遠出は前途多難……?
外の風は春らしく心地良く、どこかで咲いている花の香りが微かにここまで運ばれて来ている。
記憶を失くしてから初めての遠出だ。たくさんの人がいる場所に行くのも初めてなので心が躍る。
自然と踏み出す足は軽くなった。
デオンの小屋は丘の上にある。生えたての若緑の草原を降りて村に出ると、賑やかな声や人々の生活音が聞こえてきた。
「デオン! 今日は王都に行くのか?」
くすんだ金髪の男が笑顔で手を振ってくる。
「おう、そういうお前は何してんだ?」
「いやあ、デオンが拾ってきたっていうヤツを見てみたくてな〜!」
なぜか大きな声でそう言い、男はアレンの方を向いた。好奇心に爛々と輝いた瞳がアレンの爪先から頭までを往復する。
「え、えっと……」
キャーッと叫び声が聞こえ、気づけばアレンは村人たちに取り囲まれていた。
「男の子だったのっ!?」
「カワイイ子じゃない!」
「白髪に黒目か……、珍しいな」
「あ、あのー」
「きれいな顔してるわっ!!」
「デオン、どこでこんな子拾ったんだよ!?」
「名前はっ!?」
口々に言いたい放題叫ぶおばさまや、厳つい男たち。気圧されてアレンはあたふたとデオンを探して視線を動かす。
「ひっ……!」
おばさま方の胸に押し潰されそうになり、いよいよ恐怖に顔が歪んだ。
「た、たすけ……」
蚊の泣くような声で助けを求めたが、誰も聞いていない。顔が真っ青の白髪の少年がボロ雑巾と化す寸前で、デオンの大声が響いた。
「そんくらいにしとけ! こいつの名前はアレンだ! 拾ったのは山ん中、最近傷が治ったばっかだぞ!」
パッとアレンは村人一同から解放された。突然圧迫感が無くなったので、転びそうになる。おばさま方の目は相変わらず怖いが、豊満な胸によって窒息死する危険性は消えたといって良いだろう。
「えっと……、アレンです。よろしくお願いします」
頭を下げ、とりあえず自己紹介をしておいた。たったそれだけの動作に騒つくおばさま方の思考は理解不能である。
「アレンっていうのね、カワイイわっ!」
「これからよろしくね! ウサギくん!」
などと言う謎の挨拶が相次いだ。それにしてもウサギくんとは……。そこまで童顔なはずでは無いのだが。そもそも赤目でもない。
呆然としたままのアレンを通り過ぎ、村人たちはそれぞれ仕事などに戻っていく。
「あー、なんだ、お疲れさん? まあ、この村の連中も気の良い奴らなんだがー、こう、元気が良すぎて、な?」
髪の毛がくしゃくしゃになったアレンの頭に分厚い手のひらが載る。
「ほんとにすごい元気だな……、驚いたよ。こんな余所者をすぐに受け入れちゃうのもな。随分と信用されてるんだね、デオンは」
普通ならこんな風に近寄ってきたりもしないのだろうが、この村の人々は躊躇いなくアレンをボロ雑巾にしかけていた。それはおそらくデオンという人間の信頼感から来るものなのだろう。
「まあ、俺だって最初は余所者だったからな。本当にあいつらは良い奴らだ」
しみじみと呟くデオンは、一瞬どこか遠くへ意識を飛ばしているように見えた。ふとアレンの中で一つの疑問が湧き起こる。
「デオンの仕事は?」
「ん? 俺か? 昔は王都の辺りで働いてたんだがな、今はしがない狩人だ」
アレンが前の職業について尋ねたのにはきっと気づいていただろう。だが、デオンはあえてそれをぼかして答えた。それが余計にアレンの好奇心をくすぐる。
王都に行けば分かったりするのだろうか。
「うん。デオン、早く王都に行きたい」
「おっ? そうだな、できれば今日中に着きたい」
動き出した大きな背中を追いかけて、アレンは歩き出した。
***
「お前、疲れないのか?」
前を歩くデオンが振り返る。
「ああ、うん、全然」
アレンは頷いた。ぶっ通しで歩いているのに、身体はあまり疲労を感じていない。正確には息も弾んでいないのだ。
今まで歩いてきたのは人がチラホラ歩いているような道で歩きやすかったのもある。
だが、デオンもデオンだ。自分よりも荷物は多いはずだが、全く疲れた様子がない。狩人だから体力があるのだ、と言われたとしても、少し異常だと思う。
周りの景色もだいぶ変わってきた。
石ころだらけのゴツゴツした小道はいつの間にか太く踏み慣らされた道に変わり、見かける人の量は倍増した。馬車を何台も連ねて移動する一団はおそらく商人か。重そうな荷台がゆっくりと動いている。
何となくそれを見ていると、荷台の後ろに座っている7歳くらいの少女と目が合った。
少女はにこりと可愛らしく笑い、小さく手を振る。アレンも釣られて笑顔になり、手を振った。
「そろそろ昼飯にでもするか?」
「確かにお腹空いたなー。どこで食べるんだ?」
デオンは道を逸れて行ってしまう。追いかけながら訊くと、すぐに答えが帰ってきた。
「そこら辺の河原だ。意外と穴場でな、あんまり人が来ないんで俺はいつも重宝してるぜ」
そう言ってデオンは、得意げに親指を立てた。