カナタのお願い
それは一瞬の出来事だった。
暗かった洞窟の中が突然、温かな光に照らされる。私は状況を把握するために、四本腕の大男から距離を取る。遠距離攻撃手段を持っていることだけが心配だがそんな様子はなく、モンスターは私に向かってゆっくりと歩みを進め始める。
急いで背後を確認すると、カナタさんがあの光の狼と共に立っていた。
「わ、私も戦います!」
その言葉を合図に、狼は弾かれる様に前方へと飛び出し大男に噛み付く。それに追従するように、光る何かが大男に襲い掛かった。
「白い、鳥……」
その鳥は素早く翻弄するように周囲を飛び回ると、爪や嘴でモンスターに攻撃を加える。それらの攻撃を受けて、さっきまでまったく減らなかったHPがどんどんと減っていった。
風に耐性でもあるのかとも思ったがこれを見る限り、こういうイベントなのかもしれない。カナタさんが戦闘能力を得るとかそういう。
大男が大きく暴れて狼が弾き飛ばされる。鳥はまだ戦っているが、あの鳥に大男を足止めする力はないだろう。
私は振り下ろされる剣の隙間に入り込むと、その体に弄月を突き立てる。そのまま炎の舞を使うが、やはりダメージは微々たるものだ。
しかし、奴はこっちを見た。
ダメージ量ではなく立ちはだかったかどうかで敵意を示すタイプだ。数値上の能力だけは強いが、このタイプは御しやすい。
大振りな剣の動きに合わせて体を逸らし、大腿部を弄月で斬る。
「カナタさん! 今のうちに後ろから!」
「はい!」
もしかしたらそんな卑怯な作戦は却下かな。言ってからそんな事に気が付いたが彼女からは特に反論はなく、狼が大男の背後へと回る。
後は簡単だ。私が注意を引き付けつつ、狼の攻撃を待っているだけでいい。
結局、泥団子とユリアがこちらに来る前に大男は闇へと解けていったのだった。
***
私達は今、普段全く利用していないサクラギの街の宿屋に来ていた。
その一階は酒場になっているらしく、私は微妙に減っていた満腹度のために味の薄い料理を口の中に流し込んでいた。
「美味いな! 結構いけるぞ!」
「えー? うーん……よくわかんない。ラクスは美味しい?」
「……最近気が付いたんだけどこれ、多分病院食みたいな味なんだよね」
同じ料理を違うVR機器で食べている私達の反応はマチマチだった。唯一まともな味覚を持っているであろうカナタさんが美味しそうに食べているので美味しいと言う設定なのだろう。
私は妙に味の薄い食事を平らげ、VRマシンから味覚の設定を操作できないか試してみようかとぼんやり考える。医療用だからなのか感覚系の設定は非常に煩雑で、初期設定から変えていないのだ。
私達が食事を終えると、カナタさんは居住まいを正す。
「あの、皆さんに重ねてお願いがあります」
そう言って切り出した彼女は一旦深呼吸。
「皆さんのお仲間に加えてくれないでしょうか」
「……それは、俺たちにずっと付いて来るって話か? そりゃまたどうして」
「私、世界中を見たいんです。今日見たこと、感じたことをもっともっと」
そんな“お願い”と共に、システムメッセージ君がミッションの完了を通知する。
その報酬は、“傭兵・カナタ”と表示されている。
傭兵というシステムは、運営が不具合やゲームバランスの調整から解放され始めた頃の、リリースから一月後、今からだと三か月ほど前に公開された新機能。簡単に言えば、戦闘用のNPCと一緒に冒険できるシステムだ。
種族レベルが30を超えると、こういう宿屋で自分だけのNPCを作成できる。種族や見た目、職業、そして何より……まぁ今は関係ない。
そんなシステムだが、私の種族レベルは23。キャラ作成はできず、今まで戦闘するキャラクターと仲良くなるどころか、まともに出会ってすらいなかったので私には全く関係なかったシステムだった。
「私達はいつでもおっけー! 逆に行きたい場所でも何でも言ってね」
「あ、ありがとうございます」
勝手に決めるユリアにちょっと笑みをこぼし、私はインベントリから一着のローブを取り出す。カナタさんが付いて行きたいと言ったら渡して欲しいと言われていたが、まさか本当に必要になるとは。
「カナタさん、こちらをどうぞ」
「え? これは……」
「あなたのお婆さんからの預かり物です」
「あ……お婆様……」
彼女は私から受け取ったローブを大事そうに胸に抱く。
その後、カナタさんは宿屋の女将さんに話しかければいつでもパーティに参加すると言って宿屋の二階へと上がっていった。ここには昨日から泊っているそうだ。
「……」
「ラクスどうしたの? 難しい顔しちゃって」
「え、ああいや、大したことじゃないよ。ただ何ていうか、NPCってNPC以外にいい呼び方ないかなってさ。何か、嫌じゃない?」
「あー、ちょっとわかる。プレイヤーは旅人って呼ばれてるしな」
「この世界に旅しに来たからその通りではあるんだけど、なんかいい名前ないかな?」
「うーん……住民?」
「流石にもうちょっとあるだろ」
***
職業レベルに比べて種族レベルは上げづらい。
おそらくはこのゲームをプレイしている全員の共通認識である。
種族レベルは1から100まで一度だけ上げればいいが、職業レベルは職業の数×100あるので、ある程度はバランスとして当然とも言える。
モンスター毎に設定されている経験値も、全体的に職業経験値に比べて種族経験値は非常に渋い。その上種族レベルはレベルアップに必要な経験値量も多めに設定されている。
そのため、メインの職業レベルの六割~五割程度の種族レベルになるプレイヤーが多い。種族経験値は減少方向に補正が強く、スキル上げなどを色々やっていても七割に達することはほとんどないし、下手な死に方を続けていると経験値をデスペナルティに吸われて三割程度まで落ちる人もいる。種族経験値優先に育成でもしている奇特なプレイヤーも中には居るかもしれないが、それは特殊な例である。
私の踊り子の職業レベルは40、ホムンクルスの種族レベルは23である。中々好調と言えるだろう。すべての複合職に転職できるくらいには初期職業のレベルも上げた。それで貰ったスキルポイントは宵闇の一人舞台に消えてしまったが。
そして、ユリア達と別れた私が一人で何をしているのかと言えば、その種族レベルを上げに来ているのである。
リリースからそろそろ半年という時期、何かと面倒な種族レベルについても流石にレベリングに最適な場所は発見されている。
カエル山から更に奥に進んだ場所に、星降る丘と呼ばれる場所がある。プレイヤーの間での俗称で、実は正式な名称は存在しない。ここはダンジョンではなく通常フィールドだ。
本来レベリングには向かない場所だが、条件さえ合えばここが最高効率である。
私は課金ショップから初心者セットを買い、種族経験値ボーナスとスクロールを貰う。スクロールはいつ使っても効率が同じなので使ってしまおう。
「さて、出て来ると良いなー」
時刻は午後四時。この世界ではそろそろ日が沈んで空が暗い時間である。
私はまだ半分赤い夜空の下をひたすら歩く。馬を使うのも考えたが、理論上効率はあまり変わらないらしい。
芝のような背の低い草の間に、突然影が噴き出す。私はそれに駆け寄ると、炎の舞で斬り捨てた。
「…外れか」
巨大な白い兎が炎に巻かれて消えて行くのを見送りながら、先へと進む。この辺りはモンスターのレベルが高く、通常攻撃一発では死なないので魔力水がぶ飲みとスキル連発で効率重視だ。目的のモンスターはここに居るらしいと聞いたのだが……。
私はそうやって何度も外れモンスターを狩りながら草原を進む。
そして30分ほど過ぎた時、キラリと赤く光る兎が姿を現した。
「あっ、出た!」
尤も、それに気づいたのは旋風の舞を当ててその兎が闇に消えて行く瞬間だったが。システムメッセージ君が表示され、私の種族レベルが上がったと通知する。
モンスターの名前は“星のルビーラビット”。異常なまでに種族経験値が多いことで知られるレアモンスターである。半面職業経験値は出さないが、こっちは他にいくらでも稼ぎ場がある。
この星のルビーラビットは、星降る丘のフィールドに夜の間しか発生しない。もっと言えば、空に流れ星が流れた時にしか現れない。出現すると一目散に逃げだすので一発で倒し切る攻撃力と、逃げ出す前に出現場所に攻撃できる敏捷性、そしてリアルラックが必要とされる非常に面倒な狩りである。
ちなみに発見当初は十分な火力の弓が飛ぶように売れたそうだ。種族レベルは全職業共通なので、職業を射手にして狩ってしまうという荒業だ。
必要な経験値はあと3匹分……夜が明けるまでに間に合うだろうか?




