瑞葉の居場所
「瑞葉」
私がそうして俯いていると、空から優しい声が降ってくる。
彼女は私にそっと近づくと、そのまま抱き締めた。
「ほら、あっちに行こう。大丈夫」
それには賛成だ。こんな場所にいるべきじゃない。
そう頭では考えているのだが、体がここから動かない。ここに何か大切な物を落としてしまって、それにまだ未練があるように。
彼女は黙ったままの私の頭を一度撫でると、勢いよく抱き上げる。
突然の浮遊感に驚くが、顔を上げればそこには紗愛ちゃんの笑顔が待っていた。
「ほら、まだお風呂入るでしょ?」
彼女は私を抱いたまま通路を進む。
私は何をするわけでもなく、ただそれを黙って見ていた。
いくつもの通路を抜けてたどり着いたのは、夕飯前にも入ったジェットバス。
紗愛ちゃんは私を抱いたままお風呂に入っていく。やや狭い浴槽にぴったりとくっついたまま二人で。
そして少々強引に私の左脚を外してお風呂の縁に立てかけた。
水流や彼女の肌が触れた部分が少しくすぐったい。
冷えていた体がそれに反応した様に熱を持った。
「……ありがとう」
「どういたしまして」
抱き合う様な距離感に、きっと他の人には奇異に見られるかもしれない。それでも私の体はまだ思うようには動かない。
それに少しだけ、もう少しだけこうして居たい気分だった。
どれほどの時間が経っただろうか。
若干無遠慮に開けられた扉に思わず振り返ると、いつもと同じ表情のフランが立っていた。
「私も入る」
「え、流石に3人は狭くない?」
フランは紗愛ちゃんの制止も聞かずにジェットバスの浴槽に入る。このお風呂は水流のマッサージ効果を保つためなのか微妙に狭い。普通は一人用だと思う広さだ。
フランは私達に折り重なるように体を寄せて、大きく息を吐いた。
「狭い狭い! これジェットバス意味ないよ!」
「一人だけ除け者にしないで」
「そういう感じじゃないじゃん!」
私はさっきまで逃げ出したかったこの空間が、居心地のいい空間に様変わりしてしまったのを感じて少しだけ笑った。
***
私が目を覚ますと、着崩れた浴衣を脱ぎ捨てた半裸の……いやほぼ全裸のフランが視界に飛び込んでくる。
驚いて身じろぎをすれば、首筋に吐息がかかった。状況が飲み込めずに振り返ると、私の背後には似たような姿の紗愛ちゃんが寝ている。
「……3人で寝たんだっけ」
私は昨日の晩のことを思い出して、静かに起き上がる。そこでようやく自分の浴衣も盛大に崩れていることに気が付いた。特に私は左腕が袖を通っていないので尚更である。
紗愛ちゃんに掴まれていた左袖を奪還し、二人を起こさない様にベッドの縁へと向かう。すっかり乾いた義足を左脚に装着して、朝の支度を開始した。
一度浴衣を脱いでから下着を着け、義手と操作用のセンサーを取り付ける。本物の腕に比べると軽いはずだが、それでも重い。これを一日中つけていると肩が凝るのだが、ないよりよっぽどマシなので毎日使っている。
そして昨日持って来た私服へと着替える。この宿には服のクリーニングサービスもあるようだが有料だ。明日の服はどうしようかな。
テキパキと着替えを済ませて、顔を洗い歯を磨く。部屋のカーテンを開ければ、外には気持ちの良い青空が広がっていた。今日も一日暑くなりそうだ。
私が見慣れない地方の朝のニュースを見ていると、朝食の30分前にセットしていた枕元のアラームが一斉に鳴る。3人分も絶対に要らなかったな。
私は一つずつアラームを止めて、起きる気配のない二人を起こす。
「ほら、朝だよ。起きて」
「んんぅ……補習……?」
「無いけど起きて」
私の呼びかけで意外にもサッと起きたフランとは対照的に、紗愛ちゃんはまだ夢現といった様子だ。私は3人で共有していたフワフワの掛け布団を引き剥がして畳んでしまう。
お腹が空調の風に触れた紗愛ちゃんは、寒かったのか流石に目を開けた。
「ご飯だよ」
「はやくない……?」
「一般的にはそう早い時間じゃないかな」
紗愛ちゃんの基準では分からないが、普通の人は大抵食べ終わっている頃だろう。
私は彼女を立たせて着替えを促す。本当はきっと浴衣のままでもいいのだろうけれど、既に着ているとは言い難い状態なのでどうせまた着るなら私服の方がいいだろう。
私達が揃って準備が完了したその時、部屋にやや遠慮気味なノックの音が響いた。
私と紗愛ちゃんは何事かと顔を見合わせるが、フランは迷わず扉を開ける。その迷いのなさは、予め誰かがここに来ることを知っていたかのようである。
「おはよう。目は覚めた? あー、えっと……」
扉の向こうに居たのは初さんだった。浴衣ではなく、ピンクのTシャツにライトイエローのカーゴパンツ姿。シャツには黄緑色で髭のお爺さんの顔がプリントされている。
聞いていた以上に私服がダサい。何だろう。想像していたベクトルと違うダサさ。
私が彼女のファッションセンスに驚愕していると、そんな私の心情を知ってか知らずか、初さんは大きく頭を下げた。
「昨日は本当にごめんなさい。那々の事は私の責任です。何と伝えたら正しいのか分からないけれど、本当に申し訳ないことをしました」
驚いた。
いや、彼女が頭を下げたことではない。
初さんが頭を下げると、何と彼女の背中には白い羽が生えていたのだ。
正確にはシャツの背中に縫い付けられている。ただのTシャツとしても十分に謎のファッションなのに、背中には白い羽。
私はあまりの衝撃に言葉を失い、紗愛ちゃんは隣で思わず吹き出している。
正直、ビヨンビヨンと揺れる羽が目に入って話の内容が頭に入ってこない。
「那々に何と伝えればいいのか分からなかったし、瑞葉さんにも……」
「初、そのふざけた格好は何?」
この場で唯一その事実に突っ込めるフランが、珍しく怒気を露にした声でそう問う。
そういえば怒った時に手が先に出ないフランって珍しい気がする。現実でもゲームでも自分の主張を相手に伝える手段に、言葉を用いるのが苦手なのだと勝手に思っていたのだが。
「流石に謝りに来るのに浴衣は良くないと思って、持って来た服の中で一番落ち着いた服装で……」
「あり得ない……ファッションセンス無いのは知ってるけど、ふざけてるようにしか見えない」
落ち着いた、という言葉が初さんから出た時点で、眠そうだった紗愛ちゃんがお腹を押さえて笑いを噛み殺している。そんなに面白いか。正直私は驚きの方が強くて面白いと感じないのだが。
その後も、那々ちゃんの態度について自分の責任だという初さんの謝罪は続いた。
別にはっきりと誰が悪いという状況ではない。それでもこうして謝罪に来てくれるのは、まぁ誠意があるということなのだろう。
私としては放っておいてくれるだけで良かったし、何ならきっと昨日二人が一緒に居てくれなかったらこうして会うのも嫌だっただろうけれど。
ただ、一つ彼女の口振りで気になることがあった。
「あの、初さん。もしかして、私の事調べましたか?」
どうもこの人、3年前のことを知っているような雰囲気がする。私がなぜこの体なのかが、気になっている様には見えない。
最初に会った時はそういう人なのかとも考えたが、こうして私についての話を聞く限り、どちらかと言えば知っているような口振りだ。
当然だがこうして旅行でお世話になっている以上、フランからフルネームくらいは聞いていると思う。
そして私の名前は、過去の新聞記事でも検索すればそれなりにヒットする。おそらくネットで数十分も探せば、私がどこの誰なのかは簡単に分かるだろう。もしかすると記憶力のいい人はきっとフルネームで私の名前を聞いただけで当時のニュースを思い出せるかもしれない。
私がどんな目に遭ったのか、知りたい人は大抵知っているのだ。
そして彼女も、私の予想通り肯首した。
「調べました。その上で那々には伏せていました」
「それは……どうしてだか聞いてもいいでしょうか」
「……痛ましい事件だと思い、伝え方を熟考するよりも隠した方が楽だと判断してしまったからです」
そうか。やっぱりそういうことなのか。
義手は比較的人間に近い見た目をしているとはいえ、その不自然な動きには違和感を覚える人は多い。特にあの時は着慣れない浴衣だったし、腕がないという発想に至らない程の子供ならばともかく、彼女が気が付かないというのはあまり考えられない。
彼女もまた、悩んでいたのだろう。
私の存在を子供たちにどう伝えるのかを。
私は初さんに謝罪は受け取ったが、あまり蒸し返さないで欲しい旨を伝えて扉を閉める。
初さんの姿が見えなくなると同時にフランが私の事を抱き寄せて、一言謝罪の言葉を告げる。私はそれに、少し表情を作って笑い返したのだった。
連載一ヶ月記念です。
投稿日をよく見たら昨日だった気もしますが、一日休載したのでそれを計算に入れると今日が一ヶ月かもしれません。
今までお付き合いくださった方、本当にありがとうございます。
これからもよろしければどうぞよろしくお願いします。




