トウヒの町
その関所は切り立った崖の上に、厳重に木と鉄、そして石の“壁”で作られていた。大仰な扉の両脇には番人がじっと立っている。
小さく開いた観音開きの大きな扉の向こう側には、こちら側と同じように荒れた大地が続いていた。通行人を通さないというよりも、モンスターをこちら側とあちら側で明確に分けるための関所らしい。
関所の前で馬の走りは自動で遅くなっていって、ついにはその前で立ち止まる。私達は門番に領主館で受け取った手形を見せた。
彼はその書類をすべて確認し終えると、私達へと返却して馬も通れるように扉を大きく開ける。
この先が第2エリア。言わば中級者ゾーンとでもいうべき段階の場所だ。この先の適正レベルは最低でも40、平均すると55程度と言われている。あの神域のレベルで大体底辺という高難易度ステージである。
私達は馬に足を進める様に促す。そしてその分厚い門を、ついに超えた。
「何か、ちょっと感慨深いなぁ」
ユリアがそんなことを呟く。
ここはまだ距離にして数mだが、第1エリアとは明確に区別される場所だ。例えば、たった今からマツメツさん達とは譲渡システムが使えなくなる。異なるエリア間では譲渡ができないので、第1エリアのマツメツさんに鉱石を送って一本剣を作ってもらう……なんてことはもうできない。
取引掲示板を使えば第1エリアとも物品のやり取りはできるが、誰でも自由に参加する場なので特定の誰かとやり取りをするのには向かない。
作成できる装備も違う。このゲームには装備制限というものが、重量の他にもある。第1エリアでは特になかったが、第2エリア以降の強力な装備には必要なレベルや能力値という物が設定されている。
初心者が先進的な装備を悩まずに装備できるのは第1エリアまで、ということだ。
ちなみに、第1エリアで第2エリアの素材を使って作成した装備でも、ちょっとは装備制限という物が付く。装備の性能が低くなる代わりに制限は緩めだが、弄月にも地味に装備制限があった。あれは産出場所こそ第1エリアだが素材の種類自体は先の物である。
エリアにはそんな明確な差があったりするが、ユリアが言いたいのはそんな事ではないらしい。
「私がラクスを誘った時は、まさかこんなところまで来るとは思わなかったからさ。何となく、いつまでも新人? みたいな感じだと思ってた」
「私達も始めてから一ヶ月……そろそろ二ヶ月経つからね。もう初心者ではないよ」
崖の下を覗き込むフランの隣で、私はユリアの言葉にそう返す。
馬は関所を離れて速度を増していく。少し下り坂になっているこの道は、速度が出ると腰が引けてしまうような疾走感があるが、気にしているのは私と泥団子くらいのようだ。
泥団子は可能な限り崖から遠ざかる位置を走りながらため息を溢す。
「俺は感慨深いっていうか心配だよ。第2エリアで躓くやつ多いっていうしよ」
「大丈夫大丈夫! 何とかなるって」
「お前らが大丈夫でも俺が大丈夫じゃないんだが……」
自信満々意気揚々で突っ走るユリアは、笑いながら少し速度を上げて先行する。
ここまでの道のりは長かったが、関所を抜ければ最初の人里はすぐそこだ。最初の目的地に設定した牧場も比較的近くにあるらしい。
私とカナタはユリアの後を追う様に馬を走らせた。
第2エリアの最初の町、トウヒの町は酪農が盛んな場所だ。北の関所を越えた最初の人里としてそこそこの活気があるはずだろう。
逸る気持ちを馬に乗せて、私達はひたすらに岩山を駆けるのだった。
***
最初に町着いてやることは、とりあえず連続ログイン制限を解消するために休憩を挟むことである。4人で再度インする時間を相談した後、夕食を手早く済ませた私は一足先にトウヒの町へと舞い戻る。
そして、この町の宿屋を探した。
基本的にこの世界の住人には、マップ内をワープする機能がある。フィールドを移動する者が少ないと前に話したが、用事がある際には基本的にこのワープで移動するためだ。
しかしその発動には色々と制限があるようで、中々自由自在に移動することはできないらしい。大抵はあの時のジロさんのようにミッション関連だろう。
傭兵もその例外ではない。
傭兵も全員ワープすることができる。ワープ可能な条件は、編成権限を持つプレイヤーに宿屋で呼び出されること。例え傭兵が街に出掛けている最中でも、他の街に置き去りにした後でも必要な時にはすぐ駆け付けてくれるというわけだ。
おそらくだが、このちょっと不自然なワープ機能はプレイヤーを必要以上に待たせないというためのシステムなのだろう。
本人たちにどんな感覚なのか聞いてみても詳しくは分からなかった。私達にもダンジョン以外のワープ機能が欲しい。移動が長いんだ。
今回宿屋で呼び出すのは、もちろんシトリン達3人。ログアウト時にユリア達とのパーティは解消してあるので、宿屋のメニューで彼女らを早速パーティメンバーに入れた。
牧場見学はシトリンしか行きたがらなかったが、この際だし行くだけ全員で行こうと思う。
私がメニューから3人を呼び出すと、彼女らがいつものように階段から降りてくる。ここの宿屋も一階が酒場で二階が部屋のようだ。心なしかシトリンの足取りが軽く弾んでいるように見えた。
「初めてこの町に来たし、観光してみようと思うんだけどどうかな?」
「行きます! 自分もお供します!」
「ユリアさん達はまだ来ておりませんのね? これから合流するのでしょうか」
「ユリアはもうすぐ来るって。先に町見て回ろうよ」
私達は宿屋を出て夜の町に出る。
トウヒの町はサクラギとシラカバの村の中間のような町だ。レンガ造りの建物が多いが、道は舗装されておらず踏み締められた乾いた土の両脇に小さな花々が咲いている。近くに牧場があるはずだが、動物臭さは特になく、花の香りが広がっていた。
近くに高い木がないためか、木造建築の類は見当たらない。町の外にはひたすらに広い牧草地があるか、それすらない荒野が広がっているばかりだ。
この世界の中ではかなり標高の高い人里なので、空気は澄んでいるが少し冷たい。
この町はそんな場所である。
サクラギの街ではガス灯なのか魔法なのか判然としない街灯があって町は夜でも明るかったが、この町には点々と篝火があるばかりであり、夜道は薄暗い。
しかし明るい月明かりに照らされた町並みは、プレイヤーの目にははっきりと、そして美しく映る。
私達は露店通りやレンタル作業場、貸し馬屋などの見慣れた施設の場所を確認していく。
道中で出会うのはプレイヤーやその傭兵ばかりで、この町の住人にはあまり会わない。流石にショップの店員などは居るが、何をしているのかを実際に聞いてみなければ分からない、プレイヤーが俗に“モブ”と呼んでいる住人は全く見かけなかった。酒場には流石に数名いたが、それっきりである。
家の数からみて、もっと居てもいいと思うのだが……。
私達がこの小さな町を半分ほど見て回ったところでフランから連絡が入る。どうやら彼女も来たらしい。
私達は明るくなる東の空に背を向けて、元来た道を引き返していくのだった。




