祭りの裏側
※※※性的な話題を多分に含みます※※※
境内の奥、小さな祠とご神木が祭られている場所を通り抜けると小さな小屋が見えてきた。
どうやらその中から声は聞こえているらしい。
……何と言うか、聞き覚えがある様な声だな。
「あーとかうーとか言ってるね。……エッチじゃなさそう」
「紗愛ちゃん……まぁ、これどう考えても幽霊とかでもないね」
「残念」
小屋からは僅かに光が漏れており、そこにいる誰かの存在を示していた。
中から聞こえる声は悩んでいるような困っているような、そんな響き。当然だが年若いカップルが人目を忍んで入っているということではなさそうだ。
本当に残念そうに眉を落とすフランの服を引っ張って、ここから出る事を促す。何か作業をしているようだし、興味本位で覗く様な場所でもないだろう。
しかし、そんな私達の足は中から聞こえてきた声にピタリと止まった。
「あー、もう分かんない! 数学の笠井ホントに意味不のカス教師だから!」
「え、笠井先生?」
思わず反応してしまった私の声が予想以上に響き、それと同時に小屋の中がしんと静まり返る。
聞こえるのは近くの池に住んでいるらしき蛙の声と、餌を求めて水面を乱した鯉の水音だけだ。
数学の笠井と言えば、私達の高校の数学教師、笠井 和重を思い出させる。今は違うが、確か私も一年の時の数学が笠井先生だったな。今も私達の学年、二年の半分の数学を受け持っている。評判は……まぁあまり良くない。何と言うか解説が“分かっている人向け”であり、授業が必要以上に難しいのだ。
私は予想外に知っている人物の名前に思わず口を滑らせてしまったが、どうやら小屋の中の人物に聞こえてしまったらしい。
しばらく帰ろうか声を掛けようか迷っていると、小屋の扉がやや控えめに開けられた。
「……」
「えっと、こんばんは……」
そこから顔を出したのは、巫女服を着た女性だった。その顔には少し見覚えがある。
やや気まずい雰囲気の中で私達は見つめ合っていたが、彼女は険しい表情のまま重く口を開いた。
「あの……聞きましたか?」
「えぇとその……」
「分かる。数学分からない」
「聞いたんですね!? 誰も居ないと思ってたのに!」
私が返答に困っていると、フランが臆することもなく彼女の言葉に頷くのだった。
***
外観は質素な小屋だったが、中は意外と綺麗な居住スペースになっていた。漫画や雑誌、冷蔵庫などもありちょっとした家に近い。
私達3人は巫女服を着た同級生に小屋の中へと案内され、そして重苦しい沈黙に耐えていた。
それを破ったのは、意外というべきか当然と言うべきか、呼び込んだ彼女自身だ。
彼女は勢いよく地面に頭を落とし、開口一番に懇願した。
「あの、さっきの事口外しないでください! お願いします!!」
私はその勢いのある土下座に押されてちょっと仰け反る。こういうことする人だったんだ、彼女。何か、意外というか……まぁ、中から聞こえた言葉自体意外な物だったのだが……。
その態度にやや困惑しながらも、とりあえずは自己紹介もまだな事に気が付いて名前を尋ねる。
「その前に、確認何ですけどその……1年の時に隣のクラスだった烏羽さんですよね?」
「違います! 人違いなんです!」
「流石にそれは……」
烏羽 愛さんは学校の、というと少し言い過ぎか。少なくとも学年のちょっとした有名人だ。それも私やフランと違っていい意味での。
容姿端麗頭脳明晰、明るい性格で誰にでも優しい。欠点らしい欠点と言えば、運動が不得意なくらいだが、それすらも愛されている稀有な人物である。1年2年と学級委員長を務め、一学期の終わりに代替わりした生徒会の会長に当選したことも記憶に新しい。
確か1年の時から生徒会の会計をしていたはずだ。うちの生徒会には漫画にある様な特殊な権力などもなく、普通の生徒会なので内申点が上がるくらいの得点しかないが。
実家が神社と言うことは噂くらいには聞いていたが、休みの日にこうして巫女なんてやっていたのか。ちょっと意外……と言っていいのか分からないが、こういう人に誇れるような部分は嫌味にならない程度にアピールして、他人からの評価を稼ぐタイプだと思っていた。隠していたのだろうか。
私がやや錯乱気味の烏羽さんを宥めていると、紗愛ちゃんが面白そうに笑って見せた。あんまり虐めないでよ。
「いやぁ、分かるよ、数学の笠井ホントに訳分かんないよね!」
「違う! 違うんです! あれは言葉の綾って言うか! 先生にそんな事言うつもりじゃなくて……」
「別に言いふらしたりしないから落ち着いて。その、それ夏休みの課題かな? 分からないなら教えるけど……」
「結構です! 本当に言いふらさないでください! 今までのイメージが……」
何か大変そうだな、この人……。私はそんな他人事のような感想を抱く。特に関わり合いもなかったので、やや失礼な印象を抱いていたのだが、ちょっと意外だ。
その後も宥めながら話を聞いて行くと、どうやら中学の頃から人に頼られることが増えた彼女は、必死にそれに応えている内にどんどん評価が上がり続けて今更断れなくなってしまったのだそうだ。そうしてズルズルと生徒会長まで引き受けてしまい、こうしてキャラ作りのために必死になっているのだから重症だ。
もっと要領の良い人かと思っていたのだが、話を聞く限り大分印象が違う。今も期待に応えるのに一杯一杯なのだそうだ。そうして期待に応え続けていけばどんどんと次のハードルが高くなるのは目に見えているのだが、それでも人からの信頼や期待を裏切るのが怖いのだと彼女は言う。
そんな話を聞いて流石に紗愛ちゃんも笑っていられなくなってきたのか、難しそうな顔で慰めの言葉を探している。私もこの状況をどうしようかと紗愛ちゃんと顔を見合わせた時、フランが妙に大人しい事に気が付いた。
こういう時大抵要らない事を言って悪化させるか、それとも力業で黙らせてうやむやにするかのどちらかなのだが……。
私が少し気になって4人で入るにはやや狭い部屋を見回すと、彼女は小さな流しの上の棚を開けている所だった。
「ちょっとフラン、人の部屋で何して……」
「おお。すごい……」
「……えぇ!? 何で!? 何で見てるの!!」
私の制止も聞かずにフランが棚から取り出して見せたのは、一つの段ボール箱。
そしてその中には……その……とても人には言えないような物が入っていた。……えげつない形してるなぁ。烏羽さん、もしかしてあんなの入れてるの……?
一瞬失礼な妄想が脳裏を過るが、すぐに振り払ってフランをたしなめた。
「フラン、流石にそれは謝りなさい……」
スイッチを入れて動きに感動しているフランから、巫女姿の烏羽さんが箱ととある人間の部位を模した“それ”をひったくる。人に見せるような物ではないし、勝手に見るなんて言語道断の所業だ。謝って済むとも思わないが、謝らずに済ませていい問題ではない。
対してフランはあまり悪いとも思ってないのか、いつも通りの無表情で箱の中身を指さした。
「こっちは、私も持ってる」
「え?」
「え、……え?!」
「それも興味あるから感想教えて」
そんな衝撃の事実を口にしながら。
***
落ち着いた、というよりももう何も考えていないような烏羽さんを前に、紗愛ちゃんが困惑している。
私も黙りたい気分だが、このまま空気が凍るのに耐えられる自信はない。そして、ここまで無残にプライベートを辱められた彼女を放って置けるほど薄情でもなかった。
「あの……その、別にそういうのに興味があるのが悪い事だとは思わないよ、私も」
人のこと言えないし。
最後の言葉が喉元まで出かかって、結局飲み込む。
中途半端なフォローは失敗に終わり、4人の間に沈黙が影を落とす。
困った。非常に困った。
こういう時は親しい人ととにかく会話を回して場を整えなくては。
「さ、紗愛ちゃんもするでしょ?」
「え!? いや全然。月に……いや、そういえば高校入ってからしてないかも」
何で!? 何で私の意図を察した返事をくれないの!?
ただ、嘘を吐いているというよりも本気で心当たりがない時の声をしているので事実なのだろう。え、高校入ってから一度もない? 二次元に常に恋する紗愛ちゃんが?
その事実にやや困惑しながらも、今度はちょっと話しかけずらいフランに話題を振る。
「えっと、フランは?」
「毎日する。3時間くらい」
「へー、さん……時間。……え、それ本気で?」
「休み中はする。道具も使う」
衝撃の事実に頭の処理が追い付かない。え? 3時間? 体力有り過ぎじゃない?
あまりの衝撃に、私も紗愛ちゃんも、そして烏羽さんもフランを見詰める。流石にその視線は居心地が悪かったのか、フランは身じろぎをして言葉を続けた。
「夜寝る前、体動かした気分になるから」
「いやそれは分かるけど、3時間はしないよ。擦れて痛くなっちゃったりしないの?」
「しない様に色々使う」
「使うんだ……」
いや、フラン確かに、アスリートだもんね。体力はあるだろうし……。でも3時間って、恋人できたら大変じゃない? え、フランに付き合って3時間するってことでしょ?
なんて考えていたら、フランから再び衝撃の事実が明らかにされた。
「皆の旅行中もしてた」
「え!?」
「嘘ぉ!?」
あの旅行中にフランと一緒に居なかった時間って、そんなに……いや、確か運動してくるとか言って一人でどこかに行ってた時があったような……もしかしてあの時?
妙に早い心臓の音を聞きながら旅行の日程を思い出していると、フランはやや不満そうに口を開いた。
「瑞葉は?」
「へ?」
「瑞葉はどれくらいする?」
「わ、私は……」
左からやや興奮した様子の紗愛ちゃんの気配を感じ、なるだけそっちを見ない様にしながら頭を捻る。いや、実際にはあんまり働いていないので考えている気分になっているだけなのだが。
私は正面の烏羽さんのやや期待した視線を受けて、結局上手い言い逃れ方も思い浮かばず、正直に答える。
「あの……する。3分くらい」
「3分!? え、あの、それ3分で終わるってこと……?」
「終わるよ! そんなじっくりねっとりしないもん!」
「毎日?」
「まい……にちではない。週に5回とか6回とか……」
「毎日じゃん!」
「早過ぎ。ゆっくりしないの?」
「する時もあるけど、洗濯物増えると恥ずかしいし、お母さんの居ない日だけ30分くらい……」
「本当に?」
「……気付いたら1時間くらい経ってる時もあるけど……」
二人に色々と言われる度に顔が熱を帯びる。私、何でこんな話してたんだっけ……。
確か、烏羽さんの……そういえば、
「……と、というか! 烏羽さん!」
「は、はい!」
「ここ、鍵もないみたいだけど、カーテンがあるとはいえこの部屋じゃ色々危ないんじゃ……声も外まで聞こえるし……」
「あ、はい……その、家は中学一年の弟と同じ部屋で……」
「あー、確かにし辛いね……」
「でも弟は一人の時してるんです! 別に弟を男として見たことなんてないけど、部屋は臭いがするしタイミングも私ばっかり気を遣って! 学校でも家でもその……溜まるんです! ここしか一人になれるタイミングが無くて!」
大変なんだなぁ……いや、せめて鍵くらいはちゃんと付けた方がいいと思うけど。
何かが吹っ切れたらしい彼女の愚痴と、それぞれの好みのやり方など、やや品のない会話は、結局花火の時間まで続くのだった。