諦めと痛み
天上の木にログインした私は自室でショールの音楽に合わせて踊っていた。
ショールがアコーディオンを演奏し始めて以降、私は暇を見てはこうしてダンスを踊っている。
誰に見せるわけでもない気楽な踊り。
観客はここの住人と、時折訪れる知り合いくらいなものだ。
毎日レベリングや神域の挑戦をしてから余った時間に踊っていたのだが、現在発見されている神域はすべて攻略を終えた。
とりあえず目下の目的は果たしたと言えるので、今日はログインした直後からショールに頼んで演奏してもらっている。
「うーん……」
静かに曲が終わり、私はゆっくりと姿勢を正す。
ショールは私が居ない間にも、自分でいくつかの曲を練習しているようで、日に日にレパートリーが増えている。
対して私はと言えば、何となく曲の流れを覚えて動きに緩急を付けただけの振り付けだ。半分くらい即興と言ってもいい。
当然、こんな物をコンテストに出せるはずもないので、別にコンテストの練習しているわけではない。
私の呻き声を聞いた彼女は、譜面台から顔を上げチラリとこちらを覗き見た。
「……何をさっきから悩んでいるのですか?」
「んー……何て言えばいいかな……」
私はショールの問い掛けに少しだけ反応に困ったが、結局は素直に話してみることにした。
動画コンテストがあるのでそこに踊りの動画を提出するか迷っていると。
しかし彼女はそれを聞いて小首を傾げた。
「迷っているなら出せばいいではありませんか。興味はあるんですよね?」
「そうなんだけど、審査されるとなるとちょっとなって。楽しいだけじゃない踊りなんてもうやりたくないのかも……」
「それは、どういう……?」
自分の言葉を聞いて、私はじっと考え込む。ショールが何かを言いたげなのは分かったが、彼女の言葉は耳に入らなかった。
もうやりたくない。どうして?
その事を考えた時、窓から見える星が小さく瞬いた気がした。
……そうか。私は嫌なんだ。
ソラがいないステージなんて。
思えばソラとはいつも一緒のステージだった。
中学の時はもちろん、小学校のバレエのコンテストだって時間は違うけれど“同じステージ”で踊ったはずだ。
いや……一度だけ、あったかな。
あれは私がバレエを止める前、最後の大会。
先にバレエを止めてしまったソラが観客席にいて、凄く不安だったのを覚えている。結果は散々だったが、それ以上にソラと離れ離れになるのが怖くてバレエを止めたんだった。
バレエだけじゃない。これ以降私は、ソラに依存していったように思う。
片時でも離れるのが嫌だった。いつでも一緒に遊んだし、お泊りの翌日は別れるのが嫌でわんわん泣いた。
いつも、泣いた私を慰めるために強く抱き締めてくれたっけ。
「そっか……私、一人でステージに立ったことないんだ」
「え?」
閑散としたホールの窓からは、仮想の星空が見えている。
その薄い空が心細さを強調して、私は左の手首にそっと触れる。
いつもソラのプレゼントを着けていた場所だ。最初は右手に着けていたのだが、学校では華美なアクセサリーが咎められるので義手に着けることにしている。こっちの腕なら誰でも文句を“言いづらい”だろうから。
しかしラクスの右手にあるのは、自分で作った冷たい金の腕輪。あのやや子供っぽいデザインの、黄色と青のブレスレットではない。
私は大きくため息を吐いて窓辺に近寄る。
そして、誰に聞かせるわけでもなく独り言つ。
「昔、本当に昔の話なんだけど、ダンサーになりたかったんだよね」
「……」
ショールはそれを黙って聞いている。
私は中学の時の夢を思い出していた。
「才能はある方だと思ったし、実力も認められてたし……何より、努力するのが苦しくなかった。夢中で練習して、本番で緊張なんて吹き飛ばすくらい目一杯体を動かして……それが楽しかった」
「……どうして、諦めたんですか?」
ショールのそんな問い掛けに、一瞬胸が詰まる。
私は顔を見られない様に彼女から目を逸らしたまま、ゆっくりと息を吐いた。
「いつも一緒だった親友が一人居たの。いつも同じステージで踊ってた。……その子とは、もう会えないんだ。
もちろん、他にも理由はあるんだけどね。でも……やっぱり一番の理由はそれかな」
きっと私、あの事件で怪我をしていなくても、ソラが居なかったら遠くない未来にダンスを止めていたと思う。バレエの時のように。
ショールにはよく分からない話だっただろう。
彼女はもう私が踊れない事を知らないし、ソラの事など知る由もない。
それでも彼女は真剣な眼差しで私の話を聞いていた。
「私は、もう踊れない。昔みたいに真剣になれないし、ステージで踊ろうと思うと胸が苦しい。きっと私は……駄目なんだと思う」
そうだ。
私はもう駄目なんだ。夢を諦めたんだ。
これ以上失敗して惨めな思いになるのも、同情心で優しくされるのももう嫌なんだ。
どんなことだって、挫折と選択のその先にしか成功はない。
それを私は“ソラ”と二人で乗り越えてきた。そこには私の誇りのような物がある。
でも、もう駄目なんだ。一人では駄目なんだ。
そんな言葉を口にすると、すっと心がすいたような心地になった。
ようやく全部無駄だと分かって、全ての気掛かりを捨てられた。これでいい。
「何が駄目なんですか……」
「……」
「なぜ駄目なんですか。自分で本当に納得しているんですか。私は、私はあなたの言っていることが何も分かりません!」
初めて、かもしれない。
ショールにこうして怒られるのは。
私は呆気に取られて、ずっと目を逸らしていた彼女の顔を見る。
どうしてそんなに、悲しそうな顔をしているの?
「じゃあどうして、私に演奏しろって言うんですか……!」
「それは……」
「私と一緒じゃ楽しくないんですか? 一人で納得して一人で諦めて、私はどうしたらいいんですか!」
彼女の瞳から雫が流れ落ちる。
星の光に煌めくそれを、私には拭うことが出来なかった。
「……ごめん」
「私はっ! 私は、あなたのために練習して、足を引っ張らない様にって! それを、どうして、あなたが否定するようなことを言うんですか!!」
ショールは私の両肩を力一杯に掴んで、赤くなった瞳で睨みつける。
「あなたが楽しそうだったから! 私、頑張って来たのに! 全部っ、全部、あなたを苦しめていただけだったって言うんですか……ッ!」
肌に食い込んでいた手からふっと力が抜けて、ショールがその場に崩れ落ちる。
私はそれを、黙って見ているしかなかった。
考えもしなかった。
私がソラの幻影を追いかけている時、皆はどう思っていたのだろうか。
私が自分で自分を切り落としている時、彼女はどんな思いでそれを見ていたのだろうか。
踊れなくなった自分を嘲る時、紗愛ちゃんはどんな苦しみを感じていたのだろうか。
そんな事、考えもしていなかった。
頭では、人それぞれ悩みがあるなんて事は分かっていたつもりだった。
しかし心の奥底で、ずっと自分だけがこんなに苦しいんだと思っていた。
今まで私を見て苦しんでいたから、紗愛ちゃんは私がソラの話題を出した時にあれほどまでに喜んでいたんじゃないのか?
窓辺から見える星空に、一条の流星が駆け抜ける。
それは何だか夜空の涙の様に見えて、私の胸を深く抉った。さっきまではあんなに薄っぺらく見えたのに、今はどうしようもなく本物に見えた。
ブックマーク、評価ありがとうございます。
何回か書き直したりしたんですが、やっぱりこういうシーン書くの難しいですよね。