カヤンの城
「ユート殿ではないか」
「えっ」
その騎馬武者に見覚えが有った。よく見ると、あの剣豪だ。
「あっ、あなたは」
剣豪はすぐ馬を降りると傍にやって来た。
「昨日はかたじけなかった。私からも礼を言います」
「いえ、そんな事」
その口調から、多分昨日の礼を言われたんだろうが、その後がさっぱり分からない。だが、ユミさんが返事をしている。
「結翔さん、この方は私達をお城に招待すると仰ってます」
「えっ、ユミさんは分かるんですか?」
「モルドバの古い言葉ですが、何とか分かります」
「へえっ」
結局おれとユミさんは、怪しい者が城下をうろついていると通報されたようなのだ。それで警備隊の出動となったわけだった。
一六〇〇年代と言ってもおれの知る史実とは違ってきていた。モルダビア公国の隣に位置する国はルーマニア王国で、イェニチェリの反乱と経済問題に悩まされているオスマン帝国に対しても存在感を増しつつあった。黒海沿岸の諸国では、この頃既にオスマン帝国の影響は薄くなり始めていたのだが、今度の外敵はヨーロッパ大陸に侵略して来たイングランド王国だった。
さらに領土を拡張していたプロイセン公国と北のスウェーデンもイングランドとの戦争に敗れ、ヨーロッパ東方の国家群も動乱の時代、戦争や紛争の疲弊から回復していない。さらに今二人がいるこのモルダビア公国は、ルーマニア王国からの圧力の問題と、貴族間の対立が激化しており、いつ暴動が起きても不思議ではない不穏な国内情勢だった。
そして数日前に事件が起きた。
中部モルダビアでルーマニア系の大貴族ポルス家の者が、敵対する貴族のダニエルが訪問している事を知り、その警備の手薄な知行地を夜間に突然襲った。抵抗する者は皆すぐに惨殺してしまう。
ポルス家は捕らえたダニエルを牢に閉じ込めたのち、公開処刑を決めた。
ところが牢の警備長がダニエルと旧知であり、彼に同情して脱獄に協力。
ダニエルはポルス家に反発する警備長と他の仲間三人と共に、根拠地カヤンの城へ逃れることになる。その逃避行の道中でおれと出会ったのだった。
あのおれが助けた人物は名前をダニエル・ヤングと言い、貴族でカヤンの領主だった。おれと、特に綺麗なユミさんは城内で歓待され、宴が催された。
斜め前に座るダニエル氏が話しかけて来る。
「ユート殿、先日は本当に危ういところを助けられました。重ね重ね礼を言います」
「いえ、いえ、大したことは出来ませんでした」
実際敵の頭を数発ぶんなぐってやっただけなのだ。
「ところでお隣の御婦人はどのような方か、改めて御紹介をして頂けますかな」
ダニエル氏の視線が何度もユミさんに向けられているので、質問の内容はすぐに分かった。
「あっ、こちらの女性は最初にお話した通り、ユミさんと言って、その、えっと、どうも、言葉が――」
おれがユミさんの方を向き困った顔をすると、彼女はモルドバの言葉で直接話し出した。
「私はユミ・アレクシアと申します」
「ユミ・アレク……」
「アレクシアです」
ダニエル氏はちょっと考える仕草をした。
ユミさんが思わず尋ねる。
「ひょっとして他にもアレクシアを名乗る者をご存じですか?」
「いや、知っていると言うほどの事ではありませんが、聞いた事があるような気がします」
「ラウラ・アレクシアと言う者ですが、その方は私の先祖でユキ、あっ、いえ……」
ユミさんは急いで話題を変えた。
「ところで、その、お聞きしますと、紛争は大変そうですね」
「もちろんこのままでは置きません。反撃します」
「…………」
「奴らの事などは大したことではありません。それよりもイングランドです」
「イングランド」
ヨーロッパ大陸に攻め込んで来たイングランド王国が、いずれモルダビア公国にも影響を及ぼして来そうな情勢だと言う。
「イングランドがそのような事を……」
「彼らは大変高性能な武器を開発したようなのです。新式で従来の火縄銃などではとても対抗できないものだと聞いております」
おれは思わず声を出した。
「あっ、それは、きっと新式の火縄銃でしょう」
二人がおれを見ると、おれはユミさんに、
「おれが四百年前の時代に行った事と関係が有りそうです」
「もしかして結翔さん――」
「はい、私は戦国時代に火縄銃の改良をして、高性能な物にしてしまったのです。イングランドにもそれが渡りました」
ユミさんはおれがしでかした火縄銃の改良で、歴史がとんでもなく変わってしまい、その結果がイングランドの野望につながった事を理解した。
すると二人の会話を黙って聞いていたダニエル氏が、
「何かご存じなのですか?」
「イングランドには、暫くどの国も対抗できないかもしれませんね」
ユミさんは時空移転の話は避けて、何とか新式火縄銃の脅威を話して聞かせたようだ。今ここで時空移転の話などしても、ダニエル氏は理解出来ないだろう。
「お二人はどちらの国からいらしたのですか?」
ダニエル氏は初めて聞く珍しい話の数々に興味を示した。
だが、何処まで話していいものか、もう少し時空移転に関してはごまかそうというのがおれとユミさんの一致した考えだった。
「東方の日本と言う国から来ました」
ユミさんも同じという事にした。
その後も宴が続いていたのだが、ユミさんとダニエル氏は話が盛り上がっている。
ダニエル氏を見つめるユミさんの頬が、心なしか赤く染まっているように見えるのは、気のせいだろうか。