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明日の話

 私は領主館を出て大きく伸びをする。

 ようやく関所の通行許可が下りた。これで第2エリアへと行けるはずだ。


 空は既に星空で、時刻は午後六時過ぎ。今日は昼頃からやっていたので、五時間の連続接続制限ギリギリだ。

 私は一人、いつもの公園への道を歩く。


 ユリア達は大丈夫だっただろうか。脳裏にそんな一抹の不安が(よぎ)る。


 しかし心配するだけ無駄だろうか。そもそも私達よりも彼女らの方が戦力は高い。

 ユリアはあのダンジョンでも十分に壁役を熟せるだけの能力があるし、回復役も二人、中衛の攻撃力もまずまずだ。特にフランさんは勝負師のライフルの追加効果の弱点特効が、全身弱点の試作999によく効くはず。


 私がタンクをして他の4人で殲滅するという戦法を取らざるを得ない私達よりもずっと効率がいい。

 流石にもう既に突破して、許可書を貰っているだろう。もしかすると私を待たずにログアウトしているかもしれない時間だ。


 私は公園のベンチに座り、メニューを開く。

 いつもはこの世界の住人と私達だけしかいないこの公園も、人が増えた今はプレイヤーが待ち合わせに使っている。あの人達はこの公園をこれからも約束の場所に使っていくのだろうか。


 ログアウト処理を実行する前に、私はちょっと気になってフレンドリストを開いた。

 マツメツさん以外全員ログイン状態である。


「まだやってる……」


 大丈夫かな。一度迷ったので私達だってかなり遅かったはずだ。それなのにまだ終わっていないということは、苦戦しているのだろうか。それともとっくの昔に終わっていて戦勝会で盛り上がっているのか?


 私は先にログアウトする旨をユリアとティラナ、フランさんの3人にメッセージで送る。

 そして彼女らの返事を待つことなく、私は現実世界へと帰還した。



 ***



 今日は両親の帰りが遅いので私が自由に晩御飯を作る日。いつもならお母さんにとっくに呼び出されている時間までゲームをやっていた理由である。


 私はキッチンで手を洗う。除菌用のアルコール消毒もしたので完璧だ。義手の関節部も丁寧に拭うのも忘れない。エプロンも三角巾も面倒なので着ないけど。


 鍋にお湯を入れて電磁焜炉で沸騰させ、そこに冷蔵庫に入っていた冷凍のカット野菜を投入。何となく食べられそうな雰囲気になってきたらソーセージとコンソメスープの素を入れて更に加熱する。

 スープができるまでの間に食パンをトースターに入れて焼く。しかし冷蔵庫を確認してみると、バターがなかった。蜂蜜とクリームチーズでいいか。


 トーストの焼き上がりと共に焜炉の加熱を止めてポトフを器によそう。トーストに蜂蜜とクリームチーズを乗せ、ポトフに胡椒を振ったら完成だ。


 私は配膳台に一人分の食事を乗せて食卓へと運ぶ。

 私が食卓の椅子に座ると、人が現れたことを感知したテレビが自動でニュース番組を映した。


『……選手が引退を表明しました。映像は引退会見の……』


 テレビの中で、大人気だったスケート選手が怪我の後遺症が原因で引退しますということを言っている。私はそれをぼんやりと見ながらトーストを口に運んだ。


 怪我の後遺症には、色々あるらしい。どうしても神経や脳に影響する場所の怪我は、日常生活に問題がなくとも違和感が残る事がある。神経が繋がっていても自由に動かないのだから、私の義手は尚更そうだろう。

 昔のように動けないのは当然で、最近はそれを不便だとは思っても悲しいとはあまり感じなくなった。


 私はテレビを見ながらの食事を終えると、食器を食洗器に入れて脱衣所へと向かう。


 今朝夏休みの課題を片付ける前に着替えた私服は、私の汗を吸って少し濡れている。

 VRマシン内部は適正気温なので、気温で汗ばむというよりも私が“VRゲーム汗っかき”という体質なのだと思う。調理と食事の熱もあって、汗はびっしょり。早くお風呂に入りたい。


 私はお風呂に入浴剤を入れてから、脱衣所で服や義肢の装着バンドを脱いでいく。脱いだ服は洗濯機に入れ、私は浴室に足を踏み入れた。

 浴室の床は両親が滑りにくい素材を選んでいるので転ぶ心配はあまりない。最初の頃は一本足でお風呂場を歩くのは怖かったが今となっては慣れたものである。

 本当は義足を付けたままシャワーの前まで歩いてもいいのだが、何となくお風呂場で脱ぐという行為がしっくりこない。


 私は椅子に座って目の前の蛇口をひねる。温かなお湯が私の疲れた体を撫でていく。シャワーが心地良い。


 私は適当なところでシャワーを止めると、ブラシを使って体を洗う。ボディブラシは怪我をする前から使っていたが、右手を洗うのは難儀する。少々はしたないがブラシと太ももを使って何とか洗っていく。


 ボディソープを流した私は、浴槽の縁に腰を下ろして反転し足を入れる。右手で体を持ち上げると、そのままお湯の中に体を沈めた。


 体の中まで染み込むような温かさに、思わず声が出る。水面に顔が近づくとふわりと入浴剤の甘い香りが鼻をくすぐった。

 今日の入浴剤はお父さんが同僚の人から貰ってきた、牛乳と蜂蜜の甘い香りの入浴剤だ。ちなみにパッケージには大きく食べられませんと書かれていた。入浴剤の誤飲事故、確かにこの香りなら食べたくなるのも少し分かるかもしれない。原液のままでは絶対に口に含みたくはない程の強い香りだったが。


 乳白色のお湯に首まで浸かり、私は明日のことを考える。明日は予定通りならついに第2エリアへ行くことになるだろう。


 第2エリアに行く関所は第1エリアの四方にそれぞれあるので、そのどれかを選んでいくことになる。第2エリアは輪のように繋がっているので、結局は最初にどこへ行くかというだけの話なのだが。


 一番人気は東の関所だ。第2エリアの中でもレベルの低いダンジョンが多く、第1エリアを突破したばかりのプレイヤーに優しい。逆に一番難しいと言われるのが南の関所。特筆するほどの特徴がないのは北の関所。

 そして一番の不人気スポットが西の関所だ。


 なぜ不人気なのかと言えば、全体的に出現するモンスターの物理耐久が高く、適正レベルや貰える経験値の割りに討伐難易度が高いためだ。

 基本的に天上の木は物理職のプレイヤーが多いので、皆あまり行きたがらない。物理職が居ないと魔法職も安心して行動できないので結局魔法職も行きたがらないらしい。


 私としても攻撃力をスキルに頼らなくてはいけない戦い方は苦手な類だ。物理一辺倒よりはマシとは言え、MPとスキルの管理なんて可能ならやりたくない。行くなら他の3カ所がいい。


 行くならば木材が豊富らしい南か、普通に東かな。夏休みの混雑を避ける、という当初の狙いを考えれば北も悪くないだろう。


 私はお風呂に設置されているモニターで、天上の木の攻略サイトを覗く。


「んー……ユリア達にどこ行きたいか聞くのは当然としても、カナタさん達にも聞いてみないとなぁ……」


 カナタさん達と相談して行先を決めるなんて、もしかすると初めてかもしれない。今までは育成のために私が適切な戦場を選んでいた。突然皆に相談したらどういう反応をされるのだろうか。


 気になると言えばもう一点。

 ティラナとナタネとは、通行許可を一緒に取ろうという話まではしたが、第2エリア以降も一緒に攻略するとは一言も言っていない。もしかすると別行動を希望されるかもしれない。


 何だかんだと結構一緒に遊んでいたので、そんな想像をすると少しだけ寂しい気もしてくる。ティラナとはあんな話もしたし、ナタネとは散々模擬戦で遊んだ。


 私はサイトを閲覧しながら、ぼんやりと皆の好きそうな場所を探す。お菓子屋さん、強いボス、闘技場、謎の遺跡、海……。


 そうしてしばらく過ごしていると、脱衣所から扉の開くような音が響いた。驚いてそちらを確認すると、誰かが脱衣所からこちらを窺っている。


「瑞葉、いつから入っているんだ?」


 私は思わず浴槽の縁に隠れる様に身を隠すが、聞こえてきた耳慣れた声に緊張を解いた。


「お、お父さんか……ビックリした。いつからって、7時くらいからだけど……」

「早く上がりなさい。もう8時過ぎているよ」

「わっ、ホントだ。今上がるから」


 お父さんの言葉を聞いて時計を確認する。確かにもう一時間以上も入っていた。私は慌ててお風呂から立ち上がる。


 しかし、知らず知らずのうちに逆上せていた私は、ふらついて浴槽の中に派手に転んだ。


「大丈夫か!?」


 頭がぼーっとしているが、お父さんが浴室の扉を開いたのは分かった。私は今度こそ浴槽に体を隠す。


「大丈夫だから出てって!」

「いや、でも……」

「大丈夫だってば!」


 渋々といった感じで脱衣所を出ていくお父さん。心配なのは分かるが、流石にお風呂には入ってこないで欲しい。


 私は今度はふらつかない様にゆっくりと立ち上がると、浴室から出て着替えを始めるのだった。


誤字報告、評価ありがとうございます。

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