夢見る少女
少女は生まれて十四年になるが、未だに夢を見たことがなかった。
それもそのはずだ。
彼女はロボットだった。
本人はそのことを知らなかったが。
有名な科学者である両親の、まったく私的な極秘の研究により彼女は生まれた。
はじめは赤ん坊の姿で。
そうしてほぼ毎日繰り返される身体と頭脳のアップデートにより、今では生後十四年ほど経過した人間の女性の姿をしていた。
少女の能力はどの点から見ても大よその人間の上をいっていた。
そういう風に両親が作ったのだ。
大して勉強もしていないのに学年で一番の成績をとっていた。
部活動には入っていなかったが、大会になるとよく助っ人を頼まれ、それで活躍してしまうのだ。
なのに素直で気さくな性格をしており、クラスメイトからの信頼も厚い。
もちろん、男子の間での人気も抜群だった。
そんな少女にも最近、悩みがあった。
彼女の周りでは最近、恋愛の話が多かった。
そういう年頃だ。
男子と付き合いだした友達だって何人もいる。
その日もそんな話をしていたのだけれど、途中、今の恋人と結婚する夢を見た、という話をはじめた友達がいた。
それからしばらく夢の話になり、面白く話を聞いていた彼女は、ふと気がついた。
「そういえば、わたし、夢を見たことがない」
そんな少女の発言を聞いて、周りに座っていた友達たちは不思議そうな顔をした。
「本当に? 一回も?」
「だって思い出せないもの」
「忘れただけじゃなくて? 夢って、絶対に見ているらしいよ。ただ忘れるだけで」
「記憶力はいい方なんだけどな」
彼女は一度頭にインプットしたことはほぼすべて思い出すことが出来た。
けれど、自分の記憶を探っても、そんな経験をしたことがない。
「でも、たぶん、そういう記憶力とは違う問題なんだと思うよ」
「そうなのかな」
残念なことに、そうではなかった。
彼女は本当の意味で眠ったことは、まだなかった。
確かに夜、ベッドに横になる。
目を閉じる。
そうして意識を失う。
しかしその後は眠るのではない。
両親が彼女のアップデートとメンテナンスをはじめるのだ。
「夢ってどういうのだろう。見てみたいな」
やろうと思ったことは大抵実現できる彼女は、それからしばらく、そのための努力をはじめた。
レム睡眠を長くしようとあらゆる注意を払った。
しかし、目的はなかなか達成できなかった。
夢を見ること。
いつしかそれが、少女の夢になっていた。
※※※
少女が悩んでいたように、彼女の両親も、悩みを抱えていた。
もう限界が近い。
今までもったのが不思議なくらいだ。
いつまでも騙しとおせるものではない。
両親の悩みは、少女のそれとは比較にならないほど深かった。
今まで十四年、少女を普通の人間と同じ様に育ててきた。
そのためにわざわざ赤ん坊の姿で作り上げ、幼いころから、自らは人間だという自己認識をさせてきたのだ。
出来ればこれからもそうしたい。
しかし、少女が大きくなるにつれ、自分たちの手にはあまる部分が出てきた。
ごく普通に、いつ失ってしまうかわからない子どもを授かるより、自分たちの力で、そう簡単にはいなくならない子どもを得る。
その手法を選んだとき、先の苦労はわかってはいたが、どこかに甘えがあったのだ。
なんとかなるだろう、そんな楽観的な予測。
第一、自分たちがいなくなったとき、彼女はどうする?
二人は少女を愛していた。
生物学的な手法ではないが、文字通り、自分たちが作り、育ててきた子どもなのだ。
いつかは、その事実を知らせなければならない。
もう数年来そう思ってきたのだが、なかなか実行できないでいた。
その日もそんな相談を、二人は続けていた。
それはある日の夕方のことで、雨が降っていた。
少女は友人と遊びに出ていて、家にはいなかった。
「やっぱり、もう、本当のことを知ってもらうしかないんだろうか。そのうち、修学旅行だってある。小学校のころは理由をつけて休ませたけれど、今度もそれじゃ、あの子がかわいそうだ。これから先のなんだって、きっと同じだよ」
「でもあの子に教えるのは、怖い。想像してみて。もしも自分がロボットだったら? 今まであの子の信じてきたものが、根底から覆る」
「だけどさ、他に、どんな方法がある? ……あの子を信じるしかないんじゃないか。そうして、ぼくたちのことも信じてもらうんだ。あの子はロボットだけど、ぼくたちは人間と同じ様にあの子を育ててきたんだし、これからもそうだって」
「それが出来るかどうかが問題なのよ。あの子はわたしたちを信じてくれるかしら。最初は冗談だと思うに違いないわ。でもやがてそれが真実だと知ったとき、あの子はもう、決して、元いた世界には帰れない。今まで、それだけ大きなウソを、わたしたちはついてきたのよ……」
二人はそこで沈黙に支配された。
どうすればいい。
必死に考えていながらも、きっと今日も、結論は出ないのだろう。
彼らがそう思いはじめたとき、両親の部屋の扉がしずかに開く音がした。
扉の向こうには少女が立っていた。
「それ、本当のことなの?」
何か質問があるときいつもする、興味に満ちた表情を彼女はしていた。
母親が、やっとのことで声を出した。
「どうして……」
「雨が降ってきたから、早く帰ってきたの。それだけ。……ねえ、わたし、ロボットだったの?」
両親は、すぐには反応できなかった。
しかしやがて、父親がごくりとつばを飲み、ゆっくりとうなずいてみせた。
※※※
二人はそんなことで悩んでいたのね。
まったく、水臭いんだから。
早く教えてくれればいいのに。
父さんや母さんの愛情なんて、わたし、全然疑ったことがなかった。
わたしがロボットだからって、それがなに?
それでも二人の子どもであることは変わりがないのに。
眠りにつく前に、彼女はそんなことを考えていた。
いま、両親が自分のベッドのそばに並んで立っている。
今まで見たこともなかった、どこに隠していたかもわからない、少女のための多数の機械を背にして。
「わたしの記憶を消したりしない? そういうことも出来るんでしょう。データを書き換えちゃえばいいんだから」
ベッドに横たわりながらそう聞くと、父親は首を横に振った。
「そういうことはしないと決めているんだ。確かに、出来ないことじゃない。でも、お前の性格や記憶を形作っているもの……その自己生成プログラムは、確かにわたしたちが作ったものだ。でも、一度インプットしてからは、おまえ自身が作り上げたものだ」
「つまりあなたの本質は、あなた自身のものなのよ。それは決して作り変えたりしないって、わたしたちは最初から決めていたの。これからだって、もちろん、そうするつもり」
「そう。やっぱり、二人はわたしの父さんで、母さんなのね。もしも今までにそんなことされていたら、わたし、ちょっと怒ったわ」
そこで言葉を切って、少女は目をつぶった。
それから続けた。
「わたしのわがまま、聞いてくれてありがと」
「こんなことで許されるならいくらでも聞いてあげるよ」
父親の言葉に、少女はちょっと首を振った。
「ううん、別にいい。許してあげることなんて、何もないもの。……それじゃ、おやすみ」
「おやすみ。明日、感想を聞かせてね」
母親はそういって、背後の機械のボタンを押した。
そこで少女の意識は途切れた。
しかし、今までのように、完全な意識の遮断が行われたわけではなかった。
彼女の中の一部がまだ目覚めていて、今までの記憶や想像から作り出された混沌の世界に、少女は旅立っていったのだ。
この日、彼女は両親に頼み、眠りにつくための特殊なプログラムを導入してもらっていた。
それで彼女の望みは叶うことになった。
つまりもう、少女が以前から夢見ていたように、少女は夢を見られるのだ。