お祭り
微かな、しかしそれでいて無視できないくらいには不快な振動音に目を覚ますと、そこは暗い部屋の中。
締め切られたカーテンの奥に少しだけ見える窓からは、既に暗くなってきている北の空が見えた。
私は緑色のカバーの開閉ボタンを操作して起き上がる。
時刻はそろそろ午後五時半と言う頃だが、私は重い瞼を何とかこじ開けてマシンから抜け出した。
あっちで寝るとこっちでもちゃんと寝てるんだな。たった今目覚めた気分だ。
大きく伸びをしながら義肢をそれぞれ着用して立ち上がる。そろそろ晩ご飯の時間だが、今日はお母さんが遅い日なのでデリバリーか外食のはずだ。
いつもVRゲームをする時に着ている寝間着から、一応余所行きのワンピースに着替えた私は、紗愛ちゃんの指輪を首に通して自室を出た。
「お父さん、今日は……」
リビングに来た私は、コーヒーを飲んでいた父に声をかける。
しかしそれを言い切るよりも早く、手に持っていたデバイスが着信を告げた。画面を見れば発信元はフラン。
通話ボタンをタップして耳元に当てる。
「もしも……」
『今暇?』
通話に出るや否やそんな言葉で確認を取るフランに苦笑を溢しつつも、私は時計を確認した。
「暇って言うか、これからご飯なんだけど……」
『夏祭り、行こう』
彼女はいつも通り唐突に、そんな予定を私に伝えるのだった。
***
「お待たせー! 待った?」
「待った」
「フランは電話かけた時から待ってたからね……」
やや時間に遅れて集合場所にたどり着いた紗愛ちゃんを迎え、私達3人は歩き出す。
夏の夕暮れに背を向けて、目指すは一番星の見える紫の空の下。そこは多くの人で賑わっていた。
既に日本で神社が本当の意味での信仰を失って久しいが、縁日や花火はこうして日本の文化として毎年全国各地で開催されている。皆あまり気にしないが、本当の“祭り”は神社でこじんまりと神主が執り行っているのだろう。
私達もそんな人の流れに従いながらゆっくりと道を進んだ。
「お祭りって昔はもっと賑わってたらしいねー」
「これ以上賑わったら人だらけで歩けない」
「あはは……規模を大きくするって発想はないんだ……」
もう何十年も前からお祭りの統廃合は進み、今では大きな市でしかこういった出店の通りなんて物は無くなってしまったそうだ。生まれた時からこの祭りに慣れ親しんでいる私には実感がないが、文化を受け継ぐ人間が居なくなってしまったのが原因らしい。
そもそも人口の密集と人口の減少が問題の根本なのだと、小学校の時に社会科で先生が熱弁していたのを思い出す。
もちろん無人になった神社やお寺は放置しているわけではなく、今でも管理の手は入っているし、神事も簡略化されながらも国の雇った担当者によって一部続いているらしい。最近のニュースでは無駄の削減とか言って、それもなくなるとか何とか言っていたが、あれは撤回されたのだろうか。
他にも地方から方言が消えたり、郷土料理が失われたりと色々悲しい事があったそうだ。もちろん保全活動として記録は残ってはいるのだが、それを実践する人間が居なくなったのだから事実上の消滅である。方言に関してはテレビが遠因となっているとか何とか……。
そのことについて、特に私は何か心を痛めるということはない。
罰当たりだと声高に叫ぶ人間は既に極僅かで、こうして縁日の屋台を見て回るくらいにしか価値を感じていない人がほとんどなのだろう。実を言えば、私も学校の文化教育でしか神社を参拝したことがない。初詣も熱心なクラスメイトが数人行っているということを聞いたくらいだ。
お寺は修学旅行とかお墓参りで行くんだけど、神社が何をするところなのかもよく分からないんだよね。このお祭りも本当は神社の神様を祭る行事なのだろうけれど……。
「……あ、綿飴!」
「ホント甘い物好きだよね……綿飴って甘いだけであんまり美味しい物でもない気がするんだけど」
まぁ難しい事は置いておいて、甘い物を食べよう。糖分さえあれば私達は幸せになれる生き物なのだ。
綿飴の出店で足を止めた私に、紗愛ちゃんが眉をひそめながらそう告げる。そういう彼女は今日はさっきからポテトとから揚げ、焼きそば……。
「そっちだって揚げ物ばっかりじゃん」
「いや、焼きそばは揚げ物じゃないでしょ?」
「そんなこってり油で炒めたら一緒だよ」
お祭りの焼きそばって油っぽくて食べられないんだよね、私。
私はメロン風味を謳っている綿飴を注文する。クルクルと巻き取られていくザラメを眺め、その香りを楽しむのも綿飴の醍醐味と言えるだろう。芳ばしくて甘い香りだ。ちなみにメロン風味と言っているが、普通の綿飴に香料を入れただけなのが見えた。安いし仕方ないか……。
私は支払いを済ませて綿飴を笑顔でおじさんから受け取る。
甘い香りのするのフワフワの砂糖菓子を唇で軽く噛む。唾液に解け出して千切れたその砂糖は、ひたすらに甘い感覚を口の中に残して消えて行った。
「んー、美味しい」
「瑞葉、砂糖そのまま食べても美味しいって言いそうだよね」
「え? 言うけど……?」
「……フランは何か食べないの?」
「射的」
「食べ物じゃないね、それ……」
私達はその後も出店をいくつか巡って会話を楽しむ。
射的では意外にもフランが平凡な結果を残して不機嫌になったり、私がくじ引きで要らない猫耳を当てて紗愛ちゃんに着けたり、ヨーヨー釣りで紗愛ちゃんが意外な才能を発揮したり、行列の出来ているラーメンの屋台を遠目に眺めたり……。
そうしている内に、あまり長くもない露店通りはすぐに終わってしまった。
「あ、もう終わりなんだ……」
「? 昔来た時より縮んだ?」
「それもあるけど、流石に小学生の時より歩幅大きくなったってことじゃない?」
「なるほど」
私は紗愛ちゃんの言葉に、思わず感心してしまう。
規模の縮小ばかり考えていたが、確かに最後に来たのは小学生の時だ。あのころに比べれば身長も……伸びた? 伸びてるのかな私。正直小学生の時から体格変わってないし、何なら当時の方が運動してて体丈夫な気がするんだけど……。
そしてふと昔、同じお祭りにソラと来たことを思い出す。
確かあの時はお母さんじゃなくて両方珍しくお父さんが来て、4人で色々と見て回った記憶がある。お父さんも青柳のおじさんも型抜きが上手で、私達が飽きて駄々を捏ねるまでずっと張り合っていた。きっと、この通りが長かったんじゃなくて、私達がもっとゆっくり進んでいたんだ。
……でも、あの型抜き屋さん、今日見てきた中になかったな。
私は何となく今まで歩いて来た道を振り返る。
神社へと続く前の道とは対照的に、そこは明るく賑やかだ。その差に少し何か心が冷めていくのを感じて、思わず紗愛ちゃんの背中に寄り添った。
「どうしたの? ここで終わりで寂しくなっちゃった?」
「ん。ソラの事思い出してた」
「そっか……フラン、花火見てくでしょ?」
「うん。でもまだ45分ある」
45分か。私は紗愛ちゃんの時計を覗き込み、そして空を見上げる。
夏の短い夜はまだまだ花火が映える時間とは言い難く、開催時間には少し時間がある。コンビニでも行こうかと風情のない事を言い始める紗愛ちゃんの後ろから、私は背後の暗い道を指さした。
「神社、行ってみない?」
「神社? 何かあるの?」
「多分何にもやってないけど、参拝してみようかと思って」
2人も特に反対する理由もなかったのか、しばらく暗い道を進んでいく。
鳥居の先も明るくはなかったが、不気味と言うよりも静かで落ち着く印象だ。
私達は昔小学校で習った記憶を頼りに手水舎で手を清め、参道を歩く。境内の林の中に居るのか、蛙や虫の声が響いていてお祭りの喧騒が少し遠くに感じられた。
「ん……?」
「今何か……」
そんな音に紛れて、何かの声が聞こえた気がして境内で足を止める。
フランも同じ音に気が付いたのか不思議そうな顔をしていた。一通り周辺を見回してから私達は顔を見合わせる。
「え? 何? 怖い感じの話!?」
「いや、気のせいかも。誰かいるかと思ったんだけど……」
「女の声が聞こえた」
「え、っと……祭りの神社の裏手……それってあっち系の話……?」
「何考えてるのか知らないけど、多分そういうのじゃないと思うなぁ……」
私達はその声に不思議に思いながらも、神社にある賽銭箱(電子マネー対応)にお金を入れて鈴を鳴らす。
そしてそれぞれ微かな記憶からお辞儀と拍手を繰り返した。フラン、多分4回も手は鳴らさないと思う。私もうろ覚えだけど。
私は二度拍手してじっと目を閉じる。一応手順に則って参拝してみたが、こういう時は何を考えればいいのだろうか。願い事? それとも感謝の言葉かな。
そんなことを考えている間に両脇の二人が動く気配がして、私もそれに倣って祈るのを止めた。
「何か願い事した?」
「金運上昇!」
「夏休みの課題無くなりますように」
「あ、それがあったか」
「いや、金運はともかく課題は自分でやろうよ……」
やや不敬にも思える願い事の内容を話し合いながら、時計を見る。まだ花火には早い時間だ。
やることもないので境内を見て回って見ようかという話になった時、再びあの声が境内に響く。今度は前よりもはっきりしている。もしかして近いのだろうか。
「今度は聞こえた……! っていうか聞こえてる」
「何か、この声さ……」
「苦しんでる?」
「……みたいな感じだよね?」
私はフランの言葉に肯定を返す。出来る限り平然としていたつもりだが、思わず身震いをする。
私達は自然と声を潜めて私達は身を寄せ合った。
「……探してみよう」
「えっ……本気?」
特にやることもない私達は、そんなフランの思い付きで声の主を探すことになるのだった。