青柳 星夜
青柳 星夜は私の幼馴染と言える人物である。
初めて出会ったのは多分物心がつくよりも前。
青柳家と我が家は母親同士の仲が良く、同い年の娘が出来たことを喜んで事ある毎に会わせていたらしい。当然のように幼稚園も同じ所だし、小学校も中学校も同じ所。
肝心の私達の仲も非常に良かったと、少なくとも私は思っている。
小学校の時に私がバレエを習い始める事になった時は、一緒のレッスンを受けていたし、遊ぶ時はいつも一緒で、休みの日も一緒……。
いや、バレエを止めるのは少し私の方が遅かったかな。彼女がレッスンに行かなくなったのは先生が変わってしまったのが切っ掛けだったけど、私が止めた理由は星夜が、ソラが居なくなってしまったからだった。
私は迎え火でもくもくと煙るお寺の横を通り抜けて、この街の墓地に向かう。
山寺にあるこの墓地は、山を平らに均して作られた比較的最近のものである。日本人が神も仏もまともに信心しなくなって幾年月。年々こうしてしっかりとした場所にお墓を作る人は少なくなっているらしい。それでも死ぬ人間と言うのはたくさんいるもので、墓地には知らない名前の誰かの墓標が所狭しと並んでいる。
そんな場所に、青柳 星夜のお墓はあった。
私は赤く染まり始めた空の下で、数人の墓参り……こういうのも参拝客と言うのだろうか。とにかく数名の人物とすれ違って墓地を進む。
西の入り口から入って、真ん中の道を進み、手前から5番目の道を左に折れる。その道の左側8番目のお墓。
ここには一度も来たことはないが、お母さんが教えてくれた、もう二度と頭から離れないという程に自分で反芻しては涙した言葉がすっと思い出される。
あの時はソラにもう会えないのと、最後のお別れを言うのと、お墓があるのと、その他にも自分でもよく分からない多くの事が頭を過って、おおよそ前向きとは言えない感情が胸の中で渦巻いていた。その感情が頭の中で暴れて、一歩も前には踏み出せなかった。逃げ出したと言ってもいい。
しかし今はどうだろうか。
寂しいけど、辛いけど、苦しいけど、この歩みを止めようとは思えない。
何が違うのかと言えば、きっと時間が経過しただけなのだろう。
私はその黒い墓石の前に立つと、袋から二本のハーバリウムを取り出して墓前に供える。
一本は王冠型の銀のアクセサリーと黄色や赤の花が咲き乱れる私の瓶。
もう一本は夜の海を思わせる深い青色のソラの瓶だ。
どうやら青柳家はまだ来ていないらしく、墓前の花立や香炉は綺麗に掃除されたままだ。お寺の人が管理しているらしいので、どの程度の間隔であの夫妻が来ているのかは分からない。
彼女がここに眠って三年か。いや、命日から49日までお墓には入らないんだったっけ? あれ、それはお葬式とは違うんだよな。私ソラのお葬式の時入院してたから……?
お墓参りどころか、あの時はお葬式にも出なかったので良く知らないな。祈ることもお別れを言うこともせずに、結局今日まで逃げてしまった。
私は青柳家の墓の前で手を合わせて目を閉じる。
何を言えばいいのだろうか。ようやく会いに来れたこの日に、何を……。
目を閉じた私は、自然と4年ほど前の事を思い出していた。
バレエを止めた私達だが、中学に入って部活を何にしようかと相談した時に、真っ先に目を付けたのはダンス部だった。
あの学校のダンス部は結構有名な所で、全国大会で優勝したこともある強豪校だ。審査員に学校の卒業生が居るだとか、実は理事長が大会の支援者だとか色々とあったのはあったが、それでも一般的なレベルと比べれば大きくかけ離れた技術と練習量を誇る部活だった。
私達は部活を見学してその過酷な練習に度肝を抜かれつつ、バレエを小学生の時にやっていたという話から是非入部してくれと頼まれて入部を決めた。
それからは毎日練習の日々である。振り付けはコーチと上級生が相談して決め、それに合わせて踊り続ける。誰かがこっちの方が見栄えがいいと意見が出ればすぐに練習の振り付けは変わっていく。覚えたと思えば別のこと、その練習の繰り返しだ。
部員の仲も悪くはなかった。尤も、和を乱すようなメンバーはすぐに弾かれるという健全とは言いにくい雰囲気の中ではあったが、あの時の私からすれば居心地のいい場所だったと記憶している。
来る日も来る日も練習は続き、ついに私達は一年生ながら夏の全国大会のメンバーに選ばれて、そして我が校は見事優勝を攫った。
もちろん上級生の努力の結果であり、私達1年生など添え物のような扱いだったが、それでも自分の事のように嬉しかったし、ソラには部員の中で一番上手いと褒められたので私はそれで満足だった。
そして秋が来て別のコンテストがあったり、冬が来て少人数のコンテストで私とソラが二人で準優勝したり、春の一つ上の先輩の最後の大会が惜しくもベスト4だったりと、厳しくも楽しい毎日は続いた。
あの時の私はそれが急に失われるとは思っても居なかったし、まさかそれを奪いたいと思う人間がいるなんて信じる事すらできなかっただろう。
中学二年生の夏。
あの伝統的な夏の全国高校生野球大会と同じ時期、私達は夏の全国大会の最終調整を終えて大会会場へと向かっていた。
既に私達の一つ上の先輩は引退して受験勉強に集中している時期なので、私達2年生が中心となってチームをまとめる事になっている。
部長は私、副部長はソラ。私としては本当はソラに部長をやって欲しかったのだけど、ダンス部の皆に「星夜じゃ絶対無理だから」と押し切られて部長になってしまった結果だ。先輩方やコーチも概ね似たような考えだったらしい。
そんなこんなで私とソラは点呼を取ったりスケジュールの確認をするために、移動用の貸し切りバスの一番前の席に二人で座っていた。
練習内容には口を出さずに手続きだけ顔を出す顧問の先生と、会場が実家に近いとか言っていたコーチは別の車で移動なのでバスには運転手以外部員ばかりだったのを覚えている。
人数に対して少し大きいサイズのバスには、いつもソラとの関係を茶化してくる友達や、素直に私の話を聞いてくれる後輩たちがバラバラに座っていて、前の方には私とソラ、そして運転席でハンドルを握るあの男以外はいなかった。
あの男、夏梅 清吾は一児の父だった。
半自動化している高速バスの薄給の運転手で、妻の浮気が原因で離婚。一人娘は父親の下へ残ったが、彼女は半ば独り暮らしのような生活で、学校の人間関係を苦に自殺している。
そして彼は私達を、ソラを道連れにしてバスを山道から転落させた。
この時代の自動車と呼ばれる乗り物は、その大半が半自動化している。バスの運転手に求められるのは非常時に乗客の命を守る事である。基本的には寝ていても問題ないとさえ言われるようになっている。人間よりもコンピューターの自動制御の方が何かと安全なのだ。
当然あの時のバスも事故を起こさない様に何重もの安全装置が取り付けられていて、例え運転手でもそれを解除して事故を意図的に引き起こすのは難しい。
あの男が本当は何を思ってあの事件を起こしたのかは分からない。しかし、彼は何としても私達を道連れにして自殺したかったらしい。
運転手は、その安全装置の破壊を試みた。
バスの制御用コンピュータが設置されている運転席の爆破、というあまりにも乱暴で短絡的な手段を用いて。
3か月も前から作っていたらしい爆弾の威力は十分で、その爆発の中心に居た当然運転手は即死、そのすぐ後ろに座っていた私達も爆発によって重体。
その上あの男の目論見通りにバスは崖下へ転落し、私はバスの外へ放り出され、ソラは座席と拉げた壁の間に挟まった。
後部座席に座っていた皆も大小様々な怪我を負って、当然だが私達の大会はこれで最後となった。あの事故の後に部活を続けようと思う部員は一人もおらず、コーチも別のチームを転々と指導していたようだが、それも半年ほどで止めてしまったらしい。
私は一人発見が遅れ、近くで釣りをしていた一般人に見つけられた。
ソラは一番酷い怪我で真っ先に病院に運び込まれた。
どちらが幸運だったのかは言うまでもないだろう。
もしも座席が逆だったら、もしも私が綺麗な景色に感動して窓の外を見ていなかったら、もしもソラが運転手の異変に気付いて運転手を気遣う声をかけなかったら、もしもその声を聞いて運転手が思い止まっていたら。
結果は違っていただろう。
爆破直前までの監視カメラの映像は、犯人を気遣う心優しい女の子の死という残酷な現実を人々に見せるために幾度となく放映された。
私も何日も昏睡を続けていたようだが、目が覚めてからは警察、マスコミ、アングラ系ニュースメディアの記者など様々な連中が押し寄せて、私に“感想”を求めた。
いや、実際には私の心身ともに甚く傷ついた姿が拡散できればそれで良かったのだろう。私は一言も大したことを話した覚えがないが、私とソラの関係やその凄惨な事件は、半年以上もの間私達の、そして犯人のプライバシーという“新事実”と共にニュースや特集として取り上げ続けられた。
一応の命の危機を乗り越えた私はと言えば、毎日ソラの事を考えて過ごしていた。
ダンスなんて誘うんじゃなかった。私はソラさえ傍に居れば他の誰に何を言われても耐えられる。なのにどうして……。
私はあの時、心無い言葉など投げかけられたことはない。
心配だ。可哀想だ。お大事に。不便はないか。学校はどうするか。
生きてて良かった。
その全てが私を苛んだ。
心配させるな。見るに堪えない。早く立ち直れ。邪魔だ。きちんと自立しろ。
死ねば良かったのに。
自分で自分にかける言葉はすべてその通りに思えて胸が苦しく、しかしそれでいて他人に掛けられるどんな言葉よりもずっとマシに思えた。
他人からの助力や優しさは、どうしても私を惨めにさせるから。
自分からの自責や慚愧は、まだ私がまともなのだという実感をくれるから。
私は自分が無価値なのだと知っている。それすら知らずに厚かましく生きることがどうしても怖かった。
「瑞葉ちゃん、今年は来てくれたのね」
「っ……」
どれだけの時間ここに居たのだろうか。
既に日は西に沈み、森の虫たちが恋を求めて鳴き始める頃。私はお墓の前で急にかけられた声にビクリと肩を震わせると、溜まっていた涙を隠すように拭って立ち上がる。
そこには簡素な服を着た夫婦。
青柳夫妻が立っていた。
この二話、本当は一話にしようと思っていたのですが、思っていた以上に長くなりました。
おそらく明日明後日くらいには明るい話になると思います。




