温泉
そこは浴場というよりも、レジャー施設のような場所だった。
ジェットバスや打たせ湯、蒸し風呂などの多種多様な施設が並んでいる。一つ一つがかなりの大きさで、尚且つ人も少ないので見方によっては少々物悲しい。
人が少ないのは個人的には好ましいので、単純に豪華な施設だなといった感想である。貸し切りとまでは行かないが、人との距離が遠いのは嬉しいし、広いお風呂というのはそれだけで何だか素敵な物という感じがする。
一頻り感動した私は、小さなタオルとボディブラシを持って洗い場に向かう。
そこには一人の先客が待っていた。
「よし、瑞葉。お姉さんが背中を洗ってあげよう!」
「誕生日二日違いだけどね」
先に待っていた紗愛ちゃんが泡だらけの姿でそんな事を告げる。せめて自分のが終わってからにしなさい。
「高級感に緊張するのはもういいの?」
「何かお風呂見たらテンション上がっちゃった!」
シャワーで雑に体を洗い流した紗愛ちゃんは、私を自分が座っていた椅子に座らせる。気を遣われているのは流石に分かる。そもそも脱衣所で即座に着替えて洗い場に直行したのもこのためなのだろう。普段から体洗うくらい一人でやっているのに。
ちなみに私は、彼女の親切の押し売りを中学校の時から全体の一割も断れたことはない。ちょっと強引な優しさ。それが嫌じゃないからこうしてずっと一緒に居るのだけれど。
私は紗愛ちゃんの誘導に従い、椅子に腰かける。
おそらくはさっきまで彼女が使っていたのであろう泡塗れのタオル。それが私の背中を撫でるのを感じながら、右手で義足のソケット部分を外していく。
家の風呂場のように壁の手摺伝いに歩けるわけではない。そのためここでは義足だけは簡単にだが付けたままだ。靴下やタイツで隠れる前提のその足は、形ばかり整えられていて足と呼ぶには少しだけ武骨だ。
ちなみに義手にも生活防水くらいは当然ついていはいる。しかし好き好んで大容量バッテリーを風呂場に持ち込む者はいないだろう。外すのも付けるのも結構苦労するし。
義足を外せば、やや歪な形をした脛が露になる。
既に左肩が出ているのでもはや何もないはずなのだが、この傷跡を見る度にどうしても自分という存在を再認識させられる。昔は事故の記憶が脳裏を過っていたので今以上に辛かったが、いつの間にか少しずつだが忘れて行っているのかもしれない。
もちろん思い出そうと思えば思い出せるが、それでも詳しい状況は霞んでしまっている。はっきりと思い出せるのは感情的な部分だけだ。それですら今の感情なのか当時の感情なのか判然としない。
私は持ってきたブラシで体中を洗っていく。
普段は頭から洗うのだが、紗愛ちゃんが背中を洗い始めてしまったのでそれに合わせた形だ。何となく自分で手早くやらないと、紗愛ちゃんに背中どころか“前”まで洗われそうな予感がするので、触られたくない部分から順番に。
「……そういえば、お腹の傷ってもうないんだね?」
「え? ……ああ、うん。傷跡らしい傷跡は残ってないよ」
左肩を撫でる様に洗っていた彼女が、私の左の脇腹を見てそんなことを言う。
そういえばそうだ。治った傷もあるんだよね。私は当たり前の事を思い出して体を洗う手が止まる。
私の怪我は左半身に多い。脛は三割ほど残して無くなってしまっているし、腕に関してはもはやほとんど存在しない。
当然それだけの大怪我だったので、他の部分も酷い有様だったらしい。あの事故当時は気を失っていたし、気が付いたら病院の集中治療室だったので私は良く知らない。病院に行けば写真くらいはあるかもしれない。
他にも、どうやら野次馬が撮ったらしい写真が巷で所謂グロ画像として広まっていたようだが、当然と言うべきか私に見せようと考える者はいなかった。ちなみにアップロードした人は捕まっていて、既に写真も削除されている。
噂では、お腹も半分ほど抉れて内臓も一部傷付いていたらしい。大腿部にも大きな穴が空いており、骨も見るに堪えない状態だったとか。顔も頬骨などが損傷、左目にも後遺症が残っている。
ただ私は、それらを最近意識したことはなかった。
摘出された骨以外は既に治っているし、体に傷跡はない。視力の後遺症は移植型のコンタクトレンズが付けられているため、これの交換の時以外はあまり不便を感じない。これに関してはもう一歩で義眼だったらしいので当時の“顔の向き”には感謝だ。
私がそうして止まっている間に、フランが洗い場にやってきた。普段から運動しているからか姿勢がいい上に、隠す気がまったくないので色々丸見えだ。やっぱり胸は私と大差ないな。
ちなみに私達は“あっち”でも胸の大きさに大差はない。フランのアバターは現実の彼女と雰囲気が似ているが、それでも見た目の印象が結構違うのはそこの差かもしれない。
「瑞葉、怪我してたの?」
「怪我って……そんな聞き方されたの初だよ」
どうやらフランには私達の話が少し聞こえていたらしい。
私は簡単に、昔の怪我がどうだったのかを説明していく。フランはそれに耳を傾けながら頭を洗い始めた。
「でも再生医学とかで皮膚の移植は済んだから、傷跡は特に残ってないんだよ」
「再生医学ってあれ? 何たら細胞とかで自分の替えの臓器作る」
「それ。皮膚の培養って結構昔からある技術なんだってね」
まぁ遠い昔に医者から聞いたっきりなので詳しく覚えていないが。
フランがシャンプーを洗い流して顔を上げる。そして若干安っぽいトリートメントを大量に容器から出しながらこちらをチラリと見た。
「皮膚は作れるのに腕は作れないの?」
「研究段階らしいよ。今でも可能と言えば可能らしいんだけど、後遺症と副作用を回避する方法探ってるんだってさ。そんな博打するくらいなら安全性が保障された機械義手にしてくれって親が頼んだみたい」
その判断は正しかったのだろう。どうやら私の担当医も同意見だったらしい。実際私はこうしてあまり不自由なく暮らしている。不便ではあるが、言ってみればそれだけだ。
左腕は動くし、歩くことだって自分の足でできる。最初は戸惑うことも多かったが、もう何年もこの体で動いている内に色々と慣れてしまった。
「まぁとにかく腕とか足は、傷口の状態とかで可能かどうかが変わるんだってさ」
「へぇ……このお風呂混浴あるんだって」
「話題の転換が急過ぎる……」
フランの話では温水プールの方に混浴の温泉があるらしい。水着着用で入る乳白色の立ち湯らしい。まぁ女三人で行く理由もないので絶対に行かないが。
私達はその後も色々とこの宿の変わり種温泉について話しながら、体を洗っていく。本当にここのお風呂はアミューズメント施設のようだ。
私は最後に、紗愛ちゃんに髪の毛を上げてもらって完成だ。
義足を付け直しながらフランの様子を確認すると、あちらも体を洗い流し終えたところだった。
「じゃあ、ご飯の時間まで皆でお風呂満喫しよう!」
「今からご飯の時間って、結構すぐだからどこに行くか迷うね」
「遠いと時間の無駄。近場にしよう」
私達はそれぞれ意見を言い合いながら湯煙の中を進んでいくのだった。




