吹雪の中。白髪の少年。
ここはどこだろう、と少年は考えた。
全身が痛い。動かすたびに、ばきばきと音を立てそうだ。血が出ているわけではない。何十年も同じ格好をして寝続けた、そんな感じの痛みだった。
降り頻る雪の中、鉛のように重い足をゆっくりと動かす。手に握っている何かを引きずってとにかく前に進もうとする。
少年の手に握られていたのは、一振りの大きな剣だ。その刀身はボロ布で覆われ、どのような形をしているのかは見て取れない。しかし、その剣は少年の身体には少し大きすぎるように見える。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
荒い息が少年の口から漏れた。息をするだけで肺が苦痛を訴える。身体の限界が近いのだ。
冷え切った鋭利な風が衰弱しきった少年の身体を翻弄する。
右、左、右……。
風に踊らされてふらついた少年の足が雪の中を泳ぐ。
四方を雪の分厚いカーテンが囲んでいる。視界はとんでもなく悪く、一歩先が見えないくらいの吹雪がその場を支配していた。
何も、分からない。
何も、思い出せない。
少年の心を不安が締めつける。
自分が一体何者なのか、どこから来たのか。
記憶が全て少年の頭からはすっぽり抜け落ちていた。あるのはこの剣だけで、それ以外の持ち物はボロボロの布と成り果てた服だけだ。
体温が吹雪に奪われ、身体の感覚はもう既に無い。
寒い。
「……っ、……」
足がもつれる。少年が雪の中に倒れた音は掻き消された。
このまま自分は死ぬのだろうか?
瞼から力が抜けていく。視界が黒に閉ざされていく。
とても大事なことを忘れている気がする。
自分の死をすぐ隣に感じながら少年は思った。微かに顔をしかめる。
この命よりもずっと大事なことのはずなのに、思い出せない。何としても思い出さなければならないはずだ……。
雪が少し、和らぐ。
少年は雪に埋もれるように意識を失くした。
倒れた少年の上に雪はちらちらと積もり始める。
***
「……お……、いっ!……おいっ! 大丈夫か!?」
遠くから野太い声が聞こえた。少年はまつ毛を震わせ、僅かに瞼を持ち上げる。
「……生きてる」
野太い声が安堵に震えた。相変わらず少年の手足は冷え切っていたので反応は全くできなかったが、久しぶりに見た人間の姿に気が緩む。
そして再び少年は気を失った。
***
次に少年が目を覚ましたのは、暖かい場所だった。身体が温まったお陰で、今にも倒れそうなほどヤバい状態ではもうない。
ぐーぱーぐーぱー、と手を開いたり閉じたりしてみる。感覚は戻っているみたいだ。
頭を動かして起き上がる。白い髪が視界の端に映った。そっと手を伸ばして髪を触り、それが自分のものであることを知る。何となく違和感があるような気がするが、その正体を把握できるような情報は持ち合わせていない。
一体自分は何者なのだろう。
雪の中でも同じことを考えた。今考えても、分からない。つまり、自分は記憶喪失なのだ、と結論づける。
まずはこの状況を理解することから始めよう。
辺りをぐるりと見渡す。ここは木造りの家、それも年季が入ったもののようだ。殺風景な部屋には、少年の座る硬いベッドとほとんど空っぽの棚が一つあるだけ。その他に存在しているのは……。
部屋の隅で壁に立てかけられた一振りの大剣。
それが自分の持ち物であることはすぐに理解した。だが、どうしてそんなものを持っているのかまでは当然分からなかった。
これからどうしようか。
この家の住人に助けられたのは間違いないが、今の少年には何もお礼ができない。せめてしばらくここで働かせてもらう、とか?
帰るあてがないのでここに置いてもらうしかないだろう。
「どうしたもんかな」
声に出して呟く。溜息が口から溢れた。
頭を抱えてしばらく沈黙していると、扉の向こうに人の気配を感じた。反射的に身構える。
がちゃり、という音がして扉が動いた。
「起きた……、良かった……」
扉の上部に頭をぶつけてしまいそうなくらい大きな男が、少年を見て目を見開く。男の身体は、服越しにも分かる隆起した筋肉で覆われていた。茶色の瞳が少年の黒い瞳を捉える。少年が困惑しているのを見た彼は、慌てて部屋を出て行った。
「……?」
不審な行動にポカンとすること数十秒。男は丸椅子を持って再び現れた。男はベッドの隣に木造りのの椅子を置き、どっこらせ、と腰掛ける。
「調子はどうだ、ボウズ?」
厳つい顔のくせに人懐こい笑顔で男は尋ねた。少年は一瞬呆気に取られ、反応に遅れる。
「あ、はい、えっと、だいぶ良くなりました」
「そうかそうか、それは良かった! あんな吹雪の後に雪に埋まってるからよ、死んでるんじゃないかと思ったぞ。まさか生きてるとは思わなかったぜ」
ニッと歯を見せて彼は笑う。見た目の割にフレンドリーな性格らしい。予想通りこの男が少年の命の恩人だった。
「助けてくれてありがとうございます」
頭をペコリと下げる。男はその様子を見ると豪快に肩を揺らして笑い出した。
「いいってことよ! 俺があそこを通ったのも偶然だしな、これはもう何かの縁だ」
「いえ、これは立派な借りです。俺にはあなたに何も返せません。救ってくれたのは感謝してます。でも、この通り何も持ってない身で……」
目を伏せ、少年は小さな声でそう言った。文字通り一文無しという財政状況では逆立ちしても何も出てこない。
「まあまあまあ。ところでお前さん、行くあてあんのか?」
ハッと顔を上げる。男が少年の顔を覗き込んでいた。
「……ない、です」
少年はバツが悪くなり目を逸らす。
「そんなところだろうと思ったぜ。お前さんは悪人にも見えんし、どうだ? ここに置いてやってもいいぞ?」
行く宛のない少年には、願ってもない提案だった。