酪農体験
今私の目の前には、常識から逸脱したような珍妙な生物が群れを成して向かって来ている。
私が手に持った剣……ではなく、餌の入った桶を頭上に掲げると、その動物は微妙に長い首を桶に突き入れてもしゃもしゃと咀嚼していった。
「この動物、可愛くない」
「まぁ……そうだね……」
隣で同じような事をしているフランが、動物の顔を見上げてそんなことを呟く。
私達は今、シトリンが希望していたあの牧場で酪農体験をしていた。様々なコースがあったため、2グループに分かれての行動だ。ちなみにラリマールとショールは興味がないと言って来ていないので、こちらは私とフラン、そしてシトリンの三人だ。
そして今回お世話をする動物は牛獅子。獅子の名の通りライオンのような見た目、というわけではない。
獅子の如き貫禄の、どちらかと言えばキリンに似ている牛だ。
首や足は本来の牛に比べて非常に長く、体は大きい。体色は黒と白のホルスタインのような色も居れば、赤青黄色の配色の牛もいる。ビビッドな原色ではなく赤茶色や生成り色と言った色合いで、色自体にはそこまで珍妙という印象はない。
しかしやはりそれ以上にシルエットが見慣れなくて若干怖い。
私とフランが微妙に恐怖を感じている隣で、シトリンは感動した様にはしゃいでいた。その身長よりもかなり高い位置にある飼料を牛にやりながら、色々と声をかけている。心なしか彼女の周りには牛の姿も多い気がする。
「たんとお食べー。一杯食べて元気に育ってね」
「え、これ以上大きくなるの……?」
「あ、違くて! これもう成牛なんですけど、何かその……気分的な?」
私の声に慌ててふらついたシトリンに、抗議するように牛が頭突きをする。彼女はそれを、やはり楽し気に受け止めていた。
餌やりが終わったら次はブラッシングだ。牛舎の中にいる牛に、専用の台に乗った私達がブラシをかけていく。牛はのんびりと青々とした飼料を食んでいる。飼料箱は牛が食べやすいようにか、高い位置に取り付けられていた。私達がさっき桶を掲げていたのは何だったのか……。
私は大きな牛の背中にブラシを走らせながら、その箱の中身を確認する。
「それにしても、食べてるの牧草じゃないんだね。葉っぱと木の実と……人参かな?」
「首が長いので、もしかすると木の上の物を食べる動物なんじゃないでしょうか!」
「この辺りの原産じゃないってことか……」
私の疑問にシトリンがハキハキと答える。ちなみにフランは飽きてきたのか半自動モードで手抜きをしていた。いや、自動を使うと丁寧で手早いので手抜きとは言い切れないか。ゲーム内だと授業中のように眠れないからな……。
一通りの作業が終わり、今度はシトリンお待ちかねの毛豚の毛刈りである。
毛豚は想像通り、羊に近い見た目をしていた。違うのは顔まで長い毛に覆われている事や、単純に豚の骨格をしている事、そして何よりストレートの直毛がストンと下に落ちているその毛だろう。
実際に見てみれば羊というよりは、シーズーやマルチーズ、ヨークシャーテリアのような長毛の犬のような見た目だ。
その毛むくじゃらの動物の毛を、ハサミでじゃくじゃくと刈っていく。切り取られた毛は下に引かれた布の上に落ちて、一頭が終わる毎に回収という流れだ。
顔の近くや尻尾の毛を切るのは若干の緊張感があるが、豚が非常に大人しいこともあり作業は順調に進んでいく。
「可愛いとも不細工とも言い切れない……」
「顔が出て来るとちょっとびっくりするよね……」
「えー、可愛いですよ」
そして一人三匹分のノルマを達成して酪農体験は終了となった。シトリンもウキウキ気分で歩いて行く。
私は大きく伸びをしながら牧場の受付へと戻る。そこには既に体験を終えて私達を待っている三人の姿があった。その手にはアイスやチーズと言った牧場グルメが握られている。
「あ、いいなー。私も食べたい」
「受付で売ってるよー。私には“いつもの味”なんだけど……」
ユリアはアイスを口に運びながら顰めっ面を見せる。
VRマシンのスペックによって、味の表現はかなり変わる。安物だと甘い苦いという感覚が微かに分かる程度、ハイスペックだと結構現実に近い。それでも食べた気にはならないし、甘みは一部の合成甘味料のようなどこか“本物”には及ばないという感覚がするが。
私は受付でバニラアイスですらない牛乳アイスを購入して、皆のいるテーブルにつく。シトリンやフランもそれぞれ好きな物を購入してきたようだ。
「何だかんだ言って、初めての経験で結構楽しかったかな」
「それ! 牧場体験とか間に合ってるとか思ってたけど、案外やってみると楽しいのな。最後の方あの奇天烈牛に若干の可愛さすら感じたわ」
私はアイスを食べながら隣の泥団子にそんなことを言う。現実の牧場なんて行ったことないのだが、今でもこういう感じなのだろうか。流石にもっとオートメーション化されているかな。
更に隣のユリアが早々に飲み込んだアイスの容器をシステムから破棄すると、そのまま机に突っ伏す。
彼女は昔家族旅行で確か牧場に行ったことがあるという話だった。その頃は仲良くなかったが、中学の頃に色々と私が楽しめる話題として話してくれたのを思い出す。
「私は小学生の頃思い出したなー。お父さんと*****とかやって……え、これNGワードなの?」
「ユリア、どんな体験をしたの……?」
「変な話じゃないよ!?」
なぜかNGワード判定を食らったユリアにフランが驚愕の表情を向ける。うんまぁ、父親と言えないようなことをしたならその反応は順当だろう。
私は牛乳をチビチビと飲むシトリンの様子を窺う。さっきまでのウキウキ気分とは違い、今は満足気とも物足りないともとれる表情だが、今日の体験をどう思っているのだろうか。
「シトリンはどうだった?」
「あ、自分ですか? えっと……昔、騎士見習いの時は軍馬の世話をしていたので、その時の事を思い出しましたかね」
シトリンの動きから少し慣れているなとは思ったが、まさかそういう役目も持っていたとは驚きだ。軍馬の世話とは大変なものではないだろうか。普通の動物の世話も初体験だった私にはちょっと想像もつかない。
「シトリンさんは動物がお好きなんですね。私はちょっと大きい動物は怖くって……」
カナタがシトリンにそんなことを言うが、その割に普通に馬に乗ってここまで来たはずだ。その辺りはあれだろうか。ゲームのシステム的に傭兵は全員馬を乗り熟せるという設定になっているとか。
私は冷たいと感じるが体は冷えない謎のアイスを口に運びながら、牧場の買い物メニューを呼び出す。
並んでいるのは食料品や羊毛、毛豚の毛、それらの加工品などだけではない。
牛や鶏などの家畜、そして何より個人所有用の馬が売りに出されている。
馬は速度や気性、大きさなど様々な能力値がある。交配することによって速い馬をプレイヤーが生み出すことも可能だというが、正直そこまでやるつもりはない。場所もないし。
ざっと見た限りでは、やはり第1エリアで唯一馬を売っているサクラギの街よりも若干能力の高い馬がリストに並んでいる。正直どこまで変わるのかは分からないが、能力は高いに越したことはないだろう。
ピロピロとリストをスクロールして馬を眺めていく。今は懐に余裕があるが、個人所有の馬は結構高い。怪我もせず、世話も特に必要ないので一回買えばずっと乗れると考えれば安い物なのだが、ちょっとした財産である。少なくともレンタル数十回と比べると安上がり、というレベルを優に越している。
多分だが、レンタルが初心者向けに安いんだろうな。
どうしようかな……。
私はリストの表示を能力値の簡易表示から、写真付きの詳細表示へと変える。
そこで、運命の出会いをしたのだ。
「可愛い!」




