初戦闘
サクラギの街の関所の役割を持っているらしい門を抜けて、広い草原に出る。人や馬車が踏み締めた道があるにはあるが、舗装などはされていない。さわやかな風が駆け抜けていき、背の低い草がそれを見送るように手を振っていた。
「この近くのモンスターはレベル1の僧侶が素手で殴って倒せるくらい弱いから大丈夫」
ユリアは背負っていた薪割り斧を手にしてそう笑う。対して泥団子が渋い顔をしていた。
「初期装備がインベントリに入っているから装備メニューで装備しとけよ」
どうやらレベル1僧侶は彼の事らしい。
私は装備メニューから武器を選択して“初学の剣”を装備。腰に何かがひっかる感覚を覚えて見下ろすと、粗末な剣が鞘に入って腰のベルトに吊られていた。
鞘から引き抜くと、その剣はずっしりと重い。切れ味は悪そうだが、これで殴ったら痛いだろうな……。
「で、これで斬りかかれば、おっけー!」
「道から逸れて歩くと寄ってくるから」
お気楽な二人に押される様に、私は草原の方へと足を踏み入れる。
そのまま草原の中を少し歩くと、突然前方で黒い影がぬっと立ち上がった。その影は一瞬で粘土の様に姿を変えると、茶色の毛玉に様変わり。
私はその異様な光景に足を止め、二人を振り返る。
「え、あれ何?」
「モンスターのポップ、えーっと出現? 街みたいな安全区域の外だと、プレイヤーの近くにモンスターがああして湧くの」
「一定数フィールドを徘徊している奴もいるけど、基本的には近くにいるプレイヤーの人数に応じて敵が増えるってわけ」
どうやらこの作品では普通の光景らしい。ユリアに、まずは一人でやってみようと言われて、私は一歩前へと出る。
その毛玉は、クマとイヌの合いの子の様な見た目をしていた。しっかりとした四足、丸々と膨れ上がった胴体、鋭い牙、そして何より狂気に染まった瞳。体長も1m近くあり、対峙するとものすごく怖い。
しかし不思議と心臓が鳴ったりだとか、手足が震えるといったことにはならなかった。個人差はあるらしいが、仮想現実内部では感情の動きと身体的な変化が繋がらない人がいると聞いた覚えがある。よく覚えていないけれど、前から私もそうだったのかな。
「がんばれー!」
私はユリアの声援に後押しされる様に前へと駆け出す。
「おりゃー!」
熊犬の姿がグッと近付き、両手で持った剣を獣に向かって大きく振り下ろす。剣など持ったこともないが、とにかく刃の方向に体重を乗せて真っ直ぐに。
確かな手応えと共に青白い衝撃波が舞う。深く斬り付けてしまったため少し心配だったが、剣が抜けなくなるということもなかった。
「あ、これそういう感じなんだ」
両断してしまったかのように突然軽くなる剣に呆気に取られている間に、横腹が赤く光った熊犬が吹き飛ぶ。熊犬はあっという間に体勢を立て直すと、怒りのままにこちらへと飛び掛かってきた。
しかし、最序盤の敵だからだろうか、その動きは見た目に反して遅く感じる。
私は飛び退くようにして距離を取ると、攻撃が失敗して着地した熊犬にもう一撃振り下ろす。今度はその頭蓋をとらえ、黄色の衝撃波と共に、熊犬が大きく仰け反った。公園での説明で聞いた、弱点部位に当たったエフェクトだろう。
彼我の距離が大きく開く。様子を窺うように一定の距離を保つ熊犬。
私が少し迷いながらも距離を詰めると、相手もそれを待っていたかのように同時に駆け出した。
まずい。
私は既に熊犬のいた場所目掛けて剣を振りかぶっているのに対し、相手は私の場所をしっかりと把握してその牙を突き立てている。
つまり、
「痛っ! ……くないけど、ちょっと怖いな……」
私は熊犬に左腕を噛まれていた。ずしりと体重が伝わる衝撃の割りに甘噛みの様な感覚が逆に不気味だ。さっきの剣が手応えと同時にすり抜けたのと同じ理屈なのか、ガチリと音を立てて顎が閉じる。
それと同時に腕が解放され、私は今度こそ剣を振り下ろす。
熊犬は出てくる時とは逆に、影に解け出すように地面へと飲み込まれていった。
「あ、勝ったの?」
「おめでとー!」
ユリアの元気な声に振り返ると、二人がこちらへと向かってきている所だった。息を整え剣を鞘に納める。システムメッセージで経験値を獲得したと伝えられているが、とりあえずは無視でいいだろう。
「初めてにしては上出来だよ! このフィールドでは結構強い相手だったし」
ユリアに褒められ少し顔が緩む。無理そうだったら助けに入る予定だったらしいが、私が思いの他動けていたため手出しはしなかったらしい。
「攻撃力が低いから一回クリティカル入って三発、通常ヒットだと四発ってところか」
泥団子の話では、弱点部位に攻撃が当たるとクリティカルヒットとなってノックバックとダメージが増えるらしい。生き物型は大抵首か頭が弱点になっているようだ。
近接戦闘はシステム的な“救済”がいくつかあるとはいえ慣れるまで難しいと聞いていたので、褒められて一安心。レベル1の泥団子が素手で殴り倒したような木っ端の敵らしいが。
ユリアはメニューを開いて何かを確認すると、私を見て笑みを浮かべる。
「でも、これなら結構いけそうじゃない?」
そんなユリアの言葉によって、私達の次の目的地が決定した。
***
「そい!」
ユリアの斧が暗緑色の頭蓋を叩き割る。それと同時に哀れなゴブリンは影に解けていった。
ここはサクラギの草原から少し先に進んだ“迷いの森”と呼ばれる深い森。俗にダンジョンと呼ばれる場所であるらしく、経験値やアイテムを稼ぐにはもってこいの場所とのことだ。何でもモンスターのポップ数が通常フィールドの数倍もある上に、そもそも徘徊しているモンスターも多い。
当然難易度も高いのだが、私は特に何の問題もなく進んでいた。
「いやー、やっぱり人数多いと楽だね」
「本当にな。初めて二人で来た時はそりゃあもう苦戦したもんだが」
「そんなに役に立ってる自覚ないんだけど……」
主に殲滅役にユリアが先頭を歩き、泥団子は後方で回復と能力値強化の支援。適正レベルを超えている二人は難なく歩みを進めている。
私はと言えば複数体の敵が現れた場合に、ユリアに集中しすぎる敵にちょっかいをかけて逃げ回るのと、たまにユリアを抜けて泥団子に突撃してくる敵を食い止めてユリアに擦り付けるだけである。
「立ってる立ってる! そもそも初心者の私達に前衛同士で連携しろって無理な相談だし」
「パワーレベリングと言えなくもないけど、引率役がレベル17じゃあなぁ。プレイスキルあるとキャラクリした直後にここ踏破できるらしいし」
この迷いの森に来てから三十分ほどしか経過していないが、私の種族レベルは4まで上昇している。ボーナスがある職業レベルに至っては既に8。もうすぐ二桁に到達しそうな勢いである。適正レベルが10の場所をパーティの力で無理に進んでいるので当然なのだが。
私はメニューをポチポチと開いて能力値を敏捷性に振り分ける。さっさと逃げるための敏捷性だ。
この作品のステータスは、種族レベルに比例する数値と、職業レベルに比例する数値、種族レベルが上がるごとに貰える任意振り分け可能なポイントの合算だ。種族レベルに応じて上がる能力が微量な上に低レベルなので、高くなるはずと見越していたMPはまだまだ微々たるものである。
「さて、この調子でどんどん行こう!」
戦力の立て直しもそこそこに意気揚々と森の奥へと踏み込むユリア。彼女の背を私と泥団子は慌てて追いかけるのだった。