仮想の街と友人
城下町サクラギ。活気あふれる商業の街である。現実では梅雨時だが、ここの空は青く雲一つない晴天だ。
そんな街のバザーが行われている大通りの隅っこで、私はアバターの作成が完了した旨を紗愛ちゃんにメールで報告していた。天気に反して私の心はどんより曇り空である。
あの後、いつもよりも遅めの夕飯を食べた私は、天上の木にログインして愕然とした。なんと、アバターがあのラクスちゃんに確定されてしまっていたのである。バタバタしていて慌てていてよく見ていなかったが、もしかすると閉じる直前に確定ボタンを押したような、押さなかったような……曖昧だ。
もう一度キャラクターを作り直すのも考えたのだが、何せもう7時を過ぎている。帰ってきたのが5時前なので紗愛ちゃん達を既に二時間以上も待たせっぱなしだ。
これ以上待たせることは良くないし、少しだけこのアバターへの思い入れ、というかあの努力を無にしたくないというか……そんな気持ちも少しあり、この劣等感丸出しの美形アバターでこの作品を遊ぶ腹をくくったのだった。
このゲームはゲーム内部で外部のメーラーに接続できるようになっている。というか、ゲーム内でインターネットのブラウザを起動できるので、相手のIDや名前を知らなくても様々な方法で連絡できる。ただし、音声チャットを別で立ち上げると規約的に良くないという話を紗愛ちゃんから聞いていたので、文章で連絡を取った。
メールの返事はすぐに来た。どうやら紗愛ちゃんのキャラクターネームは“ユリア”というらしい。サラの時点でこの西洋風の世界観にはマッチしているように思うが、どうやら本名ではプレイしたくないようだ。
バザーの端まで迎えに行くのでそこで待っているように指示された私は、ユリアちゃんが来るのをぼーっと待つ。
忙しなく大通りを歩いているのは、プレイヤーが多い。頭上に出ているアイコンが青ければプレイヤー、緑のアイコンならNPCらしい。それ以外の見た目では判別がつかなかった。強いて言えば、明らかにネタに走っている容姿や奇抜な装備をしているキャラクターは大体プレイヤー、という感じだろうか。
流れゆく人の名前を確認していると、バタバタと大急ぎで走ってくる二人組の姿が目に留まる。
簡素な鎧を着た金髪の獣人の女の子と、青白い顔に眼鏡をした黒髪のエルフの男。獣人の名前は……
「ユリア」
私は少しだけ不安になりながら、そう声をかける。
その声を聴いた金髪の獣人がこちらを笑顔で振り返り、直後、その表情が訝し気に変わった。
「もしかして、みず……えーあー、ラクスさん?」
「いや何の確認にもなってないだろ、それ」
私はいつもの二人の声にほっと胸を撫で下ろす。ボイスチェンジャーの類は使用していないようだ。人違いだったらどうしようかと。
二人は予想通り、私の変貌ぶりに困惑している様子だ。
「ごめん、変な格好で……」
「いや、変っていうか……」
「製作時間二時間三十分の傑作がそれかー。美形だなー」
微妙に歩き慣れない長い脚を動かして、二人に近寄る。犬っぽいたれ耳と尻尾が生えている金髪の獣人はユリアこと紗愛ちゃん。長い黒髪を適当に縛ったエルフの男の名前は泥団子。確認していないが声を聞く限りおそらくは一義君である。
「随分美人にしたね。いや元から可愛いけどタイプが違うっていうか……」
「ホムンクルスかー。白髪の人間とイマイチ見分けつかないけど、まぁ長身ドワーフよりはマシだよな」
まずは落ち着いて話せる場所まで行こうという話になり、三人でバザーを後にする。あのバザーはプレイヤーも出店できるらしい。パン屋を始めるならあそこだね、とユリアが笑いながら教えてくれた。
バザーを抜け、巨大と言っても過言ではない噴水のある広場を右に。そのまま可愛い家の立ち並ぶ居住区をしばらく歩くと、唐突に視界が開ける。
「あんまり人いないんだよね、この公園って。プレイヤーの通り道になってないみたい」
ユリアが指し示す低木に囲われたそこは、芝生と遊歩道とベンチがあるだけの広い場所だった。NPCの子供が駆け回っているがそれ以外に人の姿はなく、花壇にはどこかで見たことのあるような花々が咲いている。遊具などはないが綺麗な場所だ。
私達は一番景色の良さそうなベンチを探してそこへ腰を下ろす。日の光が温かく、転寝をしてしまいそうなほど心地が好い。
私の隣に腰を下ろした泥団子は、目の前に咲く花を眺めながら口を開いた。
「まず最初に、このゲームの基本的な話から始めるか」
「そうだね。ちょっとは話したけど、あんまりよくわかってないでしょ?」
泥団子の反対側に座るユリアも同調するように頷く。確かに私は、この作品について“とにかく戦う”ということしか把握していない。ログイン直後に開始されたチュートリアルも、最初の画面で保留にしたままだ。
「このゲームの醍醐味は、とにかく広大なマップを探索すること。いくら走っても歩いても疲れない体を目一杯動かして遊ぶ、究極のインドアゲーム……と世界一評価されたレビューに書いてあった」
「あ、自分の意見じゃないんだね……」
しかし、その見ず知らずの人の意見に少し納得してしまう自分が居た。
私はまだ初期位置の噴水広場とバザー、そして居住区しか見ていないが、すでに作り込みがすごい。通りの両脇には本物の街並みの様に建物が乱立し、そこを縫うように細い横道が伸びている。便利なマップ機能がなければあっと言う間に迷子になってしまうだろう。
それはこれが作り物だということを忘れてしまうほどであり、こんな世界がこの町の外に広がっているのだと思うと、確かにワクワクしてしまうのも頷けた。
そんな気持ちが彼にも伝わったのか、にっこりと笑って言葉を続ける。
「未知の領域を探検をするには強くなる必要があって、強くなるためには色々と工夫する必要がある。それが楽しいゲームなんだよ」
「確かに!」
その言葉にユリアも納得だったらしく、楽しそうに頷いている。その後もこのサクラギの街の名所や、モンスターが跋扈する危険なフィールド、格好いい装備、育成の手順など二人は楽し気に話す。
その姿を見ているだけで、こちらまで何だかうれしくなってしまう。
「さて、複合職を入手するには非常に簡単な方法が一つある」
そんな時に隣の泥団子から予想外の言葉をかけられた。レベル上げについて語っていたのを聞く限り相応に手間がかかりそうだったが、簡単な方法なんて物があるのだろうか。
私は思わず隣に座る泥団子を見る。眼鏡の奥、目の下には微妙に隈があり、青白い肌を相まって不健康そうだ。フードを被ったその姿は怪しい魔法使いそのものである。
そんな彼と目が合い、不敵に笑った。正直少し怖い。
「まずはメニューからショップを開く」
「メニューのショップ」
どうやらこれがチャットで言っていた“効率のいい育成”の話らしいと察した私は、言われた通りに実行する。
左腕に付けているバングルを叩くとメニュー画面が投影された。この腕輪はプレイヤー全員に与えられる物で、主にメニューの呼び出しに使われる。
メニュー画面にはアイテムや装備といった項目が並び、その下から二番目、システムの項目の上にショップと記載されていた。
これをタップすると、派手なイラストと共に広告の様な画面が飛び出す。
「その中の初心者用職業経験値セットを買って、全部使うってのが手っ取り早いんだけど……」
画面には初心者アイテムセット、種族経験値セット、職業経験値セットと並んでいる。すべて五百円だ。
私は言われるがままに職業経験値セットをポチる。するとウェブマネーの残高が減り、メニューが消えて唐突に小さな宝箱が何もない空間から出現した。
「わっ、びっくりした」
「ノータイムで買うか!? いやこっちがビックリしたわ!」
落とさない様に慌てて手を差し出した私の横で、泥団子が隣でこちらから距離を取るように仰け反っている。どうやらまだ話の途中だったらしい。
買ったんならいいんだけどさと言葉を続け、私に宝箱を開ける様に促した。
私がその宝箱を開けると、眩い光が溢れ出す。中にはいくつかの紙が入っていたが光と共にすぐに消えてしまい、取得したアイテムについてのシステムメッセージが表示された。
取得品は職業経験値スクロール中級五本、初級が十本。それと今から12時間、職業経験値獲得量二倍というボーナスが付いたらしい。
「これはどうするのかな?」
「えっと、町の中ならメニューから転職できるよ。最初は職業無しになっているからとりあえず魔術師になろうか」
ユリアの解説通り、もう一度メニューを開いて転職の項目を選ぶ。その画面からは初期職業の六つが選択できるようになっていた。その中の一番下にある魔術師を選んで確定する。
その瞬間、足元が光り輝き、……そのまま何事もなく光が消える。
「え、これだけなの?」
「ステータスは増えてるよ」
正直肩透かしな演出に戸惑いながらもステータス画面を確認すると、先程までは空欄だった職業の欄に魔術師と記載されていた。初期能力を覚えていないので強くなっているのかは分からないが。
「これでスクロールを使えばいいのかな?」
「そうだ。全部使っていい」
アイテムの画面――インベントリというらしい――を出して、ほとんど中身の入っていないアイテム欄から初級スクロールを選択。まとめて使うで十本全部のスクロールを使用する。
それと同時に軽快な音楽が鳴り響き、職業レベルが八になったという内容のシステムメッセージが表示された。
「職業レベル8……何にもしてないのに上がっちゃった」
「きっと魔術師としての心構えとかが書いてあったんだよ」
いくつかのスキルを獲得したと書かれているが、よく分からないので無視。続いて中級スクロールをまとめて使用する。
「あ、21レベルになった……」
「で、後は盗賊の職業レベルをコツコツ20レベルまで上げれば複合職完成と」
私はメニューから盗賊に転職する。複合職への転職条件は二つの職業のレベルを20まで上げる事らしい。上級職は30まで必要なのだとか。
「下準備ってあと何かあったっけ? 無いなら、観光?」
「装備見たりとか色々あると思うが、ゆっくり観光してると経験値ボーナスもったいなくないか? 戦闘に行った方がいい気がする」
私には12時間職業経験値効率二倍というボーナスが付いているらしい。職業経験値がどこで手に入るのかは分からないが、この作品の“職業”が戦闘向きの物ばかりだということを考えれば、観光よりは戦闘で手に入るのだろう。
私としては観光でも戦闘でもどこへでも付いて行くつもりだ。元々紗愛ちゃんに付き合っているようなものなのだし。
「ラクスはどっちがいい?」
ユリアが隣からこちらの顔を覗き込む。そんな動きに姿は違っても彼女は紗愛ちゃんなのだと実感できて、自然と頬が緩んだ。
「私は二人に付いて行くよ」
「うーん、どっちでもいいなら戦闘行こうか」
ユリアが立ち上がり、座っている私を笑顔で振り返る。どうやら私の初戦闘が決まったようである。