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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

アルファベット短編集

学生Fの話

作者: 猿戸柳
掲載日:2020/08/31

 これは人づての話なのですが、聞いた後に、所謂人を怖がらせようを趣向を凝らした怪奇談とはやや違った趣を感じました。茫漠としている割に妙なリアリティーと後味の悪さを覚えたので、ここに記しておきたいと思った次第でございます。話をまとめる為に多少の脚色をしている事をお許しください。

 Fは田舎から上京してきた新大学生で、彼は東京やキャンパスライフという漠然とした言葉に胸を躍らせてはいたものの、実際来てみると描いていた青写真と随分違う事に少し寂しさを感じていました。キャンパスは郊外にあるし、そもそも東京といっても洗練された建物や整備されたアスファルトの道路だけでできているわけではなく、案外森や公園もあるし、割れたコンクリートの隙間からは雑草が伸びているのです。この理想と現実との落差に虚をつかれた感は否めなかったのですが、この不完全な、もとい人間性の残った都市に一種の安心感や親近感も同時に抱いておりました。

 彼の居は知り合いのつてで存外早く見つかりました。二階建てアパートメントの二階部分、階段を上ってすぐの部屋です。ここに決めた理由も、階段から下りて少し歩けば最寄り駅がすぐだし、日中電車が通って騒がしいから家賃が幾分か他の所より安いという、至極(しごく)ありきたりなものでした。

 Fは三男坊で、生来の争いを嫌う性格と兄と姉、性別の違う人間を常に間近で見ていたため、今で言うところの「コミュニケーション能力」が高い人物に育ちました。例えば彼と同じ学科の学生とか、駅前にある定食屋の店主だとか、少し話しただけで相手の懐に入り込む能力に長けていたようです。なにより大学に遅刻しそうだからと、最寄り駅へ向かう途中の横断歩道の信号無視をした時、それを注意した交番の警察官と翌日には談笑していたというのだから驚きです。こうして理想通り、とはいかないものの、彼自身が幼い頃から(つちか)ってきた対話能力のおかげで、そこまでの孤独を感じることなく大学生活をスタートさせたのでした。

 梅雨前線が日本列島にのしかかり始めた頃の或る夜明け、Fは突然目を覚ましました。不快感を覚えて洗面台へ向かって水垢で汚れた鏡をのぞくと、顔にべっとりと脂汗をかいていて蝋人形のようにテカテカしております。しかも奇妙なのが汗をかいているのが顔から上だけなのです。彼は自分の物のようには到底思えない、生気のない顔を懸命に洗いました。そしてFは脂汗をじっとりとかいて夜明け頃に飛び起きる事を度々繰り返すようになります。奇妙なのはまず飛び起きるのが毎回同じ時間、午前六時十分頃という事でした。さらに不可解なのが前述した通り、脂汗をかくのが首から上のみであるという点です。突然起きてしまうのが雨季独特の(まと)わり付くような湿気のせいでもなく、また顔だけにじっとりとかいた汗を洗面台で流すのが日課になりつつあるのを、Fは気味悪く感じ始めました。そしてこの不快な現象にさらに拍車がかかっていきます。どうも飛び起きる前に短い夢を見ているらしいのです。らしいというのは、夢は本来さめた瞬間に、風で飛ばされていくタンポポの綿毛の様に、完成してすぐに波にさらわれてしまう砂の城の様に、形をとどめずにすぐ崩れ去っていってしまうものですし、さらに起きる前にほんの数秒程度見るだけなので、最初は自分が夢を見ていると認識するまで時間を要したのです。ただこの夢の異様なところは毎回同じだった事です。そして同じであるが故に普通の夢とは違い、形をとどめないどころか徐々に具体性を帯びていくのです。ぼんやりと外に居るという事、小雨が降ってどんよりとした朝である事から分かり始め、さらにはそこがF自身の住んでいる屋根の上であり、汽笛が聞こえる事、ボコンと何かがひしゃげる音がする事まで判然したのです。さらに筆舌に尽くし難い後悔や無念、怒りの様な感情さえ湧いてくるのでした。夜通し起きていようと何度か試みても、いつの間にか吸い込まれる様に眠りに落ちてしまい、同じ事を繰り返す有様です。さすがに異常な事態だと考えたFは友人のNに相談する決心をしました。

「なあN、最近変な夢をみるんだ。しかも毎回同じでどんどんくっきりしてくる、これはおかしいよ」

「へぇそれはどんな夢だい?…ふーんそれは不思議だし気味が悪い。じゃあ今晩君の家に泊めてくれよ、君の寝顔がどんなのかスマートフォンで撮ってやる。もしそれがアホな寝顔だったら晒してやるよ」

「一緒に居てくれるのは心強いが晒すのはやめてくれよ、趣味が悪いぞ」

「君がアホな顔して寝てなければいい話だろ。飛び起きるのは六時過ぎだったね、その時まで僕は起きててやるよ。大丈夫、夜更かしは慣れてるんだ、今の君と違ってな。便利だろ。じゃあ今晩でいいかい?」

このNという奴は多少精神が屈折しているけれど根はいい人間らしく、快諾してくれました。Fは、

「分かった、ありがとう。じゃあ今晩」

と言って一旦Nと別れました。その夜FとNは塩気の多い惣菜をつつきながら、女を連れ込んでる気配がなくて色気の無い部屋だの、単位を取れるか心配だの他愛のない会話をして、電気を消し予定通りFだけ床に就いたのです。

 夜も明け始めてうつらうつらし始めたNでしたがFのうめき声が聞こえてきたので、気の毒だな、と思いながらも当初の目的である写真を撮る事にしました。部屋がまだ薄暗いのでフラッシュを()いて、丁度Fの顔が収まる様に撮影しました。

「うわっ!なんだこれ!」

 ガタンガタンと電車が通り過ぎる音が聞こえる。そしてFがガバッと起きて目をさましました。

「おいF!君だって随分悪趣味じゃないか!起きてるなら最初から言えよ!」

目をこすり、今起こっている状況を理解してからFは、

「いや俺は今飛び起きたばかりだ、どうも要領を得ない。君の撮った写真を見せてくれないか」

と言ってNからスマートフォンを取り上げて画面を見てみると、血の気が無くびっしょりと汗をかき、歯を食いしばって苦悶(くもん)で歪んだF自身の顔が写っていました。それだけでも十分おぞましいのですが、何より異様だったのが彼の目です。うなされていたとはいえ、眠っていたにも関わらずFの目は両方ともぱっちりと見開かれていたのです。

「うわっ!なんだこれ!」

「それは僕がもう言ったセリフだ。やっぱりF、君はアホだな。でも本当に寝ていたのかい?だとしたらこれは相当まずいんじゃないか?医者にかかった方がいいと思うけどね」

Fは自身の寝顔がアホだったら、が自身がアホであると、いつの間にか話がすり替わっているのに一抹(いちまつ)の理不尽さを感じずにはいられませんでした。第一Fは気色の悪い夢と格闘していたのだからNが何を言っていたかなんてとんと知る(よし)もないのです。

「いや寝ていたさ。でも朝以外は至って普通なんだ。しかしこれがずっと続くようなら流石にまずいな」

どうもFは(いら)つくとでもとかいやとか、否定語が無意識に増えるらしいのです。

「そうだな、今のが君のいたずらじゃ無いのはまあ信じてやる。アホ面じゃなかったしこの不愉快な写真は消しとくよ。とりあえず今日はもう帰るけどそれでいいかい?しかし梅雨って季節は嫌だね、一向に晴れる気配がない」

「ああ、ありがとう。出来れば早くなんとかなるといいんだけどな、いかんせん原因がよくわからん。まるでこのタバコの灰を被ったような空の心持ちだよ」

Nが帰った後独りになったFは、窓越しに見える優れない天気も相まって、急に果てのない迷路に放り込まれた様な気になりました。しかしFの途方の無い不安は急転直下の結末を迎える事になるのです。

 明朝いつもの様に飛び起きたのですが、いつもとは明らかに違った様相を(てい)していたのです。まず嫌な汗をかいておらず、夢も見ていない、そして飛び起きた切っ掛けが電車のつんざく様な尋常ならざる汽笛と、レールと車輪が擦れて出る鋭いブレーキ音である事をFは瞬時に理解しました。その汽笛が聞こえた刹那、屋根にボコンと重い()()が落ちてくる音が聞こえてきました。夢との類似性にギョッとしたFでしたが、今までの一連の不快な現象から解放された安心感と小雨が地面をうつ心地よい音でうとうと眠ってしまったのです。

 半時間程経った頃でしょうか、インターフォンがなりました。覗き窓から確認してみると、信号無視を注意してきたあの警察官が雨ガッパを着て立っております。ドアを開けると、

「あ、F君、朝からごめんね。何というかその、ちょっと話があるんだ。いや、君が何かした訳じゃないんだけど、えっと、一応部屋の鍵を閉めて交番まで一緒に来てくれないかな」

明らかに狼狽(ろうばい)している警官。そして階段屋根からブルーシートが掛けられているのを見て、ただ事ではないと悟ったFは寝間着のまま傘をさして付いて行きました。

「はい、これお茶ね」

二つ入れてきたお茶の一方をFに差し出します。

「ありがとうございます」

「どういたしまして。アパート見ても分かったと思うんだけど、ちょっと色々あって。他の住民のみなさんにも一旦出てもらってるんだけど、F君とは仲良くしてるからここで話そうと思ってね」

ふぅと息をついてからおもむろに話し始めました。

「実は今日午前六時十分頃にここの駅を通過する特急に女性が飛び込んで…即死だよ、まあ不幸中の幸いというか車輪に巻き込まれたりはしなくて、ご遺体はほぼ回収できたんだけど…その、なんだ、首から上だけが見当たらなくてね。車体、ホームの下とか色々探したみたいなんだけどさ。そしたら君の住んでるアパートの屋根に、えーっと…カラスが群がっていると。それで遠目から双眼鏡で確認したらね、うん、女性の首だって確認できて。今回収しようとしている所で…」

彼の話している声がどんどん遠くなっていく。耳鳴りがして来て汗腺(かんせん)から汗がじわじわ出てくるのが分かる。心臓の鼓動は早くなるのに手足は冷たくなっていく。視界が(せば)まるクラクラする。

 (待てどういう事だ。毎回同じ時間、女の首、汽笛、首から上だけ汗をかく、屋根の上、夢の中で見た景色…死んだ女が最期にみたものじゃないのか、そしてあの形容し難い感情の渦…俺のあの寝顔…それもその女の…何より首が屋根に落ちた後、俺は悠長に居眠りをしていたのか!()()の下で…!)

「…君!F君!大丈夫かい!真っ青だよ、奥で休むかい?こんな事になってしまったんだもんな…気の毒に。落ち付いてからでいいから、しばらく泊めてもらえる所を探すといい。もしなければこっちでホテルを探しておくけど」

「ありがとうございます、あてはあるので大丈夫です」

それだけ言うと、奥の畳の部屋で横になりました。


 Fは事情をすぐ理解してくれたNの所に厄介になり、それから(くだん)のアパートからは引っ越して今は別の所に居るといいます。そして部屋の上の方から物音がするたびにこの事を思い出してしまうそうです。電車にも極力乗らないようにしているのだとか。

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