冷静の試練
大樹の周囲に螺旋の様に続いている階段は、ついに周辺の木の高さを越え、木の天辺まであと少しと言う所で唐突に終わる。
そこは水の溜まった皿のような場所だった。周囲は大樹の枝と葉に囲まれ、月と星の光を疎らに遮っている。
その中心からは清らかな水が滾々と湧き出していた。
私達はその光景を前に息を飲む。
「綺麗……」
「だね……こんなにすごい場所だったんだ」
噂には聞いていたが、凄い場所だなここ。
試練の一族の今代の管理者が置いたのか、その場所には所々に街で見たような照明が並んでおり、その光が水面に反射している。湧き出す水の流れが不規則な波を作って、さながら星空のようだ。
しばらく感動して見物していたのだが、すぐに気を取り直して私達はその“ステージ”に足を踏み入れた。
最後に一番後ろのラリマールが階段から離れると、水が湧き出している場所に水柱が吹き上がる。
神秘的な光景を前に、やや姑息な私はラリマールに合図を送る。
彼女は小さく頷くと杖を構えて詠唱を開始した。
水柱がバシャっと弾けて、中から美しい人魚が姿を現す。濡れた布を纏った美女の上半身に鮮やかな水色の魚の尾を携えた、まさに人魚としか形容できない姿である。
彼女は手にした竪琴を弾き鳴らし、私達に美しい歌声を披露して見せる。
それと同時に波が高くなり、人魚に向かって巨大な雷が落ちた。
「よし、じゃあ戦おうか」
「まぁ、この辺り遠慮してもいいことありませんからね」
シトリンとカナタはかなり無粋な先制攻撃に微妙な表情をしているが、私とショール、そして張本人のラリマールはその辺り気にしない。出来ることは全部やって戦わないとね。どれだけ綺麗な演出を遮ることになっても。見せたいなら無敵付与でもしておいてくれ。
私は足元の水を散らし、ステージを駆ける。
水は深い所だと膝下くらいまであるので結構動きが阻害される。現実よりはマシだが、ジャンプの着地点はしっかり見定めた方が良さそうだ。
私は人魚の姿をしっかりと捉えながらも視界を広く保つことを心掛けた。
このダンジョンのボス、“神域の試練・冷静”は遠距離攻撃型のボスだ。
基本的には定位置から動かずに水の魔法で攻撃を繰り返す。弱点属性は雷。水は無効、氷、炎、光が半減と中々の属性耐性を持っているが、物理攻撃には弱い。
私は両手に霽月を持って、未だ雷撃の影響から抜け出せない人魚に駆け寄る。そしてその首筋に、鋭い刃を振り抜いた。
黄色のエフェクトが散り、人魚の美しい青色の双眸がぎろりと私を睨んだ。
次の瞬間、慌てて逃げ出した私の眼前を鋭い矢が突き抜ける。
発射地点を確認すると、そこは何もない水面だった。聞いていた通り、回避型にやや優しくないボスである。
この人魚は水面から水の矢を放って攻撃する。水面、つまりこのボスとの戦闘エリアすべてが攻撃範囲となる。
しかも事実上全方向から包囲されているような物なので、どこから攻撃が飛んでくるのか分からない。来ることだけは分かってとにかく避けた先が発射地点の真上だった、なんてことがありそうで怖い。
私は冷や汗をかきながらも鏡花達三人を呼び出す。
とにかく攻撃の的が増えればその分私に向かう攻撃頻度は下がり、こちらからの攻撃頻度は上がる。個人的には彼女、ペットシステムが実装されて相対的に弱体化したボスの筆頭だと思う。
ショールの剣や、シトリンの矢が次々と人魚の体に深く傷を付けていく。それだけではなく、エリカやカリン、そして本や狼たちも人魚へ攻撃を続けた。
そして彼女のHPが5割を切った時、彼女が今までにない動きを見せる。
そう深くはない水面へ飛び込むと、溶け出すように消えてしまったのだ。
「シトリン!」
「はい!!」
そのタイミングを待っていた私は、シトリンに合図を出す。
それと同時にシトリンの背後に大きな金の時計が現れ、時を刻み始めた。
一見浮いているだけのただの懐中時計のようだが、何の意味があるのか右下に斜めになった砂時計も付いていて、一定時間ごとに反転を繰り返している。それどころか、よく見ると歯車は軸に固定もされずに回り続けていた。
当然普通の時計ではない。
あの時計は砂漠にあるカズラの神域で手に入れたペットモンスター、“奇跡の歯車”である。雑魚戦では今一つ使い道がなかったので今まで温存していたが、今が使い時だろう。
元々「これは奥の手だからね」と簡単に言っておいたので、意図は伝わったようだ。変な言い方をしてしまったせいか、シトリンはずっと妙な緊張をしていたのだが、本番では意外と大丈夫そうである。シトリンそういう所あるよね。
人魚は姿を見せることなく、ステージの各所から巨大な水柱が立ち昇る。これがこのボスの戦闘最大の山場と言えるだろう。
しばらくすると水の昇る轟音と共に、鋭い雨が降り注いできた。
私は本当はこんな時のために作った懐かしの装備、“絡繰夜桜”をインベントリから取り出して頭の上に展開する。
ガリガリと傘を削る嫌な音を聞きながら戦場を見れば、シトリンとカナタが継続回復エリアを発生させる魔法を重ね掛けしている。その場所は奇跡の歯車の設置場所だ。範囲内にはシトリンの一人しかいない。
「痛いですね……」
「怖いね、これ」
慌てて駆け寄ってきたショールを抱き留め、傘の範囲に入れさせる。やや大きめに作ってあるので小柄な彼女ならぎゅっと抱き締めれば問題なく範囲に入れる事が出来た。
この雨が試練の一番の難所、通称“大雨”。
自分の当たり判定を消してからフィールド全体に攻撃判定のある雨を降らせる、回避型からすると何を言っているのか分からない攻撃である。この雨粒を全部避けろと?
そうしてじっと雨宿りしていると、突然システムからの警告メッセージが届く。
「あ、ごめん。そろそろ死ぬね?」
「えっ?」
私の言葉が理解できなかったらしいショールに回復薬を叩き付けると同時に、私の手から傘がパッと消える。
耐久値がゼロになってインベントリに戻ったのだ。
当然、私のHPはものすごい勢いで減り続け、1秒足らずで私は水面に倒れ込んだ。窒息する! と思いきや、既に死んでいる上にそもそも平時も呼吸していないので無問題である。
やることが無くて暇なのでひたすらログを見ていると、回復速度が足りなくてラリマールも死んでいた。打たれ弱いからなぁ、私達。
ちなみにログには“水禍”と書かれている。どうやらこの大雨の攻撃の名前らしい。照明が反射して見た目は綺麗なんだけど、どうにも好きになれそうにない。
ちなみにこの攻撃は、深くなっている部分に潜っても避けられない。多分雨自体よりも魔力的な何かが攻撃しているという設定なのだろう。本当にただ耐え抜くしか対処法のない攻撃なのだ。魔法判定なので僧侶系は結構耐えられるし、HPが多めの戦士系も頑張って回復すれば行ける。魔術師と盗賊、射手系統はどう頑張っても専用の対策をしなければ死ぬのだが。
しばらくすると水柱の勢いと、雨の強さが弱まり、ついにはピタリと止んでしまった。
それとほぼ同時に、私に薬付きの矢が撃ち込まれて急激に視界が色を取り戻す。どうやらシトリンが蘇生薬を使ってくれたらしい。
しかし、さっきの雨でペットモンスターは回復エリアに居た歯車を残して全滅、生き残ったメンバーもシトリン以外は瀕死に近い状態だ。
そこへ人魚が虹の光と共に姿を現し、今までの数倍は苛烈な攻撃を開始した。
私は人魚に一太刀だけ入れると、とにかく走り回って水鉄砲を避け続ける。それだけでなく時折水面が爆発するように水が飛び散るので、ジャンプも併用して躱す。
とてもではないがこちらから攻撃などできる状況ではなかった。
しかし、それももうすぐだ。
もうすぐ……。
「準備完了です!」
シトリンの叫びに近い声が響き、そして、辺りは光に包まれた。
明日の更新はできたらやります。
一話は出したいと考えていますが、それすら無いかもしれません。