第十一話 第二の試練『恐怖の劇場』〜失禁と失敗で失うものは〜
登場キャラおさらいのコーナー
名前:通称:簡単なプロフィールの順番で書きます!
向井直:直、ナオちゃん:本作の主人公。姉がいない姉萌気質で豊河先輩に「お姉ちゃんになってください」と告白する。
豊河秋穂:秋穂、あきほ:目立つことが嫌いの地味女子。直に「お姉ちゃんになってください」と告白される。
瀬木昏斗:昏斗:イケメンでロリコンで情報通。直の友人。
小野原妹子:アックスフィールド・D・シエスタ(自称)、妹子、イモちゃん:保健室登校の中二病。
「ここみたいだね。でも変わった趣味だね、小さい子が見るような映画がみたいだなんて」
「ん、なんのことだ?」
「へ?」
A-12と13。劇場最前列のド真ん中。誰もが避けるその席に、直と秋穂は座った。上映開始日ということもあって、客席は満員御礼。空いている席がその席と、最後尾しか無かったのだ。
周りを見渡すと、幼児か小学生かその親御さんしかいない。明らかに高校生の二人は浮いている。
「いまどきのちびっこはホラー映画に挑戦する気概があるんだな。日本の未来は明るいな」
「ホラー映画?」
「おう」
直は劇場の僅かな光を頼りに秋穂の様子を伺う。所在無げにあたりを見渡している。これから始まる映画に不安を募らせているのが見て取れた。作戦は順調だと満足気に背もたれに深く座り直した。
(向井くん、なに言ってるんだろう。これがホラー映画と思ってるのかな? なんかよくわからないけどすごいくつろいでるし……ほんと変な子だ)
秋穂は怪訝な目で直を見る。待ち合わせ場所まで女装にパンダの遊具で来たことといい、頭の中が読めない。
(待って。今の体勢ってチャンスじゃないかな)
距離の近い座席に、深く座る直とその様子を見つめる秋穂。もし直が普通の格好をしていていれば、二人の両脇に座る男の子がカップルひゅーひゅーと言い出してしまいそうなぐらい近い距離だ。
(ここで確かめるべきなんじゃないかな。向井くんがわたしの秘密に気づいているのか……!)
スクリーンには予告映像が流れている。映画が始まるまでまだ時間はあるようだ。直はぼーっとその様子を眺めている。
「向井くんはメガネの女の子とかどう思う?」
「急にどうしたんだ、お姉ちゃん」
「いや世間話だよ」
「うーん、まああんまり関係ないな。姉か否か、それだけだ」
秋穂は世間話の体を装って、助走として聞いた。黒縁メガネに手をあてて、ゆっくりと下にずらす。
意を決して、息がかかるほど直の顔に近づく。前髪に隠れた双眸が隙間から垣間見える。初めて秋穂は目をはっきりと顕にして、上目遣いで直を見た。
「向井くん、わたしのことどう思う?」
その声は艶かしく、二つの瞳は天使の雫に濡れたように潤んでいる。秋穂の秘密、それは――
「かわいい声を出してどうしたんだ、そういうのは人前だと恥ずかしいぞ」
声音は変わらず、秋穂を横切って直は周囲を指差した。
「え、あ、うん。そうだね」
気合を入れた分、恥ずかしくなって縮こまる。周囲を盗み見ると、お母ちゃんあれがレズ? 見ちゃいけません! とやり取りをしている。目立たないように生きてきた秋穂にとってこれほど苦痛なことはない。
(恥ずかしいって……向井くんにだけは言われたくない。それに気づいてないってことなのかな? それとも美的感覚がすごく鈍いってこと? もうなんなのこの子!)
秋穂の煩悶を他所にスクリーンでは『妖怪だらけのわいわい運動会』が底抜けに明るい音楽とともに始まった。
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「うわあ、壮観だ。まるで俺のためにあるような映画館だね……見渡す限り幼稚園児と小学生。暗闇にまぎれてちょっと何かあってもバレないんじゃ……ぐへへ今度プライベートで来よ」
「もしゃもしゃ」
マスクとサングラスという明らかに怪しい格好をした昏斗と妹子は、チケットのもぎりをする館内スタッフに訝しげな視線を注がれながらも潜入に成功した。
夢のような絶景はいったん置いておいて、昏斗は趣旨を思い出す。
「……じゃなくて、今は作戦作戦。えーと……よかった、いたいた。でも最前列か」
「フッ……スクリーン前方……もしゃもしゃ……のスペースから慎重に忍び寄れば……もしゃ問題ない」
「たしかにね」
蛍光灯に照らされる階段を上がりながら、二人の位置を確認する。妹子はメロンソーダとポップコーンXLサイズを脇に抱えて、もしゃもしゃ食べながら歩いている。映画を楽しむ気満々の格好だ。よほど先の喫茶店でストレスが溜まったのだろう。ズコーっとメロンソーダで流し込む。
「いいのそんなに飲んで。後でトイレ行きたくなっても知らないよ」
「だいじょーぶ、だいじょーぶ。ウチは高貴なる魔王の血族やからトイレせんし」
「一昔前のアイドルみたいだね」
最後尾の列に到着して、中央に位置する自分たちの席まで他の客の足元を分け入る。座席はほとんど埋まっているので、わざわざ脚を引いてもらう。
「すみません、すみません」
「フッ……我の前に道を譲るがいい」
「うちの子ちょっとおかしい子なんです。すみません……あぁどの娘も可愛いなぁ」
高慢な態度で進む妹子。フォローしつつも、途中で幼児の前を通るたびに不自然じゃない程度で幼児の顔をチラチラ確認していく昏斗。道を開ける親子連れも冷たい視線を二人に浴びせた。
席にたどり着き、腰を下ろすと間もなく映画が始まった。子供映画らしく元気溌剌なオープニングだ。劇場は無邪気な期待と緊張で満たされていく。
「決行は上映からちょうど一時間後、クライマックスを迎える瞬間だよ、わかったイモちゃん」
「……みなまで言うな、我にまかせておけ」
根拠のない自信を持って妹子は無い胸を張る。こうして見ると、少し背が高いぐらいで他の幼児とあまり変わらない。ゴスロリファッションも手伝って、小学校高学年ほどに見える。
上映から一時間後。直の作戦によると、その時間に最も恐怖を煽る演出があるらしい。試写会のネタバレ情報を入手したそうだ。その周到さがあるのなら、これが子供向け映画なことぐらい把握しておいてほしかったが……いまさら言っても仕方がない。
二人はマスクとサングラスを一度取って、決行の一時間後を待った。
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「よし、そろそろだね」
昏斗は自分のカバンの中から二人分の仮装道具を取り出す。ただのマスクとサングラスで秋穂を驚かしても味気ないということで、予め直が用意していたものだ。頬がえぐれているゾンビマスクと、白目をむいたフランケンシュタインの被り物。ハロウィングッズのような簡易的なものだが、無いよりはマシだろう。
「いてっ」
「あ、ごめんね。大丈夫?」
ゴソゴソ足元で作業をしていると、妹子とは逆側の客に肘が少しあたった。幼稚園児ぐらいの女の子だ。こんな可愛らしい天使に傷をつけるなんて、自分はなんてことを……、と昏斗は胸中で陳謝する。
「だ、だいじょーぶです」
「ほんとに? 怪我はないかい? なんならお兄ちゃんがちゃんと見てあげ――」
「どうかしたの、マリン……あ、あなたはいつかの高校生探偵さん?」
幼稚園児のさらに向こう側の座席。品の良さそうな母親が声をかけてきた。以前、幼稚園を覗き見したときに出会った母親だ。通報されそうになり、昏斗はとっさに高校生探偵とホラを吹いたのだ。
「これはこれは、いつかのご婦人じゃないですか。こんなところで会うなんて奇遇ですね」
「全くですね。ほら、マリン挨拶なさい。マリンの幼稚園を怖い人から守ってくれていたお兄さんよ」
「こ、こんにちは」
上映中、迷惑にならない程度の小声で話す。母親は昏斗に心酔してしまっているためやや楽しげだ。
(お尻の成長が著しいあのマリンちゃんとそのお母さんだったのか。隣にいて気づかないなんてフェミニスト失格だね……あぁ可愛いねほんとに天使だ)
「ほんとにごめんねマリンちゃん。大丈夫だった?」
「……っ」
マリンの手を握って甲を擦る。爽やかな笑顔に反して、ゆっくりとねっとりと、おおよそ幼児にしてはいけない触り方だ。かつてない感触を味わった少女は怯えて声が出ない。その間に話したくてたまらないという風に、母親が入ってくる。
「大丈夫よねマリン。それにしても探偵さん、珍しいですわねこんな映画を見るなんて、もしかしてまた何か事件ですか?」
「あーいや、妹がこの映画が見たいというものですから……」
「あ、妹さんといらしたんですね。いいですわね兄妹みずいらずで。妹さん思いのお兄さんで羨ましいわぁ」
もはや何を言っても肯定されそうなほど母親は昏斗にご執心だった。
そろそろ作戦に移らないといけないのだが、おそらくここで席を立てば母親とマリンに行末を観察される可能性がある。その場合、昏斗は映画の途中に何者かを脅かして立ち去る変質者と思われてしまう。そうなれば今後、日課である幼稚園児の成長記録をつけるのは困難になるだろう。
どうすべきか悩んだ末、昏斗は後ろの妹子に託す決断をとる。
「イモちゃん、ハプニング発生だ。俺はここから離れられなくなった。だからこの仮装をして、いますぐナオちゃんたちの元へ……」
「……」
決行まで時間がない。隣の親子にバレないようにさっきよりも声のボリュームを落としながらも、早口で言う。妹子の方を見やると、何やらむず痒そうに身じろぎをしていた。
「イモちゃん?」
「……なあ」
「どうしたの?」
「……あかん、おしっこいきたなってきた」
「え!? でもトイレまで行ってたら例のシーン逃しちゃうよ」
「あかんあかんあかん我慢できひん……!」
「……だからジューズ飲み過ぎちゃダメだっていったのに」
妹子は股の間に手を挟み、涙目になって今にも決壊してしまいそうな壁を必死で押さえつけている。こちらも事態は逼迫していた。
このままだと作戦が失敗に終わってしまう。昏斗は頭の中の天秤の揺れが収まるのを待った。作成の成功、昏斗の今後の成長記録、妹子の失禁。数秒もなく天秤は止まった。
「イモちゃん、幸い映画館の出口は前列の方にある。この仮想を着て先輩を驚かしてから、その脚でトイレに直行。いけるよね」
かつてないほど真剣な眼差しで妹子を射すくめる。
「えむりむりあかん間に合わんって……!」
「我が主、アックスフィールド・D・シエスタよ」
「ふぇ!?」
「私は信じています。どんな敵にも屈しない、どんなことからも逃げない、そんな主なら絶対にやりとげられます。魔王の血を次ぐあなたなら……!」
妹子の喜びそうな言葉をつらつらと並べ立てる。妹子はうずくまりながらも、嬉しさのあまり頬がつり上がる。昏斗の狙い通り、妹子は答えた。
「フッ……まかせておけ。我ならば容易いことよ」
ゾンビの衣装を着て、劇場の階段を下る。なるべく身体に衝撃が伝わらないようにそろりそろりと降りていく。期せずして、ぎこちないその歩き方がゾンビの役に入っているようにも見える。
(がんばれイモちゃん!)
昏斗は胸中でエールを送る。指定の時間まであと二分。スクリーンでは妖怪たちの運動会のリレーのシーンが流れている。髪を引きずって走る貞子はなんともシュールだ。
このストーリーから恐怖も何も感じない気がするが、もう後には引けない。暗闇の持つ不安感とゾンビマスク、妹子の演技力に頼るほかない。
秋穂の脇にまでたどり着く。あと十秒。一歩一歩近づく。
スクリーンの貞子はもうすぐゴールテープを切る。どうやら直の言っていた、この映画のピークとはそのゴールシーンにあるようだ。必死に走る妖怪たちとそろりと近づいていく妹子の姿は、昏斗にはどちらも勇ましく見えた。
ゴールまで、三、二、一。
驚かすまで、三、二、一。
「わっ――」
『あぁああああああああああ!!』
「「きゃあああ!!!」」
瞬間、ゴールテープを切った貞子はそのままカメラへと近づき、3D映画のようにへばりついて、おぞましい叫びを上げた。今までの内容から一変して、劇場は恐怖に包まれ中には泣き出す子供もいる。
驚かし声をかき消された妹子は最前列で貞子の迫力をモロに受け、劇場の子供よろしく泣き叫んだ。腰が抜けてへたり込んでしまう。
「……うあ、びっくりしたね」
「ああ、想像以上だ」
そのすぐ近くにいる秋穂と直は妹子には気づかず、他の観客と同様に映画を楽しんでいる。恐怖から二人が接近することは無かったものの、驚かすには十分すぎる映像だった。
間もなく、映画が終わり劇場は明天する。眼前に座り込むゾンビ姿の少女に気がついた秋穂は声をかけた。
「かわいいね、おばけの映画だから仮装してきたんだ。ハロウィンみたい。あまってね飴ちゃんあるからあげるね」
小学生だと思っているのだろう。懐から飴を取り出し、妹子の手のひらに載せた。
「え、すごい。匂いもゾンビさん再現したんだね……あはは」
鼻にツンと来る臭いに感心する。
一方で席から離れ、身支度を済ませた直は不思議そうにゾンビ姿の妹子を見た。
(なにしてるんだ、妹子は。もう少しでお姉ちゃんといい感じになれたのに。さてはラストシーンに出遅れたな……)
「まあいい。行こう、お姉ちゃん」
「あ、うん」
やれやれと嘆息して、秋穂と一緒に劇場を出る。
劇場の床のカーペットとゆとりをもったゾンビの衣装が功を奏し、少女の下半身がずぶ濡れだったことは誰にも気づかれなかった。
秋穂からもらった飴玉を載せたままゾンビ姿の少女は灰と化した。顔は驚愕と絶望の涙で濡れ、下半身は恥辱で濡れている。客が全員捌けるまで立ち上がることはなかった。
「……終わった……ウチ終わった……もう魔王とかでもないしソンビでもない……人でもないわ……」
今回のお気に入りセリフのコーナー
妹子「……終わった……ウチ終わった……もう魔王とかでもないしソンビでもない……人でもないわ……」
今回は妹子の大活躍というか、妹子の括約筋が大失態というか。とにかくかなり長くなってしまいました。まずは最後まで読んでいただいてありがとうございます。
上記のセリフなのですが、すべてを失ったとき人は何を思うんですかね。さいわいバレてはいないものの妹子は公共の場で大失禁をかましたわけですが、あれほどのことをやらかすと、そりゃあ死にたくもなりますよね。
「……あぁ……空あおいな……あぁウチちっぽけやな……」
ゴホンゴホン! ……ま、まあ人は失敗から……もとい失禁から変われるとも言いますし、失うものが何もない人ほど強いとも言いますしうんたらかんたら。
「あぁ、あの雲……あの雲に乗って……そのまま宇宙に行って誰もおらへんところで窒息死したい……」
元気だしてください! アックスフィールド・D・シエスタさん!
「……あぁ、あの雲ウチが漏らした後のシミにと形にてる……はは」
……完全に壊れてるな、次の作戦大丈夫か。ま、立ち直ってくれることを祈りましょう!
次の作戦は中々ハードですよ! ……洋服屋さんの更衣室で……ここからは秘密です! 乞うご期待!
感想ブクマ評価などなどよろしくおねがいします! やる気が出ます!