問題と不具合
月曜日の午前中に一応素材の回収を済ませた私は、次の半年記念アップデートが開始される前にログアウトした。
そして今、リビングで頭を悩ませている。いつも持ち歩いている携帯デバイスよりも4倍くらい大きな電子ペーパーの上には、私が描いたラクスが両手を広げて立っていた。
「んー……やっぱり実際に作ってみないとよく分からないなぁ……」
速度だけは勢いよく動いていた筆が止まる。大きなため息を吐いた私は、参考にとダウンロードしたセクシーなダンス衣装と、様々な格好のラクスの写真を見比べた。
今私がやっているのは、新たな舞踏服のデザイン案の構想だ。
布は多めに確保できたので露出も控えめにしようと考えていたのだが、いくつ案を出してもしっくりこない。
何せ初心者装備以外あの防具しかまともに使っていないのだ。もう既に二ヵ月も同じ格好をしているので、あれ以外の装備を新しくと言われてもピンとこない。
一応さっきまでフランの服を借りたり、自分で作ったコスプレ衣装を着てみたりしてショールに写真を撮ってもらって来たのだが、正直な所自分の格好に違和感しか覚えない。この衣装のここをもっとこうしたら……という発想すら浮かばないのだ。
いつもラリマールにモデルをしてもらって服を作っているので、その違いも大きいのかもしれない。
「んー……結局、“似合う”のは舞踏服なんだよね……」
似合うというより、落ち着くと表現した方が正しいかもしれない。
ショールに言われるがままにポーズを決めた写真集はやや扇情的だ。表情や体の見せ方ももちろんあるが、やはり全体的に服がそういう雰囲気の物が多かった。比較的似合うと思った写真を選んできたのだが、これはもう私の中でラクスの印象がこっち方向で決定しているということなのだろう。
諦めて全く同じデザインの舞踏服でも作ろうかと少し考えていた時、少し遅めの昼食を終えたお父さんが私の手元を覗き込んだ。
「何か悩んでいると思ったら、これは服かい?」
「え、うんまぁ……」
自分の描いた絵を父親に見られるのはやや気恥ずかしい。しかしお父さんの目は真剣そのものだ。
参考資料にはほぼ下着に近い姿の女優なども居るので見せるかは悩んだが、私は描きかけのいくつかの案とモデルとなるラクスの写真、そして参考にしていた資料を渡す。そもそも父は服飾のデザイナーだ。こういう写真など見慣れているのだろう。
一通り見終えた彼は、少し考えながらも根本的な質問を口にした。
「その、これは誰なのかな?」
「あ、これはゲームの……踊り子なんだけど、実は……」
私は自分のアバターだと言いそうになって口を噤む。流石にこんな露出魔が自分の娘だと知ったら、父親として色々と思うことがあるだろう。
一つだけ隠し事をし、そして嘘は吐かずにゲーム内で装備品の作成として服を作っている事と、デザインに悩んでいると告げる。そうすると再びお父さんは真剣な表情で絵と写真を見比べた。
肉親とは言えその道のプロだ。ダンス衣装は専門外のはずだが、それでも少々緊張する。
「いつもの衣装はその黒いやつ。もうそれが見慣れてるから似たようなのにしようと思ってたんだけど……」
「なるほど。この扇も衣装の一部なのかな?」
「そっちは武器。剣はその透明なのでほぼ確定だけど、扇のデザインはある程度何とかなるかな。……あ、服の材料はね……」
分かる範囲で素材についても教えていく。宝石や貴金属の色味、布の色の乗り方などの写真も、他の服のデザインを決める時に使っているゲーム内の領域から引っ張て来て見せると、お父さんは意外そうな顔をしながらそちらも吟味していった。
彼は一覧に表示されたサムネイルから、数回気になった物を大きく表示させる。そして私にいつもの表情で笑いかけた。
「どうやら本当に頑張っているようだね」
「そ、うかな……。作るのは楽しいからやってるけど、やっぱり私の考えるデザインってどこかで見た物ばかりで……」
少し私が気後れしていた理由。
それは、私が見た物しか作れないということだ。今まで作った衣装も、武器も全部ネットから引っ張ってきた物を参考に作成した物である。
しかし、お父さんは私の言葉に笑みを浮かべてこう言った。
「見た物しか作れないなんて当たり前さ。見たこともない物は表現できないなんて、私だってそうだよ」
「そうなの?」
「もちろんそう見えない様に工夫はするし、自分だけが見たことのある光景があるならそれは世の中にとって新しい事と言えるよね? 優れたデザイナーは人よりその“引き出し”が少しばかり多いだけさ。まぁ本当に多いだけだと人工知能に負けるんだがね」
嫌な世の中だと笑って見せたお父さんは、私に電子ペーパーをそっと返した。
「父さんから言えることは、そうだな……踊りをする人の衣装なら、その踊りに合わせるのが一番だろうな。近くで見た時に似合う似合わないよりも、遠くの舞台で輝いて見えるような……」
「例えば?」
「ふむ……ちょっとペンを借りるよ」
お父さんは新しく立ち上げた白いページに、さらさらとデザインを描いて行く。
その後もしばらく、親子の相談事は続いて行くのだった。
***
お父さんとの相談の末に完成したデザインと共にログインすると、自宅に来客があるとの通知が来た。どうやら泥団子たちが応接間で寛いでいるらしい。
こういう時は大抵私に何か相談事がある時だ。
私はとりあえず予定していた裁縫と金属の細工を放って、自室を出た。
柔らかな絨毯が足音を消し、静かな室内に朝の陽ざしが差し込んでいる。現在時刻は午前一時過ぎなので、こちらでは本当に日が出てすぐのはずだ。
私は廊下を抜けて暗い色合いの扉を開ける。
そこには高そうなソファに腰かけ、ラリマールの羊羹に舌鼓を打つ3人の姿があった。どうやらシトリンかカナタが来客の対応をしてくれていたらしい。
応接間に足を踏み入れると、私の姿を振り返ったユリアが笑顔でこちらに手を振った。
「おはよー!」
「おはよう。今日はどうしたの? 全員来るなんてちょっと珍しい……くないか。イベント終わったから」
昨日の、いや日付の上では今日の午前0時に、半年記念の期間限定イベントは終了。めでたいことに特に問題も起きずに恙なく終了し、熾烈なランキング争いを制したプレイヤーが表彰されたりもした。私は深夜帯は寝ているので見ていないが。
最近は私のイベント参加率の低さと彼らの参加率の高さが原因であまり会っていなかったのだが、それより前はほとんど一緒に行動していた。別に今の状況が珍しいわけではない。
「そうそう。イベントも終わったし……で、お知らせ見た?」
「お知らせ?」
羊羹を水で流し込んだユリアが、そんな意味深な事を告げる。
お知らせと言えばあれだろうか。今日の12時に発表されたであろう半年記念アップデート。今回はイベント終了と被っているためか、発表と同時に実装となったはずだ。
しかし、どうやらその事ではないらしい。
「まぁとりあえず座れ。確認するのそこそこ長くなるだろうから」
泥団子に促され、ユリアの隣に座る。
そしてメニューを開くとメッセージ機能に未読通知が二件来ている。どちらも運営からのものだ。
片方はアップデート内容の告知、そしてもう片方は……
「特定スキル不具合のお詫び……?」
そんな不穏な単語の羅列だった。