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一つの失敗

 夕食を終えた私達は、もう一度お風呂に来ていた。

 さっきの入浴の際にはジェットバスなど変わり種ばかりだったが、今回目指すのは露天風呂である。


 一応この宿一番の売りらしく、パンフレットの表紙には大きくその露天風呂の写真が掲載されている。ちなみに裏表紙は建物の外観と、駅から宿までの地図だ。


 私達はいくつかの扉を越えて、湿度の高いお風呂場を抜けていく。

 最後に、室内に比べると冷たい外気が入り込む廊下を通れば露天風呂だ。夏なのでそこまで違いは感じない。


「ここが露天風呂かー」

「広いね」


 相変わらず景色は暗くてよく見えないが、やはり開放感が違う。パンフレットが昼間の写真だった理由がよく分かる。


 私は他のお風呂よりもやや熱めのお湯に右足を入れる。外気によって冷まされた肌に、熱が伝わる。実際よりも熱く感じるお湯に、私は少しずつ中に腰を下ろしていった。


 他のお風呂は閑散としていたが、流石にこの温泉には他の客も数人入っている。それぞれがお湯を楽しんでいるようだ。かく言う私もその心地よさに思わず声を上げる。

 あー、溶けそう……。あの後アイスも食べたからちょっとお腹も冷えている。それもあって何だか気持ちがいい。


 私と同じように少しずつ入っていたフランは、全身を脱力させて岩に寄りかかっている。お風呂で寝ないでね。


「はふぅ……温泉ってなんでこう気持ちいいんだろうね」

「温泉だから」

「言えてる」


 これなら泥団子とか来ればよかったのに。そんなことをつい考えてしまうが、よくよく考えてみるとフランと彼は別に知り合いでも何でもなかった。いつも一緒にいる気がしているから忘れていた。


 かく言う私も泥団子の顔は思い出せるけど、一義君の顔をパッと思い出せなくなってきている。そもそも中学の時だって別に仲がいい訳じゃなかったからなぁ。

 私との関係を端的に表現すれば、友達である紗愛ちゃんの幼馴染である。


 私が月を見上げながらお風呂を楽しんでいると、隣でぼんやりしていた紗愛ちゃんが突然何かを指さした。


「……あの仕切りさ」

「うん?」

「漫画とかだと向こう側に男湯があって、女湯覗いたりするよね」

「あの先普通に外だよ」


 何かと思えばどうでもいい話だった。

 ちなみに男湯の露天風呂はここから混浴の建物を挟んだその先。女湯男湯は日替わりで交換なので明日になれば私達もそっちに行くことになるだろう。


「壁に穴が! みたいな」

「紗愛は覗かれたいの?」

「んー……待って、今脳内が二次元だから」


 紗愛ちゃんはそんな謎の言葉を残して考え込む。


 好き好んで風呂場を覗かれたい人間など普通はいないと思う。女性に限らず男性だって知らない人間に裸を見られたら嫌だろう。それがどんな美人でも。


 そんな考えの私は、イケメンでも風呂を覗くような奴は当然願い下げなのだが、紗愛ちゃんは割りと顔が良ければ何でもいいみたいなところがある。こういう時に率先して覗くようなキャラクターが彼女のお気に入りだったりするのだ。まぁ現実では流石にそんな趣味はないと思うが。


 私は月明かりとムーディな照明であまり見えない星を探す。

 夏の星座などもうほとんど忘れてしまったが、確かに小学校の時に授業で習ったような気もするのだ。

 私が特別忘れっぽいわけではなく、皆授業の内容など一言一句覚えてはいないのだろう。


 人間は忘れる生き物だ。

 大抵の過去を忘れて、頻繁に使う記憶だけを頼りに生きている。その記憶を人は、常識と呼んでいる。


 きっと頻繁に思い出して常識にしてしまわないと、こういった思い出もいつかは消えてしまうのだろう。


 私はそれが少しだけ寂しくて、隣にいたフランに身を寄せる。私よりも筋肉質な体に寄りかかると、瞳を閉じていたフランが片目を開けて私を覗いた。


「瑞葉、ぷにぷにしてる」

「ひどい!」



 ***



 しばらく露天風呂を楽しんだ後、私達は次のお風呂を目指して立ち上がる。

 私が近くに置いておいた義足を付け直してその後を追うと、露天風呂への出入り口にはとある人物が立っていた。


「初、今からお風呂?」

「うんまぁそうだけど……蘭は今上がる所?」

「これからサウナ」


 あ、私達の次の目的地サウナなんだ……知らなかった……。

 フランの姉、初さんが娘の那々ちゃんを連れて露天風呂へとやって来ていた。


 私は独断で行先を決めたフランに少し呆れ、その背中に追いつく。


 その瞬間ヒヤリとした冷たい予感が背中を駆けて、私は慌てて紗愛ちゃんの背中に隠れる。

 しかし、その判断は少し遅かった。


「うわぁあん! ママぁ!」


 私の姿を見た那々ちゃんが、突然泣き出して初さんにしがみ付く。その声が浴場に響いて、数人いた客の視線が集まった。


 私は体の芯から冷えていくような心地がして、つい言葉に詰まってしまう。いや、そうでなくとも私には彼女に掛ける言葉など見つからなかっただろう。


 初さんはしまったとでも言う様な表情を浮かべ、気まずそうに那々ちゃんに目線を合わせた。


「どうしたの? 何にも怖い事ないよ」


 彼女が泣き出した理由は明白だとは思う。それでも初さんはそう聞いた。那々ちゃんは涙を流すばかりだ。


「あの! さ、先に出ますね」


 私は声を振り絞ってそう宣言し、何かを悩んでいる表情の初さんの横を足早に抜ける。そうでもしないと、きっと私はここから動けなかっただろうから。


 後ろに居る二人のことも頭から抜けて、開けた扉をすぐさま閉める。そして私は廊下の曲がり角まで逃げ出した。


 少し遠のいた泣き声と、内容が聞きとれないほどに小さくなった初さんの宥める声に、私は少しだけ安堵してしまう。

 本当に目隠し以上の役割を持っていない、竹の衝立(ついたて)に体を預ける。そのままズルズルと座り込んだ。


「はぁ……」


 いつの間にか荒くなっていた息を整えるが、心臓は嫌な速度で鼓動する。さっきまでお湯につかっていたはずの体は完全に冷えてしまっていた。


 失敗した。

 こんな体で子供の前になんて出るんじゃなかった。

 きっと彼女の目に私は、得体のしれない“怖い物”に映ったことだろう。怖い思いをさせてしまった。初さんにも迷惑をかけた。


 そう認識すると、自然と息が詰まり、目から涙が零れる。


 自分が何を考えているのかも判然としないまま、私はそこで蹲る。

 悲しいのだろうか。寂しいのだろうか。それとも悔しいのだろうか。


 あそこに私の居場所がないことが。


 少なくとも、ついこの前までは当たり前に思っていたはずなのだが。私がこんな場所を楽しもうとするなんて考えてはいけないと、この前までは考えていたはずなのだ。


 しかし今の私には、どうしてもそれが途方もなく昔の、過去の考えとして感じてしまう。


 どうして私は、こんなにも愚かでおこがましいのだろうか。

 つい最近まではそれが常識だったはずなのに。繰り返し思い出さなければ、こうも簡単に忘れてしまうのだ。


 早くこんな場所出なければいけない。

 そう思うのに、私の体は思うようには動かなかった。


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