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ソラからの贈り物

 少し、老けたな。

 再会した青柳夫妻を見て最初に思ったことは、そんなどうでもいい感想だった。記憶の中の二人よりも不幸そうな皴が増え、髪の毛は減っている。


 あの日から一度も会っていないので二人の詳しい現状は知らない。知っている限りでは、最愛の娘を亡くした彼らは今は少し離れた土地で息子三人と五人家族、慎ましく暮らしているということである。


 既に日は落ち、墓地は所々に設置されている行灯型の電灯で照らされている。

 彼らはそんな中で、どうしたらいいのか分からないという表情でこちらを見ていた。


「あの、ユーちゃん達は来ないんですか?」

「え、えぇ、命日と16日には来るみたいだけど……」

「そう、なんですね。それじゃ……」


 それ以上の会話は続かず、居た堪れなくなった私が先に動き出した。もう長い事ここに居るし、そろそろ帰ろう。私は片方のハーバリウムを拾い上げて、おばさんの右側を通り抜ける。


「ちょ、ちょっと待って」


 彼女は私の“左腕”を掴んで、その感触に驚いたようにすぐ離す。

 私は彼女のその反応に古傷が疼く様な痛みを感じて、少し顔を伏せた。


「あの、渡したい物があるの」


 彼女はそれでも立ち止まった私を見てほっと胸を撫で下ろし、私にとって予想外の言葉を続けた。


「星夜からのプレゼント」

「えっ……?」



 ***



 自宅に帰ってきた私は、それとなく話を振る両親に(ろく)な返事もせずに部屋に戻る。

 そうして机の上に買ってきた瓶と、何が入っているのか分からない潰れた箱、そして一通の手紙を置いてベッドに倒れ込む。


 あの後私は、お墓参りを済ませた青柳夫妻と一緒に、旧青柳家へと向かった。

 もう2年以上帰って来ていないというその家は、人のいない寂しい匂いが充満している。それでも私にとって、そしてそれ以上に彼らにとってその場所は懐かしく、思い出深い場所だった。


 引っ越した際に私物をそのままにしたというソラの部屋には、本当に3年前と全く同じ配置の家具にうっすらと埃が積もっている。

 その音が消えるような光景に息が詰まるのを感じながら、あの事件当日の彼女の荷物だというキャリーバッグに恐る恐る近付く。あの時大きな荷物はバスの貨物室に入っていたはずだが、どうやら貨物室も相当な衝撃だったようで鞄は傷らだけで大きな穴まで空いている。

 私は、辛うじてその役目を果たしている金具を外し、蓋を開けた。


 警察と二人が中身を(あらた)めたらしいが、可能な限り配置も中身もそのままになっているという。

 僅かに埃が宙に舞い、少々隙間の多い鞄の中身が露になる。

 中にはダンス部の衣装、着替え、歯ブラシなど私も覚えがある様な物がまだ主人を待っているかのように眠っている。中だけ見ればつい最近にソラが忘れて行ってしまったようにも見えて、私は震える息をゆっくりと吐いた。


 そして、そんな荷物の中にあったのだ。

 『ミズハへ』と便せんに書かれた手紙と、少し角の潰れてしまっている箱が。


 中身も見ずにそれを受け取った私は、ハーバリウムを一本青柳夫妻に託してその家を後にした。


 その後はどう帰ってきたのかよく覚えていない。

 気が付いたら家に居て、玄関の前であの箱と手紙を大事に抱えてぼうっとしていた。


「ソラ……」


 机に視線を向けると、私が買った青い海の瓶がキラキラと部屋の照明に反射して輝いている。


 一緒に海も行った。一緒に遊園地に行った。一緒にお城に上った。一緒に表彰台に立った。

 過去の思い出が溢れて頬を濡らす。色々な場所に行った。

 でももっと色々な場所に行きたかった。一緒にどこか遠くへ。二人でなら何だって耐えられる。私はどんな惨めな姿になってもいい。

 どうか二人で生きたかった。


 他の誰も要らない。他の何も要らない。

 私は二人でいる事だけが望みだったのに。


 ずっと考えない様にしてきたそんな願望が体を支配して、雫が止め処(とめど)なく頬を伝って流れ落ちる。


「う……くっ……ソラ……会いたいよ……」


 それは昔口にするまでもなく叶っていたことで、そして今はもう二度と叶わないことで。

 自分が惨めだという悲しみと怒りで忘れていた、いや、忘れようとしていた掛け替えのない存在を失ったという喪失感。忘れていたようでいて、ずっと私の心を支配していた感情。その蓋がついに壊れてしまった。

 私は立ち直ってなどいなかった。時間が解決したなんて嘘だった。


 濡れている顔を左手で拭おうとして、反応を示さない義肢に視線を落とす。私はどうしようもなくその私の体の異物に腹が立って、右手で強引に義手を外した。


「ソラ、助けてよ……」


 ずっと私を助けてくれたソラ。

 私が男の子にからかわれた時は怒ってくれた。私が足を(くじ)いた時は肩を貸してくれた。私が肝試しに参加した時はその晩一緒に寝てくれた。

 今も私困ってるよ。助けてよ。


 私は小さな子供のように泣きじゃくった後、気が付いた時には眠りについていた。


 その夜、不思議な夢を見た気がする。

 小さな私が買ってもらったソフトクリームを落として泣いていたら、誰か女の人が慰めてくれる夢。

 私が悪いのに、彼女はごめんなさいと言って他のお菓子を色々と取り出して見せた。キャンディやパンケーキなど色々と出してくれたが、私にとってそれはとても大事なソフトクリームで、代用品などあるわけがない。


 結局私は、目が覚めるまで彼女の胸の中で泣き続けた。



 ***



 目が覚めたのは午前二時。

 昨日は夕食も食べずに寝てしまったので、妙な時間に起きてしまった。


 寝ている間も泣いていたのか、枕と顔は濡れているし、頭もぼんやりとしていて少し重い。

 私が時間を確認してもう一度ベッドに横になると、部屋がやけに明かる事に気が付いた。


 窓の外を見ると、街灯はすべて消えていて月明りが強く差し込んでいる。眠る前にカーテンを閉め忘れたようだ。

 窓から微かに見える雲一つない星空は、ここからは見えない月の光に負けじと瞬いている。


 私は横になりながらその空を見上げていた。

 ソラとは天体観測に行って……あの日は天気が悪かったんだ。私達が落ち込んでいたらお父さんがプラネタリウムに連れて行ってくれて……確かその時買った星図があったな。どこに行ったんだろう。

 一頻り泣いた私の目はまだ赤く、瞼は泣き腫れている。それでも視界が滲むようなことはなく、はっきりと星が見えていた。


 だからきっとこれも、見間違いではないのだろう。


「あ、流れ星……」


 一筋の光が窓枠の隅を駆け抜けていく。

 もしかすると近くを通った車のヘッドライトかもしれないななんて夢のない事を頭のどこかで考えながら、思わず願い事が口を衝いて出る。


「ソラの声が聴きたいな……」


 ソラの……いや、そうか。

 私は実はそんなことを、“願っていない”のかもしれない。会いたいとも、声が聴きたいとも、一緒に居たいとも、心の中では。


 だって私は、こうして彼女の最後の手紙を読むこともなくただ泣いているだけだ。

 部屋の中で一人(うつむ)いて、自分の悲劇を嘆いているだけ。


「違う……」


 思考と乖離した言葉が口から零れる。本当に違うのだろうか。

 助けは求めたけれど、それはソラじゃなくてもいいんじゃないか?


「違うよ、ソラの助けが欲しい」


 じゃあほら、そこに一通、彼女からの助けが来ている。

 悲しみに暮れる瑞葉のために。


「……」


 私はベッドからむくりと起き上がると、机の引き出しからペーパーナイフを取り出す。

 そして、置いてある封筒を片手でやや乱暴に開けた。


 中に入っていたのは、懐かしい字の数々。

 私はその便箋を月明かりに照らした。


『ミズハへ

 誕生日おめでとう!

 大会中だけどたん生日プレゼントだよ!』


 そんな文言で始まった短い手紙を何度も読み返す。

 内容は今までの思い出と、私への好意と、その他も取り留めもない文章が続いている。


 そんな手紙の最後、差出人の名前の下に書き足されていた文章があった。

 その文字は上の文章とは違ってボールペンだが、確かにソラの字である。


『いつも助けてくれてありがとう これからもよろしくね』


 馬鹿を言わないで欲しい。

 いつも助けられていたのは私の方だ。それにこれからなんてもう無い。


 私は手紙を机に戻してあふれる涙を右手で拭う。

 ……ここまで来たのだからこれも開けてしまおう。


 私は彼女からの、3年遅れの誕生日プレゼントの箱を開けた。


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