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【13】今はもう

 いくら感情が昂ぶっていたとはいえ、あんなにも雨にうたれたのは不味かった。


 あの公園から家までは歩くことには歩くし、何よりも雨が結構強かったんだ。


 心のままに身を任せ、高熱を出してしまったのはわたし。ではなく、お姉ちゃんだった。





「ごめんね、ごめんねお姉ちゃん。わたしのせいで」


「ううん、優のせいじゃないよぉ」


 昨晩、三十八度ほどの熱を出してしまったお姉ちゃん。なぜかわたしは元気で、身体はぴんぴんしている。


 お姉ちゃんが心配だ、それに申し訳ない気持ちもある。今日は一日、わたしがお姉ちゃんを看病しなくてはいけない。


 まだ朝の七時半。朝昼晩のご飯、家事、今日は買い出しも必要だ。心の何処かで、張り切るような情熱を感じていた。


「お姉ちゃん、今日はゆっくり休んでてね。ご飯とかぜんぶわたしやるから」


「ありがとう、優。お願いね」


「うん、任せて」


 布団に横になるお姉ちゃんは顔を赤くして、微笑みはしても気分の悪さを隠せていない。


 お姉ちゃんは決して逞しくはなく、むしろ華奢で女の子らしい身体付き。頼りになって大人らしく感じるのは、お姉ちゃんのたち振る舞いや心持ちが所以なんだと改めて感じさせる。


 そんなギャップもあってか、わたしの抱えた心配は普通の熱なんかには不釣り合いな大きさだ。








 さっぱりと片付いたキッチン、棚に置かれたレシピ本を手に取る。


 朝ごはんにそこまで凝るつもりはないけれど、体調不良のお姉ちゃんにはなにか特別に。そうだ、おかゆでも作るのがぴったりだろう。


 小さい鍋、さきほど炊きあがったお米、卵。


 調理しながら、わたしは自分の成長に少し驚いていた。


 お姉ちゃんと出会う前、わたしは料理なんてできなかったし、しなかった。


 それはめんどくささでもあるし、毎日疲れ果てては何かを食べようなんて思えない。そもそも、まともに食欲を感じたこともなかったかもしれない。


 小学生の頃に、給食がとてもとても美味しかったのを覚えている。恥ずかしくておかわりなんてできなかったけれど、給食は数少ない日々の楽しみだった。


 コンビニのおにぎりの味は、中学生のころの思い出だ。わたしはそんなにたくさん食べないから、一個だけでいい。


 お昼にお腹はすかなかったけれど、お昼ごはんの時間になにも食べていないのは目立ってしまうから。そんな理由で食べていたんだったか。


 高校生になってからは、もうロクに食事をしていなかった。たまにお腹が空くことがあるので、買い込んだゼリーだったり、ビスケットみたいな栄養食を食べることはあった。それくらい。


 この夏休み、わたしはお姉ちゃんに料理を教えてもらって、栄養のことも教えてもらって、驚くほどに健康的な食事を取れるようになったんだ。


 小さなわたしが給食のとき感じていた、あのご飯を食べるということの幸せ。こんなに大きなものだったなんて、知らなかった。

 

 回し入れた卵が固まり、軽く混ぜて火を消せばほんのりと湯気が立ち上がる。


 器に移したらレンゲを持って、お盆に載せたらお姉ちゃんのもとへ。


 器用になったなぁ、最初の頃たくさん買っておいた絆創膏は、もう余っちゃった。












 今日は天気が良い。洗濯物を干し終えて、お昼ご飯のことを考える時間はすごくゆっくりに感じた。


 身体に優しいもの、どうしようかな。作っておいたカレーは昨日で無くなっちゃったから、また新しく作らないといけない。


 冷蔵庫を眺めて、次に冷凍庫。そこには、ちょうどふたつ冷凍うどんがあった。


 冷凍庫には生姜があったな、つゆもこの間煮物用に買ってある。


 作る物が決まると、なぜだか楽しくなってしまう。


 自分でもわからない。どうしてだか、わくわくを感じてしまう。不思議だ。


 料理をしているお姉ちゃんの姿は、いつも幸せそうだな、なんて思う。にこにこと笑いながら、たまに鼻歌なんか歌っちゃって、幸せそうに楽しそうに手を動かす。


 それをずっと見ていたから、うつってしまったのかもしれない。気付かないうちに教えられた、色々なことの面白さ。


 それは料理だけじゃない。日常に溢れた色んな幸せに。それは、お姉ちゃんが教えてくれた宝物だ。


 水の入った鍋を火にかけて、蓋をする。ざるを用意、胡麻も用意。薬味にネギを切って、生姜を摩り下ろして、卵は半熟に茹でよう。


 器を並べたとき、ふとキッチンの壁にかけられた小さな鏡が目に入った。わたしの顔が、ちょうど映り込む。


 その口角は、それはご機嫌そうに上がっていた。


 思わず照れてしまった。楽しいけれど、まさかここまで顔に出ていたなんて。


 それに、水着を買いに行ったときにも思ったこと。わたしの顔付きが、すっかり綺麗になって見えること。これには未だに慣れない。


 お姉ちゃんには届かない。あんな優しげな美人さんにはなれそうにないけれど。例えば、街で見かけたかわいいお洋服。わたしも着て良いのかな、なんて思うと胸があったかくなる。


 ああ、本当に。夏の前までこんなこと思いもしなかったのに。


 なんてこと思いながら、料理はどんどん進む。


 お湯を切ったうどんを入れた丼に、半熟卵とネギ、摩り下ろした生姜と胡麻。最後に薄めたつゆをかけて、さっぱりとしたうどんが出来上がる。




 

 

 お姉ちゃんのもとへ運んで行くと、お姉ちゃんは眠っていた。朝ごはんのあと、すぐに寝てしまってから起きていないみたいだ。


 寝顔は、そんな苦しそうには見えない。どちらかというと、気持ち良さそうに寝ている。心の底からホッとする。きっとすぐに良くなるだろうなって。


 お姉ちゃんは普段から頑張ってるから、きっと疲れてる。いつも楽しそうで笑顔を浮かべているけど、楽しいことは楽しいことで結構疲れると最近知った。


 だからお姉ちゃんも疲れがたまっていたのだろう。


 起こすのは少し気が引けたけれど、わたしはお姉ちゃんを優しくゆすりながら、その耳元で呟く。


「お姉ちゃん、起きて。ごはんできたよ、お姉ちゃん」












 日が暮れ始めて、遠くの空に夕焼けを望める頃。


 わたしは買い出しを終えて帰路に付いていた。


 野菜はまだ家にあるので、買ったのはお肉にお豆腐、それからきのこ類。あとちょっとした調味料。


 そう、今夜はお鍋にする。夏にお鍋というのも変だけれど、最近は夜もすっかり涼しいから平気だろう。


 ビニール袋を片手にぶらさげたわたしの陰が伸びる。それを見て、一人きりで外出するのが久しぶりだと気付いた。


 買い出しはお姉ちゃんと一緒。お出かけも一緒。夏休みが始まる前以来かもしれない。


 以前はこうして外を出歩くのも、すごく嫌なことだった。誰にも会いたくない。誰にも見られたくない。そんなふうに思って、むりやり身体を動かして学校へ行っていた。辛くて苦しい思い出だ。


 でも今は違う。気は進まないけれど、外に行くことは怖くない。一人でも大丈夫。大丈夫なんだ。


 周りに誰もいないのを確認して、スキップなんてしてみた。


 肩より少し長いくらいのわたしの髪が空気を含んで揺れる。お姉ちゃんとお揃いの花の香りがする。


 膨らんだフレアスカートも、お姉ちゃんと同じ香りがする。


 伸びた影が少しずつ薄くなって溶けていく。これは、もう夏が終わる証拠。この夏は、もうとっくに去りかけている。


 お姉ちゃんの残したものが増えるたび、わたしはこの夏に思いを馳せる。













 ぐつぐつ、ぐつぐつ。


 煮える音は、食欲を誘った。


「ふふふ、お鍋かぁ。夏にお鍋」


「いいじゃんお鍋。もう夜は涼しいし」


「うんうん、確かに。それに、冬を一緒に過ごせないぶん、先取りって感じだね」


「そういうこと言うと、わたしまた泣いちゃうよ」


「ふふ、ごめんごめん」


 お姉ちゃんの体調はすぐに良くなったようで、熱も下がっていた。


 ちゃぶだいにのせた土鍋を挟んで、他愛のない会話をする時間。わたしはこんな時間が大好きだ。


 お姉ちゃんは、煮えた豚肉をポン酢につけてから口に運ぶ。まだ熱かったようで、ちょっとむせて、口に空気をはふはふと入れている。


 見ていて、すごく可愛い。


 時折、わたしは本当にお姉ちゃんのことが大好きなんだなって実感する。大好き過ぎて、心配さえしてしまう。


 お姉ちゃんは理想のお姉ちゃんで、理想の大人で、理想の人間。一緒に毎日を過ごすなら、絶対にお姉ちゃんが良い。たぶん、お姉ちゃんよりも素敵な人に今後出会うことはないだろう。


 なんてことを全部お姉ちゃんに言っちゃったら、なんだか負担になって心配させてしまいそうだから胸の深いところにしまっておくのだ。


「お姉ちゃん、あのね。わたし、心の準備できたんだ」


「……そっか」


「お姉ちゃんに、心配させたまま戻って欲しくないんだ。安心して、ちゃんと安心して戻ってほしいから」


「……やっぱり優は優しすぎるよ。ありがとうね、本当にありがとう」


「優しい優しいって言うけど、お姉ちゃんの姿を見て学んだんだよ?」


 お姉ちゃんは、少し寂しそうに笑った。それは今まで見てきた表情とは、また違う。


 わたしを見送るような、見守ってくれるような、そんな眼差し。


「……私、ちゃんとお姉ちゃんできてて良かったぁ」


 小さな声でこぼれ落ちたお姉ちゃんの言葉。


 それはきっと、自分自身へ向けた言葉。わたしの前でお姉ちゃんとして生きる自分じゃなく。ありのままの自分に向けた、そんな言葉。


 わたしは何も言わないで、鍋をつついた。


 わたしもお姉ちゃんを助けていた。あの日言ってくれたお姉ちゃんの言葉は、ただの慰めなんかじゃない。


 わたしは本当に、お姉ちゃんのことを幸せにしてあげられたんだ。少しでも、お姉ちゃんの為になれた。大好きな大好きな、大切な人の為になれた。


 あたたかい出汁を吸った白菜の味が、今まで食べた何よりも美味しく思えた。



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