邪神官の巣窟
やや薄暗い廊下に、一部が欠落した壁から日の光が差し込んでいる。
それでもこのダンジョンの闇を晴らすには少々足りず、影に潜むモンスター達は私達が来るのを今か今かと待ち構えていた。
このダンジョンに出没するモンスター三種は、いずれも属性攻撃に弱いという特徴がある。
この監獄で亡くなった人の亡骸と言われる、“敬虔なる死霊”は氷属性に弱い。死して尚も邪神に祈り続けている骸骨は、邪神官に似た攻撃をする厄介な相手だ。本人の能力は低いので私とラリマールで早々に倒せるのが救いだろうか。
しかし他のモンスターへの回復能力まで備わっているので、大量に出て来ると苦戦を強いられる。
素早い動きで翻弄する四足のモンスター、“虚ろな影”は光属性に弱い。狼の影がそのまま立ち上がったような見た目で、暗い場所だと地味に視認性が悪いのが面倒だ。物理攻撃力もこのダンジョンでは随一で、私なんて一撃で殺してしまうような威力を持つ。大抵のモンスターに言える事なのだが。
耐久力もそこそこあるが、カナタの召喚獣が活躍しているので個人的には楽な相手だ。私の水月との相性も良い。
このダンジョン最後の一種、浮遊する巨大な本、“虚実境界”は炎に弱い。縦が1.5m、横1m、厚さも30㎝以上もあるその巨大な本は、邪神官の叡智が詰まった一品らしい。ちなみに中身は読めない文字の羅列だ。どうやら“この世界”の文字ではないらしい。過去の邪神官の誰かが書いた物のはずなのだが……。
個人的には一番厄介と言っても過言ではない相手だ。攻撃が不規則な上に近距離遠距離に対応し、標的の変更も不規則。更に本同士は地味に連携染みたことまでやって来るので、近距離から倒すのは大変である。
だからと言って遠距離だけに任せると撃ち合いになって消耗が激しい。このパーティではやはり、私が行くしかないのだろう。
「ふーっ……まだどっちも落ちてないよね?」
「そうですね。早々に出たのが唯一狙っていないモンスターでしたからね。焦らず行きましょう」
私は水月を片手で弄びながら、隣を歩くショールに問う。
今回このダンジョンに入った目的は二つ。
最初は、カナタ用に虚ろな影の魂を入手することだ。
この作品は、闇と光の属性を同時に減衰させるモンスターは大変珍しい。いたとしてもすべてボス級の扱いを受けている。そのため光の攻撃力が十分ならば、同等の闇の攻撃手段があると楽だ。
召喚型のペット、虚ろな影はカナタの光の狼に似た性能で属性が闇。性能だけならばカナタにぴったりだろう。しかし本人が邪神官を(宗教上の理由なのかは分からないが)嫌っていることもあり、ここのモンスターを選ぶことはないと思っていた。
結果はこの通り、完全に杞憂だったのだが。
そしてもう一つ、ラリマールの選択した虚実境界もここに居るのでどうせならば一緒に狙おうという話である。
他にも、牢獄にも拘らず長年放置されたためか、それなりに珍しい木材も入手できるので途中で伐採も行う予定だ。今のところは思う様に進めていないが。
私は廊下の曲がり角から先の様子を窺う。
「あ、居るねあそこ」
「4体……面倒そうですが、大丈夫ですか?」
「頑張り次第かなぁ……」
朽ちて大穴が空いていたり、天上が崩落していたりする廊下の先に、捨てられたのかのような本と、獣の影、そして朽ちた鉄格子の中には通路の奥に向かって一心不乱にお辞儀を繰り返す骸骨がいた。
本が二体に影と死霊が一体ずつ。何とかなる限界の量だ。
これ以上増えると私が死んだ瞬間に戦線が瓦解して、全滅しかねない。私さえ死ななければ何とかなるなんて言っていられないのだ。防具が変わってから大抵の攻撃一撃死だしね、私。
「じゃ、ラリマールお願い」
「承りましたわ。……いえ、その前に、氷と炎、どちらにいたしますか?」
「氷かなぁ……足止めが辛いから死霊先に倒したい。ショールとカナタは影に注意しつつ、余った方が本を殴ろう」
カナタは召喚獣を呼び出し、ショールとシトリンは弓を構える。
そして詠唱に入ったラリマールを確認してから、私もいつでも飛び出せる準備を整えた。精神面だけだが。
「行きますわ!」
突如、敵陣の中央に巨大な氷の結晶が現れて、モンスター達が慌てふためく。
しかし彼らが逃げ出すよりも早く、その氷は爆散し霰と吹雪を撒き散らした。
それと同時にショールとシトリンの矢が死霊の頭蓋を貫く。私は遠距離からの総攻撃が終了したのを確認してから、光の狼と共に敵陣へと駆けた。
狼と敏捷性が大差ないので途中まで並走しつつ、私は虚ろな影の前で大きくジャンプ。そして宙を蹴った。
影と本が眼下を過り、死霊の下へと辿り着いた私は着地の衝撃を乗せた一撃を死霊へと振り下ろす。
矢の攻撃に怯んでいた死霊、そのコアに直撃する水月の刃を見た直後、私は続けざまに雪の舞を発動した。
大弱点部位にヒットした赤いエフェクトと、水月の氷属性強化によって増幅された雪の結晶が舞い散る。
まずは一体。これでダメージ計算上は死んだはずだ。
私はその事実を確認する間もなく、後ろから迫る凶刃を横に跳んで躱す。
しかし後ろを振り向けば、それを読んでいたかのような軌道で迫る黒い槍が眼前へと迫っていた。
「ッ……」
回避は間に合わない。
私は左の水月を刃に合わせる様に撥ね上げると、槍の軌道が僅かにズレて左肩を掠めて行った。
即死しないならば、深い傷じゃない。
私は槍に押し出されてやや後ろに押された勢いのまま、懸命に右手を伸ばす。
そしてその本のページに一太刀入れた。
「……ふぅ、何とかなった」
誰に言うわけでもなくそんな独り言を呟く。
私の目の前にはショールの長巻によって同じように斬り裂かれるもう一冊の本の姿と、それと同時に消えて行く異形の戦士。
虚実境界は、虚構と現実の境目、その曖昧さについて記された本だ。
そこに集約された知識は幻にして真実。本に書かれている内容を何でも現実に“表現”してしまう困った代物である。
攻撃方法はさっきの様に開いたページから異形の戦士を呼び出したり、噴火や竜巻、大海嘯を魔法として再現したりなど様々だ。遠距離だと廊下一杯に広がる攻撃範囲になす術もないので私は突撃するしかない。
一応、記述されているページに傷を付ければ一旦止まるので、対応策としてひたすらに攻撃を続けることが有効だったりする。もちろん反撃の一切を封じられるわけではないが。
ショールがこちらに来たということは、影はラリマールとカナタで何とかなっているのだろう。正直二冊同時は辛いので有難い。
私はステータスの関係で遠くから召喚するとすぐに消えてしまう鏡花を呼び出す。そしてページから飛び出してきた剣を躱して炎の舞を発動した。
一旦体勢を下げてから、燃え上がる様に放つ回転斬り。それが異形の剣諸共ページを焼く。
本を焼くなどあまり深く考えたくない光景だが、文字通りの“危険思想”なので仕方がない。電子データが残ってるなら物理の本なんて焼いて捨てよう。
私に追いついた鏡花も、本に水晶の刃を叩き付ける。
ノックバックしながらフワフワと浮いて距離を取った本を、私はスキルの硬直が抜けた直後に追い掛ける。
やっぱり火力が足りない。装備が攻撃特化なので弱点スキル一発でHP全損して欲しい所だが、適正レベル以下なので仕方がないか。
少し隙が出来たことに反応した本が、ページを一枚捲って戦士を召喚した。今までの様に本から一部だけが出てきた部分召喚ではない。
べちゃりと音を立てて完全に吐き出されたその戦士は、地面からのそりと起き上がる。
その姿は明らかに人間ではない。
放射線状に3本の足が並び、それらに支えられたやや女性的な胴体に腕はない。首からはぶよぶよとした太い触手、そこから不格好な剣が生えている。ピンク色の脈動する体からは、微かに腐臭が漂っていた。
まるで人間の体を継ぎ接ぎして作ったようなその存在は、どうしようもなく生理的嫌悪を掻き立てる。正直長時間見たいとは思わないデザインだ。
私は鏡花に異形の戦士の相手を押し付けて、自分はまだ比較的綺麗な虚実境界に迫る。……これも人皮装丁とかでないと良いんだけど。いや、皮っぽくないし大丈夫かな。ここの邪神官って、カナタが嫌うのも多少分かるくらいには何するか分からないからな……。