夏の一夜の秘密
「何の話をしているんですか……!」
「愛の話はしてない」
「私の……って、してないんですか?」
柳眉を逆立ててやってきた彼女は、フランの反応にきょとんとした表情を返す。
どうやら話の詳しい内容までは聞こえていなかったらしい。私はフランのプライベートが流出していなかったことに胸を撫で下ろすと、彼女に向かって軽く頷いた。
「烏羽さんと関係ない話だったよ。具体的には3時間の」
横目でじっとフランを見やる。彼女はそれに対して気にした様子も見せなかった。その表情に不安になったのか、烏羽さんがフランに詰め寄る。
「それは分かりましたけど、くれぐれもうっかり口を滑らすなんてことはないように……!」
そんな烏羽さんの仕草に、フランは小首を傾げて見せた。あ、この顔、何のことか本当に分かってないな……。
「笠井先生のこと? それともおもちゃ?」
「どっちもです!!」
「何がどっちもなの?」
絶叫に近い烏羽さんの声が廊下に響き、ここに居ないはずの“4人目”がその叫びに反応した。その言葉に空気が凍る。
私が恐る恐る烏羽さんの背後を覗くと、そこには教員室から出てきた汀さんの姿があった。
「聞いて、ましたか……?」
「ええ、ちょっとだけ。というか愛、二人と仲良かったのね」
「もう終わりだー!」
私達は崩れ落ちる様に嘆く烏羽さんを何とか宥めて、人気のない教室へと向かうのだった。
***
「えっと……汀さん、烏羽さんと仲いいの?」
「答えにくい事本人の前でよく聞くわね……中学の時の同級生よ。昔はたまに話してたけど、今は会っても挨拶もしない程度」
つまり、昔の彼女を知ってはいるが、特に深い関りはないと。
……これ別に大した状況じゃないね? 幸い、プライベートな話は聞かれていなかったようだし。
そのことを把握した私は、汀さんと一緒に教員室から出てきた紗愛ちゃんに視線を投げる。とりあえず烏羽さんも落ち着けばその事に気が付くだろう。私の意図が伝わったのか、彼女は軽くウインクして見せた。……大丈夫かな? 不安だ。変な茶目っ気を出さなければいいが。
私はとある男子の席に突っ伏して、ピクリとも動かない烏羽さんに声をかける。
「烏羽さん、汀さんは同じ中学の時からの知り合いなんでしょ? 大丈夫じゃないかな」
「そうそう! そもそも笠井先生なんてみんな嫌いだよ。クズとかクソとか文句くらい言っても大丈夫だって!」
「そ、そうかな……そうかも……?」
私と紗愛ちゃんの言葉に、烏羽さんが少しだけ顔を上げる。
しかし、紗愛ちゃんの言葉を聞き逃すことが出来なかった人もいた。
「それは初耳なんだけど……」
「あっ……」
「え……」
汀さんの言葉に私達の空気が凍り付く。紗愛ちゃん……どうやらあんまり状況を把握してなかったらしい。
そもそも彼女、大した話を聞いていない。あの状況から分かったのは精々私とフランが何か烏羽さんの秘密を握っている程度だろう。もしかすると私とフランの共通点から、ゲームの話だと思ったかもしれない。
それを態々、紗愛ちゃんは汀さんに本当の話を伝えてしまったことになる。
私は上手いフォローすら思いつかず、ただ紗愛ちゃんを睨む。どうしてくれるんだと。
流石に悪いと思ったのか、紗愛ちゃんもややぎこちない笑みを浮かべて目を逸らした。
「えっとその……もう一個の方はバレてないから大丈夫」
「秘密があることは隠さないんだ……」
「もう私のキラキラ学校生活終わりなんだ……」
烏羽さんを慰めるのを半ば諦めた私は、部屋の中での話の内容を伏せ、汀さんにあの夏祭りの出来事を語るのだった。
***
「なるほどね。確かに、中学の時と少し雰囲気違うの気になっていたのよね。キャラ作りってこと」
「有体に言えばそうです……今でも私、勉強も運動もできないダメ人間のままなんです……」
それはちょっと違うと思うけど……。
私の話の途中から“すべて”を半ばやけくそ気味に話した烏羽さんが、やや俯きながら汀さんの言葉を聞いている。
途中で私やフランのプライベートまで語られてしまったが、私達も彼女の秘密を話してしまったので文句が言える立場ではない。流石に3時間と3分には驚いていたが。こうなったら汀さんの“話”も聞くしかあるまい。
私の決意を他所に、烏羽さんは自虐を続ける。汀さんはそんな彼女の肩を優しく叩いた。
「愛はダメ人間なんかじゃない。成績だっていい結果が出ているし、生徒会の仕事だって十分に熟しているわ」
「でもそれは体裁を整えるためで……」
「目的はどうあれ、あなたが人一倍努力しているのは事実でしょう? そこに何の文句があるのかしら」
そう。それは私も少し思った。
勉強ができないというのは本人の自分の実力に対する嘆き。そのため私が口を挟むことではないが、少なくとも彼女はダメ人間ではない。おそらくこの学校の誰よりも努力を重ねているのだろう。
それに体裁を整えるというのが、動機として不純と言うのも良く分からない。特に彼女は人からの期待を裏切らないために見て呉れを良くしようとしている。大っぴらにしては本末転倒ではあるが、それ自体が特別悪いという程ではないように思えた。
しかし当の本人は汀さんの言葉を受けて、不安そうに眼を泳がせる。
「でも、本当の私を知ったら皆がっかりして嫌いに……」
「そもそも私、別にあなたの事好きでも嫌いでもないんだけれど……」
汀さんの言葉にうじうじとしていた烏羽さんがピタリと止まる。
そしてようやく何を言われたのか理解したのか、突然立ち上がって汀さんの両肩をがっしりと掴んだ。
「何でそんな事言うの!? 今の流れで!」
「いや、事実だし……」
「皆に好かれようとしてた私の努力を認めてくれたんじゃなかったの!?」
「そっちは知らないわよ。私は役割をしっかり熟す人はダメ人間なんかじゃないって言っただけ」
「そんなぁ……」
烏羽さんは項垂れる様に、椅子にお尻を落としたのだった。
私達3人は既に観戦モードである。そもそも秘密がばれた時点で私達はここに居る意味をなくしている。後は二人の問題である。フランなんて帰ろうとしてるからね。
そんな私達を汀さんがきっとにらむ。どうやらこの面倒臭い生き物を何とかしろと仰りたいらしい。
「えっと、良かったね。烏羽さん」
「良くないですよ! 私のキラキラ学校生活の実態がこんなにも浅い物だったなんて……私の努力は何のために……」
どうやら別に好きでも何でもないという言葉が相当効いているらしい。私も元から別に好きでも何でもなかったんだけど、気が付いていなかったらしい。
そもそもこの人何で“皆”に好かれようとしているのだろうか。
普通に生きていれば普通の人は普通に不可能なのだと実感すると思うのだが。私だって事件前から、好きな人に好かれたいとしか思っていなかったというのに。
「うぅ……夏休み前に12人の男子から告白されたのも半分くらい冗談だったんだ……」
「12人!? え、それホント?」
「今まさに嘘だったって判明したんですよ! うわーん!」
凄いな、生徒会長。夏休み前は告白増えるらしいとは言え、12人って……一見清楚そうだし、誰とでも柔らかに接するから男子はイチコロなんだろうな、とは思うが。それで12人も告白まで行くというのが信じられない。この学校の男子ってそんな積極性あるの?
少しあることが気になった私は、帰りたそうな顔をしているフランを振り向く。
「フラン、一年の時何回告白された?」
「数えてない。多分、5回くらい?」
多いな。12回には及ばないが。
フランが先輩を殴って退部した件は夏休みなので、フランがモテたのは一年生の時の一学期から夏休みの半ばまでのはずだ。あれ以降男子からは冗談交じりに恐れられているから、そこに告白しに行く度胸のある人物は流石に居ないだろう。
私がそんな事実に驚愕していると、紗愛ちゃんが項垂れる烏羽さんに視線を合わせた。
「男子は知らないけど、大抵の女子は烏羽ちゃんのこと好きでも嫌いでもないんじゃないかなー……いや、一部勝手に嫌っている人も居るとは思うけど」
「そんな……ことが……」
「愛ってずっと勝手に、男子受けを狙っているんだとばっかり思っていたわ」
「選挙、私が圧勝だったのに……」
「あれは大抵の人、誰でもいいと思ってやってるからねー」
紗愛ちゃんと汀さんのそんな言葉に、烏羽さんはがっくりと肩を落とすのだった。