カスミソウの妖精」と、燃えるような赤髪を天高く結い上げ、これでもかと白粉を施した顔に猫を思わせるような挑発的な目。服装も体の細さや胸の大きさを強調するような品の無いものだ。
娼婦のような格好をしているアニタに勉強で負けて悔しかったのだ。それもアニタに婚約破棄を突きつけた理由の一つだ。
「頭に黒い泥水を掛けられ、ずぶ濡れの私を助けてくれました。あの後、直ぐに家に帰りお父様に報告しました。そこで、初めて私のことを助けてくれた人がビト様だとわかりました。」
アニタは一生懸命胸の内を伝えてくる。
「見ず知らずの私を助けてくれて、私と同じ文官の家系なのに剣術を頑張っているビト様は、とても優しく努力家なのだと思いました。ビト様の婚約者になれて、とても幸せです。服装やお化粧はビト様のお母様にアドバイスをいただきながら勉強中です。
ビト様、ビト様のお母様のような立派なアリケス伯爵夫人になって見せます。どうかビト様のお側にいさせてください」
アニタの健気な言葉に、泣きそうになった。ピンクダイヤモンド鉱山にやってきてから、とても涙もろくなったと思う。それと同時に怒りが込み上げてきた。
母はアニタについて、「品がない服装」「厚化粧している」といつも貶していた。母は婚約を交わしただけのアニタに対して嫁いびりを行っていた。家に帰ったら、このことについて、きちんと母と話し合う必要がある。
「アニタ、アニタはその格好や化粧を気に行っているのかい?」
「えっと……」
私の質問に戸惑っていることからアニタは、本当はあんな格好をしたくないことか分かった。
「アニタ、もう私の母からのアドバイスなど聞かなくてもよい。もう、娼婦のような格好などしなくっていい。本当のアニタの姿を私に見せてくれ」
私はそう言いながらアニタの顔を拭う。厚く塗られた白粉が取れた顔には愛らしいソバカスかあった。
「ビト様……」
アニタは目を潤ませながら、上目遣いで私のことを見つめてくる。
これは……キスをしてもいいシチュエーションだよな。前にアニタに誘われて見に行った舞台で同じような場面があった。
アニタの腰に手を回し、そっと体を引き寄せる。アニタは私がキスしようとしていることが分かったのか、顔を赤くしたものの嫌がる様子はなく私に身をゆだねる。
アニタの顔に手を添える。ゆっくりと目を閉じるアニタ。アニタの顔に自分の顔を近づけ、そしてキスを
「アリケス伯爵令息!今から殴り込みに行くわよ!!」
勢いよく学び舎の扉が開いたかと思うと、出掛けていたペドロサ男爵令嬢がこの地域の治安を守っている騎士団を引き連れて現れた。
私はペドロサ男爵令嬢に引きずられるようにして連れて行かれた場所は、ダイヤモンド鉱山の管理人がいる管理人室。初めて入る管理人室は、趣味の悪い宝石や骨董品で溢れていた。
「お前たちは誰だ!!私はモブ侯爵から鉱山の管理を任されているデス男爵だぞ!!」
「令息、アリケス伯爵この男がここの責任者で合っている?」
ノックも無しに現れた私たちに文句を言っている、肥えた体に光り輝く頭をしている男性は間違いなく、私を学び舎まで案内したデス男爵だ。
「そうです。ペドロサ男爵令嬢」
「君は、今社交界を賑わせているカミラ・グルレ次期公爵夫人の妹か?ほほーう、道理で……」
ペドロサ男爵令嬢という言葉に反応したデス男爵は舐めるように見る。
「私の愛人にならないか?私の愛人になれば好きなだけピンクダイヤモンドと身につけることができる……「天誅!!!」ぶへっ」
ペドロサ男爵令嬢の後ろには屈強な騎士たちが控えているにも関わらず、ペドロサ男爵令嬢に愛人になることを持ちかけるデス男爵。デス男爵がペドロサ男爵令嬢の腰に手を回した瞬間、天誅の掛け声と共にペドロサ男爵令嬢の拳がデス男爵のみぞおちに直撃した。
痛みにのた打ち回るデス男爵をペドロサ男爵令嬢が引き連れてきた騎士たちが手早く拘束していく。
騎士たちに連れて行かれるデス男爵を見送った後、ペドロサ男爵令嬢はデス男爵が拘束された理由を教えてくれた。
デス男爵が拘束されていた理由は、ピンクダイヤモンドの横流し・ピンクダイヤモンド鉱山の予算の横領だ。もちろん、鉱夫たちのための学び舎の予算もデス男爵の懐に入っていた。
また、モブ侯爵はきちんと鉱夫達の勉強時間を確保するよう、指示をしていた。それに、鉱夫達の勉強に時間が割り当てた場合、ピンクダイヤモンドの採掘量が減少しても構わないとも言っていたらしい。
デス男爵は書類を偽造し、鉱夫達が勉強しているように偽った。そして、ピンクダイヤモンドの採掘量が減ったと報告。実際に採掘される量と報告している量の差を自分の懐に入れていた。
ペドロサ男爵令嬢は、父親であるペドロサ男爵から学び舎の運営について聞いていたらしく、学び舎の粗末な作りと私の愚痴がペドロサ男爵から聞いた話に違いがあるため、管理人が怪しいと思ったみたいだ。
そして、アリリオ達以外の鉱夫達からも話を聞き管理人の横領を確信した。
ペドロサ男爵令嬢は、馬を走らせ領地にいたモブ侯爵の子供(次期侯爵)に話を付け、この地域の治安を守っている騎士団の指揮権をもぎ取り、ペドロサ男爵令嬢を舐めていた騎士団の団長を殴り飛ばし騎士団員全員の忠誠を得たそうだ。
その後、ピンクダイヤモンド鉱山の責任者の後任としてモブ侯爵の次男が着任した。侯爵家の者が責任者になったことで、学び舎には多くの鉱夫達が訪れるようになった。
皆、文字を学びたくってもデス男爵が責任者の時は自分たちの給料が減るため学べなかったみたいだ。
あの騒動の後、ペドロサ男爵令嬢とアニタは王都に帰ってしまったが、アニタは毎週とはいかないが、可能な限り学び舎を手伝ってくれた。最初に文字を教えたアリリオ・エロイ・ゴヨ先生は、今では文字を教えるようになっている。
特にアリリオの勉強に対する熱意と知識の吸収スピードは目を見張るものがあり、ピンクダイヤモンド鉱山の責任者から、高等教育を受けるよう勧められている。
エロイは、相も変わらず変なラブレターを書いている。「君は真昼に輝く星の様だ」とか「真夏に降る雪のように美しい」とか「夜を照らす太陽だ」とか……独特な言葉センスでラブレターを書いてくる。毎回添削するこっちの身にもなってほしい。
ゴヨ先生は、嫁いで行った娘さんと文通をしている。たまに、孫からも手紙が届くらしく目じりに皺を寄せながら読んでいる。