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3/3

翌日

 あの後、俺はだれとも連絡先を交換することなくその場を後にした。

 二次会にも誘われかけたが、あやめさんが「ごめんなさい、今日はもう帰らないと」というのを聞いたのもあり、適当な理由をでっち上げてそれとなく断った。

 誘ってくれた人には悪いが、どうにもそういう気分にはなれなかったのだ。

 駅で別れて電車にゆられ、一直線に帰路につく。


 今日は、久しぶりにいろいろな人と話をしたな……

 めちゃくちゃに楽しかったのは間違いないが、それと同時にものすごい、疲れた。

 恋愛沙汰はもう十分と感じるのは、充足感から来るのだろうか。

 それとも何か、別の理由があるのだろうか。


 そのまま何事もなく家に着く。

 一人暮らしの小さな小部屋。つけっぱなしのPCが「お帰り」とばかりにファンを回す音がする。

 いつもなら、まだSNSや動画サイトを漁って時間を潰しているような時刻だが、今日はもう寝てしまうことにしよう。

 玄関の鍵を閉めたことを再確認して、明かりを消してベッドに潜る。


 目を閉じると、今日の出来事がまぶたの裏に再生されていく。

 そういえば、最初はあんなに苦しい思いをしていたのに。

 今は、あやめさんの顔を思い出すたびに胸が痛い。

 だけどもう、二度と会うこともないのだろう。

 一夜の夢だと諦めて。明日からは真面目でつまらない日常に。

 所詮(しょせん)俺には高嶺の花だった。

 見上げ続けると、首が疲れてしまう。


 すぐに忘れるのは難しくても。

 だけどきっと、そのうち「良い思い出だった」と割り切ることが出来るようになると信じて。

 慣れないことで、疲れていたのだろう。

 気がつくと意識は深く沈んでいって。


 ◇


 目が覚めてもそこはいつもの自分の家だった。

 貴族の住まう屋敷でも、成人が生まれそうな馬小屋でもなく。

 夢が覚めたことに絶望し。今日も一人、会社に向かう。

 連絡先も一つも増えず、昨日の会の参加費だけが、来月頃に口座から引かれるだろう。

 何も変わらない、退屈な毎日が始まる。


 大丈夫、元に戻っただけだから。

 出社して、会社のPCに電源を入れて、作業さえ始めてしまえばすぐに調子も戻るだろう。

 このときはまだ、そう考えていた。


 ◇


 俺が務めるのは、規模の小さなシステム会社だ。

 社員数は三十人ほど。社員全員の仲が良い……とまでは行かないが、人数が少ないだけあって全員が顔見知りぐらいの中ではある。

 主要駅から歩いて数分の好立地にある建物の6階に、我が社のオフィスはある。

 残業を強制されることもなく、ハラスメントもほとんどない、良い会社ではあると思う。

 昨今のご時世で飲み会はほとんど行われなくなったが、社員同士の仲が悪いということもない。

 忠誠を誓うとは大げさかもしれないが、今のところ転職を考えないぐらいにはいい会社だ。


 仕事もまあ、大変だけど楽しいし、自分で言うのもなんだが、こういう仕事は向いていると思っている。

 エレベーターのスイッチを押すと、上昇中だったケージが上層階で停車して、そのまま1階へと戻ってくる。

 まだ早い時間だが、時差出勤を利用している人も多いのか、この時間からエレベーターはフル稼働をしているようだ。

 そうして無心で、スマホの画面を眺めながら待機していると、背後に人の気配を感じた。

 別に義務ではないが、挨拶だけはしておこう。


「おはy……ざいます」

 まだ朝も早く、寝ぼけたような口調になってしまうが、なに。要するに伝われば良いのだ。

 振り向いて見ると、服装からして女性社員のようだ。

 うちの会社は男ばかりだから、別の階で働く別の会社の人だろう。

「おはよ……う……あれ、もしかして? ああやっぱり。……昨日(さくじつ)ぶりですね、アルマさん」

「……あやめさ……武者小路さん!?」

「はい! 僧侶のあやめです! アルマさん()、このビルで働いてる人だったんですね! 奇遇です!」

 私服からスーツに変わったせいか、最初は気づきもしなかった。

 だが、その声も、その顔も、長くて綺麗な髪も、煌めく美しい瞳も、あやめさんに間違いなかった。


 俺が読者なら間違いなく「ご都合展開、乙!」と言っているだろう。

 夢でも見ているのかと思った。

 何せ昨日の今日なのだ。

 不覚にも運命のようなものを感じてしまう。

 どちらかというと俺は仏教徒寄りの無宗教だと思っていたのだが、もしかしたら神様は実在するのかもしれないとさえ感じてしまう。

 祈りは通じる。

 神はいる。

 証拠はあるのかだって?

 今この状況こそが、その証拠だろうが!


 ……舞い上がっては、いけない。

 見たところ、俺に会ったことを嫌がっている雰囲気ではないが、しつこい男は嫌われる……ということは、どの作品でも(アニメやドラマで)言われていることだ。

 あくまでも冷静に、クールに行こう。

 なにせ、こっちはあの時あやめさんを選んだけれど、結果、結ばれることはなかった。

 ということは、向こうは少なくとも俺以外の人を選んでいたということだ。


 チーン


 あやめさんの美貌に見惚れていると、背後で空気を読まない電子音が鳴る。

 どうする、まだ全く話せていない……もっとちゃんと話をしたいが、それでも無情にも扉は開く。これ以上は、不審に思われかねないか?

「……来ましたね。乗りましょうか」

「そう、ですね。アルマさん、お先にどうぞ」

 ヘタレだ。

 俺は、ヘタレだ。

 自分で自分が情けない。昨日もそうだった。結局俺は、一人じゃ何も出来ない雑魚なんだ……

 そのまま180度ターンして、先に乗り込んで6階を選択し、開くボタンに指を当てる。

 あとから乗り込んできたあやめさんは、4階のボタンを押して、エレベーターの対角線に。

 そのまま何事もなく、エレベーターは上昇を続ける。


 ……気まずい。

 こういうとき、何を話せば良いんだ?

 話をしたいと思っておいて、いざとなると何も話せない。

 弱い自分に石を投げつけたくもなる。

 あやめさんは、ニコニコ笑顔で黙って立っている。ここは、俺が男を見せる場面!

「あの、あやめ……さん、」


 チーン


 このクソ、エレベーターめ!

 AIの発展しているこの世界なら、エレベーターにも空気を読む機能ぐらい搭載しろよ!

 いや、無理を言っている。八つ当たりにも等しい考えだ。恥ずかしいことこの上ない。

「それじゃあアルマさん、お先に失礼……あ、そうだ。良かったら今日、お昼とか一緒しませんか?」

「……!? はい、喜んで!」

「それじゃあ、ここの1階で12時に待ち合わせ、しましょう!」


 エレベーターにAI(人格)が宿るのはまだまだ先のことかもしれないけれど、この世界には神様がいた。

 笑顔で手を振るあやめさんをアイリスアウトするように、エレベーターの扉が閉まる。


「……よしっ!」

 誰もいない小さな小部屋で、思わず声を出して喜んでしまう。

 あやめさんはきっと、軽いノリで誘ってくれたのだと思うが、こちらとしてはどうしても意識をしてしまう。

 お昼にデート! お昼にデート! お昼にデート! お昼にデート! お昼にデート!


 チーン


 6階について扉が開くと、そこには順番待ちをしている同僚がいた。

 小さくガッツポーズをとっている俺を見て、彼は不審そうな顔を向ける。


 ……嗚呼。とりあえずエレベーター(こいつ)には、一刻も早く空気を読むAIを搭載して欲しいところだ。

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