お風呂で電話
メールを送信した私は、牛乳を一杯だけ飲んで脱衣所で服を脱ぐ。汗でべたべたなのでとりあえずはシャワーだけでも浴びたい。
そう思って浴室に足を踏み入れたのだが、そこには予想外に浴槽にお湯が張られていた。どうやら両親が気を利かせてくれていたようだ。
私は簡単に体を洗ってから、肩まで湯船に浸かる。体の緊張が溶け出していくような感覚が気持ちいい。
音楽でもかけようかとお風呂のデバイスを起動する。そこで一通のメールが届いていることに気が付いた。
「フランもう起きてるんだ……」
送り主はさっきメールを送った相手であるフラン。もしかすると早朝はランニングでもしているのだろうか。
メールには一言、大丈夫とだけ書かれている。何というか、返事が来たこと自体珍しいが、内容は彼女らしい物だ。
私は音楽を流して湯船で寛ぐ。フランは予想外に返事が来たが、流石に紗愛ちゃんは補習のギリギリまで寝ているだろう。
「あー……」
体中の力を抜いて湯船に浮かぶ。この体は妙な所が凝る。左右のバランスが取れていないので当たり前ではあるのだが、胸もないのに肩凝りが酷い。
何となく凝りを解そうと腕を水面に上げた瞬間、反動で私の体がお湯の中に沈む。
私は顔が水に覆われて、慌てて右手を底について体勢を直した。
「ぷはっ……はぁ……」
水面から顔を上げると音楽が止まっていて、静かな風呂場に通話の着信音が反響している。どうやら紗愛ちゃんが私の携帯電話にコールしているらしい。
私はお風呂のデバイスから音声通話をオンに切り替える。
呼び出し音が止まり、聞き慣れた声がお風呂場に響いた。
『もしもし瑞葉?』
「どうしたの? 朝早いね」
『今日も補習だぁ、と思ってたんだけど今日はなかったんだよね』
どうやらいつもこのくらいの時間に起き出して、補習へ向かっているらしい。
結構余裕持って行動しているようだ。その真面目さをなぜテストで発揮しないのかは謎だが、真面目に補習を受けているようで安心だ。
『瑞葉体調はどう?』
「うん、普通に元気だよ。昨日はつい寝ちゃったってだけで、体調が悪いとかはないと思う」
『そっか。無理しちゃダメだよ。……で、本題なんだけどさ』
本題?
てっきり私のメールを読んで、体調を崩していないか心配になったという話かと思っていた。しかしどうやら彼女は、別の要件で通話をかけて来たらしい。
私はスピーカー側に耳を寄せるように体勢を変える。水音が鳴って、それをマイクが拾った。
『あ、お風呂中だった?』
「うん、気にしなくていいよ」
『そう? でさ、これ何?』
そう言って紗愛ちゃんは一本の動画のアドレスを送ってくる。
私がそれを開くと、映し出されたのは天上の木の動画。ステージの上で美女があられもない姿で踊っている。
動画のタイトルは“興奮必至!? 酒場の美人踊り子”云云かんぬん。明らかに煽るようなサムネイルとタイトルが、低すぎる再生数と相まって物悲しい。
それはともかく。どうやら昨日のステージが動画投稿サイトに上げられているようだ。投稿者の名前は、“ききりりののの”。フォロワーがたった2人の動画投稿者だ。
「あー、なるほど……」
『これラクスだよね? 昨日の夜トウヒの町で話題になってたんだけど……』
「私だね。撮ってたのは知ってたけど、ネットに上げるなら一言くらい欲しかったなぁ」
まぁ別に上げられたこと自体に悪い気はしない。
しかしあの衝動的な踊りがこうして延々と残り続けると考えると、その点は少々気恥ずかしかった。もっと振り付け考えればよかったかな。ショールともしっかりと打ち合わせと練習を重ねれば、それなりにいい物になっただろうに。
しかし、紗愛ちゃんが言いたいのはそんな事ではなかった。
『振り付けエッチすぎ! 表現抑えて!!』
「えぇ……? もしかしてそれ言うために通話してきたの?」
紗愛ちゃんの声に反応してデバイスが自動で音量を下げる。スピーカー側の自動設定なので動画の喧騒も一緒に遠のいた。
どうやら彼女は、このステージが性的な目で見られていることにご立腹らしい。
別に運営から「性的コンテンツだからやめて」と言われたわけでもない。個人的にはその辺りはどうでもいい気がする。
世の中には多種多様な大人のコンテンツに溢れているから、今時こんな動画、ませた小学生すら鼻で笑う類の物だと思う。
しかし彼女に言わせればこれは性的な情を煽り過ぎであり、動画に削除申請を申し入れたいほどなのだという。
『なにこの表情! もう見る性行為だよこれ! こんなの拡散されちゃったら生きていけないよ!』
「見る性行為って……」
彼女の言わんとしている言葉はともかく、現在この動画の再生数はようやく50回を超えたところだ。とても拡散されているとは言い難い。
カメラワークの悪さや投稿者の“ののの”さんと思しき人の歓声なども入っているので、動画としての質も悪い。このまま放置していてもあまり拡散されないだろう。
ちなみに現在、仮想現実内の様子を平面動画で撮影する、というのがそもそもあまり流行っていない。大抵は三次元の“追体験型”の動画の方が人気だ。天上の木であれを撮るには色々と規約があり、撮る前に映る予定のプレイヤーからの撮影許可が必要だ。無断でネットに上げるなど不可能に近い。
まぁそうでなくとも私は、こうして誰かに見られることにそれほどの忌避感を覚えていなかった。あまりどうこうしようとは考えていない。
「良いんじゃないかな。別に嫌じゃないよ?」
『もー! いつからそんなエッチな子になっちゃったの!』
「昔からじゃないかなぁ……」
電話口で声を荒げる紗愛ちゃんの言葉をぼんやりと聞きながら答える。
そう。この感覚は昔から変わらない気がする。
そもそも私は着替えやお風呂を覗かれるという性的な目と、こうして私が体を使って表現した結果集まった視線をはっきりと、無邪気に区別している。特にステージの上では顕著だ。
自分でも何がどう違うのかと聞かれれば、私の感じ方が違うとしか言えないので説明は難しいのだが。
『とにかく、私は低評価と通報しておくから! コメントも本人に許可取ったんですかって書いとく!』
「その位ならお好きにどうぞ。私も誰かに見られるのは良いけど、ネットに上げるなら一言声かけて欲しいしね」
私は憤慨した様子の彼女と別れの挨拶を交わす。通話を閉じた後は、久しぶりに振り付けの動画を漁った。
今度はしっかり練習しよう。暇な時ショールにも練習に付き合ってもらおう。こっちじゃ練習できないし。
あ、そうするとあっちで使える楽器が要るのか……いつもあのステージで練習するわけにはいかないだろう。
必要なのは曲と振り付け、楽器……楽器って木工で作れるのだろうか。リードを作るよりは弦楽器の方が簡単そうだけど、ショール弾けるかなぁ。
2万PV達成しました。
ありがとうございます。
あと、区切りが悪いので今日は一話です。




